10/02/14 11:09=京阪本通を北上して、右手に三洋電機の本社が見えてきた一本手前で右折します。すぐに左-右折を繰り返すと、上り坂がありました。この坂の意味を、この時点では気づいてませんでした。「京街道」の看板があります。
カテゴリー: 京の路地、図子、都への道
京街道を上る 其の弐 大坂を離れる
京街道を上る 其の壱 大坂を発つ
「京街道」を歩きました。
京街道は、大坂・高麗橋から淀川左岸を進み、淀を経て京に向かう街道です。文禄5年(1956)に、豊臣秀吉が築かせた「文禄堤」が起源とされます。江戸時代に伏見から大坂に向かう道には、東海道の延長として伏見、淀、枚方、守口の4宿が設けられ「東海道五十七次」とも呼ばれました。
このうちの大坂-枚方間をウォーキングしました。
2010/02/14 08:41=高麗橋を出発します。
久しぶりにやってきた北浜は、三越が姿を消し、跡地には高層マンションが建っている。東横堀川にかかる高麗橋の上は阪神高速が走っている。橋の東詰に「里程元標跡」の碑が建っている。明治時代に里程元標が設けられ、西日本の主要道の起点となっていたそうです。
京都迎賓館を参観する
京都御苑内にある京都迎賓館を拝観しました。
「藤の間」(晩餐室)の「光天井」です。指物と和紙を使った間接照明になってます。キリッとした幾何学模様が見事です。
壁面には巨大な綴れ織(西陣織)の「麗花」。日本の四季の花があしらわれています。
指物もすばらしいです。
大会議室の「夕映の間」です。
「比叡月映」
東西に2つの綴れ織がかかっています。
晩餐会用の食器が並んでいます。
「藤の間」の障子越しの中庭です。
「聚楽の間」からの中庭です。
参観には事前申し込みが必要です。
30分ほどの見学でした。日本の工芸の粋を見た思いです。それにしても贅沢なものです。
京都・一条・大将軍 妖怪ストリートを歩く
一条百鬼夜行、妖怪大集合の図です。
京都・北野天満宮のちょっと南の筋、一条通りです。
「千二百年前の平安京一条通り。古くなって捨てられた道具類が妖怪(付喪神)に化けて、夜の一条通りを行進したという怪異伝説があります…」
そこから現代の大将軍商店街に蘇った妖怪たちです。
一番上は、「妖怪ラーメン」の店のです。洋装店のやパン屋のやら、それぞれ個性派ぞろいです。
詳しくはHPをご覧ください。
通りに面して「大将軍八神社」があります。方除の守護神です。
名古屋・熱田神宮 「あつた蓬莱軒」のひつまぶし

名物「ひつまぶし」がお目当てで、名古屋・熱田神宮までやってきました。「あつた蓬莱軒」の「蓬莱陣屋(本店)」です。創業明治6年の味です。「ひつまぶし」はこの店考案の登録商標です。

「ひつまぶし」(2730円)です。

「作法」に従っていただきました。
まずは、櫃(ひつ)にはいったご飯に十字にしゃもじをいれて、4等分します。
最初に4分の1は、そのままいただきます。
関西風で腹開きです。皮がパリッとしています。脂は良い具合におちているんでしょう。うまい!
次は薬味をのせます。ノリとネギです。それだけで、すっかり変わります。味が深くなりました。
さらにノリ、ネギにわさびもおとして出汁をかけて湯漬けにします。これはこれで、濃厚な味わいです。
どれもおいしいです。「お好きなので」という最後の1杯は、薬味のせにしました。わたしは、これが鰻の味がすばらしいと感じました。


午前11時半開店です。11時前についたら、すでに行列です。でも、すぐに開店となり、ほとんど待つことなく店内へ。料理のすぐに出てきました。1時間くらい待つことは覚悟してましたので、ラッキーでした。
写真は、カメラがオートフォーカスになってなくて、見事なピンボケですが、コレしかないので掲載します。

