メリークリスマスのスワッグ、2021バージョンが、リビングを飾りました。
玄関ドアにもぶらさがっています。
ドアはマンションの大規模修繕で、全戸がブルーの新しいものに替わりました。
赤い実は、水無瀬川沿いの公園で見つけました。ちょっといただいてきました。
奥さまと5歳の孫娘とのLINEでの会話です。
「ただなんだね!!!」。ほんと、その通りです。
こちらもいただきもののサンタクロースです。
孫娘らといっしょに鎌倉での1日を楽しみました。5日のことです。
昼飯は、鶴ケ丘八幡宮の門前にある天丼、そばの店「静久」に入りました。参道からちょっと外れているだけで、すぐに座れました。
頼んだのは「小天丼セット」(1100円)です。濃いタレをまとった天丼です。関西人にはそれだけで異様です。でもお味は色黒とは関係なく、おいしかったです。
そばの出汁も黒いです。対してネギは白いです。いや、東西での食の違いはなかなかおもしろいものです。
卵焼きには、砂糖が入っているのでしょう。甘いです。
静久
0467-25-0250
鎌倉市雪ノ下1-12-13
江の島の駐車場に車を預けて、江ノ電(江ノ島電鉄)に乗りました。
電車は込んでいて、座ることさえできません。
ここは「稲村ジェーン」の舞台ですね。
単線のレールは、民家の軒すれすれに走っています。
終点の鎌倉に着きました。
鶴岡八幡宮への参道、小町通りです。ものすごい「密」です。こんな光景は久しぶりでした。
孫娘は、神妙な表情で茅の輪を潜りました。
まだ紅葉がきれいでした。
1日フリー切符を買っており、帰りも江ノ電に乗りました。またも立ったままでした。
午前中よりは減ったとはいえ、あちこちでサーファーが波と戯れていました。寒いのに、ご苦労なことです。
鎌倉大仏も拝んできました。
帰りの車の頭上を、湘南モノレールが通過しました。
「反田くん」 とは、ショパン・コンクールで2位入賞したピアニストの反田恭平さんのことです。この秋、わが家はワルシャワから届くYouTubeのライブ配信にハラハラ、ドキドキ。コンクールが終わっても、奥さまの「反田くん熱」がまん延する毎日でした。
旅の前夜の3日には、軽井沢で反田くんと、同じく4位入賞した反田くんの幼馴染の小林愛実さんとのコンサートがありました。
「プジョーがやってくることだし、軽井沢まで走るか」と、早手回しに軽井沢のホテルを予約していました。でも肝心のチケットは、発売開始と同時にパソコンからアクセスしましたがタッチの差で、つながったときはすでに完売でした。
軽井沢まで行くのならと、翌日は横浜に住む孫娘に会いに行くつもりでした。その計画もひとたびは挫折しました。
せめてはーと、気を取り直しての横浜行きでした。
4日午前9時半ごろという時間に合わせて走っていた東名高速の足柄SAに停車しました。
10時から反田くんの年末の凱旋コンサートの一般発売の開始でした。先の会員発売でも取れませんでした。3度目の正直と、車の中からスマホをたたきました。
時報と同時にタッチしましたが、またもやアウト! 3連敗となりました。
富士山は、そんなこと知らないよとばかりに、青空に白くて美しい姿を見せてくれていました。
ほぼ2年ぶりに、じーじ、ばーばは成長した孫娘と遊ぶことができました。そんなきっかけを作ってくれたことだけでも感謝しておきましょう。
新しいマイカーのプジョー208です。高級車ではないので、内装はシンプルです。それでも、センターコンソール周りなどにはピアノブラックという塗装が施されています。少しはゴージャスに見せるための仕業です。
ピカピカに光っているうちはいいのですが、すぐに小さな傷がついてしまうそうです。ネットで調べていると、「ガラスコーティングが必須」ということがわかりました。やるなら、すぐです。
マイ・カスタマイズの第一歩でした。
GLASIASという、新世代の浸透性ガラス系ボディーコーティング剤です。塗装の表面をガラス膜で覆ってしまうのです。硬くて、光沢が保たれるというのがうたい文句です。
施工は簡単でした。付属のファイバークロスに液体を吹き付け、ピアノブラックの部分に塗り付けます。そして、別のクロスで拭き上げるだけです。
表面がツルツルになり、ピカリと光沢が増しました。
