立冬の暦通りに寒さがやってきました。そんなことは承知で山を歩きました。
わたしが住む阪急・水無瀬に集まって、若山神社から太閤道を高槻まで。そのまま駅前にある居酒屋・大阪満マルに直行しました。
太閤道のピーク、若山でピースです。この写真は、わたしのスマホ(Pixel8)でタイマー撮影しました。あまりの写りの良さに、ちょっと呆然です。コンデジなんて不要じゃないかと。
ま、よく歩き、よく飲んだ例会でした。
カテゴリー: walking & climbing
ポンポン山 花はどこへ行った
晴れ上がった秋空に誘われて、ポンポン山に登りました。
スマホGPSアプリのYAMAPの活動記録に、きれいな花をアップしている方がおられました。わたしもその花をレンズに収めようと歩きました。このあたりと思われるポイントでは、5回も行ったり来たりしました。でも見つかりませんでした。
これまでになく多くのハイカーでにぎわうポンポン山の頂上でコンビニ弁当を食べてきました。
【2024/11/04 09:59】
西国札所の善峯寺駐車場に車を置かせてもらってスタートしました。まずは西山巡礼古道を進みます。
善峯寺の紅葉はまだまだ先のようです。
西山古道と釈迦岳に直行する分岐です。急登の右へ進みます。
ああ暑い。汗がしたたります。これほど暑くなるとは思っていませんでした。
後から登ってこられたお二人も「暑いですね」と衣服調整しておられました。
ミヤマシキミが真っ赤な実をつけていました。
ゆっくりとではありますが、釈迦岳に通じる尾根まで登ってきました。
2カ月ほど前に登ってきたときは、この辺りでもうバテバテでした。それをきっかけにフィットネス・ジムに通うようになりました。若干なりとも効果はあったようで、体の軽さが違いました。
釈迦岳は、わたしが住む島本町の最高峰です。
このあたりに花は咲いているはずでした。でも見つけられませんでした。
【12:05】
ポンポン山の頂上です。2時間近くもかかっていました。花を探していたこともありますが、ノロノロペースでした。
頂上は昼飯を食べるハイカーでいっぱいでした。
坦々スープにボトルの湯を注いでいただきました。伊那福島のスーパー・ツルヤで買っていました。
コーヒーも飲みました。京都・小川珈琲のドリップでした。
帰りは、やってきた縦走路を戻り、まっすぐ杉坂から下山しました。アセビ(馬酔木)が実をつけていました。
善峯寺の阪急バス停は、今秋から運行が2時間に1本となったこともあってか、長い待ちの列ができていました。
中央アルプス 千畳敷カールのもう晩秋
中央アルプスの千畳敷カールを歩きました。4日ほど前に急に思い立ち、ネットで1夜の宿だけ予約しての旅でした。
氷河が削り出してできたカールは、高山植物が咲く雲上の楽園です。でも花のシーズンには外れ、全山が赤や黄色に染まる紅葉にも遅すぎました。
あいにくの天気となり、ガスが終始、宝剣岳を覆っていました。カサをささなくてもよかったのが幸いで、一瞬ながら晴れ間ものぞいて雄大な景色を楽しむことができました。
木曾駒ヶ岳につながる八丁坂の登りです。ガスの彼方が乗越浄土ですが、もはやわたしとは縁のない世界になりつつあります。
ガスが晴れて宝剣岳の岩峰が姿を見せました。剣が池に咲くナナカマドの赤い実がきれいでした。
比叡山 戦争で消えた廃墟3連発
比叡山に登りました。京都で育った人にとっては、朝夕に見上げる東北の目印の山でした。小さなころから数えきれないほどその山上を歩いています。
京都市街を見下ろすケーブル比叡の横には、現在は「HIEIZAN」の大きな文字があります。ところが、その歴史を調べると、といっても僧兵が都に直訴で降りてきた白河法皇の時代ほどではなく、昭和の初めから戦中にかけてのころです。現在とは違う初代のロープウェイ、比叡山空中ケーブル(叡山空中ケーブル)が架かっていて、その駅舎が今も廃墟となって残っていることを知りました。
わたしが子どものころに怖さに震えた「お化け屋敷」は、戦前に6年間だけ営業した叡山ホテルの跡地につくられていました。その建物も残っていました。
知らなかった3つの廃墟を巡りました。
【廃墟1】
空中ケーブルの高祖谷駅跡です。昭和3(1928)年から19(1944)年まで使われていました。
ケーブル比叡から20分ほど廃道を歩いた先に残っていました。
【廃墟2】
空中ケーブルの延暦寺駅跡です。
釈迦堂近くに外壁が残っています。
【廃墟3】
ケーブル比叡の近くには叡山ホテル跡がありました。
戦後、ここが夏季の「お化け屋敷」に使われていたようです。
京都・西賀茂 西賀茂里山連山の4座を歩く
「西賀茂里山連山」とネーミングされた京都・西賀茂の里山を巡りました。
京都五山送り火で3番目に点火される「舟形」が山肌にある船山など、どれも標高500メートルに満たない山々です。地元のYouTuberでヤマッパーの「さこさん」によってこの夏、スマホの登山GPSアプリ、YAMAPのピークに認定されました。全部で8ピークありますが、そのうち4つでさこさん設置のプレートを確認しました。1つは、巻き道を歩いてしまい、ピークは踏めませんでした。
舟形の上から京都の町を見下ろすなど、楽しい里山歩きでした。
