「柴田海人 辰村千花 デュオコンサート」を楽しむ

 小さいころからよく知っているお嬢さん(ピアノ)とそのご主人(仏・ブルターニュ国立管弦楽団ヴァイオリン奏者)とのデュオコンサートを楽しみました。
 2人のデュオは、少しだけ聴いたことがありました。でも小さなホールの目の前で奏でられる音は別物。モーツァルトの「ピアノとヴァイオリンのためのソナタK304」の聴きなれたメロディーから引き込まれました。
 サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」などが続きます。美しい音色に酔い、超絶技巧にハッとさせられ、あっという間の終曲のグリーグでした。
 その演奏の激しさか、途中でヴァイオリンの弓の毛が、何回も切れました。それが弓にまとわりつきそうになって、ハラハラとさせられるシーンも。息遣いがマスクを通じても伝わってきそうでした。

 一緒に聴いていたいたヴァイオリン奏者が「ギドリスみたい!」。
 さっそくイスラエル人のイヴリー・ギドリスをネットで調べ、YouTubeで聞いてみると納得しました。
 技巧はもとより、ドヴォルザーク「ユーモレスク」の間の取り方、歌わせ方なんかにギドリスを彷彿とさせるところがありました。

 ピアノは「SHIGERU KAWAI」でした。小さなホールにはよくマッチングしているのでしょう。
 ピアニストになったお嬢さんと、ご主人との息もぴったり。微笑ましい姿に触れることができました。

 50人ほどで満員のホールです。

 芸術空間サロン・ド・ショパン
 高槻市高槻町13-5 HopeⅢビル3階

 休日の夕刻の高槻を久しぶりに歩きました。新型コロナなんてどこ吹く風といったように、飲み屋はどこもにぎわっていました。

孫娘と遊ぶ「ビー玉迷路」 2号機

 「ビー玉迷路」の2号機を作りました。横浜に住むもう一人の孫娘が、急にやってくることになりました。それならと、またも段ボール工作をしました。
 予想通りに6歳の孫娘は大ハマリです。何回も何回も、ビー玉を転がし続けました。

 1号機より、ほんの少しコースを改良しています。とはいえ2号機は、半分の時間でつくることができました。ミッフィーのシールを張りました。

 「もう27回もできたよ」と、孫娘はうれしそうに手離しません。土産に持って帰ってくれました。

反田恭平 奈良で聴く3回目の「ラルゴ」

 「反田恭平 ピアノ・ リサイタル 2022」を、奈良県文化会館の国際ホールで聴きました。この夏の全国ツアー初日でした。
 昨秋のショパン・コンクールで第2位に輝いた反田くんのピアノは、もう4回目となりました。その3回でショパンのラルゴ変ホ長調が演奏されました。聖歌「神よ ポーランドをお守りください」にショパンが和声付けしたといわれる曲です。ウクライナの戦火と重なります。
 ピアノは、ショパン・コンクールで使われ、ワルシャワから帰ってきた「Shigeru KAWAI」でした。スタインウェイほどの華やかさには欠けますが、弱音部が限りなく美しいピアノです。それがラルゴの祈りとなって、コラールのように美しく響きました。

 画像は、プログラムのコラージュです。ショパン・コンクールのサムライヘアから長髪に変身。肉体改造した体もスマートになっていました。
 この夜のBプログラムは、ショパンとシューベルトでした。シューベルトのピアノソナタ第20番は、4楽章まである長大な曲です。でも流れるきれいなメロディにその時間を忘れました。
 演奏後は、満員の聴取がほぼ総立ちのスタンディング・オーベーションとなりました。日本でも、こんなシーンが珍しくなくなりました。それに応えて反田くんはアンコールを6曲も奏でてくれました。

 会場では、反田くんの新著エッセイ「終止符のない人生」がこの日から売り出されていました。会場販売限定のブックカバーに覆われています。
 昨秋の「凱旋コンサート」を収録したCDも売り出されていました。
 なかなか商売上手です。

