西国街道を京に上ります。2回目は西宮・香櫨園から池田・石橋まで約20キロを歩きました。
午前中の用件が思いのほか早く済んだので、急いで身支度して出かけました。もう春の気温です。Tシャツの上に薄い登山シャツ1枚を着ただけですが、汗をかくほどでした。念のためザックに入れておいたダウンジャケットは出番がありませんでした。
西国街道は、西宮市の中心部では何の表示もありませんでしたが、国道171号を横切って門戸厄神に近づいたあたりからそれらしい街道筋の名残となり、いたるところに「西国」の表示がありました。
【11:41】
JRを乗り継いでさくら夙川駅を降りたときは、すでに昼前でした。
夙川沿いの気持ちの良い「夙川オアシスロード」を阪神・香櫨園駅に向かいます。
桜のつぼみはまだ堅いです。
【11:59】
前回のゴールだった阪神・香櫨園駅で左折すると、すぐにところに西宮神社があります。全国のえびす神社の総本社です。初めて参りましたが、広い境内に立派に社殿でした。
西宮神社を出ると、東に向いて延びる道に「旧国道」の表示があります。これが西国街道なんでしょう。
西宮市のマンホールには、当然ながら甲子園球場がデザインされています。あとは、酒樽、酒蔵でしょう。
【12:12】
東川を渡ったところに、「大岩大神」などが集まっていました。周辺の土地整備をしたときに、まとめたのでしょう。
この辺りは旧街道の面影はなく、わたしもちょっと道に迷いました。
東川を北上して、JRの下をくぐりさらに進みました。きれいに整備された「東川親水南公園」です。
【12:42】
阪神大震災後に復興されたであろうきれいな住宅街を進み、国道171号を横切りました。
ここからは、国道171号につかず、離れず京都まで進むことになります。
西宮中央運動公園をすぎて右折する道の角で、この日初めて「西国」の文字を発見しました。
向こうの山の上に神戸女学院の校舎が見えます。
【12:57】
「厄神道標」が建ってます。厄神は、門戸厄神です。
ここは昔、西国街道と有馬街道の分岐点でした。東向きには「京都」の文字も読めます。
阪急・門戸厄神駅横の踏切を横切ります。
このあたりには、西国街道を説明する表示板がたくさんかかっています。
【13:31】
武庫川にかかる甲武橋を渡ります。ここら先は尼崎市です。
ここに来るまでに、西国街道をちょっと手前から北上して、いったん報徳学園があるあたりまで延びてました。そこへ達する道がわからず、ショートカットしてしまいました。
【13:42~14:23】
国道171号わきの「U-K Wildcats Cafe」でゆっくりと昼飯を食べました。
この日の休憩は、ここ1回だけでした。
【14:37】
やがて伊丹市に入りました。
国道わきに「師直塚」がありました。
足利家の武将、高師直(こうの・もろなお)は、この地で討死したそうです。
右が西国街道。左は国道171号です。
「閼伽井の井戸」を通ります。
「閼伽井」と書いて、「あかい」と読みます。すごいことにパソコン(IME)はそれを変換してくれます。梵語の「水」の意味だそうです。
【15:05】
「長勢橋(ちょうせいばし)」まで来ました。蛤御門の変で敗れた長州勢がここに踏みとどまって戦った地だそうです。
途中でちょっと道を間違え、南側にそれてしまいました。概念図だけを頼りに歩いていると、新興住宅地ではすぐに街道を見失います。iPhoneで現在位置を確認して修正しました。
伊丹市立稲野小学校の前には、西国街道の説明が。
この地あたりの昆陽(こや)に西国街道の宿があったそうです。
「西国街道」という文字が何度も目に飛び込んできます。
「伝和泉式部の墓」の横の坂は「伊丹坂」と名づけられています。
【15:39】
多田街道と交差します。
旧伊丹郷町の北ノ口を起点に、現在の川西市久代(くしろ)などを経由して、多田神社へと続く参詣路だそうです。きれいに整備されています。
【15:53】
猪名川に突き当り、「軍行橋」を渡ります。
軍行橋は、明治44年(1911)に猪名川をはさんで陸軍大演習が開かれた際、演習用に架けられた橋だそうです。
伊丹空港から飛び立つ小型飛行機です。
昨夏、屋久島へ旅した時に乗ったボンバルディアでしょうか。
池田市内に入って、住宅地を進みます。
阪急・宝塚線の踏切に出ました。
【16:33】
石橋阪大下交差点を、今回のゴールとしました。
【16:37】
阪急・石橋駅から十三で乗り継いで帰宅しました。
タブレット端末・NEXUS7のアプリ、My Tracksがトレースした記録です。
表示の平均速度は3.97キロとなってます。これには休憩時間が含まれています。
19.66キロを、休憩を差し引くと4:15で歩いてます。実際の平均時速は4.66キロとなります。
最大速度の10キロ超は、何を計測したのか不明です。