1日、間をおいて、2回塗りました。ホコリも指紋もつかず、とりあえずは効果を実感できました。
ディスプレーの周りもコーティングしました。
液晶の画面は、画像ではわかりませんが、保護シートを張りました。
ダイソーで買ってきた100円の保護シートです。A4版の短辺が、液晶の横長部分とほぼ同じ長さでした。高さを測ってカッターナイフで1辺を切るだけでした。
アンテナは2台続いたシトロエンのクサラ、C4と同じで背中にピーンを伸びています。このアンテナはタワーパーキングや洗車機に入るとき、車から降りてネジをぐるぐる回して取り外す必要があります。ちょっと面倒です。
ドルフィンアンテナというパーツをネットで購入しました。アンテナ棒を取去ったネジ穴にドルフィンアンテナのケーブルを接続して、粘着テープで張り付けるだけです。
位置きめのために型紙を作って、張り付けました。
後ろ姿も決まっています。
ドアの枠は、土足で跨ぐので汚くなります。ファイバー製のシールを張りました。
中国版アマゾンともいうべきAli Expressで1,000円ほどした。当然ながら純正品ではないですが、それらしく「PEUGEOT」とプリントされています。
ドライブレコーダーは安物ですが、C4から取り外した流用です。電源ケーブルの埋め込みはディーラーに頼んでおいたので、両面テープでくっつけただけでした。
ディスプレーには内臓のカーナビはついていません。AndroidAutoという機能でスマートフォンと結びます。スマホのグーグル・マップがナビの役目をします。
ネットにつながっているので、最新の道路に更新され、交通情報も表示されます。ちょっと難点は、グーグル先生が最も近い経路を案内してくれることです。とんでもない細い道や商店街を走らされることもあります。付き合い方にテクニックがいります。
つないでいるケーブルとの相性も難しいです。持っていた3本のケーブルはどれもダメ。購入した1本目は、ナビは動作しても音楽がつながりませんでした。2本目で、安定して動くようになりました。
スピーカーも交換しています。純正オプションのカロッツェリア(パイオニア)製です。元からついていたのは、フレームがプラスチックでマグネットも小さく、いい音が出るはずもないシロモノでした。
C4のときは、自分で交換しました。でも、もはやそんな元気もなく、ディーラーに交換を依頼していました。
ほぼ満足の音で鳴っています。
ひとまずはここまでで、マイカー・ライフを楽しみます。
PEUGEOT(プジョー)208です。新しい愛車です。
昨日、納車されたばかりです。さっそく京都までドライブしました。鷹峯のしょうざんリゾート京都まで走ってきて、「撮影会」です。
よく目立つ深い黄色です。年寄りが運転する車は、周りの人たちにその存在を早く気づいていただくのが何よりです。赤いシトロエンC4に続いて、信号カラーです。
安全ブレーキなどがついたサポートカーの存在が、乗り換えのきっかけになりました。
免許返上までの年月を指折りすると、わたしの最後の1台となるのは間違いありません。軽自動車ではぶつけられたときに怖いですが、ヤリスをはじめニッポン車の小型車にも素敵な車はいっぱいあります。選んだのはまたもやフランス車のプジョーで、一番小さい208でした。2台続いたシトロエンと同じPSAグループです。ブランドは違いますが、運転席周りの操作感などはよく似てます。
後ろ姿に惚れました。
動画も撮影しました。
プジョー京都で昨日、受け取りました。
8月中旬に予約しました。当初見込みより1カ月半以上待たされました。それでも、新型コロナや半導体不足の影響で、新車納入は半年、いや1年先なんていうディーラーもあります。比較的、早かった方です。
納車の祝いにディーラーから花束をプレゼントされました。こんなの、初めてです。
希望ナンバーの「ゆ117」です。C4と同じです。「ゆ」は偶然ですが奥さまの名の頭文字です。117は結婚前後に乗っていた「いすゞ117クーペ」の思い出です。
京都・西京極に、プジョー京都とシトロエン京都のショールームは並んであります。外観は別のディーラーのようです。でも中に入るとつながっています。