 奥さまは、知人に頼まれたのなど4冊をお買い上げでした。

 開場前のホール前には、指定席なのに長い行列ができました。

 わたしたちは車で早めに到着。駐車場に止めた後、東向商店街まで歩き、モスバーガー近鉄奈良店で「テリヤキバーガー」とアイスコーヒー、フライドポテトで小腹を満たしました。レタスがサクサクとおいしかったです。

 モスバーガー近鉄奈良店
 奈良市東向南町10-2
 0742-25-2033

予期せぬ雨の中、嵯峨野トロッコ列車に初乗車

 嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車が走り始めて30年ほどにもなります。ところが、実は、一度も乗ったことがなかったのです。京都人が金閣寺に参ることはほとんどないのと同じですかね。
 そのトロッコ列車に乗る日帰りツアーの新聞広告に目がとまりました。観光支援の「京都府割」で半額のたった5000円ポッキリでした。新型コロナワクチンを3回接種済みという条件はクリアしているので、その恩恵(もちろん感染してないのが最大ですが)にあずかるかと。
 6月からの記録的猛暑の続きを覚悟していました。ところが、朝からシトシトと雨でした。 

 これはハプニングの証拠写真です。
 JR嵯峨野線を京都方面から馬堀で下車、トロッコ亀岡に向かうのが予定されたルートです。
 ところが、馬堀で京都行き電車から降りてます。方向がおかしいですが、詳しくは書きません。

 トロッコ亀岡まで10分ほど、炎天下を歩く覚悟でした。ところが傘をさしてます。

 ハプニングのフォローがうまくいって、ツアーご一行よりも先にトロッコ亀岡です。
 10時半発の折り返し一番列車が予約されていました。まだ券売カウンターは開いていません。

 一番列車が到着。折り返します。
 先頭をディーゼル機関車のDE10がけん引します。

 保津峡を眼下に走り始めました。
 保津川下りの観光船も下っていきます。雨模様のため、テントで覆われています。

 現在のJR嵯峨野線(山陰線)が頭上を通過します。
 今はトロッコ列車が走っている軌道が、昔の国鉄山陰線でした。

 小学生だったころ、夏休みに若狭の海に泊りがけで海水浴に出かけました。トンネルに入るたびに、客車の窓を閉めたのを覚えています。それでも蒸気機関車のばい煙でむせ返りそうでした。
 奥さまは中学生のころ、京都でのピアノレッスンのため、毎週のように乗っていたそうです。

 この雨の中、カヌーやゴムボートで川を下っていた一団が、手を振ってくれました。

 JR保津峡の鉄橋が見えてきました。

 ツアコンさんが撮ってくれました。珍しいツーショットです。

 トロッコ保津峡です。タヌキが整列して出迎えてくれます。

 隣の車両は、窓がありませんでした。雨が振り込み大変なようでしたが、風が心地よかったです。

 山の中腹に大悲閣千光寺の幟が見えました。下は星野リゾートです。

 トロッコ嵐山までやって来ました。小倉山の麓です。

 JR嵯峨野線と合流して、もうす到着です。

 20分ほどの旅は終わりました。
 トロッコ嵯峨嵐山で下車しました。

 トロッコ嵯峨嵐山の駅舎には、大きなジオラマがあります。SLも展示されていて、その前にはベーゼンドルファーのフルコンが置かれています。パイプオルガンやハープシコードもあって、コンサート会場としても使えるようです。

 ここまでが第1ラウンドです。

孫娘と遊ぶ「ビー玉迷路」

 孫娘に会いに行く日です。急に思い立って、朝からボール紙細工を始めました。
 枠を傾けて、ビー玉を転ばせます。ルートは迷路のように入り組んでいます。穴にはまり込んだら、即アウトです。作るよりも、プレーのほうが難しいです。
 百均で買ってきたシールを張って、ちょっと格好をつけました。

