JR天王寺駅のコンコースです。久しぶりに歩きました。
この柱は、30数年前と同じはずです。山から帰ってきては、大きなキスリング(ザック)をこの柱に積み上げて、夜の阿倍野で飲んだものです。「伝言板」がぶら下がった柱もありました。携帯があるので、今では不要です。
阪和線のホームです。杉本町まで通いました。
駅員室です。認定証の場所を聞いたら、「それです」。その壁に架かってました。
JR天王寺駅のコンコースです。久しぶりに歩きました。
この柱は、30数年前と同じはずです。山から帰ってきては、大きなキスリング(ザック)をこの柱に積み上げて、夜の阿倍野で飲んだものです。「伝言板」がぶら下がった柱もありました。携帯があるので、今では不要です。
阪和線のホームです。杉本町まで通いました。
駅員室です。認定証の場所を聞いたら、「それです」。その壁に架かってました。
「大阪城天守閣が間近に望め、土日は野外パフォーマンスをする若者たちであふれる」というのが選考理由です。
ぐっと冷え込んでいます。あまり人気のない大阪城公園駅です。
振り返るとOBP(大阪ビジネス・パーク)のビル群がそびえてます。大阪城はここからは見えません。
改札口脇の駅員室奥に認定証が飾ってあるのが見えました。「写真、撮らせてください」と頼むと、快く取り外してもってきてくれました。
近江鉄道の八日市駅です。
吹き抜けの天井に大凧が飾られています。
「駅前の街並みと背後の山との調和を図った山小屋をイメージしたヨーロッパ風のモダンな駅舎」というのが受賞理由です。
天皇の蒲生野に遊猟したまひし時に額田王の作れる歌
あかねさす 紫野(むらさきの)行き 標野(しめの)行き
野守(のもり)は見ずや 君が袖振る
その蒲生野にあります。駅舎の壁面も額田王と天武天皇をデザインしてます。
JR彦根駅です。
駅前には、初代彦根藩主、井伊直政公の碑があります。
JR東舞鶴駅です。
「ヨットのデザインをとり入れた駅舎。完璧の母で知られる舞鶴港に降り立った引き揚げ者はこの駅から故郷に帰っていった」
港に向いた北側が正面でした。現在は、南側にショッピングビルができて、どちらが正面かわかりません。
1月3日の撮影です。特急「まいづる6号」の指定席は、帰省客で売り切れでした。
大阪地下鉄・御堂筋線の梅田駅です。JRで通勤するよになっても、帰りはここで降り、Yバシカメラや紀○国屋の寄る回数が多いです。
開通当時からアーチ型の天井です。これがあるのは千里中央行きの難波よりの部分だけです。
昔は、淀屋橋や心斎橋と同じ島式のホームでした。でも乗降客が多いので拡張されました。かつて天王寺方面行きが走っていた線路部分もホームになっています。
新線(谷町線)の駅を作るために掘られてながら、東梅田駅は違う場所に完成して、未使用になっていたトンネル部分が、現在の天王寺方面行きホームになっています。
ところで「近畿の駅百選」の認定証はどこにあるんだろうかと探しました。駅長室があったので聞いてみるかと内部を見ると、その壁に飾られていました。
梅田駅
JR大阪駅には迷路があります。確かにあちこちが工事中で、通路も迷路にように曲がりくねってます。でもその話ではありません。
中央コンコースに迷路はあります。昨年末のS新聞に載ってました。帰宅途中、その気になって見ると、やはりありました。
人通りが少ないコンコースの北側にきました。床面が、確かに迷路になってます。これまで気づきませんでした。
コンコース北側には、かつては噴水があって、待ち合わせ場所でした。工事中で北口は閉鎖され、そこに「旅立ちの鐘」があります。
「近畿の駅百選」の第1回の1番に選ばれたのがここです。でもその認定証はすでに撤去されて存在しません。スタンプを押してきました。
大阪駅
北近畿タンゴ鉄道(KTR)の大江駅です。大江山には、「酒天童子」をはじめいくつもの鬼伝説が伝わります。駅前は、鬼ばかりです。
駅前にある鬼瓦公園には、各地の鬼瓦が並んでいます。
舞鶴からの帰途、福知山へ向かいました。その途中で偶然、立ち寄りました。旧大江町(福知山市大江)の玄関口です。でも大江山からはだいぶ離れているので、こんなところとは思いませんでした。
