京都を歩く 一条通を嵯峨から烏丸まで

 朝から気持ちよく晴れ上がりました。近くの山にでも登ろうかと思ったら、「クマがでるからダメ!」とのおぼしめし。ならばと京都を歩きました。
 平安京の北端を東西につなぐ一条大路を起源とする一条通です。京都御苑と接する烏丸通から妙心寺のあたりまで。さらに仁和寺から広沢池を横目に嵯峨釈迦堂まで10km近く続いています。
 平安京の造営に伴って架けられたとされる一条戻橋は、「この世とあの世の境目(異界)」とされます。

 西端の嵯峨釈迦堂(清凉寺)から東に向けて歩きました。

 大将軍商店街は「百鬼夜行」の妖怪ストリートとして知られます。一時と比べると店先に並ぶ妖怪の数は減りました。

 ゴールとしたのが角に和菓子の「とらや」がある烏丸通との交差点です。


 【2026/10/27 09:59】
 阪急・嵐山から歩き始めました。

 渡月橋を渡ると嵐山のメーンストリートは観光客でいっぱいです。半数以上が外国人です。
 ここは三条通の終点でもあります。ここから三条大橋まで歩いたことがあります。阪急で一駅手前の松尾大社から四条通を祇園まで。松原通や鞍馬口通を金閣寺から銀閣寺までと、京都の東西路を制覇してきました。

 混雑する観光客の間をすり抜けて嵐山から20分ほど。嵯峨釈迦堂にやってきました。

 「源氏物語」の光源氏が造営した「嵯峨の御堂」に目されます。門前から参拝しました。

 東に向けて歩き始めると、すぐに湯豆腐で有名な嵯峨豆腐森嘉があります。いつも客であふれていますが、きょうは定休日でした。

 風情のある民家に、「火伏せ(防火)」の神さまを祀る愛宕神社への信仰から建てられた石灯籠が絵になります。

 北に400mほどで大覚寺です。

 案山子が整列していました。

 広沢池を横目にします。池の向こうに嵯峨富士(遍照寺山)です。

 カワウが羽を広げて羽干し(日光浴)をしていました。やがて飛び去りました。

 京都市バス10番の終点、山越までやってきました。

 ここで初めて「一条通り」の表示を目にしました。
 道路標識では全国標準の「通り」となってますが、京都では「り」を送らないのが通例です。

 山越道は宇多野病院の辺りで最高点となり、下りが始まりました。正面に比叡山がそびえていました。

 福王寺神社の変則5差路です。車がいない瞬間ですが、渋滞の名所でガードマンが立っています。

 仁和寺の立派な仁王門が見えてきました。知恩院の三門、南禅寺の三門と並び、「京都三大門」とされる国の重要文化財です。

 きぬかけの路は左に金閣寺まで続きます。一条通は右です。

 嵐電の妙心寺です。踏切が降りたので小走りして、走り抜ける京紫カラーのKYOTRAM(きょうとらむ)をカメラに収めました。

 妙心寺の北門までやってきました。この辺りが平安京の一条大路の西端でした。

 歩き続けてきました。冷たい飲料で一息入れました。

 そこで問題です。「◯◯を◯ろう」。さてどんな文字が入っていたのでしょうか?
 見事に色褪せたプレートです。

 プレートを寄贈した大力食堂は健在でした。
 京都には力餅食堂、大力餅、相生餅食堂、千成餅食堂など「麺類・丼物一式」の庶民派食堂がたくさんありました。

 等持院までくると「お好み焼ジャンボ」です。定休日でした。
 まだ若くて胃袋が元気だったころ、自慢のジャンボ焼きそばを食べたことがあります。今はとてもムリです。

 馬代一条を渡ります。このあたりに昔、お世話になった鍼灸院がありました。
 夕刊紙の編集長をしていて激務で疲れ果て、凝り固まった肩を独特のハリでほぐしてもらいました。あのおばあちゃんは、もうおられないでしょう。

 千成餅食堂もありました。白いベンツがとまっていました。それに乗って食べにやってきたのでしょうか?

 西大路を渡りました。五山送り火の左大文字がすぐ近くです。


 
 地蔵院(椿寺)は、洛陽三十三所観音霊場の三十番札所です。朱印をいただいた覚えがあります。

 紙屋川を渡ります。このあたりでは豊臣秀吉が築いた御土居に沿っています。

 大将軍商店街の妖怪です。昔はもっとたくさんいました。

 京都・一条・大将軍 妖怪ストリートを歩く

 「大将軍八神社」があります。延暦13(794)年、平安京遷都の際、桓武天皇の勅願によって勧請された方除の守護神です。

 本殿前には五芒星と八卦の石碑があります。

 2階の窓から妖怪が見下ろしてます。

 一条通から北にそれて「たわらや」に向かいました。名物の「一本うどん」が食べたかったのですが、店は閉まってました。向こうが北野天満宮です。

 一条通は少しの区間、中立売通と重複します。ここを北野を出た京電(京都電鉄)、後の京都市電北野線のチンチン電車が京都駅に向けて走っていました。

 広い更地には、京電の北野車庫がありました。市電廃止後は京都こども文化会館(エンゼルハウス)がありましたが、それも老朽化して取り壊されました。

 中立売(一条)七本松の角に、チンチン電車のモニュメントがあります。京電として走り始め、市電となってからはN電と呼ばれた車両です。

 同じ場所は宮本武蔵と吉岡一門の決闘の地であり、出雲の阿国の歌舞伎発祥の地でもあります。

 モニュメントの後ろに木造3階建てと思われる家が立っていました。なんと湯葉を製造していました。お隣の2階建ては豆腐をつくっていました。

 七本松をちょっと上がって右折すると一条通が狭くなって続いています。

 仁丹の看板が残っています。路地の先には、何軒もの民家があり、その集合表札(モザイク処理)が架かっています。

 千本通を横切ります。ここは昔の朱雀大路です。平安京の一条大路のちょど中間です。

 西陣のこのあたりは、昔なら機織りの音が聞こえてきたのでしょう。

 一条通はさらに狭くなり車一台が通るのがやっとです。道交法が変わらなくても自転車を追い抜けません。

 広い堀川通に出ました。左向こうが戻橋です。

 京都疏水分線につながる堀川は埋め立てられて暗渠となってます。戻橋の下は水路が流れます。
 陰陽師の安倍晴明は、妻が怖がったため式神を橋の下に隠していたといわれます。その風情は感じられません。

 東詰からふり返りました。黄色い車がとまっている高層マンションのすき間の狭い道が一条通です。

 「応仁の乱勃発地」の碑がありました。
 藤原道綱の一条邸跡でもあります。NHK大河ドラマ「光る君へ」で上地雄輔さんが演じていた藤原道長の異母兄です。 

 埋葬文化財の発掘調査中でした。このあたりは、掘れば何かが出てくるのでしょう。

 西京白味噌の本田味噌本店です。

 和菓子のとらやの虎屋菓寮の前まできました。向こうの緑は京都御苑です。
 ここで甘いものでひと休みでも⋯といった気持ちはさらさらなく、立ち飲み居酒屋はどこにしようーなんてことを考えていました。

 烏丸通でゴール。地下鉄今出川まで歩いて総歩行距離は10.8kmでした。

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