新規開店のクラブではありません。難波新ビルの殺風景なわが制作局にも、コチョウランの鉢が並んでいます。業者が持ってきてくれました。
7月から始まった移転大作戦も、これまでのところお大きなトラブルもな頂上が見えてきました。
本日は夜勤。台風はどっかに行ったし、阪神も負けたのでSスポも静かです。あと1時間ほどしたら、車で帰ります。
カテゴリー: こんな日も
スパイスたっぷりの夏のパーティー
今月の料理教室は「スパイスたっぷりの夏のパーティー」のタイトルで、タンドリーチキン、レンズ豆のカレー、オクラのサブジ、カチュンバル、チャパティ、ラッシーです。
タンドリーチキンは、とりもも肉を、スパイスたっぷりのつけ汁につけ込み、オーブンで焼き上げました。タンドリー(釜)がなくても、パリッとおいしくできあがりました。
レンズ豆のカレーは、タマネギ、ベーコン、ニンニク、ショウガを炒めて、レンズ豆とスパイスを20分ほど煮込んだだけですが、相当の辛さでした。
汁があるのがカリー、ないのがサブジというそうです。オクラ炒めて、スパイスとともに蒸し煮したものです。
カチュンバルはキュウリとトマトのサラダです。香菜(シャンツァイ、英語ならコリアンダー、タイではパクチー)を入れるのですが、苦手な人も多いようです。一緒のテーブルの3人の女性は、みんな敬遠。私だけ別皿にして食べました。クセはありますが、それなりにおいしいですよ。
チャパティは小麦粉を焼いたもの。イーストが入ればナンになって膨らみます。
ラッシーは、インド料理には定番の飲み物ですね。
タンドリーチキンで使用したスパイス3種。赤いのがチリペッパー。黄色がターメリック(日本語なら鬱金=うこん)、もうひとつがガラムマサラです。
レンズ豆とは初対面でした。直径5ミリほどで、確かにレンズの格好をしています。
初盆
宇治・興聖寺(曹洞宗)で施餓鬼法要がありました。父の初盆でした。
餓鬼道に苦しむ餓鬼に施しをすると、その供養が回向してご先祖さまに届くのだそうです。そんな方丈さんの話がありました。
施餓鬼棚は文化年間に作られたもので、二百年ほどたっているそうです。お供えは、中央にご飯を丸く持った「餓鬼飯」、左には餓鬼は煮物は食べらないのでナスビとキュウリを生のまま切ったもの、右に水が並んでました。
そろそろ、京都では五山に送りの火も消えかけているんでしょう。
巨大ポテトチップス
ミナミ、大変身
桜橋から移転先のミナミに行きました。
「赤い灯、青い灯…」の道頓堀です。でも、しばらく来ていなかったら、すっかり様子が変わっていました。
戎橋から見た道頓堀川です。川辺には遊歩デッキができてました。ネオンの揺れる川面を見ながらの散歩とは、素敵ですね。
深夜スーパーの「ドンキホーテ」は、道頓堀川を向いて建ってます。これまでは考えられなかったことです。ビルには、大きな大黒さま(ガンバの大黒サマではなくて、正真正銘の)が笑顔で鎮座しています。周りの輪っかの部分がドンキ観覧車のゴンドラです。
一等地の角地には「TAYA」ではなかった、「TSUTAYA」が進出してました。こんなところで、CDやDVDを借りてどうするんでしょうかね。
グリコの看板は健在でした。でもこの写真は戎橋の上からアクリル板の覆い越しに撮影してます。タイガースが優勝しても、これでは飛び込めません。
ハーブで楽しむ初夏のイタリアン
今月の料理教室は「ハーブで楽しむ初夏のイタリアン」でした。
アンティパスト(前菜)は、牛肉と豆のマリネ。アンティチョークが入ってます。ワインビネガーに醤油をちょっと入れてます。すっきりとした味です。
プリモ・ピアット(第1の皿)は、「トマトの冷製パスタ」(左上)です。スパゲティのパーミセリ(1ミリの極細)をゆであげて、冷水で冷やしたものに、トマトとゆでたタコを小さく切ってオリーブ油でからめます。