ローマ字表記だと「OE」です。
大江山に向けて単線の線路が延びてます。その先は天橋立です。
たった1両のディーゼルカーが出発していきます。JRの特急も乗り入れてくるので、電化はされています。
大江駅
「青春18きっぷ」でJR長浜駅までやってきました。現在の駅のすぐ南にある「旧長浜駅舎」です。「現存する最古の駅舎」があるのが、近畿の駅百選に選ばれた理由でもあるようです。
旧駅舎は「長浜鉄道スクエア」となっています。
旧駅舎は1882年(明治15年)に長浜-敦賀間の鉄道開通にあわせて完成しました。長浜-大津間は鉄道連絡船(太湖汽船)で結ばれていました。そのターミナルでした。
2006年の新快速敦賀延伸にあわせて完成した3代目の長浜駅です。初代のデザインを踏襲しているのがよくわかります。
橋上駅はゆったりとしています。
百選の認定証を探しましたが、見あたりません。若い駅員に聞いても「さあ・・・」。
何度も利用しています。でも駅舎は写してません。
自転車でびわ湖を一周したときに、時間を記録するためにシャッターを押してました(06/10/08)。
C571「貴婦人」に引かれて長浜駅を出発する「北びわこ号」です。賤ヶ岳に登った帰りに撮影してました(05/02/12)。
師走の日曜日(14日)午前10時16分の阪急嵐山駅です。桂からの普通(普通しかない)が到着すると、ドッと観光客が降りてきます。
「名勝『嵐山』への玄関口。灯籠スタイルの照明が京都を訪れる人々の心を名がませてくれる駅」というのが選定理由です。
昭和3年(1928)、新京阪鉄道嵐山線の開通にあわせて6面5線という巨大なターミナル駅として建設されました。ところが乗客が予想ほどにはなかったことから、戦後に3面2線へ縮小されました。
観光客が絶えないとはいえ、通常は中央の改札口だけしか使用されていません。右側には改札口の上を通ってホームに直結する通路もあります。
マイ自転車、DAHONを袋に詰めて初めて輪行した駅が嵐山駅でした。
阪急梅田駅です。わたしが、もっとも多く乗降してきた駅です。学生時代から、何年間の地方勤務の時代を除いてJRに浮気する今春まで、毎朝、毎晩、お世話になりました。
手前に停車しているのが、いつも乗っていた6300系です。京都線用に2扉仕様の特急車両として昭和50年(1975)に登場しました。わたしの会社員生活と時を同じくして、そろそろ引退しようとしています。
その向こうは、次世代特急用の9300系です。
「私鉄最大のターミナル駅で9線10面のプラットホームを有す。1日の乗降客は約60満人」。これが「近畿の駅百選」の選定理由です。
昭和48年(1973)に移転完成した駅ですが、今でも古さを感じさせません。
「三番街の紀伊国屋前」は、待ち合わせ場所として利用してきました。
「百選」の認定証は、3階改札口の神戸よりの柱に、さりげなく掲示されていました。
JR大阪駅は素通りして紀伊國屋書店で立ち読みをしました。ふと思い立って「百選」の認定証を探しましたが、改札の前の駅員に聞くと「JRは不通になってるので、振り替え輸送をしてます」とのこと。ならばと、わたしも久しぶりに阪急で帰宅しました。
阪急梅田駅のコンコース
続・阪急梅田駅のコンコース
「近畿の駅百選」に選ばれていますが、駅にその表示は見あたりませんでした。
近江鉄道は、滋賀・びわ湖の南部を走るローカル鉄道です。彦根からひと駅で「鳥居本」です。次は「フジテック前」です。その次は終点の米原です。
この駅で降りたのは、わたしともうひとりでした。駅舎は無人です。
開業当初の昭和6年(1931)に建てられた古い洋館です。
駅を出ると国道です。なにもありません。
信号を渡って20メートルほど行くと、旧中山道です。古い町並みです。本陣跡なんかもありますが、観光客を呼ぶほどのものはありません。
左に突っ立ているのが、エレベーターのフジテックの本社にタワーです。
近江鉄道には、「フジテック前」「スクリーン」「京セラ前」と、企業名そのままの駅が3つもあります。
帰りの電車の乗り込んだのも、2人でした。
鳥居本駅 08/11/22撮影