京都人の密かな愉しみ その6 「Bar Forest Down」は名曲喫茶?

 「京都人の密かな愉しみ BLUE」(NHK-BS)で、修業中の若者5人が集う「御所南」にあるという「Bar Forest Down」を訪ねました。
 京都市役所のちょっと北西、御幸町二条を下がったところにあるカフェ「MOLE」がロケ地になっています。昼間に見ると、店の様子がわからないほどうっそうとした木々に覆われていますが、まちがいなくここです。木々の向こうから店のほのかな明かりがこぼれてくるシーンを覚えています。

 店内の様子は、番組とは違っていました。ゆったいりとしたソファーに腰かけてメニューを開けました。「玄米カレー」がメーンで、自家製パンのサンドウィッチ、それに飲み物と並んでいました。
 「キーママタルカレー」(700円)です。柔らかく炊いた玄米に、スパイシーなカレーがのってました。

 やさしくて、安心して食べられるカレーです。

 サラダがついています。ハートランドビールも忘れませんでした。

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京都人の密かな愉しみ その5 メゾン ド クレーム「むしやしない」を訪ねる

 「京都人の密かな愉しみ」(NHK BS)では、洛北・北山のケーキ店「メゾン ド クレーム」として登場してました。オムニバスドラマ「えっちゃん」の舞台です。
 ロケ地となった「むしやしない」で奥さまが頼んだのは「キャラメルオペラ」と「ウバ」の紅茶です。
 ひと口、いただきました。オペラは、チョコレートやケーキ地などが層になっているフランスのケーキだそうです。なるほど、パリッやシットリなどの違った食感が、控えめな甘さで口に広がりました。

 わたしが頼んだのはこちら。「アール・グレー」のアイスティーです。サービスに、抹茶味のラスク(?)がついてきました。

 ホットティーは、急須のようなポットにいれて出てきます。3杯分くらいは入っているようでした。

 オーガニック原料や米粉を使用した菓子も並んでました。

 目玉はこの「むしやしなべ」のようです。鍋の形をした焼き菓子にフルーツが盛りだくさんですが、価格を見てちょっとびっくりしました。おいそれとは手が出ません。

 来店者の寄せ書きなどが飾られた一角に「京都人の密かな愉しみ」の本も並んでました。

 「洛北 北山 メゾン ド クレーム」として登場したカット(NHK BSより)です。 

 当然のことながら、同じ光景です。テレビの印象よりはこじんまりとした店内でした。
 テレビの設定から、植物園の北側の北山通周辺にあるのかと思ってました。叡電(叡山電鉄)一乗寺のすぐ横です。ちょっと通りを入った辺りには、高校時代の友だちの家もあったはずです。

 店名のむしやしないは、「空腹を一時的にしのぐ食べ物」といった意味の京ことばです。「648471」と数字が充てられていました。

 これまでの「京都人の密かな愉しみ

 むしやしない
 075-723-8364
 京都市左京区一乗寺里ノ西町78

DAHONで走る 橋本の遊郭跡から山田池公園のショウブ

 折り畳みの小径自転車、DAHONで走りました。
 このところ、京都北山を一緒によく歩いているCさんに誘われました。DAHONを2台並べてのサイクリングでした。木津川、宇治川、桂川の川が合流するあたりの背割り堤でちょっと休憩です。桜並木の名所ですが、静かでした。
 コースは、阪急・水無瀬から時計回りに大山崎-八幡-橋本-牧野-山田池公園-宮之阪-枚方-枚方大橋-水無瀬と全長38.9kmに達していました。山田池公園のショウブが満開でした。

 京阪の線路わきにある橋本遊郭の歌舞練場(?)だった立派な2階建てです。ツタに覆われて朽ちようとしています。
 学生時代は、京阪特急で通学してました。毎日、ここを通ってましたが、知りませんでした。

 橋本遊郭の当時の建物が残っています。玄関に立派な浮彫の欄間がかかっていました。

 これが「飾り窓」です。きれいどころが嬌声を振りまいたのでしょう。窓の覆いは後世のものでしょうか。

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京都人の密かな愉しみ その3 玉井パン「まっしゅ京都」を訪ねる

