亀岡の平の沢池には、蓮(ハス)の花が早くから猛暑到来のなかでも、見事に咲いていました。
寝苦しい夜を過ごして早くに目覚めました。車に飛び乗って出かけました。昨年も同じ日に訪れています。
朝からムッとしていましたが、日差しはありませんでした。朝もや煙るような池に、淡いピンクが溶け込んでました。
ハチたちは、朝から大忙しでした。
まだ6時半ごろでしたが、きれいに開いていました。
亀岡の平の沢池には、蓮(ハス)の花が早くから猛暑到来のなかでも、見事に咲いていました。
寝苦しい夜を過ごして早くに目覚めました。車に飛び乗って出かけました。昨年も同じ日に訪れています。
朝からムッとしていましたが、日差しはありませんでした。朝もや煙るような池に、淡いピンクが溶け込んでました。
ハチたちは、朝から大忙しでした。
まだ6時半ごろでしたが、きれいに開いていました。
ウィーンで聴いた音楽の思い出は続きます。
ハプスブルク家の王宮(ホーフブルク)にある礼拝堂です。日曜朝のミサには、ウィーン少年合唱団が清らかなハーモニーを響かせます。
コンサートホールではないので、ほとんどの席からは少年たちの姿は見えません。ドームに響く生の声を聴きながら、壁のモニターを見ていました。
アウグスティーナ教会は、ハプスブルク家の歴代皇帝が結婚式を挙げた教会です。シシーもここで皇妃エリザーべートとなりました。
何回か訪れています。その度にパイプオルガンが鳴っていた印象です。
ペーター教会は中世初期に創立されたウィーンで最も古い教会です。黄金に輝くパイプオルガンの音色を、ミサ以外でも聞くことができます。
アウグスティーナ教会、ペーター教会、シュテファン大聖堂などのパイプオルガンの競演です。
ウィーンの町の中心にそびえるのがシュテファン大聖堂です。教会ですが、ミサはもとよりコンサートも行われます。
指揮者も目指しているピアニストの反田恭平さんが、モーツァルトのレクイエムを振りました。モーツァルトが亡くなっった同じ日、時間、結婚式も葬儀も行われたシュテファンで。これは聞きに行くしかありませんでした。
あちこちでクリスマスマーケットが開かれている、雪が舞うウィーンでした。
ウィーン放送交響楽団でヴァイオリンを弾くちかちゃんが、トラ(エキストラ)で演奏していました。おかげでリハーサルにも立ち会うことができました。
4回目のこの日はミサが行われていました。
2回目のウィーンで、緊張しながらモーツァルトの「戴冠ミサ」を聴きました。
お笑いタレントがテレビでトマト丼なるものをつくっていました。そのおぼろげな記憶を頼りにわたしもトライしました。「トマトたっぷり丼」としたのは、単に見出しの字数調整です。
温かなご飯に冷やしたトマトと玉子を盛り、だし醤油とオリーブオイルで味付けしただけです。大好物のTKG(玉子かけご飯)のバリエーションです。
グルタミン酸(トマト)とイノシン酸(鰹節)の融合という高等テクニックも駆使しています。
で、おいしかったです。あっさりとしていました。あ、黒胡椒を忘れてました。
冷蔵庫に残っていた奥さま作のキンピラと漬物が変化をつけてくれました。レタスのお味噌汁も温めました。
暑い日には、コンロを使わないこんな料理が一番です。
マンホール蓋は、日本が世界に誇れる文化物です。路上を飾るご当地ものに、わたしもカメラを向けてしまいます。
下水道広報プラットホーム(GKP)が全国の自治体とともにそのユニークな蓋をデザインした「マンホールカード」を発行しています。その数は1151種にも及びます。
島本町も2種類のカードを発行しており、きょう1日から配布が再開されました。町の広報誌で知り、わたしもゲットしました。
水無瀬川を中心にデザインされた蓋のカードは、水無瀬神宮に近い上下水道部庁舎で配布されました。
蓋には、水無瀬川とホタル、町の木・クスノキと町の花・ヤマブキがデザインされています。実物のマンホール蓋も置かれていました。
阪急・水無瀬の駅前です。みづまろくんバージョンの蓋が設置されています。阪急の乗り降りの度に、その上を歩いています。
みづまろくんは、町のマスコットキャラクターです。
水無瀬川とのドッキング・バージョンもありました。
ここで問題です。2つのマンホール蓋の違いを見つけてください。
答は最下段に書いておきます。
モノクロ・バージョンもありました。
「嶋本」の文字を楠木正成の家紋である菊水に似せて変形させてデザインされた町章が鮮やかなのもあります。
もうひとつの配布場所であるJR島本駅前の歴史文化資料館に行きました。開館前から待っている人がいました。