10数年の付き合いで3台目を購入した営業マンは、現在は同じグループの「DS」の所属です。
しょうざんを散歩しました。御土居の上の紅葉です。
御土居は天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が天正19(1591)年、長い戦乱で荒れ果てた京都の都市改造の一環として多くの経費と労力を費やして築いた土塁です。
しゃれた和食や中華の店などがたたずんでいますが、きょうは紅葉を楽しませていただくだけでした。
高級ホテルや結婚式場、食事処、日本庭園などがあります。
しょうざんリゾート京都
京都市北区衣笠鏡石町47
075-491-5101
貝原益軒が記す江戸時代の京都ツアーガイドブック「京城勝覧」を巡る第十三日です。「鞍馬山にゆく道をしるす 京より三里あり」です。
鞍馬や貴船は、いく度となく訪れたスポットです。鞍馬街道を都まで歩いたこともあります。でも、おもしろいものを見つけました。鞍馬まで走る叡山電車(叡電)の「えいでん麺 京都一乗寺らーめん切符」です。1700円で叡電が1日乗り放題のうえ、一乗寺ラーメン街道の7店のうちで好きなラーメンを食べることができます。
展望電車「きらら」で鞍馬までやってきました。きららは、第十一日に比叡山に登った雲母坂からとられています。デオ900系には「メープルグリーン」と「メープルオレンジ」の2編成が走っています。
二ノ瀬-市原間にある「もみじのトンネル」です。紅葉のシーズンには、電車がゆっくりと走ってくれます。
真っ赤とはいえませんが、ずい分と色づいています。
昼飯は、ラーメン激戦区の一乗寺で、もはや古参となった「中華そば 高安」でいただきました。
観光列車「ひえい」で、比叡山の登山口・八瀬にも回りました。
2路線計14.4キロの叡電ですが、全線踏破しました。
続きを読む 京城勝覧を巡る 第十三日 「らーめん切符」で鞍馬へ
奈良国立博物館で開かれている第73回正倉院展を観ました。昼ご飯は、奈良町を南の方まで歩いて「鹿の舟 竈 (かまど)」でいただきました。
メニューは多くはなく、ほとんどの人が食べている「季節の天ぷら定食」(1800円)です。
エビやイカも登場していますが、その姿をドーンと晒してはいません。エビはすりおろしてレンコンにはさまれ、イカはシイタケの傘の内に隠れています。サクッと揚がったのを、塩だけでいただきました。
むかごの天ぷらって、当然ながら初めてです。
「本日の5品」です。
小鉢は、ほうれん草のゴマ和えと大根、厚揚げがじっくりと炊きあげてあります。
炊き立てのごはんはお代わりを頼んで、しっかりと2膳分いただきました。もう満腹です。
目の前の竃で炊いてます。おいしいはずです。
奥さまは「天茶セット」でした。天ぷらは同じです。天ぷら茶漬けにする天つゆと薬味がついています。
真ん中に大きなカウンターをめぐらせた明るいスペースです。
反対側は特産品売り場になっています。奥さまは吉野葛をお買い上げです。
わが家では、冬場の「たぬきうどん」に必須です。京都のたぬきうどんは、あんかけうどんの上に刻んだ油揚げと九条ねぎが載っています。
鹿の舟 竈
0742-94-5520
奈良市井上町11
隣接して「鹿の舟 囀 (さえずり)」(カフェ)と「鹿の舟 繭(まゆ)」(案内所)があります。
庭の十月桜が雨滴を溜めていました。
正倉院展が開かれている奈良国立博物館です。
晴れ上がったり、土砂降りの雨になったりと、安定しない天気でした。
コロナ以来、入場は予約制となり、待たなくても入れるようになりました。
チケットはネットで予約、コンビニで発券されました。
ワルシャワで開かれている第18回ショパンコンクールは、ついにファイナルを迎えました。80人が参加した1次予選から2次、3次と絞り込まれ、ファイナル出場者12人が選ばれました。このうち日本人は2人。期待の反田恭平くんも残っています。
ファイナルはショパンのピアノ協奏曲を演奏します。そのプログラムが発表されました。反田くんは、あす未明の2時50分からです。
1次のときは、未明に起き出して防音した部屋の小型スピーカーで聴きました。今回はオーケストラつきなので、大きなスピーカーでゆったりと聴きたいです。さて、いかがしましょうか?