 鉄鍋の「STABU」が入っていた段ボール箱がしっかりとしていました。

 枠をつくり、二重底にしました。

 サークルカッターで穴を開けました。
 細く切った段ボールで、ルートを区切る枠をつくりました。

 落下しやすい部分には、爪楊枝をさしてガードレールにしました。
 高度なドライブが要求されるバイパスルートも設けました。

 まずは失敗編です。なかなかうまく転ばせることができません。

 成功編です。穴に落ちることなく、ゴールにたどり着きました。

 孫娘は夢中になって遊んでくれました。 
 4月に生まれたばかりのもう一人の孫娘も、順調に生育していて安心しました。

高槻 野見神社の「父の日」の花手水

 高槻城跡近くにある野見神社です。黄色いバラの花手水が奉納されています。
 「父の日」の感謝の気持ちが添えられています。
 日本では黄色いバラを贈る習慣があるようです。

 黄色いバラの花言葉には「美」「友情」「献身」などがあります。

 花を奉納した地元の花店の丁寧な説明が添えられていました。

 こんなのもありました。ノウゼンカズラですかね。

 アジサイも咲いています。

 境内の永井神社の小門の脇にも咲いています。

 テッセン(鉄線)は高槻藩主永井家の家紋になっています。

 野見神社
 高槻市野見町6-6
 072-675-1316

 2人の子ども夫婦から届きました。「これさえ飲ませておけば・・・」と思われているようです。ともあれ、ありがとうございます。

ヴォーリズ六甲山荘 ファゴット アンサンブルとヴォーリズの名建築

 六甲山の別荘地にある「ヴォーリズ六甲山荘」で、ファゴット アンサンブルの柔らかな調べを楽しみました。庭のウグイスも、合わせて歌っていました。
 ファゴット(バス―ン)というのは、あまり目立たない楽器です。ソロでその音色に接する機会はあまりありません。それが3奏者もそろい、心地よいアンサンブルを奏でました。
 楽器の説明もあって、「このように5つのパーツに分解できるのですよ」と。

 奏者のひとり、宮本謙二さん(元日本センチュリー交響楽団首席ファゴット奏者、左)は、ご自身が大津市にあるヴォ―リズ建築である「宮本邸」に住んでおられます。
 ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964)は、米国に生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家、社会事業家、信徒伝道者です。最初に暮らした滋賀・近江八幡などに多くの名建築が残っています。
 宮本さんは、プロジェクターを使ってご自邸を紹介、ヴォーリズの生前の姿も写しだしてくださいました。

 ここでしか味わえない「山荘カレー」(1000円)が用意されていました。

 ひと昔前に、喫茶店で食べたような懐かしさを感じさせる味でした。でももっとスパイシーで高級な香りのビーフカレーでした。
 神戸市内のレストランで作ったものを運んできて、山荘の台所で温めたようです。

 こんなシチュエーションでいただきました。
 山荘の軒下です。目の前には、美しい緑が広がります。別荘暮らしをひと時だけ、体験させていただきました。

 ヴォーリズ六甲山荘は、1934年にヴォーリズの設計で関西学院高商部教授だった小寺敬一氏の夏の別荘「小寺山荘」として建てられました。山荘建築の代表的作品だそうです。

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フェニーチェ堺 反田恭平と佐渡裕の響き

 「新日本フィルハーモニー交響楽団50周年記念演奏会」をフェニーチェ堺の大ホールで聴きました。指揮の佐渡裕が舞台あいさつでも話してましたが、お目当てはピアノの反田恭平です。生で聴くのは3回目です。
 堺での音楽会らしく、こんな方の花も飾られていました。

 反田くんは、佐渡さんの指揮をバックにベートーベンのピアノ交響曲第5番「皇帝」を、あまり偉ぶらない優しくてしなかやかなエンペラーのように弾きました。アンコールのシューマンの「献呈」は、さらに愛を込めた響きになってました。
 2000人収容の大ホールです。オペラ公演を想定して、舞台両脇にはライトもついています。そのためかどうか、ちょっとデッドなのでしょうか。コンサートホールで聴くような金管楽器の華やかな響きは聞こえてきませんでした。
 S席を奮発しましたが、2階2列目という席も、ちょっと遠すぎたようです。
 昨秋のショパンコンクールで目を引き付けた長い髪を後ろに束ねた「サムライヘア」をカットしたのも、あまりわかりませんでした。この夜は燕尾服姿だったようですが、それすらも判別できませんでした。