ルートの要所にはテープが巻かれていたりして、歩きやすい道でした。
京見峠の京見茶屋は閉店して久しいです。若いころの思い出も詰まっています。
舟形の火床の最上部です。正面には大文字の大が見えます。
上賀茂神社・京都パンフェスから大田山、西山へ
ようやくにして、ちょっと涼しくなりました。
どこかに行こうと調べて、京都・上賀茂神社で開かれている「京都パンフェスティバルin上賀茂神社」にしました。京都人のパン好きを証明するかのように、大勢の人が詰めかけていました。わたしも昼飯のパンを仕入れて、近くの山を目指しました。
スマホの登山地図アプリ、YAMAPで数日前にピーク承認されたばかりの大田山です。さらに未踏だった深泥池(みどろがいけ)近くの西山にも登りました。いずれも標高は100m台の低山ですが、わたしが育った下鴨のかつて実家から1番近い、そして2番目のピークを踏めて大満足です。
深泥池近くの公園で、買ってきたカレーパンにかぶりつきました。
世界遺産の上賀茂神社は、正月の初詣のようににぎわってました。
まだ酷暑の大文字山から裏大文字 熊ファミリー、鹿親子を追う
京都の東山に「大」の字を描く大文字山から、北山麓の裏大文字を巡りました。こちらには熊ファミリーや鹿親子のピークが連なります。
京都五山送り火、大文字の火床中心にある金輪の前です。スマホ登山アプリのYAMAPピークの一挙11座制覇を目指す山友と巡りました。
もう9月も中旬だというのに、まだまだ酷暑の1日でした。下山後は銭湯に直行。「おつかれ生」の定番コースに突撃しました。
曾孫熊山でYAMAP400座達成となったIちゃんを祝いました。
わたしは素麺と氷を準備。大文字山の山頂でいただきました。
裏大文字の後は、裏寺町(四条河原町近く)に行き、3軒目の居酒屋で席を確保しました。まずは乾杯~!!
地元・島本の2峰 大沢山から釈迦岳へ
大阪50山の制覇を目指している山友につきあって地元・島本町の最高峰、釈迦岳(630.8m)に登りました。
展望が素晴らしい大沢山を経由し、ここが友のYAMAPピーク800座達成となりました。300にも達していないわたしとは、えらい違いです。
おまけにこの暑い夏、ほとんど歩いていないわが身にはなおも続く暑さが応えました。ポンポン山へのピストンは遠慮しました。それでも下山後の「生」はサイコーでした。
【2024/09/12 09:25】
阪急・東向日ではるばる三田からやってきた仲間と待ち合わせ、バスで善峯寺までやってきました。
まずは西山古道を進みました。
西国札所の善峯寺です。紅葉のシーズンには間がありそうです。
直射の少ない道はありがたいです。
この辺りは、6月にはクリンソウで埋め尽くされます。
大沢峠で休憩です。汗びっしょりです。
大沢山まで登ってきました。
3年ほど前にネーミングされた、皆さんがご存知のない展望台です。
見晴らしは抜群です。残念ながらわたしの住む水無瀬は手前の山の陰です。
このシーズン、花はあまり咲いていません。
釈迦岳まで登ってきて軽い昼飯休憩となりました。わたしは暑さが応えて、もうバテバテでした。
ポンポン山に向かう仲間と別れて、わたしだけはここから善峯寺に下山しました。
思いのほか早く下山してきた仲間と予定より1時間早いバスで下山。阪急・東向日で駅前の餃子の王将に直行しました。
まずは餃子から。
あれこれと食べ、飲みました。友がサービス券をもっていたとはいえ、1人1600円というリーズナブルな勘定でした。
山と飲み会 観音山からごろごろ岳 そして「どんがめ」へ
9月になっても、まだまだ暑い1日でした。
山と飲み会の仲間と、六甲山東部の観音山からごろごろ岳、ガベノ城と歩きました。
下山路は岩ゴロゴロの想像以上の悪路でした。追い打ちをかけるような舗装路の照り返しに降参しました。
西宮北口の昼からオープンの居酒屋「どんがめ」に逃げ込んで、ほっとひと息つきました。
麓の鷲林寺からまっすぐパノラマコースを登りました。
ごろごろ岳で三角点タッチです。
昔は標高が565.6mでした。だから「ごろごろ」でしたが、現在は30cm低くなってます。
乾ききったノドに、最高にしみわたる生です。
六甲山 森の音ミュージアムの音と花
「ROKKO 森の音ミュージアム」は、高山植物園の隣にあります。初めて入りました(26日)。
古い大きなオルゴールが並びます。展示室を見ていると、コンサートルームで「演奏家のいないコンサート」が始まりました。
自動ピアノが、ショパンのエチュード「革命」を力強く演奏しました。ペダルまではうまく踏めていないようで、音がぼそりと途切れ途切れにはなりましたが、立派なものでした。
鍵盤の中央上部に巻かれている紙(?)のプログラムを読み込んで演奏しています。人間と違って音を外すことはありません。
オートマタ(機械人形)は、オルゴールにあわせて全身を使ってスケッチを描きました。指や腕は当然として、肩から上半身、組んでいる脚を動かし、もちろん顔の表情まで変化しました。思わず引きずりこまれました。
ガーデンでカメラを向けたハナトラノオに笑われているみたいでした。
SIKIガーデン~音の散策道~には、いろんな花が咲いていました。