セコンド・ピアット(第2の皿)は、白身魚のハーブソテー(右上)です。スズキをローズマリーやタイムを混ぜたパン粉を衣にして焼いてます。
ドルチェ(デザート)はパンナコッタ・エスプレッソソース(右端)です。ゼラチンを固め、エスプレッソソースをかけてます。
以上の4品に紅茶とパンでした。どれもおいしかったのですが、ああ、ワインが一杯でもあれば、言うことはなかったのですが、ザンネン。
教室は、四条通に面したビルの8階にあります。きょうは祇園祭の山鉾巡行です。阪急烏丸を降りたら、予想通りすごい人。1ブロック進むのに汗だくでした。
それにしても「動いている鉾」を見たのは、いつ以来だったかなあ。宵山なら、子供が小さいときにはよく行ったものですが。
「桜橋」はどこに
昼休みの食事に出て、ふと疑問がわきました。国道2号と四つ橋筋が交わるのは桜橋交差点ですが、「桜橋」ってどこにあるんだろうって。JR大阪駅にも「桜橋口」はあったけれど。
あっつ、そうか、と思い出して確かめに行ってみると、やはりありました。「桜橋南詰」と書かれた石柱が。四つ橋筋を南に新地本通りを越えた2本目の通りの交差点北東角です。M新聞社の跡地に建つビル内の大型書店をのぞくためによく通るところです。
石柱の裏をのぞき込むと「(桜橋は)明治四十二年七月三十一日の北の大火で消失」とありました。となると、その下を流れていたのは蜆(しじみ)川となるはずです。
新地本通りを二筋入って北に曲がったところに「曾根崎川跡の碑」があります。隣には「蜆橋銅板標」も。いつもは酔っぱらって横目にする、いや、「こちら」にくることなんてとんとありませんが。
碑には「蜆川(曽根崎川)は、かって堂島川から分かれて新地の中心を東西に流れていた川で、元禄元年(1688)に河村瑞軒によって改修され、その両岸に繁華街の堂島新地、曽根崎新地が形成された」とあります。
近松門左衛門の「心中天綱島」の道行きの舞台となったこの川です。その一節にも「別れを嘆き悲しみて跡にこがるる桜橋」とあるそうです。
壁ぬけ猫
お隣のビル(ハービス大阪)に大きな黒猫が棲んでいます。ネコはあまり好きではないのでエサをやったこともありませんが、レンズを向けました。
ついでに近寄ってみると「壁ぬけ猫」という立派な名前が付いていました。なるほど、と納得しました。
ガレージの入口近くにいるイヌは「用心棒」でした。
気送管
桜橋にあるわが新聞社のビル天井です。むき出しでパイプが何本の走っています。古いビルだから、まあこんなものでしょう。
ちょっとかわっているのは、太めのパイプです。「気送管」といいます。編集局と制作局の部屋などをつないでいて、長さ40センチほどの「筒」が空気圧で移動します。そのため、他の電気配管と比べると、カーブが緩やかになってまいます。筒の中に、原稿やゲラなどを入れて運ぶわけです。筒が通過すると、「カラッ、カラッツ」と音がしてすぐにわかりました。
今ではほとんど使われていません。この管の向こうにはわたしが長く働いた媒体の編集局がありました。この中を私が書いた原稿も走ったのです。まあ、アナログ時代の「遺物」なのでしょ。今では、原稿はデータとなってLAN回線の中を走ってます。
桜橋の屋上から
8月になれば、本社が大阪・桜橋のビルから、難波の新ビルに移転します。30年近く通った梅田ともお別れです。
久しぶりに9階建てビルの屋上に上がりました。「白米稲荷大明神」は昔のままでしたが、隣にそびえるハービス大阪(ホテルのリッツカールトンが入っている)に見下ろされてました。
白米稲荷は大阪天満宮にあります。たぶん、その分社なのでしょう。
ビルから見下ろす国道2号から梅新にかけてです。左手のビルが、大阪駅前第1、第2、第3ビルです。
このビルが建てられた昭和27年の大阪は、一面の焼け野原で、ここからから焼け残った難波の高島屋が見えたそうです。今ではビルの谷間に埋もれています。