京の三十三食 十二番 蛸薬師 亀山学の亀ランチ・海鮮丼

 きょうは魚が食べたいなとネットをうろついていて見つけた店です。四条烏丸から歩いてすぐの居酒屋、亀山学の「海鮮丼」(1100-100円)です。
 ドーンと登場しました。ハマチやブリ、サーモンの切り身の分厚いこと。シラスや山かけまで載って、2膳分くらいあるご飯が見えません。
 マグロがいないところが京都です。

 わさび醤油をかけ回していただきました。ジュワーッと魚のうま味が口いっぱいに広がります。

 エビもドーン。持ち上げると、こんな大きさです。尻尾からかぶりつきました。

 肉団子なんかの小皿に漬物までついています。写ってませんが吸い物も。

 「鯛のあら煮がありますよ」ということで頼みました。立派なかぶと煮です。飯と汁をつければ、それで定食となりそうです。これで驚きの100円です。頼まない手はありません。

 食後にはセルフのドリンクまでついてます。コーヒーやティーは当然として、驚きはビールに日本酒までありです。かわいいグラスとはいえ、わたしも飲んでみたかった。

 夜は一見さんお断りです。
 亀ランチは週替わりメニューです、火曜は海鮮丼でした。1100円ですが、きれいに完食すると100円引きです。こんな店、初めてです。
 ご飯は大、中、小、小小に特盛。中でもたっぷりでした。

 ウナギの寝床の店内です。向こうには坪庭もあります。
 選挙の投票所のように区切られたスペースでいただきます。完全に黙食が要求されます。というわけで、ムードとは無縁です。

 まるで民家の表札がかかるだけです。メニューがぶら下がっていなければ、居酒屋とはわかりません。

 暑いのに、店の外まで行列ができていました。大きなスーツケースを引っ張った一人旅らしい女性もいました。

 亀山学
 075-211-6882
 京都市中京区蛸薬師室町西入る姥柳町192

京の三十三食 十一番 松原 力餅食堂北垣商店の衣笠丼

 力餅なら衣笠丼(きぬがさどん)があるかなーそんな気持ちで松原橋を渡りました。川端通の角にある「力餅食堂北垣商店」です。
 これが「衣笠丼」(850円)です。京発祥の丼です。甘く炊いた揚げに九条ねぎをふわりとした玉子が覆っています。金閣寺近くの衣笠山が雪をかぶった姿に似ているところから、そう呼ばれるようになりました。
 山椒をふっていただきます。箸からこぼれそうに柔らかいです。

 きつね丼に玉子丼、天丼、木葉丼・・・とメニューは並びます。ところが衣笠丼が見当たりません。「衣笠丼はないのですか」と尋ねると、おばちゃんは「できますよ」。裏メニューの注文となりました。

 京都五花街の一つ、宮川町の入り口にあります。きれいどころの団扇が並んでいます。舞妓さんも、ここの丼を食べるのでしょうか。

 力餅の商標が額に収まっています。
 力餅食堂は、兵庫・豊岡で明治22(1889)年に創業した餅屋から始まった大衆食堂です。独特ののれん分け制度によって京都を中心に店舗網を広げ、昭和の終わりごろには180店まで増えました。その後は商圏の変化や高齢化により、現在は半数ほどになっているいるそうです。

 力餅食堂北垣商店 
 075-561-1077
 京都市東山区宮川筋5丁目345

 1軒おいて隣は「グリル富久屋」でした。「洋食弁当」を何度か食べたことがあります。

 10年ほど前に産経新聞の夕刊に掲載された記事です。筆者は「どたぐつ」こと、わたしです。

 病院からの市バスを四条河原町の一つ先の河原町松原で降りて、鴨川にかかる松原橋を渡りました。
 松原通は昔は五条通でした。義経と弁慶が出会ったのも、実はここだったという説もあります。

 さすがにこの時間には、カップルが腰かける「等間隔の法則」も証明されません。

 宮川町は、まだシーンと静まり返っています。

京の三十三食 十番 聖護院 かく谷老舗の「都萌そば」 

 放射線治療を受けている京都府立医大病院の通用口から鴨川畔に抜け、荒神橋を渡って京大病院近くまで15分ほど歩きました。転院したわけではありません。
 にしんそばが大名物の「かく谷老舗」がお目当てでした。天ぷら、やまかけ、にしんの3種そば「都萌そば」(1170円)です。「熱いですよ」と、おばちゃんに念を押されましたが、「はい、結構です」。
 汗をぬぐいながらすすります。色白でつるりとした、のど越し良いそばです。

