京都を歩く そすいさんぽ 疏水分線コース

 「そすいさんぽ」は、琵琶湖疏水を巡るように整備されたウオーキング・ルートです。
 大津・鴨川コースは、びわ湖畔から蹴上を越えて鴨川まで。
 鴨川運河コースは、鴨川に沿って南下して伏見から宇治川まで。
 そして、今回(18日)歩いたのは疏水分線コースで、蹴上から哲学の路、銀閣寺、下鴨あたりを流れ、堀川紫明まで続いています。びわ湖からは20キロあります。わたしは堀川紫明から遡り、蹴上から鴨川、そして四条まで3つコースにまたがり15キロを歩きました。

 下鴨北園町のわたしが育った家のすぐ近くです。疏水を渡るこの道は小学校への通学路でした。

 高野川には遅咲きの八重桜が咲いていました。向こうの比叡山は、黄砂で霞んでいます。

 南禅寺の水路閣です。この上を疏水分線は流れています。

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京都を歩く 植物園辺りで「桜」を描く

 久しぶりに京都を歩きました。テーマは「桜」です。
 といっても、ホンモノの桜にはちょっと遅すぎました。深泥池も、疏水も「落花盛ん」でした。

 こちらは散った桜の花びらに見えるでしょうか。
 GPSアートと呼ぶそうです。自分が歩いた軌跡が、GPSによって地図上にプロットされます。そうして図形を描きます。お手本をたどって歩きました。
 左下の京都府立植物園は、野生のシカが出没して臨時休園でした。青線の部分は実際には歩くことができず、地図上に手書きしました(一部区間は白線で消しています)。

 3D画像の軌跡です。

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大原野神社と勝持寺 桜開く

 京都・西山、大原野神社の幻の桜として知られる「千眼桜」が開花したとの情報でした。満開の期間がたったの3日しかないという、ボタンザクラのような白い花をつける一重の枝垂れ桜です。
 慌て者は車でとんでいきました。でも満開にはまだちょっと早かったようです。

 手前の小山のような桜です。

 大原野神社では、狛犬に代わって狛鹿がお出迎えです。奈良・春日大社の分霊を祀っています

 紫式部ゆかりの社としてPRしています。
 ことしの京都は、どこに行っても源氏物語です。

 椿が大きな花を咲かせています。
 真っ赤と赤白まだらの2種が混ざっています。

 お行儀よく切り株にポタリ。そんなことはありません。だれかが並べたのでしょう。

 落ちた水路では水がしたたります。

 雌しべが飛び出しています。雄しべ(?)の格好がちょっと違います。

 ミツバツツジも鮮やかです。

 大原野神社
 075-331-0014
 京都市西京区大原野南春日町1152

 山手の小径を上って行きます。

 「花の寺」として知られる勝持寺です。

 西行法師ゆかりの西行桜も咲いています。

 紅葉もきれいな寺です。

 勝持寺
 075-331-0601
 京都市西京区大原野南春日町1194

京都を歩く 御土居巡り 再び

 「御土居を歩きたい」と、スイスから里帰り帰国されているDさん。豊臣秀吉が、京の都を取り囲むように築いたのが御土居(おどい)です。1周22.5キロあります。わたしは1カ月ほど前に巡ったばかりでしたが、ご一緒しました。
 スイス在住30数年(知らんけど!)ですが、まんま大阪の陽気なオバちゃまです。途切れることなく話しながら、西院-鷹峯-上賀茂-四条河原町と暖かな日和の中を楽しく歩きました。
 
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京都を歩く 三条通を西から東へ 嵐電に沿って

 京都の町を東西に貫く三条通は、東は山科区四宮から西は右京区の嵐山(渡月橋)に至ります。平安京の三条大路だった中心部の区間は、碁盤の目に沿って真っすぐですが、その両端は曲がっています。
 ここ数日の寒さが和らいだ一日、渡月橋から東を向いて歩きました。
 西大路三条までは、嵐電(京福電鉄嵐山本線)と併行します。広隆寺の前の併用軌道を京紫カラーの電車が走り抜けました。

 嵐電の駅名は、難読地名のオンパレードです。
 西から鹿王院、車折神社、有栖川、帷子ノ辻、太秦、蚕ノ社、西院。
 答は、ろくおういん、くるまざきじんじゃ、ありすがわ、かたびらのつじ、うずまさ、かいこのやしろ、さい(阪急は「さいいん」)。

 烏丸-河原町間は、明治時代のメーンストリートでした。名建築が残っています。
 日本銀行京都支店は、京都文化博物館になっています。

 三条大橋の西畔には「弥二さん喜多さん」の像が立っています。お江戸から上ってきた東海道五十三次のゴールでした。
 わたしもここまでとしました。

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京都を歩く 油小路を北から南へ 鍾馗さんに会う

 京都の町を南北に貫く一番長い通り、油小路(あぶらのこうじ)を北の端から京都駅まで歩きました。
 平安京にの昔からある道ですが、ネーミングの由来はわかりません。たまたまですが油屋がありました。鍾馗(しょうき)さんも並んでいます。

