京都電鉄(京電)の路線跡を歩きました。4日前のことです。
当時の路線図(注)を見ていると、木屋町二条で右折して蹴上を目指した鴨東線に、「疏水ダム」(赤線)と読める停留所があります。町中のそんなところにダムが?
それが京電に電力を供給し、現在も発電している疏水の夷川発電所だったのでしょう。もう一度、京都を歩きました。
京都電燈という電力会社が送配電していました。社章は稲妻からデザインされた「菱形雷紋」でした。
その社章がくっきりと残る点検蓋が、寺町三条近くの路面に残っていました。
ここにも隠れていました。千枚漬がカラーペインティングされた嵐山行きの嵐電(京福電鉄)の車体です。
京福電鉄は、京都電燈を親会社として誕生し、菱形雷紋を継承しています。
京都電燈のすごさは、このビルをみればわかります。
京都駅前にある京都関電ビルディングは、現在は関西電力の京都支社です。これが京都電燈の本社ビルとして1937年に建設されました。
京都市バスを東山仁王門で下車しました。仁王門通を東進すると、右に直角に曲がる京都疏水にぶつかります。京電は、疏水左岸を動物園前ー南山寺橋ー蹴上と走っていたのです。
二条の交差点です。京電は向こうから走ってきて右折しました。
そのまま疏水に沿って下りました。
夷川船溜です。
京都府知事として琵琶湖疏水の工事を完成させた北垣国道の像が立っています。
船溜に沿って右から回り込むと、夷川発電所のプレートがありました。
疏水ダムとはこのことだったのでしょう。落差はわずか数メートルのようです。それでも勢いよく流れ落ちています。
レンガ造りの発電所建屋です。大正3(1914)年に建設されました。それが現役です。
ダム湖(!)側はゆったりと水が溜まっています。
正面からみた北垣の像です。
船溜にはかつて京都踏水会という水泳教室がありました。今は陸に上がって室内プールのようです。
細い路地を南下すると、すぐに二条通でした。このあたりに疏水ダムの停留所はあったのでしょう。
二条大橋を渡り、木屋町線が走っていた木屋町を南下。三条を寺町まで歩いてきました。
すき焼きの三嶋亭で昼飯。ってなことはありません。
一本下がった筋を入ったところに菱形雷紋のついた転換蓋はあります(画像は上下逆転)。
どうして、ここにだけに残っているかは不明です。
念のためあたりを見渡しました。
関西電力、京都市上下水局、NTTと、どこにでもある蓋です。
京都サンボア(バー)は閉店して久しいです。
この日、最初のスポットはこちらでした。
阪急・西院(さいいん)で下車。四条通に上がると嵐電・西院(さい)です。嵐山方面に向かう観光客がどっと乗り込みました。
車体にはくきりと菱形雷紋です。
四条通に遮断器が設置されたのを、初めて見ました。
四条大宮近くにある京福電鉄の本社まで行ってみました。上層階はマンションになっています。
祝日で閉まっていて、壁に表示されている社章つきの看板を見ることはできませんでした。
嵐電・四条大宮です。
駅員に「菱形の社章はどこかにありませんか?」と聞きました。答はノー。
乗車券発売所の客との会話のために開けられて穴が、菱形雷紋でした。
最後に訪れた関電ビルです。
L型のビルの頂角が丸くなっています。京都駅方面からの姿が堂々とするようにされているのでしょう。設計は武田五一です。
(注)「京都の鉄道・バス 写真データベース」の資料、「京都電気鉄道 営業線路及ビ賃金表」から転載しています。





























