京都五山の送り火の最後に灯されるのが、嵯峨鳥居本(とりいもと)の「鳥居形松明」です。京都で育ったわたしですが、この鳥居形だけは、テレビ中継は別にして実際に燃えているのを見た記憶がありません。
曼荼羅山は標高153mの低い山です。その山肌に「⛩」を描いているのですから、遠くからはよく見えないのも納得です。
霞がかかったような視界が開けない日和でした。それでも正面の大文字山(大は確認できません)から比叡山にまで続くなだらかなスカイラインが一望できます。目の下には広沢池、大沢池も見えていました。
白洲正子が愛した石仏です。
大覚寺に向けて下りました。大沢池の畔に、古いのは平安時代という石仏群が並んでいます。白洲はその著、「私の古寺巡礼」(講談社)で、「池のふちにそって、左の方へ廻っていくと、おなじみの石仏群が並んでいる。これらの仏達は、いつ頃誰のために造られたか、何もわかっていない。」と記しています。
「京都人の密かな愉しみ BLUE」(NHK-BS)のテーマソング、「北山杉」では、「あの頃二人は 大覚の白い石仏 触れたり見たり」と歌われています。
紅梅が、白梅が満開です。
大沢池を一周しました。愛宕山が頭をのぞかせていました。
【2021/03/10 10:23】
阪急嵐山から清滝行の京都バスに乗って、化野念仏寺のある鳥居本の一つ手前のバス停、護法堂弁天前までやって来ました。バスが走り去った道を渡ったところが弁財天への参道です。
弁財天のかわいい祠を通り過ぎたところから鳥居形への山道が始まります。
ちょっと急な谷道を登り始めると、すぐに左へ進める脇道らしき踏み跡があります。
すぐに稜線のようです。足場が安定しない枯れ葉の上を慎重に登ります。
上り始めてなんと5分ほどで、鳥居形の鳥居の右の柱の基部に出てしまいました。あまりにあっけなくも火床に到着です。
入山禁止の類の掲示がないことを幸いに、そのまま登りました。
高さ1メートルほどのポールの上に、直径70センチほどの受け皿がついています。
鳥居形では、あらかじめ火を着けた松明を火床に運び、この受け皿の上に立てて点火するのです。
「⛩」の下の横線です。向こうには、ポンポン山が見えているのでしょう。どのピークかは確認できませんでした。
送り火の燃えかすが残っています。焚かれなかった松明も、縄に巻かれて転がっています。
【10:56】
あまりにあっけなかったので、そのまま大覚寺に向けて尾根を東に進みました。
ここから下ります。
踏み跡はしっかりとしていますが、結構な勾配です。
【11:15】
竹林を抜けました。山道はここまでです。
のんびりと北嵯峨の田舎道を歩きます。
土筆が芽を伸ばしています。
春の七草のホトケノザ(仏の座)でしょうか。
タンポポの黄色い花も開いています。
ツルニチニチソウも咲いています。
大沢池の北西側にやってきました。目の前ですが、ここからは入ることができません。大覚寺をぐるっと大回りを余儀なくされました。
【11:52】
大覚寺の大沢門から、拝観料300円を支払って入園しました。大沢池は周囲約1キロの日本最古の人工の林泉庭園です。
如来や菩薩の石仏群は20基ほどが並びます。
古いものでは平安後期の作と伝えられているそうです。
朱塗りの心経宝塔とのコントラストが美しい白梅です。
訪れる人は少ないですが、満開です。
ユキヤナギの洪水のような白い花です。
昼飯を食べて天龍寺の前のメーンストリートに戻ってきました。野々宮に向かう小径は、若い観光客で「蜜」でした。
【13:28】
渡月橋から鳥居形を振り返りました。
阪急嵐山からまっすぐに帰宅しました。
これで京都五山の火床巡りは終了です。次のテーマを見つけなくてはいけません。