東山三十六峰 その4 瓜生山など4座から詩仙堂

 京都の東山三十六峰を巡るウオーキングの4回目です。夏の間はお休みしてました。リハビリ山行には手ごろな山でした。
 第9峰の北白川山から京都一周トレイルの東山コースに沿って北上。第7峰の茶山、第8峰の瓜生(うりゅう)山、第6峰の一乗寺山と低山ばかりのピークハントでした。山名を書いたプレートは見つかりましたが、残念ながら三十六峰の一つであることは記されていませんでした。
 狸谷山不動院を抜けて下山しました。途中の詩仙堂が懐かしくて、参拝しました。石川丈山が造営した書院から、なお暑い日を浴びる庭園を、独り静かに眺めました。 

 北白川山から眺める第11峰の如意が岳です。京都五山の送り火の大文字がよく見えました。

 瓜生山には、戦国時代の山城、将軍山城(北白川城)の本丸があったそうです。

 狸谷山不動院には、清水の舞台を小さくしたような懸崖造りの本堂があります。

 詩仙堂といえば、有名な「鹿威し(ししおどし)」です。「コン!」と大きな音が響いていました。

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東山三十六峰 その3 南禅寺山など4峰を巡る

 梅雨入り前の最後の好天でした。東山三十六峰を巡る3回目は、蹴上から南禅寺の裏山とでもいうべき4峰を歩きました。それぞれに山名を表示したプレートがあり、4戦全勝の好成績でした。
 第16峰の若王子山(にゃくおうじやま、183㍍)のすぐ前には学校法人同志社の共同墓地があり、創始者の新島襄、妻の八重らが眠っています。

 若王子山から雑木の間を100㍍あまり行くと、第17峰南禅寺山(197㍍)でした。
 京都市左京区南禅寺福地町というのが所在地です。
 わたしは右京区の産院で生まれましたが、両親は当時、南禅寺の塔頭の一間を借りて住んでいました。わたしの最初の住民登録地は左京区南禅寺福地町だったはずです。赤ん坊のときに見上げていた町内の山というわけです。

 暑い1日でした。冷麺が食いたいなと歩きました。
 山を下りた天王町から丸太町を河原町まで歩いて、「冷たいまぜ麺、あります」という店と巡り合いました。
 冷たいビールとともに、ああうまかった!

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京都・今宮 「中華のサカイ本店」と新大宮商店街界隈

 京都でちょっと遅い昼飯となりました。ランチ営業が終わってなくて、駐車場があってー。そんな条件でヒットした「中華のサカイ本店」です。いや「冷麺のサカイ」かと思っていたほど、シーズンを通して冷麺で人気の店です。
 町の中華らしいメニューが並びます。わたしは「麻婆丼 スープ付」です。ちょっとピリ辛で、醤油味が強い麻婆豆腐がかかっています。
 奥さまは、看板の「冷めん(ハム入り)」です。太めですがくったりとした麺が、辛子のきいた甘酸っぱいタレをまとっています。ちょっといただきましたが、これだけを食べにくる値打ちがある麺です。

 ランチタイムは過ぎていたので、ガラガラでした。

 京都 中華のサカイ本店
 京都市北区紫野上門前町92
 075-492-5004

 昭和14年創業という店です。上賀茂尾神社に近い「みその橋 サカイ」は、こちらから独立したようです。
 新大宮通りに沿って連なる新大宮商店街は、昔はもっともっとにぎわっていました。歩道が拡張されてきれいになってますが、人影はまばらでした。ちょっと歩いてみました。

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東山三十六峰 その2 清水山から清閑寺山・・・とプレートはなし

 京の都の東山三十六峰を巡るウオーキングの2回目は、前回に続いて清水山から清閑寺山へと6峰をたどりました。ところが、プレート・ハンティングの結果は、無残にも6戦6敗に終わりました。
 ここだけは確実にあるだろうと思っていた30峰の清閑寺山です。よく目立つ石塔が目印です。ところがありませんでした。
 京都一周トレイルのルート上ですので、過去に何度も登っています。左は2015年7月、右は18年1月です。その後の台風か何かで、プレートが縛り付けられていた枝そのものがなくなったようです。

