京城勝覧を巡る 拾遺 『摂津国島上郡 名所古跡』

 貝原益軒の記した京都ガイド「京城勝覧」を活字化した「新修京都叢書 第十二」(野間光辰編、臨川書店)を読みました。17日に及ぶツアーガイドの「拾遺」として、氷室、大悲山、岩屋山、田原、松が崎が取り上げられています。
 末尾に『摂津国島上郡 名所古跡 山崎の南にあり今日より二日は往来す』(京城勝覧にでてくる地名などは『 』でくくります)とあります。わが町・島本と高槻がその舞台で、オリジナルでは5ページにわたって詳しく案内されています。
 『水無瀬川』を渡ります。向こうに見えるのが『水無瀬山』のはずですが、特定はできません。
 まだまだ暑さが残る1日でしたが、コピーした「京城勝覧」を手に名所古跡を巡りました。

 コースの登場人物の多くが小倉百人一首でおなじみです。

 西国街道の山城・摂津国の境から高槻まで歩きました。

 【2021/09/29 10:00】
 JR山崎からスタートしました。

 『離宮八幡宮』は、製油発祥の地とされています。

 「従是東山城国」の石碑と、『関の明神』の間に小さな川が流れています。ここが国境です。

 JR山崎のホームにも、府境を示す表示があります。

 これまで何度も歩いている西国街道です。芭蕉の句碑が、民家の玄関わきに立っていることに気づきました。

 『関戸町』という町名は残っていませんが、関戸町地蔵尊がありました。

 『後鳥羽院の御影堂』は、水無瀬神宮になっています。
 今年は後鳥羽院ご崩御800年の節目の年です。10月2日には「蹴鞠の長者 後鳥羽院をたづねて」というイベントが行われます。
 わたしも参加したいですが、この時間帯はスペイン・バルセロナのサグラダファミリアのzoomツアーを予定しています。主任彫刻家の外尾悦郎さんが、自ら案内してくださいます。

 けまり練習会もあるようで、境内にはいろんなゴールが用意されています。
 承久の乱によって佐渡に配流された順徳院も合祀されています。10月14日は順徳院忌です。

 『楠正成』『正行』の親子像は、桜井の駅のあったJR島本駅前にあります。

 【10:46】 
 『桜井より少し南の方の道の西』を目指して、JR島本のコンコースを抜けて西側に出ました。

 駅西側は大規模開発中です。これまでは、ホームに畑からの涼しい風が吹き込んでくるのどかな駅でした。

 『待宵小侍従の墓』は、名神高速のすぐ下にあります。向こうの水塔です。
 平安時代後期から鎌倉時代にかけての女流歌人です。
 待つ宵のふけゆく鐘のこゑきけば あかぬ別れの鳥は物かは(平家物語)という歌から「待宵」となったそうです。
 後に登場する能因法師、伊勢とともに東摂の3歌人と呼ばれます。

 『梶原』には西国街道の一里塚跡があります。

 『其少さきより右にはいれば』という谷はここでしょうか。確かにここをたどれば『金竜寺』に行くことができます。

 ひと休みしました。引っ付き草に見事に引っ付かれていました。

 『安満村』はこの辺りだったのでしょう。

 太閤道の西の端です。この向こうの山中に、『金竜寺』跡が残っています。

 『能因法師が古墳』は『古曽部(村)』にあります。

 平安時代の三十六歌仙の能因法師が不老不死を願って愛したという「不老水」が湧き出ています。

 能因法師が、死期を悟り吟稿(和歌の原稿)を埋めたとされる「文塚」も残っています。

 日吉神社に上がります。

 境内からは生駒の山並みが臨めました。
 わが宿の梢の夏になるときは生駒の山ぞ見えずなりぬる(能因法師)

 『伊勢寺』は曹洞宗の寺です。知人宅に近く、前の道はよく通りますが、この寺のことは知りませんでした。

 『歌人伊勢』も三十六歌仙のひとりです。
 難波潟 みじかき芦の ふしのまも あはでこの世を 過ぐしてよとや
 百人一首と同じ句碑がありました。

 『天神の社』に向けて、この日初めての非舗装路を行きます。

 地図アプリ、YAMAPのルートは通行止めです。

 【13:03】
 この後、ルートを求めてうろうろ。
 正面の階段を登ればいいのですが、登頂は断念しました。

 JR高槻のコンコースにあるショップで「鶏の照り焼き弁当」を買って帰宅。シャワーを浴びてからいただきました。