「唐人澪(とうじんみお)」は、江戸時代の朝鮮通信使が利用した公的な水路のことです。大阪・大正あたりの尻無川(しりなしがわ)がそれにあたります。
朝鮮人街道を鳥居本から草津まで歩いたつながりで、海からの上陸地点を散歩しました。
京セラドーム大阪の横を流れる尻無川を集団でのおぼってくる水上バイクの一団です。江戸時代の大阪人も、こんな風にのぼってくる通信使の大船を見に集まったそうです。
カテゴリー: walking & climbing
京街道を上る 野洲から中山道~東海道を石山まで
朝鮮人街道を鳥居本から野洲まで歩いたあとは、さらに中山道を京に向かいました。東海道の石山までの道のりは、中山道をお江戸日本橋から歩いてきた友達と二人連れでした。
天気は悪くはないですが、まだまだ肌寒い風が吹き、ザックの底から手袋を取り出しました。
【11:47】
草津宿の追分道標です。ここで東海道と中山道が分岐します。
京街道を上る 朝鮮人街道を能登川から安土まで
朝鮮人街道を能登川から安土まで歩きました。JRでは1駅間です。でも途中で安土城跡にも登ったので、18,000余歩の心地よい散歩となりました。これで朝鮮人街道は鳥居本から野洲までを歩き通したことになります。
【13:54】
安土城跡の中腹にそびえる摠見寺(そうけんじ)の立派な三重塔です。
天正年間に安土城築城に伴って、織田信長によって城郭内に建立された臨済宗妙心寺派の寺です。当時の本堂は、天主崩落の際も残ったが、その後の火災で焼失したままになってます。
「江-浅井三姉妹」の影響か、ここまで登ってくる観光客もびっくりするほど多かったです。
京街道を上る 朝鮮人街道を鳥居本宿から能登川まで
【10:33】
近江路の朝鮮人街道は、中山道の鳥居本宿から別れて、彦根の城下を通り、近江八幡を経て野洲まで続いている。よい天気となった20日、出発点の鳥居本から歩き始めた。
彦根城を横目に通り過ぎた。
京街道を上る 朝鮮人街道を近江八幡から野洲へ
「朝鮮人街道(ちょうせんじんかいどう)」は5月末に安土-近江八幡間を歩きました。よく晴れ上がった3日(文化の日)に、急に思い立って続きの近江八幡から中山道と合流する野洲までの10キロほどをたどりました。
写真はゴールの野洲で中山道と合流したところです。途中で妓王寺に回り道したりで、歩行距離はほぼ15キロ、28884歩でした。久しぶりのウォーキングに、足にタコができました。この秋はあまり出歩いていなかったと、反省です。
京街道を上る 粟田口を訪ねて三条通りを歩く
「京七口」のひとつ、粟田口(あわたぐち)です。近江国大津から山科を経て三条に至る東海道の終点にあたります。元は豊臣秀吉が築いたお土居があった現在の河原町三条あたりにだったはずですが、いつのころからか三条大橋の東方に粟田口はあります。三条口とか大津口とも呼ばれます。
粟田口の石碑は、三条神宮道を少し下がった(南に行った)ところにあります。神宮道のはるか先に平安神宮の大鳥居が見えます。暑くなった日差しをあびて6日、三条通を歩きました。
京街道を上る 朝鮮人街道 安土から近江八幡まで
京街道と呼ばれた都に上る街道は各地にあります。「朝鮮人街道(ちょうせんじんかいどう)」は、近江国(滋賀県)を通る中山道の鳥居本宿(彦根市)から分岐し、彦根、能登川、安土、近江八幡、野洲を経て守山宿で再び中山道と合流する脇街道です。徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利し凱旋した街道です。江戸時代には将軍上洛に利用され、朝鮮通信使が通行したためこの名があります。
五月晴れとなった29日、その一部の安土から近江八幡まで約6キロを歩きました。
10:25=JR安土駅前には、この地に安土城を築いた織田信長の像が建っています。胴長短足なのは、本人がそうだったためなのでしょうか?
京街道を上る 鞍馬街道~鞍馬寺から鞍馬口へ
「京七口」のひとつが鞍馬口です。ここから都を出て、鞍馬街道を通って鞍馬寺に参拝したのです。後白河法皇も、出家して大原・寂光院で過ごす建礼門院徳子のもとを訪れる「大原御幸」の際に通ったとされます。
五月晴れとなった22日、鞍馬寺から鞍馬口まで新緑の中を約10キロを歩きました。
11:04=スタートは洛北・鞍馬寺です。好天に恵まれ、観光客もやってきています。
京街道を上る 「山中越」は石仏ロード 荒神口へ
「京七口」のひとつが荒神口です。河原町通の丸太町と今出川の中間に、現在もその名の交差点があります。大津・南志賀町から山中町を経て北白川を通り都へと上った山中越(志賀越)の終点です。
長かった連休最後の一日、京都も夏日になった晴天の下を歩きました。
10:54=山中越は石仏ルートでもありました。
山中町に残る「重ね石」です。2つ重ねたような岩肌に、小さな仏像が4体、彫られています。道中を往来した旅人の安全を祈ったものだと考えられているそうです。
京街道を上る 京見峠から長坂口へ
「京七口(ななくち)」というのは、京に上る街道の京への入り口の総称です。
これまでに歩いてきた伏見街道には伏見口、竹田街道には竹田口、鳥羽街道や西国街道には鳥羽口、山陰道には丹波口、鯖街道の若狭街道には大原口がありました。時代によってその数は異なりますが、「五近七道」というあたりから七口となったようです。必ずしも「七」はsevenではなく、someのようです。鎌倉時代後半から使われてきたようです。
後に豊臣秀吉が、都改造の一環として、都の周囲を囲む「御土居」を築きました。その土塁に開いた「口」が、「七口」という表現を広げたようです。
そのひとつが「長坂口」です。その存在を、最近知りました。連休の谷間ですが、休みにして、さっそく歩いてみました。
若狭から鯖を運んだ鯖街道のひとつに、若狭・小浜から名田庄、美山、周山を経て高雄から京都に至るのが周山街道です。その途中から杉坂に入り、京見峠(長坂峠)を越えて鷹峯に下り、長坂口に至るのが長坂越です。
12:49=長坂口のあったあたり(京都市北区旧土居町)に「御土居」の一部が残っています。台形の断面の盛り土の右が洛外、左が洛中です。ここが、今回のウォーキングのゴールでした。