京都・伏見区内には、何台もの旧京都市電が保存されてます。朝に丹波橋までアッシーしたあと、クルマでぐるりと回りました。
まずは、京阪・丹波橋駅の東側にある京都教育大付属桃山小学校(伏見区筒井伊賀東町)です。校庭の隅に「1821」はとまってました。フェンス越しに撮影しました。
外観はちょっと荒れてますが、内部はきれいです。シートは今も使っているのか水色のビニールっぽいものになってます。
正門から見るとこんな具合です。
京都・伏見区内には、何台もの旧京都市電が保存されてます。朝に丹波橋までアッシーしたあと、クルマでぐるりと回りました。
まずは、京阪・丹波橋駅の東側にある京都教育大付属桃山小学校(伏見区筒井伊賀東町)です。校庭の隅に「1821」はとまってました。フェンス越しに撮影しました。
外観はちょっと荒れてますが、内部はきれいです。シートは今も使っているのか水色のビニールっぽいものになってます。
正門から見るとこんな具合です。
「青春18きっぷ」でJR長浜駅までやってきました。現在の駅のすぐ南にある「旧長浜駅舎」です。「現存する最古の駅舎」があるのが、近畿の駅百選に選ばれた理由でもあるようです。
旧駅舎は「長浜鉄道スクエア」となっています。
旧駅舎は1882年(明治15年)に長浜-敦賀間の鉄道開通にあわせて完成しました。長浜-大津間は鉄道連絡船(太湖汽船)で結ばれていました。そのターミナルでした。
2006年の新快速敦賀延伸にあわせて完成した3代目の長浜駅です。初代のデザインを踏襲しているのがよくわかります。
橋上駅はゆったりとしています。
百選の認定証を探しましたが、見あたりません。若い駅員に聞いても「さあ・・・」。
何度も利用しています。でも駅舎は写してません。
自転車でびわ湖を一周したときに、時間を記録するためにシャッターを押してました(06/10/08)。
C571「貴婦人」に引かれて長浜駅を出発する「北びわこ号」です。賤ヶ岳に登った帰りに撮影してました(05/02/12)。
「風流打楽」との冠がついてますが、どこが風流なのか。エネルギー爆発でした。和太鼓の響きが、腹の底に響き渡りました。
「祭衆」は、男性3人、女性1人と笛の女性1人の構成です。和太鼓の連打だけで、盛り上げていきます。ジャズのインプロビゼーション(即興演奏)と同じでソロパートもあって、グーッと引き込まれます。体育会系のノリの音楽です。
圧倒的ボリュームの響きに身をおき、、何も考えずに時間がたったひと夜でした。
祭衆
師走の日曜日(14日)午前10時16分の阪急嵐山駅です。桂からの普通(普通しかない)が到着すると、ドッと観光客が降りてきます。
「名勝『嵐山』への玄関口。灯籠スタイルの照明が京都を訪れる人々の心を名がませてくれる駅」というのが選定理由です。
昭和3年(1928)、新京阪鉄道嵐山線の開通にあわせて6面5線という巨大なターミナル駅として建設されました。ところが乗客が予想ほどにはなかったことから、戦後に3面2線へ縮小されました。
観光客が絶えないとはいえ、通常は中央の改札口だけしか使用されていません。右側には改札口の上を通ってホームに直結する通路もあります。
マイ自転車、DAHONを袋に詰めて初めて輪行した駅が嵐山駅でした。
阪急梅田駅です。わたしが、もっとも多く乗降してきた駅です。学生時代から、何年間の地方勤務の時代を除いてJRに浮気する今春まで、毎朝、毎晩、お世話になりました。
手前に停車しているのが、いつも乗っていた6300系です。京都線用に2扉仕様の特急車両として昭和50年(1975)に登場しました。わたしの会社員生活と時を同じくして、そろそろ引退しようとしています。
その向こうは、次世代特急用の9300系です。
「私鉄最大のターミナル駅で9線10面のプラットホームを有す。1日の乗降客は約60満人」。これが「近畿の駅百選」の選定理由です。
昭和48年(1973)に移転完成した駅ですが、今でも古さを感じさせません。
「三番街の紀伊国屋前」は、待ち合わせ場所として利用してきました。
「百選」の認定証は、3階改札口の神戸よりの柱に、さりげなく掲示されていました。
JR大阪駅は素通りして紀伊國屋書店で立ち読みをしました。ふと思い立って「百選」の認定証を探しましたが、改札の前の駅員に聞くと「JRは不通になってるので、振り替え輸送をしてます」とのこと。ならばと、わたしも久しぶりに阪急で帰宅しました。
阪急梅田駅のコンコース
続・阪急梅田駅のコンコース
マニアの間では「プラチナチケット」です。
「ムーンライトながら」は、JR東海道線の東京ー大垣間を走っている夜行普通電車です。「青春18きっぷ」で利用できるところから、その有効期間中は全席指定の指定席券(510円)がすぐに売り切れてしまいます。
1月9日の1カ月前のきょう、午後2時ごろ。会社近くのJRなんば駅のみどりの窓口を通ったので、尋ねてみました。
