了頓図子と室町の路地

了頓図子1

了頓図子2

 秀吉、家康時代の京都の茶人、廣野了頓が、一般人に邸宅内の通行を許したのが始まりという了頓図子を歩きました。
 由緒ほどには、現在の図子は風情があるものではありませんでした。まあ、開発の波が押し寄せるこの地にあっては、仕方ないことでしょう。

室町の路地

 昔の商家が少なくなっている室町通りも、歩いてみると、思わずレンズを向ける景観に出くわします。
 詳しくはHPをご覧ください。
 http://dot117.minibird.jp/Alubum/060108ryouton/060108ryouton.html

革堂図子あたり 図子づくし

革堂図子あたり

 「革堂図子(こうどうずし)」を訪ねるのが目的でした。
 革堂は、正式には行願寺(ぎょうがんじ=西国33所札所)といい、豊臣秀吉による都市改造で現在地の寺町丸太町下るに移転するまで、このあたりに広大な寺域があったそうです。
 上京区の一条通上る、小川通から油小路(あぶらのこうじ)通までが目指す図子です。

革堂西町

 油小路通を今出川から下ってくると、「革堂西町」の消火箱に出会いました。このあたりのはずです。といってもどこにもそんな表示はありません。
 おまけに、車を洗っていた男性に聞くと「ここは革堂西町で、あっちが革堂町ですが、革堂なに、ずし?」。これでは、かつての白梅図子と同じです。
 つづきは
 http://dot117.minibird.jp/HP/zusi/koudou.htm

油小路の鍾馗さん

鍾馗さん(2)

鍾馗さん(1)

 望遠機能が充実した新しいデジカメを手に入れたのは、「鍾馗さん」を撮影したかったからです。さっそく油小路を今出川あたりから四条まで歩きました。上を向いて歩いていると、あちこちに鍾馗さんが祀られていました。
 21体の鍾馗をアップしたHPは、以下のURLです。
 http://dot117.minibird.jp/HP/zusi/shouki.htm

回数券と1日乗車券

回数券と1日乗車券

 このところ、休日ごとに京都に出ています。で、阪急の回数券を買いました。水無瀬-烏丸の260円区間の「土休日回数券」(土曜、日曜、祝日の終日有効)が7枚で1300円です。520円のトク。1枚あたり約186円です。
 これまでは便利なので「Pitapa」を使っていました。ポストペイド(後払い)のICカードで、改札機に触れるだけです。通勤区間は指定してあり、この区間は何回乗ってもも通勤定期料金額以上にはなりません。ただし、京都の往復料金などがかさむと、結構な料金を請求されてました。
 きょうは京都市バスの「一日乗車券カード」というのも初めて買いました。均一料金区間は市バス乗り放題で500です。均一料金は220円ですから、3回乗ればお釣りがきます。
 以前から修学旅行生らがよく利用しているは知ってました。わたしは四条大宮のバス発着所にあった自動販売機でかいましたが、車内でも車掌が売ってくれるようです。
 なるほどこれを持っていると、ほんの先の駅まででもバスに乗ってしまいます。それで少しでも無駄な車が減り、公共交通機関が本来の役目を取り戻すことができるのなら、よい制度ですね。ウィーンにもプラハにも24時間や72時間有効のカードがあって、便利でした。京都も見習って、地下鉄も乗れるリーズナブルな「京都カード」を発売すれば観光客らに歓迎されるでしょう。

「京都検定」で京都を楽しむ

京都検定の本

 京都検定の問題集があります。「京都1000問ドリル」(京都おおきに学会編、講談社、952円)。
 正解率601問以上 「たいへんよくできました」
 正解率401問から600問 「よくできました」
 正解率400問以下 「もうすこししっかりやりなさい」
 いや、難しい。テーマによってはほとんどできません。この本は、丸善京都河原町店の最後日に買いました。毎朝、通勤の車中でシャープペンシル片手に試しながら読みました。
 「あるく京都」(移動教室出版事業局、743円)は、梅田の紀伊国屋で探しました。「膏薬図子」とかがどこにあるのかを地図で確かたかったからです。いろんな地図がありましたが、これが、目的にあってました。
 「京都の不思議」(黒田正子著、光村推古書院、1700円は)は、京都のことをネットで検索してると、よくヒットするのでタイトルは知ってました。きょう、京都の書店で平積みになっているのを見つけて買いました。初めて聞いた出版社です。
 「清水の舞台から飛び降りた人は本当にいる?」といったテーマを並べた京都雑学エッセイです。
 こんなのを読んでると、次の休みはどこに行こうかと、京都が新鮮に見えてきます。