 「京都人の密かな愉しみ Blue 修業中 送る夏」(NHK-BSプレミアム)で、「玉井パン」としてロケ地となったのが、四条烏丸近くの「Boulangerie MASH Kyoto まっしゅ京都」です。
 パン好きの京都の町になじんだ店です。ちょっと小ぶりのパンは、どれも優しい味です。
 これは、良く冷えた牛乳が欲しいです。ドラマの中にも、そんなセリフがありました。 

 1個が100円台。5個買って900円でした。普段使いの町のパン屋さんならではです。

 ロケ地として選ばれるのも納得の店構えです。番組では、西陣にあるように描かれていましたが、実際には四条烏丸に近いあたりでした。

 ドラマでは、このパン屋で上町葉菜(趣里=水谷豊、伊藤蘭の娘)がパン職人の修業をしていました。ちょっと頼りないがすご腕のパン職人 玉井利夫(甲本雅裕)がいい味、出してました。

 Boulangerie MASH Kyoto まっしゅ京都
 075-352-0478
 京都市下京区東洞院通高辻下る燈籠町568

 このブログに登場した「京都人の密かな愉しみ

京都人の密かな愉しみ その2 ロケ地を巡る 西陣あたり

 「京都人の密かな愉しみ」(NHKBS)で何度も登場した老舗和菓子屋、久楽屋(くらや)です。目に焼き付いたシーンでした。
 室町上立売を上がったところにある和菓子屋、俵屋吉富の本店が暖簾を変えて使われていました。
 日曜日とあって、残念ながらシャッターが閉まってました。店内の様子はわかりませんでしたが、こぢんまりとしたたたずまいでした。

 隣は郵便局。赤いポストが映っているいるシーンです。
 久楽屋の若女将、沢藤三八子が15年ぶりに再会した菓子職人とパリに旅立つ最終回のシーンです。
 和服から洋装に着替えた常盤貴子が輝いてました。

 托鉢の僧(実は腹違いの弟)にお布施する三八子が歩いてきそうです。

 「さいなら」がエンディングでした。

 烏丸今出川から歩きました。同志社大学のクラーク館です。奥さまの案内です。
 ここで団時朗が洛志社大学の教授、エドワード・ヒースローとして教鞭をとるシーンに出てきます。

 臨済宗相国寺派の大本山である相国寺は、京都五山第2位に列せられる名刹です。

 相国寺塔頭の瑞春院は、水上勉の「雁の寺」で知られます。
 番組に挿入されているオムニバスドラマ「桐タンスの恋文」に登場します。 

 俵屋吉富の本店、茶ろんたわらやと歩いてきたところは寺之内小川通りです。北に上ります。

 不審庵(茶堂表千家)の立派な門です。

 お隣は今日庵(茶道裏千家)です。

 裏千家の前が本法寺です。

 この夜桜の下で三八子は「京を捨てる」と未練を断ち切る菓子職人と別れ、15年後に再会します。

 三上家路地です。路地は「ろーじ」と発音する袋小路です。
 続編の「BLUE修業中」で、パン職人を目指す上町葉菜(趣里)が、その日、売れ残ったパンを近所のお年寄りに配りに行くシーンに出てきます。

 本隆寺の瓦土塀が続きます。

 雨宝院から眺める瓦土塀です。

 三八子が通りがかり、エドワードに会釈する印象的なシーンです。

 エドワード教授が参拝するシーンもあります。
 花弁がかわったつばきがきれいでした。

 「京都人の密かな愉しみ」のロケ地の一部を巡りました。わが家の墓地がある宇治の興聖寺も何度も登場します。
 家に帰ると、ネットで予約した本が届いていました。「京都人の密かな愉しみ」(NHK「京都人の密かな愉しみ」制作班+源孝志監修、宝島社)です。ペラペラと繰っていくと、行きたいロケ地があちこちにあります。
 * ブログ中の常盤貴子の画像は、この本からコピーしました

「西院淳和院町」 わたしの出生地は?