 最初は天ぷらそばです。最初から山椒がかけられています。そのままいただきます。うまい。
 結構な大きさのエビが現れました。

 2杯目はやまかけです。

 トロリさが増して、ソフトになりました。出汁に沈んだ山芋を、吸い揚げました。

 トリはにしんです。満を持して七味も登場です。

 にしんの棒煮です。甘さは控えめで、しっかりとした身です。

 にしんの脂が出汁に溶け出して、濃厚でパンチのある味になりました。

 三者三様、どれもおいしかったです。
 出発は同じ出汁だったはずですが、ゴールではこれだけ色が違っていました。

 「都萌そば」といいます。なんて読めばいいのでしょうか。
 わたしが「3種の」と頼むと、おばちゃんは「ともえ、ひとつ」と通していました。三つ巴の巴か。3種のそばが競っているのだとそのときは納得していました。
 改めてショーウインドーを眺めて、もう一度納得しました。都萌(ともえ)そばでした。

 名物のにしんそばは、こんな姿です。
 この食べ歩きの一番で登場した「松葉」とあと一店が、京のにしんそば発祥の店と呼ばれるそうです。

 入ったところの1人掛けテーブルでいただきました。どんどんと客がやって来ましたが、ここはわたし1人でした。
 奥に深い店で、テーブル席にカウンターもあるようです。

 「わたしも行きたかった」と奥さま。「まだあるんやね。懐かしい。高校のとき、よく食べに行ったわ」
 奥さまは、近くの岡崎にあった高校に通ってました。

 明治維新のころに先々代が石川県から京都にでてきて、店を構えたのだそうです。間違いなく150年余の老舗(しにせ)です。

 京大病院の南の筋にあります。

 かく谷老舗
 075-771-2934
 京都市左京区聖護院山王町39
 

京の三十三食 九番 出町 出町ろろろの「お昼のろろろ弁当」

 大原の無農薬野菜をふんだんに使ったおばんざいが味わえる京料理処「出町ろろろ」です。
 昼ご飯は、ほとんどの客が「お昼のろろろ弁当」(1320円)です。ちまちまと、まさにちまちまと。手前の2段目に小皿が8皿、向こうの1段目にはご飯と2皿がお行儀よく並んでいます。
 ひと際の存在感あるご飯は、こちらを向けると、見事なおこげです。土鍋で炊いていて、お代わり自由です。

 夏のかきあげは、葉野菜が見事にパリパリに揚がっています。

 山椒が効いたみそ汁も、いい出汁です。

 ふっくらした、甘くないだし巻きは、あんをまとっています。

 2段目の圧巻8連チャンです。それぞれは、下のメニューの番号と照合してください。

 それぞれは、2口か3口で食べられるミニサイズです。でもこれだけ並ぶと見事です。
 「迷い箸はいけませんよ」と注意されそうですが、どれから食べようかと迷ってしまいます。

 箸置きまでしゃれてます。

 午前11時半の開店と同時に入りました。9人が入店して、席数を減らしているのでこれで満席。後からどんどんやって来た客は、みんな断られていました。
 予約不可欠な人気店です。わたしもかつて、入店できなかったことから、朝に電話を入れてました。