天使突抜通を突き抜ける

天使突抜1丁目

 「天使突抜通(てんしつきぬけどおり)」。なんとすばらしいネーミングでしょう。そんな名の通りが京都・下京区の西洞院通と油小路通(あぶらのこうじ)の間にあります。

住居表示

 東中筋通を下りました。松原通の交差点は天神前町です。そこからさらに行って振り返ると、ありました。「下京区東中筋通松原下る天使突抜1丁目」の町名表示です。

住宅地図

 「天使突抜通一丁目」はここです。最近では、通崎睦美さんの本のタイトルで有名です。京都市立芸大卒のマリンバ奏者で、アンティーク着物のコレクターであり、その着物の着こなしで話題になっています。生まれがここで、住宅地図にも同じ姓の家が載っています。
 大学の後輩の娘が「通崎好み」という本を持っていたので、ちょっと斜め読みしたことがあります。

天二町

 消火器の箱です。でも、こんな省略の仕方は天六、谷九、日本一の大阪だけかと思ってました。

アーチのある路地

 立派な門柱の礎石が残ってます。金属のアーチには、電球が付いていた痕もあります。路地を入ってみましたが、変わったモノはありませんでした。それにしてもいわくがありそうです。

駐車場

 住宅が取り壊されたあとは、とりあえずタイムパーキングに、という都心の風景です。それにしても「てんしつきぬけ」かと関心していると、次に見つけたのはそのものズバリ「天使ガレージ」です。ちょっとくたびれた看板ですが、降参です。

天使四丁目

 天使突抜通は五条通を越えて六条通まで続いてました。
 ここまで来ましたが、残念ながら名前以上の景観にはお目にかかれませんでした。

五条天神

 天使突抜通の名は、この五条天神からきています。松原通西洞院の南西角にあります。ちなみに昔の五条通は、現在の松原通だそうです。
 「五條天神由来」によると、桓武天皇が京都に都を定めたとき、都の平安を守るために、大和の国宇陀郡から天神(てんしん)を迎え「天使の宮」として建立した神社だそうです。当時、洛中では最も古い神社で、最大の鎮守の森を有していたそうです。
 この「天使の宮」を貫通してできた道だから「天使突抜」というわけです。「天使」といってもエンジェルの天使とは関係なかったようです。

義経と弁慶

 五條天神は義経と弁慶が出会った場所とも言い伝えられています。「京の五条の橋の上…」という童謡の橋は、現在の鴨川の五条大橋(石碑があります)ではなく、当時は五条天神の東側を流れていた西洞院川にかかっていた橋のことです-と由来は説明しています。

膏薬図子を歩く

膏薬図子

 四条通に面した堺町通と柳馬場通(やなぎのばんば)の間ビルに料理教室はあります。腹ごなしにここを出て、西に向かって歩きました。
 京の通り名のうち、東西の通りは「あねさんろっかくたこにしき(姉三六角蛸錦)…」としてよく知られています。今も、京都S大学のテレビCMのバックグラウンドで流れています。
 南北の通りについては、わたしもよく知りませんが、こんなのがあるようです。
 てら ごこ ふや とみ やなぎ さかい
 寺  御幸 麩屋 富  柳   堺
 たか あい ひがし くるまやちょう
 高  間  東   車屋町
 からす りょうがえ むろ ころも
 烏   両替    室  衣
 しんまち かまんざ にし おがわ
 新町   釜座   西  小川
 あぶら さめがいで ほりかわのみず
 油   醒井で   堀川の水
 新町通を越え、西洞院通(にしのとういん)までのところに幅2メートルほどの細い道があります。上京区では京都府庁の前の釜座通(かまんざ)ですが、下京区の四条から下がる小路は「膏薬図子(こうやくずし)」の名が付いています。