立派な胡蝶蘭です。わが家がレストランを開業したお祝いというわけではありません。
知人にいただきました。花が終わったら、奥さまが株分けして、もう一度咲かせるそうです。里帰りすることができる日を楽しみにお待ちください。
第18回のショパンコンクールがワルシャワで開かれています。ポーランドという遠い国でのステージですが、今ではネットのYouTubeライブ中継ですべての出場者の生の音をリアルタイムで聴き、見ることができます。
80人ほどの1次予選の間、わが家のリビングにあるオーディオ装置につながったテレビは、大音量のピアノが鳴りっぱなしでした。
さて、きょうから2次予選です。日本人は8人も残りました。奥さまたちの大注目、反田恭平くんはあす10日午前3時50分からの演奏となりました。
奥さまは早起きするそうですが、問題はどこで聴くかです。草木も眠る丑三つ時過ぎに、マンションで大音響は発せられません。
わが家には防音したピアノレッスン室があります。そちらで聴けるようにわたしの部屋の装置の引っ越しをしました。
ノートパソコンには、小さなスピーカーがついてますが、これではたいした音は出ません。
アンプとスピーカー、それにUSB-DACをつなぎました。
このUSB-DACは、デジ・アナ変換部は安価なキットですが、出力部にトランスを入れてインピーダンス変換をしています。柔らかい音が出ます。
スピーカーは、ヤフオクで落札。ウォールナットの突板を張ってきれいにしたAURATONEです。
モニタースピーカーらしく、近くで聴くと素晴らしいピアノを響かせてくれます。
ちょんまげ姿の画像は、1次予選の反田くんです。また全曲を聴いてしまいました。
準備万端です。
さて、わたしは今夜はどうしましょうか?
貝原益軒の記す京ガイド「京城勝覧」の第七日は、『嵯峨にゆく道』です。これまでになく多くの名所旧跡が網羅されています。『上下の嵯峨見所多し朝ははやく出べし』の注意書きもあります。
わたしは最初に、益軒さんの時代には存在しなかった愛宕山鉄道の廃線跡をたどりました。
愛宕山に登る参拝者を運ぶため嵐山駅から清滝駅までの普通鉄道路線(平坦線)と、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカー(鋼索鉄道)が、昭和4(1929)年に開設されました。しかし、戦時中にレールを軍に供出して、わずか15年で廃線となりました。
その遺構は多くはありません。最大のものが、今も清滝につながる幹線道路として使われている清滝トンネルです。単線の鉄道トンネルとして開通しました。その途中には、架線柱の残骸が朽ちて残っていました。
『野ノ宮(野々宮)』の辺りの竹林です。まだまだ観光客は少なく、静かでした。
「大河内山荘」に初めて入りました。時代劇映画の大スター、大河内伝次郎が30年の歳月をかけて作り上げた回遊式の借景庭園です。これほど素晴らしい庭園とは知りませんでした。
続きを読む 京城勝覧を巡る 第七日 愛宕山鉄道の廃線跡と大河内山荘