吉翔の天塩ラーメン

吉翔ラーメン

 kinokoさんは書きました。「『万重』の近くにラーメンマニアの甥が絶賛していたラーメン屋があるはずなんだけど」と。
 きっとココのことでしょう。大宮から紋屋図子をはいったところにある「吉翔」です。
 きょうはラッキーなことに特別スープの天塩ラーメン(並、650円)でした。塩味のあっさりとしたスープにみえましたが、なかなかのもの。表面にこってりとした膜が張るほどの、ほんとに味わいの深いスープでした。テーブルにはニンニクや辛味噌が並んでましたが、そんなのは入れる前に飲み干しました。
 ちなみに、トッピング(?)にのっているのはクコの実です。「肝臓、膵臓、高血圧…に効きます」と、おしゃべり好きの主人(独りですべてをやってます)が説明してくれました。

吉翔ラーメン2

 紋屋図子の大宮側の入り口にあります。

室町の鍾馗さん

室町の鍾馗さん1

室町の鍾馗さん2

室町の鍾馗さん3

 鍾馗さんに会いに、室町を三条から北に向かって歩きました。
 室町といえば、商家が多い土地柄です。ということは、開発の波も押し寄せていて、前回の油小路ほどには鍾馗が残っている家はありませんでした。
 それでも13体の鍾馗さんに出会うことができました。
 13体の鍾馗は、以下のHPにアップしています。
 http://dot117.minibird.jp/Alubum/060108muromachi/060108muromachi.html
 

了頓図子と室町の路地

了頓図子1

了頓図子2

 秀吉、家康時代の京都の茶人、廣野了頓が、一般人に邸宅内の通行を許したのが始まりという了頓図子を歩きました。
 由緒ほどには、現在の図子は風情があるものではありませんでした。まあ、開発の波が押し寄せるこの地にあっては、仕方ないことでしょう。

室町の路地

 昔の商家が少なくなっている室町通りも、歩いてみると、思わずレンズを向ける景観に出くわします。
 詳しくはHPをご覧ください。
 http://dot117.minibird.jp/Alubum/060108ryouton/060108ryouton.html

了頓図子と室町の路地


                                                    2006/01/08

 京都の中心にあるという六角堂(頂法寺)です。
 烏丸六角の東北角にあります。

 ビルの谷間に、六角堂の名の通りに六角形をしたお堂があります。
 

 「へそ石」です。
 立て札にはこう書かれています。

 「桓武天皇の延暦一二年(793)京都へ遷都の時、六角堂の所在が道路の中央にあたったので天皇が遷座を祈願されたところ、御堂がにわかに5丈ばかり北に退かれたという。この石はその際に取り残された礎石であると伝える。また京都のほぼ中央に当たるところからへそ石とも要石とも呼ばれている」

 六角通を烏丸を越えて西へ進むと、室町と新町の間に北にむけて了頓図子があります。
 名前とは裏腹に、左側ではビル建設も始まっていて、風情はあまりありません。

 同じ場所から望遠で撮影すると、向こう側の姉小路までが見渡せます。図子ということがよくわかります。

 お馴染みの消火器です。
 

 棟割り長屋が残っています。
 その一軒には、「京町家情報センター」の表札もかかっています。

 「廣野了頓邸跡」の碑。
 立て札を要約すると-

 廣野了頓は、安土桃山時代に剃髪してこの地に茶席を設けて茶道を広めた。豊臣秀吉、徳川家康も了頓亭を訪れ茶を楽しんだ。邸地は了頓の意志により、表門から裏門までの一般の通行が許された。

 こんな由来から了頓図子は誕生したそうです。

 室町通を上がり、二条と夷川の間で見かけた二つの路地です。

 こちらは格子戸がついています。

 こちらは入り口の上に、五軒分の表札がかかっています。
 

 どんつきは料理屋のようで、暖簾がかかっています。

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