 新日フィルは、50年前に小澤征爾と山本直純が立ち上げました。テレビの「オーケストラがやってきた」で聴いたものです。
 ベートーベンの交響曲第7番に続いてアンコールは、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ(オーケストラ編)」。弱音が限りなく美しい弦の調べでした。
 チャイコフスキーがウクライナを旅して聴いた民謡をもとにした名曲です。「ウクライナにあるチャイコフスキーの家が破壊されました」と佐渡さんも話していました。ウクライナに平和な日々が戻ってくることを祈るような演奏でした。

びわ湖ホール アリス=紗良・オットのEchoes Of Life

 大津の湖岸にあるびわ湖ホールで、アリス=紗良・オットのピアノ・リサイタル「Echoes Of Life」を聴きました。
 フレデリック・ショパンの「24の前奏曲 作品28より」に、7つの現代曲を組み合わせたオリジナルです。さらに建築家でデジタル・アート・インスタレーションのハンス・カンの幻想的な画像が舞台の投影されました。
 「Echoes of Life」のCDは、発売と同時に買ってわが家のステレオで聴いていました。それがアリスの繊細で感性にあふれる生のピアノに、バーチャルな刺激も加わって、うっとりとさせられました。65分間、休憩なしでした。
 ホールの窓からは、びわ湖が臨めます。きょうは曇り空で視界もイマイチでした。

 大きなホールがほぼ満席でした。いつもの音楽会よりも男性の姿が目立ちましたかね。
 舞台あいさつがありました。流ちょうな日本語で、エコーズ・オブ・ライフで表現したかった新たな形と意味を話しました。

 真ん中が「Echoes Of Life」のCDです。アンコールは、左のCD「NIGHTFALL」に入っているサティのジムノペディ第1番でした。
 ベルリン・フィルハーモニーで3年前にアリスを聴いて、みやげに買って帰りました。天女のようだったあの時と同じように、きょうも裸足でした。

 ベルリン・フィルハーモニー ベルリンの音と天女の響き

JA3UWS ただいまFT8で運用中

 ほぼ半世紀ぶりに再開局したアマチュア無線局、JA3UWS(わたしのコールサイン)です。目下はFT8という形式で、最近は主流となっているデジタル通信で楽しんでいます。
 わたしの部屋の机の上です。左に置いているノートパソコンが、FT8のコントロール部です。この画面をにらみながら、マウスでクリックして通信をしています。
 マイクを片手に「CQ、CQ・・・」とがなり立てるようなことはありません。すべてはパソコンの中でデジタル処理されています。相手局と電波の到達を確認しあうだけで、余計な会話は一切ありません。それもまた現代流なのかもしれません。
 メーンパソコンの大きなディスプレーには、交信した相手局と交わしたQSLカードの一部を表示しています。かつては紙に印刷したカードを郵送していました。これもメールを通じてファイルを交換しています。

 自動で記録された本日のログファイルです。右端に交信相手局の住所が表示されています。ほぼ日本全国に広がっています。
 これまでに600余局と交信しました。

 ベランダがある南向きの部屋です。ここにトランシーバー(送受信機)などを置いています。
 こちらのノートパソコンを、リモートでわたしの部屋のパソコンから操作しているのです。

 トランシーバーは、八重洲無線のFT-891Mという小型機です。これでHF帯から50MHZまで運用できますが、使っているのはもっぱら7MHz帯です。
 上の小さな箱を通してパソコンとつながっています。

 電波の出入口は、マンション4階のベランダに取り付けたアンテナです。
 アパマンハム(アパートやマンション暮らしのアマチュア無線局)にとって、アンテナの設置は悩みの種です。
 わたしは長さ1.5mほどのロッド・アンテナです。マンション暮らしではこれが限界ですが、今のところはそこそこ満足しています。