京都北山の大原の奥にある天ヶ森に登りました。わたしは中高校生時代からそう呼んでいたと記憶します。それが、いつのころからかナッチョと呼ぶ方があたり前になっているようです。初めて聞いたときは、どこの山かと思いました。
大原の里10名山のひとつで、北端に位置します。ここで9座踏破とわかれば、残る1座も登りたくなりました。
「山と高原地図」(昭文社)の古い「京都北山」にはミタニ峠の下に「みさやま山岳会小屋」と記されています。ここを訪れるのが、この日の目的でした。
京都みさやま山岳会(KMAC)は、わたしが京都・下鴨中2年生だった時の理科担当のヨシダ先生が会長をしておられました。当時、山小屋は建設中で、それを見学に行ったことがあります。三谷小屋と名付けられた完成後には、中学のワンダーフォーゲル部の仲間と泊まったことも思い出します。
60年も昔の話です。この地図が発刊されてからでも20数年たっています。その小屋は今も残っているのでしょうか。
【2025/05/26 10:42】
大阪・水無瀬の自宅から車で京都市街を抜け、大原から小出石を通って大原百井町のナッチョ登山口までやってきました。道が混んでいて、2時間ほどもかかりました。
大原百井町の集落を振り返りました。
だれとも出会わない静かな林道です。
山道が始まります。といってもそれほどの急坂ではありません。
落ち葉で覆われた道を進みます。
小出石側から登ってくるルートと合流すると、天ヶ森はすぐです。
獣除けのネットが現れました。でも下部が破れていて、くぐることができました。
天ヶ森の頂上です。眺望はありません。
天ヶ森かナッチョなのか? プレートの数ではナッチョが優勢です。
ナッチョは「納所がなまった」という説もあります。
だれもいない山頂で、ひとり三角点タッチしました。
高谷山という名前もあります。
山と高原地図のうち、1998年版(画像上)には3つが並列表記されています。
2003年版(同下)では高谷山が消えています。
「山城三十山」という本では高谷山を採用して、「故今西錦司先生が京都一中時代に皆子山、焼杉山などと共に名付けられたもので・・・」と紹介しています。
そのまま三谷峠に向けて進みました。
ルートがわかりにくい個所もありましたが、尾根に沿って下りました。
左手に比良山系が展望できるスポットがあるはずでしたが、気づかずに通り過ぎました。
ほどなくして三谷峠に着きました。
目的地の三谷小屋はこの三谷を200mほど下ったところにあるはずです。
向こうにびわ湖が見えました。
三谷峠を越える道は廃れてしまったようです。歩く人も少ないようで、踏み跡は薄いです。
水が流れて沢になってきました。何度も渡渉しました。
ここまで来て万事休すでした。道の先は7、8メートルはあろうかという崖になっています。対岸には道もあるように見えました。でも転げ落ちたら一巻の終わりです。
三谷小屋の探訪は、改めて下部の林道からやってくることにして、きょうは幻のまま涙をのんでUターンしました。
なかなかの道を下って来ていたものです。
三谷峠に戻り、北の谷を下りました。こちらは三谷よりはましでしたが、スリップしそうな個所もあり、慎重に下りました。
倒木も目立って、道は荒れていました。
タニウツギが満開でした。
百井川に沿って歩きました。向こうに立派なフジが咲いていました。
途中で出会ったのは軽四貨物1台きりでした。
大原百井町を通り過ぎます。
【14:37】
車を駐車した登山口まで戻ってきました。
帰りは鞍馬を通って走りました。