「まだ、残ってますか?」
「窓際は全部うまってますね。あと45席です」
1月10日からは3連休です。まだ「青春18きっぷ」の方を買ってませんが、とりあえず「一度は乗ってみたかったムーンライトながら」の指定席ゲットです。
名古屋・大須観音のあたりを散歩しました(7日)。夏にやってきた1年前と同じ元気な原色の町です。「コメ兵」ものぞきました。ちょっと疲れて歩いていると「OAK SHOP」の看板。OAK(楢)の落ち着いた家具にひかれて店内にはいりました。
そこにあったのは、なんとチェンバロでした。
許しを得て、女房が鍵盤に向かいました。譜面台に開いていたバッハの「インベンション」です。よく響きます。柔らかい、そうチェンバロのひっかく刺激的な音がしないまろやかな音があたりを包みました。
「天板が最初の共鳴板、底板が2番目の共鳴板、床が3番目の共鳴板になっているんです。それを考えてここに置いているんです」
ものすごく納得させられる説明でした。
右上の梁に架かっているのは、ペザントチェアーの木型です。わたしはこれに引きつけられて、店に入ったのです。何年か前に、岐阜・清見村のオークビレッジで簡単なペザントチェアを作ったことがあります。
チェンバロの内部を見せてもらいました。初めてです。ピアノは弦をハンマーで叩きます。チェンバロはギターなんかと同じように「ひっかく」ということがよくわかりました。赤い部分の中間が、そのひっかく部分(専門用語は知りません)です。
右におられるのが、このチェンバロの作者で、この家具店の社長さんです。家具屋さんですから、木のことはよくご存じでしょうが、木工や、さらに楽器はまったくの独学、趣味で作られたというから、ただただ脱帽です。
バッハのミサ曲「マタイ受難曲 BWV244」を6日夜、岐阜サラマンカホールで聴きました。「岐阜バッハ合唱団演奏会」です。
エヴァンゲリスト(福音史家)を歌われたテノール氏に、女房が合唱(ChorMater)の指導を受けています。先生の「マタイ」は、数年前にも京都で聴いてます。柔らかいテノールが音楽を引っ張っていきます。
3時間近い大曲です。先日の「ミサ曲ロ短調」は、コックリ、コックリとすっかり気持ちのよい時間を過ごしました。でも、昨夜は日本語訳を読みながら、ずっと緊張感を維持することができました。どうしてでしょう。ちょっとはらはらさせられるところがあったからでしょうか。
岐阜バッハ合唱団は、人数も多く、フルボリュームのすごい迫力でした。でもコラールは、「プラハの春音楽祭」で聴いた「ヨハネ受難曲」のような小人数の清らかな音色の方が、わたしには響きました。
岐阜県民ふれあい会館のサラマンカホールには、スペイン・サラマンカ市の大聖堂にあるルネサンスオルガンの複製があります。この音色も聴いてみたいです。
ホールの入口には、サラマンカ大聖堂の建物正面にある大理石の浮き彫りのレリーフが埋め込まれています。
「近畿の駅百選」に選ばれていますが、駅にその表示は見あたりませんでした。
近江鉄道は、滋賀・びわ湖の南部を走るローカル鉄道です。彦根からひと駅で「鳥居本」です。次は「フジテック前」です。その次は終点の米原です。
この駅で降りたのは、わたしともうひとりでした。駅舎は無人です。
開業当初の昭和6年(1931)に建てられた古い洋館です。
駅を出ると国道です。なにもありません。
信号を渡って20メートルほど行くと、旧中山道です。古い町並みです。本陣跡なんかもありますが、観光客を呼ぶほどのものはありません。
左に突っ立ているのが、エレベーターのフジテックの本社にタワーです。
近江鉄道には、「フジテック前」「スクリーン」「京セラ前」と、企業名そのままの駅が3つもあります。
帰りの電車の乗り込んだのも、2人でした。
鳥居本駅 08/11/22撮影
「食乗接近」です。改札を出ると2メートル先に暖簾。これをくぐると「いらっしゃい!」と景気よい声。「生中」と応える。いやはや、すばらしい駅です。学生時代から長い間、通過駅や乗換駅としてきたのが、もったいない限りです。
「近畿の駅百選認定駅」。そんな難しそうな「選」に選ばれた証拠が、ホコリをかぶった壁に埋め込まれています。
でも「近畿の駅百選選考委員会」の委員さんは、この駅の魅力をよーくご存じだったのでしょう。
「近畿の駅百選」
酒饅頭の店がある西口です。ここの券売機の左上に「百選」のプレートは埋め込まれています。さて、どれだけの人が気づいていることでしょうか。
「西国三十三所を巡る」は結願が見えてきましたが、「京都市電の残影」はまだまだ残ってます。それなのに新たなスレッドを立ち上げました。「近畿の駅百選」。ゆっくりと巡ります。踏破の証の写真が残っている駅は、「済み」とします。
最も十三らしい路地です。今はそんな名残はありませんが、「小便小路」というありがたくもない名もついてました。
(撮影 08/11/30)