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東山三十六峰 その1 粟田山から高台寺山、円山・・・

 東山三十六峯草木も冥る丑満刻、突如轟き渡る剣戟の響き…
 ホンモノの活弁は聞いたことはありませんが、そのセリフはなぜか耳に残る世代です。東には東山が連なる(西だと、井上章一の「京都ぎらい」です)京都で育ちました。
 その三十六峰はほぼ確定されていて、当然のことながらそれぞれにピークがあり、名前があることに、最近になって気づきました。ならば登るのには手ごろと、とりあえずはいわゆる東山の北の端の三条通から円山公園あたりまでを歩きました。
 26峰高台寺山、20峰粟田山。頂上にはそんな名札もぶら下がっていました。きょうは6座を「踏破」しましたが、プレートハントは2勝4敗でした。のんびりと三十六峰を巡ります。

 25峰東大谷山への登頂ルートを探して大谷祖廟の最上部まで上がってきました。振り返ると、林立する無数の墓の向こうに、京都市街が霞んでました。

 昼飯は、四条河原町まで戻り、久しぶりに餃子の「珉珉」で鉄板の「パオロー・イーガー、コーテル・リャンガー(爆羊肉1人前・餃子2人前)」をいただきました。

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京城勝覧を巡る 第十五日 江州東坂本にゆく道

 江戸時代の儒学者、貝原益軒が記した京ガイドツアー本「京城勝覧」に沿ったウォーキングは、びわ湖への道の2回が残っています。
 桜も咲いたことだしと、第十五日を歩きました。
 益軒は白川から山中を越えて坂本を目指します。帰途に小関越から山科に戻りますが、わたしは逆に山科からスタートしました。
 びわ湖疏水の桜は、まだ咲き始めでした。
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京城勝覧を巡る 第十七日 上賀茂神社から正伝寺へ

 江戸時代の儒学者、貝原益軒が記した京ガイドツアー本「京城勝覧」を巡っています。昨秋は第十四日の大原まで訪ねました。この後、びわ湖畔の坂本、瀬田方面と続きます。そちらは桜の咲くころにとっておいて最終第十七日の『たゞすより上賀茂千本までの道を記す』(『 』は京城勝覧の引用です)をマイカーで走りました。
 『上賀茂の西の山下にあり。正傳寺』とある正伝寺の「獅子の児渡し」と名付けられた枯山水庭園です。比叡山を借景にしています。前日の雪が薄っすらと残っていました。
 「デビッド・ボウイが涙した静寂」をそのままに体感してきました。

 『たゞす』とは、下鴨神社の糺の森(ただすのもり)のことです。下鴨で育った身としては、さすが下鴨神社はいまさらという気にもなって省略させてもらい、上賀茂神社がスタートです。
 父母が健在だったころは毎年元日、ここに一家そろって初詣にやって来ました。当時は通行を許されていた重要文化財の玉橋の上で記念撮影したことが思いだされました。

 松の内は、関西では小正月の1月15日までです。「ことしもよろしく~」とお参りしました。

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京城勝覧を巡る 第十四日 「声明」を訪ねて勝林院、来迎院と音無の滝

 「京城勝覧を巡る」は、1ヵ月も空けてしまいました。第十四日は『小原(大原)にゆく道をしるす 京より四里あり』です。
 『音なしの瀧をつたひてゆるくながるるゆへに音なし」(「京城勝覧」より)と同じ風景です。流れ落ちる水の音は、雑念がいっぱいなのかわたしには聞こえます。
 「聲明(声明=しょうみょう)」とは、仏教の儀式において経文を朗唱する声楽の総称だそうです。来迎院を建立し良忍上人が、この滝に向かって修行していると、声明の音と滝の音が重なって音が聞こえなくなったそうです。だから音無の滝です。

 大原は時雨れていました。枯れ紅葉にたまった雨滴が、差し込んだ太陽にきらりと光りました。

 上高野の『御蔭神社』は、下鴨神社の摂社です。こんな山中に、これほどに立派な社がありました。

 【2021/12/13 11:20】
 10時ごろに車でわが家を出ました。終日500円の駐車場に駐車して、三千院などがある「大原女の道」を上ります。

 三千院のかわいい朱塗りの朱雀門を横目にします。

 来迎院も通り過ぎます。

 「大原の里10名山」の大尾山への登山口です。仰木峠から北に続く尾根にあります。改めて登りたくなりました。

 音無の滝です。ここまでやって来たのは初めてです。

 滝から流れる川面は、落ち葉で覆われています。

 三千院の前までやって来ました。紅葉のシーズンも終わって静かです。

 突き当りが勝林院です。

 勝林院は長和2(1013年)、寂源によって法儀声明念仏三昧の根本道場として建立されました。

 『証拠の阿弥陀』です。
 大原問答は、法然上人が勝林院で行った浄土の宗義について交わした論議のことです。法然上人が念仏によって極楽へ往生できること示したとき、本尊の阿弥陀仏がまばゆい光を放ったという言い伝え残っています。