 「西院の永田助産院」と、母がわたしの出生地を教えてくれました。
 その西院近くに住むMOさんが、Facebookに建て替え工事中の阪急・西院駅や東北角の高山寺の門前にある「淳和院跡」の石碑について書いておられました。そのうえ、同じ助産院生まれだったという出生からの縁が明らかになりました。永田助産院はもう存在しませんが、どこにあったのかが急に気になってきました。

 阪急・西院駅で下車しました。ものすごい突風が吹きこんできました。
 この駅は、ホームに強い風が吹き抜けることで有名です。通過する電車が管内のピストン弁のように作用して、風を吸い込むのです。
 工事中とはいえ、パイプがむき出しの狭い空間です。 

 交番があったので、飛び込みました。若い警察官は、「うーん、わかりませんね。古い町名の地番がわかっているんだったら、法務局に行かれたらいいですよ」。親切でしたが、きょうは日曜日でした。

 「京都市右京区西院淳和院町15番地」と、わたしの戸籍には出生地が書かれています。当時、住んでいた家とは離れていますが、知り合いに教えられた助産院だったようです。
 西院淳和院町は、昭和29年に東西の淳和院町に分割されており、現在地はどこだかわかりません。

 とりあえずは、「西院から上がったところ。西大路に面していたはず」という、母の漠然とした記憶を頼りに、あたりを歩きました。
 聞き込み調査は、新聞記者だった若いころにはよくしたものです。ところが聞く相手がいません。コンビニやケーキ店はあっても、そこの若い店員が古い時代のことを知っているはずがありません。
 立派な「レディース・クリニック」がありました。これは助産院に通じますが、院長の名前は「永田」ではありませんでした。

 角を曲がってみると、次の2階建ての家になんと「永田」の表札があがってました。
 ここだと、無礼を承知で玄関のブザーを押してみました。でも不在だったようで、応答はありませんでした。

 なおも辺りをうろつきました。古そうな民家に暖簾がかかっていたのでのぞいてみると、ご主人が「うちはここに移ってきて10年ほどです。わかりませんね」。
 別の民家から出てきた男性に声をかけると、家の中の年配の男性呼んでくれました。「そこになんとかクリニックがあるでしょ。そこが助産院あったところです。わたしの兄も、そこで生まれました」
 これで裏(づけ)がとれました。「レディース・クリニック」が永田助産院の跡地で、隣の民家はその本宅(?)だったようです。

 20メートルほど北に、「西安食坊」と看板がかかったままの売り店舗がありました。ここでかつて「自家製チャーシュー入りチャーハン」を食べたことがありました。すぐ近くまで来ていたのです。

 西院のこの辺りは、平安時代には淳和院と呼ばれたところです。
 平安遷都をした桓武天皇の第7子として生まれた淳和天皇は退位後、御所の西にある西院を淳和院と改めて、ここで暮らしたということです。
 西院春日神社の境内には、淳和院の礎石が残っていました。

 西院は、「さい」とも読まれます。西院春日神社の前の通りは、佐井通り(春日通り)といいます。

 四条との角にある大型家電店が入居するビルの壁面に、淳和院の発掘記録を記したプレートがありました。

 淳和天皇は火葬され、その遺骨は大原野の西山(京都市西京区大原野南春日町の小塩山)山頂付近で散骨されたと言われています。そこには現在も淳和天皇大原野西嶺上陵(じゅんなてんのう おおはらののにしのみねのえのみささぎ)があります。
 春に咲くカタクリの花を見に行く小塩山の保護地のひとつ、「御陵の谷」の御陵は淳和天皇陵のことです。

 嵐電の西院(さい)駅です。

 阪急の西院(さいいん)と接続するようになった新しい入り口から地下に降りて帰宅しました。

京都・裏寺町 「サラダの店 サンチョ」の「照り玉バーグランチ」と祇園祭

 京都府立医大で半年に1度の検診でした。異常はなく、四条河原町まで戻ってきてちょっと遅い昼飯です。裏寺町の「サラダの店 サンチョ」は、3時半までランチ営業をしてました。
 頼んだのは一番人気(だと思う)、「照り玉バーグランチ」(1000円)です。じゅわーっと肉汁が滴る、ちょっと甘口のハンバーグです。
 照り玉の玉は、ちょっと後ろになっている目玉焼きです。 