 窓の外はやがて、土砂降りになりました。

 病院から歩いて10分ほどの、出町の桝形商店街からちょっと入ったところにあります。

 出町ろろろ
 075-213-2772
 京都市上京区今出川通寺町東入一真町67-1

 アーケードがある桝形商店街で、雨が小降りになるのを待ちました。
 なつかし風情のとうふ屋です。

 原色キラキラの果物店は、ご主人のエプロンまで真っ赤っかです。

 古本屋で絵本を眺めました。1月にやってきたときは、ここで安野光雅さんの「旅の絵本」を買いました。

 きょうも元気な商店街です。

  「出町ふたば」の前は、いつになく行列が短めでした。これ幸いとくずもちを買って帰りました。

 おやつにいただきました。甘さほどほどで、おいしかったです。

京の三十三食 八番 錦 冨美家のしっぽくうどん

 錦(市場)の冨美家といえいば、小さいころは甘党の店でした。たまに大丸まで買い物に来たときは、帰りにここであんみつか何かを食べさせてもらうのが楽しみでした。今も「冨美家なべ(鍋焼きうどん)」で人気の麺類の店として残っています。
 きょうは錦通堺町角の錦店が休みだったので、北に50㍍ほど歩いた本店でいただきました。「しっぽくうどん」(680円)と「かやくご飯セット」(230)です。
 しっぽくとは卓袱。 長崎が発祥の和風中華の卓袱料理のことですが、京都ではかやくうどんです。板麩、かまぼこ、湯葉、厚焼き玉子、椎茸、それに三つ葉が載っています。七味をたっぷりと振りかけていただきました。。

 薄暗い店でした。それは言い訳で、ピントがうどんから外れています。
 控えめであまり主張のない柔らかいうどんです。

 京都のうどんは出汁で食べます。昆布と鰹節のよくきいた、純粋で飾らない味です。
 熱いのに、最後まで吸ってしまいました。

 メニューを見て気になっていた「亀山」です。ショーウインドーを眺めて、そうだ、これだ。焼き餅にあんがのっているのでした。小さいころに食べたことがあります。

 うなぎの寝床のような店です。手前がカウンター、奥がテーブル席です。

 冨美家本店
 075-222-0006
 京都市中京区錦通堺町上ル菊屋町519

 向こうを横切るのが錦です。

 店を出ると、相変わらずの暑さです。バッグの保冷袋から秘密兵器を取り出しました。「ネッククーラー」です。娘が「パチモンだけれど」と、買ってくれました。
 冷媒が密閉されていて、あらかじめ冷蔵庫で冷やしておきます。首に巻き付けるとひんやり、ほっとひと息つけます。家についてもまだ冷たかったです。
 

 角のシャッターが閉まっているところが錦店です。昔から同じ場所です。

 シャッターに張られていた定休日の案内です。新型コロナ対策のようです。2店でローテーション営業してます。従業員はワンセットで足りるということですね。もちろん休日要員は必要でしょうが。

 シャッターを閉めている店もあって、にぎわいはほどほどの錦市場です。
 冨美家の対角が、年末に白味噌を買いに来るのが恒例の「麩嘉」です。

 

京の三十三食 七番 室町 前田珈琲明倫店の名物ナポリタン

 きょうの京都は最高気温が37.7度と、とんでもない暑さでした。できるだけ歩かないですむところと、阪急烏丸から遠くない前田珈琲明倫店で昼飯としました。
 選んだのは「言わずとしれた前田の定番」とメニューにも書かれている「名物ナポリタン」(980円)です。
 鉄板に載っていないのがちょっと残念ですが、昭和の味の喫茶店のナポリタンです。トロリと濃厚な安心のケチャップ味です。
 具材は、ハムにタマネギ、マッシュルーム、ピーマンとまるで教科書通りです。スプーンもついてきましたが、フォークだけでいただきました。

 タバスコを振るかけると、さらにパワーアップします。

 口直しにはお決まりの「レーコー」、いや「アイスコーヒー」(+200円)です。

 旧明倫小学校の教室が、そのまま店になっています。

 壁にかかった額のロゴは、コースターにもプリントされています。
 中国の現代美術作家、徐冰(シュ・ビン)氏によってデザインされた、ありそうでない漢字です。MAEDAと書かれています。

 昭和46(1971)年の創業以来の味だそうです。
 わたしが大学生活を送っていた時代です。喫茶店で初めて食べたスパゲッティとは、こんなものだったのです。

 教室の一つがそのまま店になっています。

 店名はなく、教室表示だけです。ここには1年2組とか書かれていたのでしょう。

 前田珈琲明倫店
 075-221-2224
 京都市中京区室町通蛸薬師下ル山伏山町546-2 京都芸術センター内1F

 明倫校はこの夏、トマトやキュウリをたくさんいただいたYさんの母校です。「懐かしい!」と叫んでくれそうな風景は、さらに続きます。
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京の三十三食 六番 下鴨 音色食堂のランチ(C)

