オーストラ第2の都市、グラーツです。世界遺産の旧市街を見下ろす山にある時計塔のレストランです。
「Tuna tataki」。メニューをみて、即座にこれにきめました。ツナ(マグロ)にアボカド、ワサビにワカメ。全部、理解できました。
予想通りに出てきた料理を、安心していただきました。
赤い屋根が連なるきれいな町でした。
ひとり旅で最初に訪れたときには、旧市街のテントの下でラザニアとビールでした。
オーストラ第2の都市、グラーツです。世界遺産の旧市街を見下ろす山にある時計塔のレストランです。
「Tuna tataki」。メニューをみて、即座にこれにきめました。ツナ(マグロ)にアボカド、ワサビにワカメ。全部、理解できました。
予想通りに出てきた料理を、安心していただきました。
赤い屋根が連なるきれいな町でした。
ひとり旅で最初に訪れたときには、旧市街のテントの下でラザニアとビールでした。
ハイネケンがおいしかったアムステルダムです。
「お薦めは?」と聞いて選んだかわいいラベルのビール「LA CHOFFE(ラ・シュフ)」も並んでいます。
簡単コースランチにはニシンの燻製でした。
通りに面したテーブルでのんびりといただきました。
公園のテーブルでは、ハイネケンで乾いた喉を潤しました。
ホテルの朝食も、簡素ながら満足しました。
ウィーン・フィルハーモニーのニューイヤー・コンサートをVTR録画で改めて鑑賞しました。ムジークフェライン・ザール(楽友協会大ホール)が熱気に包まれていました。アンコールのラデツキー行進曲では、指揮のヤニック・ネゼ=セガンが客席から登場してスタンディングの聴衆と一緒に手を合わせていました。
もう一度訪れたい「ウィーン わが夢の街」です。そんな思いが募りました。
1500年ごろから営業しているウィーン最古のレストラン、グリーヒェンバイスル(Griechenbeisel)です。クリスマス・シーズンの定番のグース(ガチョウ)をいただきました。奥さまは、これまたウィーン名物のターフェルシュピッツです。
サインの間には、ここで食事した有名人のサインがずらり。なんとモーツァルトと読めました。
ウィーン放送交響楽団のアカデミー(研修生)だったヴァイオリニストのお嬢さん(現在は団員)が連れて行ってくれました。
ウィーン最古のレストラン グリーヒェンバイスルのモーツァルト
それより前、お嬢さんが国立音大に留学していたときには、カフェ・ディグラスでいっしょに昼ごはんを食べました。
ムジークフェラインザールの思い出は、このMy memoryで、すでに書いています。
名物のフランセジーニャでランチとしました。ポルトガルからのカミーノ巡礼のスタートとなったポルトです。
パンに、ハムや肉がはさまりチーズで覆われています。そこにトマトソースがかかっています。
美味かった。もう満腹です。
おやつには名物のナタ(エッグタルト)です。
大聖堂で、カミーノのパスポートともいえるクレデンシャルをいただきました。準備完了でした。
アーレ川に囲まれたスイスの首都、ベルンです。中世の美しい街並みが残る旧市街を突っ切り、ニーデック橋を渡って急坂を登ったことろにバラ公園がありました。
公園のレストランのテラス席でひと息つきました。
シンプルな「本日のランチ」です。川魚のポワレだったのでしょう。
冷たいビールがおいしかったです。パラソルの下で、ゆっくりとした時間を過ごしました。
バラがきれいに咲いていました。
町を見下ろしました。赤い屋根が連なり、尖塔がそびえていました。
ドイツで和食を食べたのは、ここだけだったでしょう。ドレスデンのホテルにあった「小倉」です。漢字混じりの立て看板に引き寄せられました。
「刺身定食」(14ユーロ)です。1ユーロがたった100円だった時代です。
ループド・メール(地中海産のスズキ)にヒラマサ、サーモン、タコ、マグロとどれも新鮮でした。
奥さまは「寿司の盛り合わせ」でした。温かいお茶が、それだけでうれしかったです。
1泊100ユーロ(1万円)ほどだったホテルの朝食には、豪華キャビア付きのゆで卵が並びました。
ドレスデン 「Am Terrassenufer Hotel」のキャビア付き朝食
バウムクーヘンはドレスデンが発祥ともいわれます。1825年創業の老舗、クロイツカムで土産に買いまいた。お味の方は⋯。
オランダのデン・ハーグ(日本では単にハーグとも)は、事実上のオランダの首都ともいえる都市です。国際司法裁判所もあります。
官庁街ともいえるビネンホフの路上カフェでランチとしました。「ロールパン with ベーコン、チーズ、トマト、エッグ」といったネーミングの一皿です。
そして、オランダといえハイネケンです。ラドラーというレモン味のビールも爽やかでした。
訪れたのは、年に一度の国王パレードの日でした。ノッポのオランダ人の後ろから、色鮮やかな衛兵、騎兵、そして王族の馬車を見送りました・
やって来たのは、フェルメールの「「真珠の耳飾りの少女」と再会するためでした。期待に反してマウリッツハイス美術館は、パレードのために臨時休館でした。
フィステーラはスペイン語で「地の果て」を意味します。カミーノ巡礼で西へ西へと800km近くも歩き続けて聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着。さらに100kmほど歩くと大西洋に突き当たります。巡礼の最終的なゴールです。
フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーからフランス人の道を歩いた2度目の巡礼でした。バス・ツアーで訪れました。
海辺のレストランでいただいた最高のランチでした。巡礼のシンボル、ホタテ貝にマテ貝にムール貝、エビの数々⋯。そして欠かせないのがボトルでついてきたワイン。長い旅には、こんなごほうびが待ってました。
岬の先端からはるか大西洋を見つめました。
Paso a paso Dos エピ1=10/1 フィステーラ、ムシアへ
ポルトガル北部のポルトから歩いた3度目の巡礼でも訪れました。
スイス・レーティッシュ鉄道のベルニナ線に、イタリア北東部のティラーノから乗り込みました。オープン・ループ橋や山上湖、雄大な氷河などのアルプスの絶景を楽しみ、中間のアルプ・グリュムで途中下車しました。走りすぎるにはもったいない時間でした。
駅舎につながるレストラン「WeissbierGarten」に直行しました。「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」です。
氷河を眺めながらのビールです。サイコーにうまいシチュエーションでした。
パリュー氷河がのぞいていました。
標高2091mにあります。ラックレールを使わない粘着方式のベルニナ・エクスプレスは、グルリっと回って登ってきました。
ドイツのワイマールといっても、高校の世界史で習ったワイマール憲法くらいしか思い当たりませんでした。
バッハゆかりの地でした。2度も訪れました。
町の中心、マルクト広場に面したホテル・エレファントの中庭のテラスでいただいたBandnudeln(リボンパスタ)です。こってりと濃厚味でした。
シュパーゲル(白アスパラガス)のスープも絶品でした。
最初のドイツ旅行(1995年)で泊まった1542年創業の町で一番古い5つ星ホテルでした。おかげで二度目は臆することもなく、優雅な時間を過ごすことができました。
ずしりと重い部屋のキーホルダーです。ホンモノは部屋番号が彫られていました。同じものを土産にしました。文鎮にでもなりそうと、30年も机の引き出しに入ったままです。
ワイマール憲法が制定された国民劇場の前には、ゲーテとシラーの像が立っていました。