「愛宕念仏寺」と書いて「あたご」ではなくて「おたぎねんぶつじ」と読みます。奈良時代に山城国愛宕郡(おたぎごうり、現在の東山松原通りあたり)に建立された寺で、大正時代になって嵯峨鳥居本に移築されました。
昭和30年に住職となった仏像作家の西村公朝さんが、荒廃した寺を復興。祈願した参拝者の手によって彫られた1200体の石造の羅漢さんが今では苔むして並んでます。
愛宕山や清滝への行き来には、すぐ前の道を何度も通ってますが、境内を参ったのは初めでした。
ネコを抱いたり、米俵を抱えたり。
重文の本堂の前も埋め尽くしています。