 きょうから8月です。平日はすべて放射線治療にスケジューリングされています。さあ、がんばって「京の三十三食」も食べ進みます。
 わたしが育った下鴨の「廃墟探検」がテーマです。下鴨神社の次の一本松で京都市バスを降りました。通りを東に入ると「音色(おんしょく)食堂」はありました。
 食べたのは「ランチ(C)」です。今どき、ありがたいワンコイン+10円です。
 コロッケとウインナーソーセージ、新鮮野菜とポテトのサラダがメーンです。

 揚げたてなのか、電子レンジで加熱したものかはわかりませんが、サクッとした衣にちょっと甘いコロッケです。昔の肉屋のコロッケを思いだします。

 コチラも甘めの味付けのふんわりとした卵焼きです。おふくろの味でしょうか。

 醤油、ソース、七味の3点セットは、バスケットに入って料理と一緒に運ばれてきます。

 昼のみのランチはA、B、Cの3種類です。一番豪勢なセレクトですが、価格差は40円です。

 一番人気は日替定食で、ワンコインで釣りがきます。
 わたしより先に来店していた3人は、みんなこれでした。3人はバラバラの男性客で、いずれもわたしと同年代でした。

 常連客には、これでもかとサービスは続きます。

 壁一面に紙が張られ、メニューが書き連ねられています。

 「経費節約」とはいえ、新聞社勤めだった身としては残念なことです。

 どなたかのブログで「廃墟」と表現されていたのはこのことです。
 テントははがれ、看板は数年前の台風で壊れてしまい、鉄骨だけです。店名がわかるものはありません。その前に食堂とわかるようなものもありません。何も書かれていないドアを開くには、探検気分の勇気がいります。
 もっとも、内部は予想に反してきれいです。心配は不要です。

 ショーウインドーには、どうしたことか年代物の受験参考書です。しかも東大に京大。下段には2022年版の共通テスト対策本もあり、どうやら現役です。

 店の横の路地(ろーじ)は、わたしの中学への通学路でした。
 おばちゃんに「いつからやってるの?」と聞くと、「わたしがここに(嫁入りして)来たときから60年は変わってません」という返答が返ってきました。
 昭和30年代の後半にも、同じように存在したのです。

 音色食堂
 075-781-2282
 京都市左京区下鴨膳部町1-23

 懐かしさに、路地を北に進みました。
 和菓子の「宝泉堂」がありました。JR新幹線の京都駅にも大きな店舗があります。社長は同級生です。

 この日の京都市の最高気温は37.4度でした。「下鴨探訪」は別の機会にしようと、洛北高校バス停から市バスで帰宅しました。

京の三十三食 五番 新町 矢尾定の塩さば定食 

 治療を終えて病院前から乗った京都市バスは3系統でした。四条河原町で右折します。そのまま四条烏丸まで乗りました。行ってみたい店がありました。
 「ごはん処 矢尾定」です。新町通にあり、昼はサラリーマンらもやって来る定食屋さんです。頼んだのは、サラリーマン昼食の王道ともいうべき「塩さば定食」(900円)です。
 わたしもかつてはよく食べたものです。覚えているのは本社が大阪・桜橋にあったときに、大阪駅前第一ビル地下の夜は飲み屋の昼店で、おばちゃんがカウンターの向こうで焼いてくれたさばの味です。懐かしいです。  