調理場からもうもうと煙が上がってます。臭い、あるいは匂い充満です。

腹ごなしなんていったら神さまにしかられますが、熱田神宮に参拝しました。お宮参りや七五三でいっぱいでした。南門を出ると「神宮南門店」があり、ここも待ちの客であふれてました。
本店は、東海道五十三次の「宮の宿」の本陣跡の隣にあるので、「陣屋」です。
蓬莱軒/本店陣屋 地図
052-671-8686
〒 456-0043 愛知県名古屋市熱田区神戸町503
清水坂 京のブランド

清水坂を歩きました。
産寧坂との角にある「七味家」です。昔からここにあります。ここの七味は、わが家に欠かせない一品です。

八つ橋は、いくつかの店がつくってます。清水坂で見る限りは、「西尾」が優勢です。

かつては、圧倒的シェアだったはずの「聖護院」です。

生八つ橋に餡をつめた「おたべ」も人気商品になりました。
さらに続きます。
鉾立ての夜の祇園祭

早くも提灯に灯が入った函谷鉾(かんこぼこ)です。まだ鉾立ての夜(12日)です。祇園ばやしも流れてきます。

提灯の電球は、今年から白熱球をやめて、省エネタイプの蛍光電球に換えたそうです。気のせいか、明るいようです。

菊水鉾でもはやしがはいってました。

粽(ちまき=1000円)をかうと、鉾に登らせてくれました。
「蘇民将来子孫也」。マンションですが、玄関に掲げておきます。

ちょっと早い時間です。長刀鉾(なぎなたぼこ)では、まだ屋根に職人があがって作業中です。

まだ骨組みがむき出しの鉾です。釘は使わず、縄で組み上げていきます。
東海道五十三次 ゴール!!
08/03/24
お江戸日本橋から500キロにならんとする距離を歩き継いだサトウに敬意を表して、最後の石山ー三条大橋間を、「どたぐつ3」のみんなで歩きました。

9:09
あいにくの曇天となった。
石山から膳所に向かう。

9:18
篠津神社の門は左右非対称。膳所城の遺構をを移築したそうだ。
9:34
膳所神社には、篠津神社と同じ造りの門が。

9:43

10:32
すだれ屋が残っている。琵琶湖の葦でで作るのだろう。

10:02
義仲寺に着いた。

11:05

10:06
「古池や…」の有名な芭蕉の句碑。
芭蕉の墓と朝日将軍・木曽義仲の墓は背中合わせ。

11:07

10:12
バショウが枯れている。

11:10
国道1号に沿って逢坂山を越える。

11:13
逢坂の関。

11:54
京都市に入る。マンホールの蓋は、中央に京都市章。周りに御所車の車輪がデザインされているが、あっさりとしている。

12:23
山科駅前で、ちょっと早いが乾杯!!

12:35
昼食は、海鮮丼セット。

12:56
ラクト山科の東東来にて。

14:04
蹴上のインクライン。満開の桜の下を歩くはずだったが、まだつぼみ。おかげでだれもいない静かさ。

14:39
京都・三条大橋にゴール!!
労をねぎらって、三条大橋では舞妓さんが出迎えてくれました。ウソです。舞妓衣装に身を包む体験中のしろうとさんです。

14:40
五十三次を歩き通して満足の表情。

14:41
弥次さん喜多さんの像の前で。撮影は佐芳カメラウーマン。

14:42
親子で。

14:54
こんな手ぬぐいが記念に配られました。ありがとう。
祇園祭の路地

一瞬の静寂です。
祇園祭はきょうが宵山。鉾町は、昼からにぎわってます。
とある路地に入ってみると、その喧噪が嘘のようです。祇園囃子も聞こえてきません。

「京都市中京区新町通錦小路上ル百足屋町380」というのがその路地の所在地です。
だからでしょう。提灯に書かれた百足屋は、「むかでや」です。それはわかりましたが、百千足館は・・・、「ももちたるかん」だそうです。2階には能舞台もあるそうです。

新町通に面した入り口です。
民家を再生させて、カフェやイタリアンレストランなんかができています。本日は、前を通っただけです。


















