久しぶりのウォーキングとなりました。年が明けてからは、なにやら予定が入る日が続き、休日ごとに天気が悪くなったりでした。きょうこそはと、出発しました。
昨春、東高野街道(八幡~河内長野)、西高野街道(堺~河内長野)を歩きました。
四国88カ所も結願しました。一緒にお遍路を歩み始めた友と、高野山へお礼参りに行く日も近づいています。それまでにアプローチを進める、きょうがタイムリミットだったのです。
曇ったり、晴れたりの天気でしたが、ダウンジャケットは脱ぎ捨てて、それでも汗をかく日和でした。
西山古道を歩きました。
西山三山とも呼ばれる三ヵ寺、善峯寺、楊谷寺(柳谷観音)、光明寺を結ぶ古道を復活させるプロジェクトが進められ、善峯寺~楊谷寺、楊谷寺~光明寺ルートが整備されています。ポンポン山から善峯寺へ下山してきたとき、古道を紹介する案内板に気づきました。
西国札所の善峯寺からスタートします。
山道の三叉路の窪地に、クリンソウの紫の花がきれいに咲いていました。そこだけ日が差し込むので、お花畑になっているのです。
花の撮影に気を取られて、三叉路をそのまま左に進んでしまいました。これが大間違い。柳谷観音に向かう尾根道からそれて、谷を下ってしまいました。途中で気づきましたが、戻るのも面倒で、そのまま下降。途中のキャンプ場から西山古道を逆方向に進み柳谷観音に向かいました。
アオキの実でしょうか。でも今ごろ、赤いまま残っているのは幼虫が内部にいるからだそうです。
眼の観音さまとして知られる楊谷寺(柳谷観音)です。
回り道をしてしまい予定時間をすぎ、雨も降ってきたのでそのまま自動車道を島本町に向けて下り、水無瀬まで歩いて帰宅しました。
というわけで西山三山の紅葉が美しい光明寺には達していません。宿題が残りました。
「週イチ20キロ」の12日は、堺の大小路から河内長野の東高野街道との合流点まで続く西高野街道を歩きました。
高野山を目指すこの参詣道には、女人堂までの一里(約3.9キロ)ごとに里程石が残っているそうです。
最初の「十三里石」は、南海・堺東駅から東に進んだ地蔵堂の脇にあります。
「是より高野山女人堂江十三里」と刻まれています。高野山女人堂への13本の里程石は安政4年(1857年)に建立されました。
すぐ先は、竹内街道との分岐です。
十二里石は、白鷺公園を越えたあたりの地蔵堂にあります。地名の堺市東区関茶屋は、そこに街道の茶屋があったということなのでしょうか。
十一里石は、狭山池近くに石柱だけが残っています。
十里石は、南海・滝谷駅近くにあります。ここも民家の塀際に石柱だけが立ってます。
西高野街道にある最後の九里石は、終点の河内長野近くにあります。地蔵堂には、大峰山の「三十三度」の碑なども並んでいます。
東高野街道のその4は、近鉄・古市から終点の近鉄・南海・河内長野までです。歩いたのは3日です。
ここで、堺から続く西高野街道と合流し、高野街道となって高野山へと続きます。
富田林には立派な寺内町が保存されています。なかでも重要文化財の「旧杉山家住宅」は、往時の商家がそのまま残っています。
端午の節句を前にして、石川の河川敷にはたくさんの鯉のぼりがはためいていました。向こうは金剛山です。
週イチ20キロ。そんなのが習慣になりつつあります。
今週も歩きました。「東高野街道を高野へ」のその3は、近鉄・石切から近鉄・古市までの約23キロでした。
この区間は、近鉄の5路線を越えていくという「鉄っちゃ」の旅でもありました。
石切から歩き始めてすぐ。ひと駅戻った額田駅で奈良線を越えました。踏切が閉まる音に振り替えると、奈良行の急行が通過しました。三宮から乗り入れている阪神電鉄の車両です。
東高野街道を南下して大和川に突き当たるところまで歩きました。
高架下が大阪線の安堂駅でした。急行が通過してゆきました。
大和川を渡ります。道明寺線の鉄橋が並行してます。向こうが柏原南口です。
道明寺線は南大阪線の道明寺から分かれてJR柏原とを結ぶ短い支線です。終点近くには同じ近鉄の大阪線・堅下がありますが、そことは接続してません。鉄道開拓の歴史があります。
仮に今、つなげても、狭軌(南大阪線)と標準軌(大阪線)と線路幅が違い、相互に乗り入れることはできません。
土師ノ里近くで南大阪線の踏切を越えます。吉野行の特急が通過しました。
今回のゴールとした古市です。向こうに長野線の河内長野行きが止まっています。
古市は、道明寺線-長野線の方が先に誕生して、その後に南大阪線ができたはずです。そのため筆記体の「X」のように道明寺線-長野線の方が直線です。なにかの本で読んだおぼろげな記憶です。
東高野街道を南下する2回目です。
春とはいえ、ちょっと肌寒い日和でしたが、街道筋にはレンゲも咲くのどかさも残ります。
JR学研都市線・星田駅前には、見事なフジが咲いてました。
「野崎参り」で知られる野崎観音(慈眼寺)に参りました。初めてです。
京阪・郡津から歩き始めて20キロほど。最後は街道から外れて近鉄・石切で区切りとしました。
京の都と高野山を結ぶ「高野参詣道」のひとつです。
東高野街道は、石清水八幡宮(八幡市)から洞ヶ峠を越えて、生駒西麓を南へ進み、石川をさかのぼって河内長野までの大阪を南北に縦貫する街道です。
四国88か所のお遍路はまだ途上です。
満願の後には、高野山へのお礼参りがあります。お遍路と並行して、高野山の麓まで歩いておこうと思います。
西国街道を上るのも3回目です。すっかり暖かくなって、満開の桜とも遭遇しました。
箕面市の国道171号と新御堂筋の交差点北東にある「木戸ケ池緑地」です。
高槻市にある「今城塚古墳」の内壕です。北側は水をたたえています。
前回ゴールの阪急・石橋駅からわが家近くのJR島本駅まで、国道171号にそってほぼ29キロを6時間かけて歩きました。
西国街道を京に上ります。2回目は西宮・香櫨園から池田・石橋まで約20キロを歩きました。
午前中の用件が思いのほか早く済んだので、急いで身支度して出かけました。もう春の気温です。Tシャツの上に薄い登山シャツ1枚を着ただけですが、汗をかくほどでした。念のためザックに入れておいたダウンジャケットは出番がありませんでした。
西国街道は、西宮市の中心部では何の表示もありませんでしたが、国道171号を横切って門戸厄神に近づいたあたりからそれらしい街道筋の名残となり、いたるところに「西国」の表示がありました。
3月下旬のような暖かさだった昨日から一転、真冬の寒さに戻った1日でした。急に思い立って、西国街道を京に向けて歩き始めました。もうすぐ、四国・お遍路の続きも再開したいです。
出発は神戸・三宮です。JRの新快速でやってきて東口から出ました。そこから東に向かう道の出発点に「旧西国街道」の石碑がありました。まだ新しいようです。大きな案内板もあって、西国街道を説明しています。
午前10時ちょっと前です。ここから出発です。