 おろし大根とともにひと口つまんで、びっくりしました。ものすごい脂がジュワーッと口いっぱいに広がりました。これまで食べた中でもピカイチのさばでした。

 小鉢は、冬瓜とゴボウなど野菜の煮物でした。予想外に濃い味付けでした。

 ゆったりとした店内です。壁には祇園祭の山鉾の粽が飾られています。

 店の奥には、祇園祭の後祭で巡行する大船鉾の大きな木製の車輪が展示されています。

 いろんな魚が定食になっています。塩さばは、一番安価な選択でした。
 店の一番人気は、きょうはイカリングフライがメーンの「日替定食」(850円)でした。

 矢尾定は、明治42年に創業した京料理の仕出し屋です。築80年の京町家を丁寧に改装してごはん処をオープンさせました。

 祇園祭の鉾町の一角です。先日までは、ここそこに山鉾が立っていて、にぎわっていたところです。

 ごはん処 矢尾定
 075-351-3518
 京都市下京区新町綾小路上ル四条町361

 放射線治療は、きょうで1クール(5回)が無事に終了しました。会社勤め同様に土、日曜日は休みです。ほっとしました。

京の三十三食 四番 出町柳 名曲喫茶柳月堂の九条ねぎ焼き

 放射線治療は昼前には終わります。さて「京の三十三食」となるわけですが、きょうは午後3時から主治医の診察が予定されていました。この暑い中、どうして時間をつぶそうかー。
 出町柳の「柳月堂」を思いだしました。わたしが高校生だったころに、初めてはいった音楽喫茶です。今も健在です。
 1階のベーカリーでパンを2個買い、トレーを持ったまま2階のリスニングルームに上がりました。アイスコーヒーを注文して、ゆっくりといただきました。 

 九条ネギがトッピングされた「九条ねぎ焼き」(190円)と、もう1つは「ハムクロワッサン」(160円)と、極めてリーズナブルです。店で焼いています。

 飲み物には、テーブルチャージが加算されます。合計で1700円になりますが、2時間半もの間、冷房のよく効いた部屋でクラッシック音楽に浸れたのですから大満足です。

 30人くらいがゆったりと座れるリスニングルームです。入ったときは、わたし1人でした。
 この部屋は会話禁止です。他にも禁止事項は多く、要するに静かに音楽に集中します。

 壁面にはLPレコードがぎっしりと並んでいます。

 大きくて目をひくマルチ・セルラーホーンを中心としたスピーカーシステムです。
 ベルリオーズの「幻想交響曲」が流れていました。第3楽章冒頭のイングリッシュホルンとオーボエの音色に驚かされました。LPにこんな音が録音されていたのかと。途中に、プツリというスクラッチノイズがなかったら、生のオーケストラを聴いているかのようです。そして「断頭台への行進」の大爆発に続きました。
 2004年のザルツブルク音楽祭で、ウイーン・フィルの演奏する「幻想」を聴いたときの感動を思いだすほどでした。

 ターンテーブルが2台にマッキントッシュのアンプが並んでいました。

 談笑OKの別室もあります。

 ト音記号の暖簾から2階に上がります。

 1階がベーカリーです。
 叡山電車出町柳の目の前です。

 名曲喫茶柳月堂
 075-781-5162
 京都市左京区田中下柳町5-1 2F

 出町柳は賀茂川と高野川が合流して鴨川となるあたりの地名です。「鯖街道」の終着点でもあります。
 その川を歩いて渡れる亀の飛び石は、いまやランドマーク的存在です。
 ワンちゃんが飼い主を引っ張って水に飛び込みました。わたしも渡って病院に戻りました。

 子どもたちも水の中で気持ちよさそうです。

 今出川橋から見下ろしました。いつの時代からか、この辺りを「鴨川デルタ」と呼ぶようになりました。わたしが子どものころは、亀石もそんな呼び名もありませんでした。

京の三十三食 三番 三条 篠田屋の中華そば

 中華そばが食べたくなりました。ラーメンではありません。丼ものや麺類一式を並べていた町の食堂の中華そばです。
 三条京阪の前にある篠田屋です。創業は1904(明治37)年という「百年食堂」ですが、昭和で時をストップさせたような店です。
 頼んだのは「中華そば(大)」(650円)です。並だとあたり前に中華風の丼です。それでは小さ過ぎるのか、大は和風の丼です。ちょっと風情には欠けるかな。雰囲気を楽しむような店ではないですがね。

 澄んだ醤油味の懐かしさを感じさせるスープです。
 麺には、さしてこだわりはないのでしょう。柔らかいです。
 小ぶりのチャーシューとメンマ、それにネギが浮かんでいるだけです。
 最初から、たっぷりと胡椒が振りかけられています。

 一杯1,000円オーバーも出現しているこだわりのラーメンと比べて、価格までもがシンプルです。

 メニューは多いです。でも、客の注文はほぼ中華そばか皿盛の二択です。
 皿盛とはこんなものです。

 女性が独り、入ろうかと迷っているようでした。ちょっと勇気がいりますかね。

 目の前が東海道五十三次の終点です。

 篠田屋
 075-752-0296
 京都市東山区三条通大橋東入大橋町111