 わたし独りの静かな阿弥陀堂です。

 平安中期の作で重要文化財の梵鐘は、大晦日除夜に響きます。

 勝林院
 京都市左京区大原勝林院町187

 勝林院を出たところに、後鳥羽天皇、順徳天皇の御陵がありました。

 後鳥羽天皇(上皇)をしのぶ法華堂は、わたしが住む水無瀬にある上皇の水無瀬離宮の建物が移築されたそうです。

 鉈捨藪は、熊谷直実が大原問答で法然が敗れたときには、その法敵を討ち果たそうと袖に鉈を隠し持っていましたが、法然に諭されて投げ捨てたと伝えられるところです。

 『梶井宮 宮御門跡なり』という三千院は、きょうは素通りしました。

 マップの右上の「響き道」を歩きました。寂光院にも行きたかったのですが、小雨が降ってきたので遠慮しました。

 八瀬まで戻ってきて高野川を渡り、『御蔭神社』を訪ねました。
 ケーブルの乗り場や、紅葉で有名な瑠璃光院の前を抜けたところにあるパーキングに車を止めました。

 これであっているんだろうかという山道です。

 向こうから来る道との合流点に、場違いのように立派な鳥居がありました。

 石段の参道が続きます。

 鎮座地は、鴨大神が降臨された場所と伝えられる御生山にあります。東山三十六峰第二の山です。 

 ご祭神は、本宮の賀茂御祖神社(下鴨神社)と同じ玉依媛命、 賀茂建角身命の2柱です。
 下鴨で長く過ごしましたが、こんな摂社があることは知りませんでした。

 御蔭神社
 京都市左京区上高野東山207

 向こう側に歩くと、すぐに叡山電車の横でした。

京城勝覧を巡る 第十三日 「らーめん切符」で鞍馬へ

 貝原益軒が記す江戸時代の京都ツアーガイドブック「京城勝覧」を巡る第十三日です。「鞍馬山にゆく道をしるす 京より三里あり」です。
 鞍馬や貴船は、いく度となく訪れたスポットです。鞍馬街道を都まで歩いたこともあります。でも、おもしろいものを見つけました。鞍馬まで走る叡山電車(叡電)の「えいでん麺 京都一乗寺らーめん切符」です。1700円で叡電が1日乗り放題のうえ、一乗寺ラーメン街道の7店のうちで好きなラーメンを食べることができます。
 展望電車「きらら」で鞍馬までやってきました。きららは、第十一日に比叡山に登った雲母坂からとられています。デオ900系には「メープルグリーン」と「メープルオレンジ」の2編成が走っています。

 二ノ瀬-市原間にある「もみじのトンネル」です。紅葉のシーズンには、電車がゆっくりと走ってくれます。
 真っ赤とはいえませんが、ずい分と色づいています。


 
 昼飯は、ラーメン激戦区の一乗寺で、もはや古参となった「中華そば 高安」でいただきました。

 観光列車「ひえい」で、比叡山の登山口・八瀬にも回りました。
 2路線計14.4キロの叡電ですが、全線踏破しました。
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京城勝覧を巡る 第九日 紅葉には早い三尾を訪ねる

 貝原益軒の記す「京城勝覧」の後回しにしていた第九日です。『高雄槇尾栂の尾に行道』です。高雄は高尾とも書いて、他の2つの尾と合わせて三尾(さんび)とも呼ばれます。いずれも紅葉の名所です。
 ちょっと早いのはわかっていました。でも秋の観光客で込まないうちにと、車で出かけました。
 昼飯は、静かな清滝川の川辺で、途中でテイクアウトしていた京都・穂久彩の「太秦のり弁当」をいただきました。

 京城勝覧の1ページです。

 「♬ 京都栂ノ尾高山寺 恋に疲れた~」は、「京都大原三千院」に続くデューク・エイセスの「女ひとり」のセカンドコーラスです。有名なお寺ですが、わたしは参ったことがありませんでした。
 紅葉はまだ先ですが、きれいにグラデュエーションを描いている枝もありました。

 高雄神護寺は、長い石段を登った山の中腹にあります。
 平安時代に、文覚上人が再興した寺です。「盛遠と袈裟」の戀塚寺で書いた北面武士・遠藤盛遠その後の姿です。

 神護寺では時代劇映画のロケが行われていました。300人はいるかという町人姿らのエキストラが群がり、金堂への正面階段から下の毘沙門堂にかけては市のセットが設えられていて近づけませんでした。

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