 レタスたっぷりのサラダです。

 ライスかパンの選択からパンにしました。バターロールに切れ目をいれて、バターが塗られています。

 前回も同じ照り玉ハンバーグを食べてます。

 サラダの店サンチョ 河原町本店
 075-211-0459
 京都市中京区裏寺町通四条上ル中之町572

 満腹になったので、四条通を西に歩きました。
 祇園祭の長刀鉾が建っています。長刀(なぎなた)の穂先がキラリと光ります。穂先が御所の方角を向くことはありません。

 『真木のなかほどの「天王座」には和泉小次郎親衡の衣裳着の人形を祀っている。屋根裏の金地著彩百鳥図は松村景文(1779~1843)の筆、破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作である。』(公益財団法人祇園祭山鉾連合会のHPより)

 鶴亀の「御献酒」はどこだろうとよく見るとー。月桂冠を大丸京都店が献上してました。

 提灯にその名がありました。

 女性を上らせる鉾もありますが、長刀鉾は・・・。これはしきたりです。

 菊水鉾の車軸には、菊の紋章。

 月鉾まで見て回りました。子どものころの記憶からすると、鉾ってこんなに小さかったかなと。

京都・六波羅あたりの路地を巡る

 六波羅密寺の辺りを巡りました。六原学区には約90もの細街路(幅員4メートル未満の道)があるそうです。その大半には名前がありませんでしたが、災害時などで場所が特定しずらいと、「みんなでつけよう ろじのあいしょうプロジェクト」が地元住民によって進められてきました。
 「大切にしたい京都の路地選」(京都市都市計画局)に紹介されています。先日、聞いた「京の路地シンポジウム」でその存在を知りました。
 

 建仁寺の南側です。向こうに清水の五重塔がそびえます・

 東山通から松原通りを西に入ったところで、新しい路地名を記したプレートを見つけました。

 路地は、京言葉では「ろーじ」と発音します。行きどまりの道です。小路は貫通しています。

 六道珍皇寺にやってきました。この前はいく度も通ったことはありますが、初めて参りました。

 陰陽師の小野篁が夜な夜な冥界と行き来したといわれる「冥途通いの井戸」が右奥にります。

 朱印をいただきました。

 次々とプレート発見です。

 この小路は、途中に階段があり、お地蔵さんも祀られていて雰囲気はよいです。ただし、プレートはありませんでした。。

 観光客でにぎわう六波羅蜜寺のすぐ近くです。路地名も「門前」だったり「裏門」だったり。

 正式な地番です。向こうはもう五条通です。

 色あせた看板です。黒字の部分だけが残って、もはや判読不能です。

 さらに歩き続けます。宝探しをしているようです。

 路地の奥に大きなスーツケースをもった外国人の家族連れを発見。

 民泊になっているようです。狭い階段を上がって、2階にステイ。それにしても、どこで探したのでしょう。

 さらに歩くと、見知った田中図子に行きつきました。

 お隣が有名なあじき路地です。家主の安食弘子さんは、シンポジウムのパネリストをしおておられ、その話を聞きました。

 風呂屋の煙突がそびえる、昔ながらの路地裏です。

中高野街道を往く その1 守口~平野

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 中高野街道は、守口から南に延びて放出、平野、松原を抜け河内長野で東高野街道、西高野街道と合流する30キロ余の参詣道です。
 急に思い立って、この夏空の下、守口から平野まで15キロほどを歩きました。

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 京街道の守口宿がスタートです。

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 きょうのコースで唯一の「中高野街道」の文字に巡り合いました。

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 東大阪の町工場の間を歩きました。ガレージから倉庫、工場まで何でも貸してくれます。

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 まだ昼前でしたが、熱中症になる前に平野の杭全神社でゴールとしました。

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