みづまろくんバージョンもゲットしました。
向こうがJR島本です。
蓋の答:雨水と汚水。ホタルの尻尾が光ってないのは、塗料が剥げたのでしょう。
ウィーンの中心、シュテファン大聖堂から南に歩くとケルントナー通りがリンクと交わるところ。堂々としたウィーン国立歌劇場です。モーツァルトのいでたちの兄ちゃんが「チケットあるよ」と声をかけてきます。
オペラの殿堂です。小澤征爾も音楽監督を務めました。
ウィーンに行くたびに前を歩いています。でも入ったのは1回きりです。天井桟敷から観ました。
最初に訪れたとき(2004)は、楽屋口からのぞき込みました。
トラムの乗り場から何回も見上げました。イルミネーションもきれいです。
見ているだけで楽しいショップです。
心ひかれたオペラ座の立体紙模型です。みやげにはカレンダーを購入、わたしの部屋に1年間、掛けていました。
フォルクスオパーもにも行きました。
「KANSAIウオーク 2025」に参加しました。第1回大阪・難波宮エリアのスペシャルコースは、難波宮跡公園をスタート・ゴールに、上町台地を四天王寺まで南下、大阪城まで戻って来る約13キロでした。
この日の大阪の最高気温は33.6度を記録しました。ほとんどが炎天下の舗装道を、ひたすら歩きました。
高津宮は初めてでした。夏越の祓はあすですが、茅の輪をくぐって無病息災を祈願しました。
難波宮跡公園に老若男女、いや若は少なめか、が集まっていました。
産経新聞社の主催イベントでした。でも知った顔とは、ひとりも出くわしませんでした。
出発式の後、一斉にスタートです。法円坂の横断陸橋は通行制限がかかるほどの大混雑でした。
ザックにプラカードの一団が進みました。
大阪の町にも知らないスポットがいっぱいあります。
高津宮は初めてなので、素通りする参加者を横目に石段を上がって参っていきました。
いくたまさん(生国魂神社)は鳥居の前から頭を下げました。
四天王寺は、この暑さの中でも多くの参拝者の姿がありました。
摂津の国分寺跡です。聖武天皇の「国分寺建立の詔」によって建立されました。
玉造筋を北上して、鶴橋で近鉄線をくぐりました。
真田山公園まで来て、木陰にほっとしました。ベンチに腰掛けて冷たい水で休憩しました。
三光神社の真田幸村像の横には、大阪城の曲輪、真田丸とをつないだ地下道の出口といわれる空洞が残っています。
玉造稲荷神社は伊勢参りの起点です。
大阪城公園を通り抜け、東外堀までやってきました。天守閣も見えて、もう少しでした。
極楽橋をわたります。オーストリア・グラーツに残る豊臣期を描いた大坂図屏風にも描かれている橋です。
この暑さの中、インバウンドを中心とした観光客の多さに驚かされました。
大阪府警本部など大手前の風景が一変しています。もうすぐゴールでした。
3時間ほどで歩き切りました。
完歩証や協賛企業のみやげをいただきました。
KANSAIウオークは、秋に京都・長岡京エリア、奈良・藤原京エリア、滋賀・大津京エリアと続きます。
京都では珍しいポルトガル料理の「ビバリオ」です。となればバカリャウ(干し鱈)です。
「タラのコロッケ」です。外はカリカリ、内部はトロ~リ。クリームコロッケのようでもありますが、間違いなくタラです。
リスボンで覚えた味、バカリャウ・ア・ブラースが食べたかったのですが、要予約でした。
ハウスワインの白をカラフェ(デキャンター)でいただき、乾杯です。記念日でした。
「アンコウのフリート」です。
アンコウは向こうの市場でも愛嬌のある顔をしているのを見たことがあります。
ガーリックタルタルソースをつけていただきました。あっさりとした白身です。
「フムス」はガルバンゾ(ひよこ豆)をベースにした中東のペースト料理です。薄くスライスしたパンに塗ってパクチーといただきます。よい香りです。
メーンは「海幸の南蛮漬け」です。エビとイカなどの魚介が玉ねぎと煮込まれています。
ポルトガルの圧力鍋で運ばれてきました。周囲の金具を外して、パカリと開けてくれました。
甘酸っぱいスープが美味しいです。自家製パンを浸していただきました。
どの料理もリーズナブルでした。
デザートは「レイテクレメ」です。「チョウジとカルダモン味のカスタードブリュレ」だそうです。
さわやかですが、甘かったです。
カミーノ巡礼のポルトガル・ルートで歩いた町、バルセロスのシンボルであるガロ(幸運を呼ぶ雄鶏)が飾られています。
ワンオペで大忙しのオーナー・シェフがにこやかに見送ってくれました。
ポルトガル料理 ビバリオ(VIVARIO)
080-4640-1903
京都市上京区駒之町561-4 河原町スカイマンション