四条通に面した堺町通と柳馬場通(やなぎのばんば)の間ビルに料理教室はあります。腹ごなしにここを出て、西に向かって歩きました。
京の通り名のうち、東西の通りは「あねさんろっかくたこにしき(姉三六角蛸錦)…」としてよく知られています。今も、京都S大学のテレビCMのバックグラウンドで流れています。
南北の通りについては、わたしもよく知りませんが、こんなのがあるようです。
てら ごこ ふや とみ やなぎ さかい
寺 御幸 麩屋 富 柳 堺
たか あい ひがし くるまやちょう
高 間 東 車屋町
からす りょうがえ むろ ころも
烏 両替 室 衣
しんまち かまんざ にし おがわ
新町 釜座 西 小川
あぶら さめがいで ほりかわのみず
油 醒井で 堀川の水
新町通を越え、西洞院通(にしのとういん)までのところに幅2メートルほどの細い道があります。上京区では京都府庁の前の釜座通(かまんざ)ですが、下京区の四条から下がる小路は「膏薬図子(こうやくずし)」の名が付いています。
四条の角に立って住居表示を見上げました。
通りの東側は「下京区四条通新町西入下る新釜座町」とあります。
西側は「四条通西洞院東入郭巨山町」となっています。
「郭巨山(かっきょやま)」は、祇園祭の山の名前で、この家が保存場所になっています。屋根の上には魔除けの「鍾馗(しょうき)」がのっています。
細い道をちょっと入っただけで、静かな別世界です。左手に路地がありました。入り口には路地の奥にある家の表札が並んでいます。
民家の壁に埋め込まれたような祠があります。その名は神田神宮。「天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也」と由緒が書かれています。
下総国で戦に敗れた平将門の首が都へ運ばれ、ここで晒されたが、ある夜、光を放ちながら東方へ飛び去ったそうです。
膏薬図子は途中で鉤型に曲がっています。
将門の霊を弔うため、空也上人が念仏道場を建てたそうです。その御堂が「空也供養(くうやくよう)の道場」と呼ばれていましたが、いつしかなまって「膏薬」なってしまったというのです。まるで、冗談のようなホントです。
図子の長さは160メートルほど。南側の綾小路からみたところです。
綾小路の東角には杉本家住宅(京都市指定有形文化財)があります。ここは祇園の伯牙山の飾り場にもなっています。