ナヘラの町を出ると、すぐに辺りは真っ暗になりました。ヘッドライトの明かりを頼りに、黄色い矢印に沿って歩きました。
巡礼路には、巡礼のシンボルであるホタテ貝をデザインした道しるべや、モホンと呼ばれる石柱がいたるところにあります。さらに要所要所には黄色いペンキで矢印が描かれてます。これをたどっていくと、地図なしでもサンティアゴ・デ・コンポステーラに到着できそうな気になってしまいそうでした。
その矢印を真っ暗ないなか道で見失ったのかなと不安になり始めたときです。背後からひとつのヘッドライトが追ってくることに気づきました。独りではないという安心感もあって、そのまま歩き続けました。
やがて空が白みだして、次の村に着きました。そこは巡礼路からは外れた村のようでした。後ろからついてきたヘッドライトの主は、なんと出発地のサンジャン・ピエ・ド・ポーの1晩目のオステルでわたしが眠った2段ベッドの上段にいた台湾のお嬢さんでした。
サンジャンのオステルはドミトリー(相部屋)でした。しかも男女の区別はありません。2段ベッドが2つ置かれた部屋で、上段がその彼女、もう1人はフランス人女性でした。日本でも山小屋やテント泊なら男女一緒もあたり前で過ごした経験はありますが、ちょっとどぎまぎとしました。
その彼女は、流ちょうな日本語で話しかけてきましたが、わたしの対応はどうだったのでしょう。初めてのドミトリーに緊張していたせいばかりではないはずですが、なんとなく打ち解けることもありませんでした。その後も、何回か話す機会はあったはずです。
巡礼路からは外れた村に着くと、彼女は流ちょうな英語で道を確認して、すたすたと新たな方向に独りで歩いていきました。
わたしは、やれやれと村のバルに腰を落ち着けてコーヒーを頼みました。ガイドブックを開け、やがてやってきた若い男性に「ここはどこ?」と聞き、やっと現在地がアレサンコという村であることを確認しました。
彼女とは、その後も顔を合わせる機会がありました。でも、「道を間違えてゴメン」と素直に謝れなかったのが、ちょっと心残りです。
長い巡礼路でしたが、道に迷ったのはあと1回くらいでした。そのときは、「Maps.me」というGPSを利用したスマホアプリのおかげで、リカバリー・ルートを見つけることができました。