 この通りの町家では、あちこちで鍾馗さんと出会えます。

 鍾馗は中国の民間伝承に伝わる道教系の神です。日本では魔よけの効験があるとされ、この辺りでは屋根の上に載せています。

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京都を歩く サークル・ウォークの西半円

 「京都を歩く」はシリーズを重ね、テーマを見つけるのが大変です。そんな折、山友が「京都サークル・ウォーク」をしていました。碁盤の町を丸く歩いて、地図上の軌跡がサークルになったというユニークは発想でした。
 地図にコンパスで円を描きました。二条城を中心とした円周には、京都駅、円山公園、平安神宮、下鴨神社、大徳寺、金閣寺と並びました。
 わたしもマネして歩きました。とはいえ1周25キロほどの西半円です。西端の蚕ノ社(かいこのやしろ)には、全国にここだけという3本柱の鳥居がとがってました。

 地図を何枚にも分けてプリントアウトして、円周に沿った道をマークしました。この地図を片手に歩きました。

 スタートは京都駅です。「京都・梅小路 トリビアさんぽ」というモニュメントがありました。

 鉄道と京都水族館にまつわる造形が次々に設置されています。

 朝から何の行列かと思ったら、レンタルサイクル店でした。

トロッコ列車や新幹線とモニュメントは続きます。

 きれいに整備された梅小路公園に入ります。

 白梅、紅梅と梅が満開です。

 梅の向こうをJR京都線の電車が走り抜けます。

 走る人、散歩する人とすれ違います。

 最後のモニュメントは、梅小路機関車庫の転車台を模していました。

 京都鉄道博物館にはSLのC62や0系新幹線などが並んでいます。

 使われなくなったデルタ線の高架が残っています。
 デルタ線とは三角形状に敷設された鉄道線路のことです。分岐の先で折り返すことで、長い列車が編成ごと向きを変えることができます。京都-丹波口-西大路間がデルタになっていました。

 かわり映えしない町を、右に左に曲がりながら歩きました。

 西大路七条まできて、2枚目の地図にバトンタッチしました。

 西小路花屋町の1本北にわたしの車のディーラーがありました。

 五条通の手前で阪急京都線の高架にぶつかりました。

 五条通の先は西京極競技場です。

 天神川通を北上します。

 三条通と交差する手前を嵐電が通過しました。

 嵐電天神川にクラシックな電車が到着します。

 蚕養神社(蚕ノ社)に参っていきます。

 本殿の左に三柱鳥居があります。

 JR嵯峨野線を花園近くで越えて歩きました。左手が双ヶ岡(ならびがおか)です。

 妙心寺の北門に出ました。

 嵐電北野線の龍安寺です。

 立命館大学の衣笠キャンパスにブチ当たりました。
 この辺りで、地図を手に走っているランナーとたくさん出会いました。トレランかなにかの大会でも開かれていたのでしょう。

 広いキャンパスの中で迷子になりそうでした。スマホのGPSマップで現在地を確認しました。

 金閣寺はきょうも外国人観光客らでにぎわっていました。

 市バスの金閣寺道でゴールとしました。

 赤線がこれまでの「京都を歩く」で踏破したルートです。紫はきょうの軌跡です。ほぼ半円になっていました。

京都を歩く 仁和寺の五大明王壁画を鑑賞

 御室の仁和寺は観光キャンペーン「京の冬の旅」にあわせて「裏堂 五大明王壁画」を特別公開しています。建立から377年を経た国宝を拝観できる2度目のチャンスです。
 金閣寺からきぬかけの路を歩き仁和寺へ。さらに広沢の池などを通って嵐山まで歩きました。
 冷たい風が吹き抜ける、冬に逆戻りしたような一日でした。

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京都を歩く 御土居を巡る 北大路~九条

 豊臣秀吉が京の都をぐるっと取り巻いて築いた御土居を巡るウォーキングの続編です。東側から南へと、現在の地名では北大路から賀茂川-鴨川とほぼ並行する河原町通を京都駅まで、さらに南辺の九条通まで歩きました。
 早くから市街化が進んだ地域ですので御土居が残るのは紫式部ゆかりの盧山寺だけでした。
 今出川を横切る出町には京七口の一つ、大原口を示す立派なの道標が立っていました。ここは若狭から続く「鯖街道」の終点でもありました。
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京都を歩く 御土居を巡る 西院~北大路

 天下統一を成し遂げた豊臣秀吉が、京の都の改造計画の一つとして築いたのが都を取り巻く「御土居(おどい)」でした。北は上賀茂から鷹峯、西は紙屋川、南は九条通、東は河原町通まで、総延長は22.5キロに及びます。それを秀吉は天正19(1591)年に2~4カ月で完成させました。
 その土塁の一部が残っていて、9ヵ所が国の史跡に指定されています。
 寒い京都を御土居に沿って巡りました。

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