住所表示

 四条の角に立って住居表示を見上げました。
 通りの東側は「下京区四条通新町西入下る新釜座町」とあります。
 西側は「四条通西洞院東入郭巨山町」となっています。

鍾馗さん

 「郭巨山(かっきょやま)」は、祇園祭の山の名前で、この家が保存場所になっています。屋根の上には魔除けの「鍾馗(しょうき)」がのっています。

路地

 細い道をちょっと入っただけで、静かな別世界です。左手に路地がありました。入り口には路地の奥にある家の表札が並んでいます。

将門

 民家の壁に埋め込まれたような祠があります。その名は神田神宮。「天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也」と由緒が書かれています。
 下総国で戦に敗れた平将門の首が都へ運ばれ、ここで晒されたが、ある夜、光を放ちながら東方へ飛び去ったそうです。

東西の道

 膏薬図子は途中で鉤型に曲がっています。
 将門の霊を弔うため、空也上人が念仏道場を建てたそうです。その御堂が「空也供養(くうやくよう)の道場」と呼ばれていましたが、いつしかなまって「膏薬」なってしまったというのです。まるで、冗談のようなホントです。

img326_IMG_5338ed

 図子の長さは160メートルほど。南側の綾小路からみたところです。

杉本家

 綾小路の東角には杉本家住宅(京都市指定有形文化財)があります。ここは祇園の伯牙山の飾り場にもなっています。

白梅図子はどこに?

白梅図子

 「路地」、これを京都では「ろーじ」と発音します。先日、祇園の路地を歩きました。表通りから一歩入っただけで、まるで別世界にまぎれこんだような静寂が支配していました。もっと路地を歩きたくなりました。
 「図子」(「逗子」とも書くようです)。平安京の条坊制の名残で、通りで区切られたブロックの内部を貫通する細い道が図子です。
 図子で私が最初に思いついたのは「白梅図子(しらうめずし)」です。

白梅図子のバス停

 昔、四条河原町から下鴨の自宅に帰るときは、市バスの4系統「深泥池」行きか14系統「松ヶ崎」行きに乗りました。河原町を上がってきて「府立病院前」の次のバス停が「白梅図子」でした。でも、当時は図子の意味も、それがどこにあるかも知りませんでした。

町屋

 白梅図子は、明治7年に消滅するまで「花街」として栄えたそうです。
 町家風の古い家です。2階には虫籠(むしこ)窓もついています。

大久保利通旧邸

 同じ通りに「大久保利通旧邸」という石碑もありました。

すしや

 この崩れかけた(失礼)店は、もとはすすし屋だったようです。

地名表示

 古い住所表示がありました。「中筋通、石薬師上ル」とあります。ここではないようです。

img306_file

 地図の黄色の道かと思ってました。①の表示がある家の夫人が出てこられたので尋ねました。
 「河原町の角に武長という竹屋さんがありますやろ。そこをはいったとこです」
 「南北の通りなんですか」
 「はい。そうです」
  緑色の道という説明です。②で、車を洗っていた男性に聞きました。
 「そこを曲がって河原町に出たところに、わたしの子どものころには白梅図子というバス停がありました。だから、その右に曲がった通り(青色の道)と違いますか」
  さらに指さされた角、③で家から出てこられた夫人に聞くと「河原町の向こうと違いますか(赤色の道)」
 ああ、振り出しに戻りました。

白梅図子の古地図

 ネットで検索していたら、こんな記事と古地図に行き当たりました。
 赤色の道のようです。これで一見落着です。

白梅図子

 現在はこんな感じです。
 左(南)側は、、寺の塀が続いています。もはや、かつての花街を感じさせるものはもとより、標識などに「白梅図子」という表示は見あたりませんでした。すでに、忘れ去られようとしているようです。