レオンで休養日をつくった。
オテルのベッドで10時半まで寝て、モーニング。「レオンの休日」に書いた。この日も、天気はイマイチだ。
街に出てみて、うれしい光景と出会った。シトロエンC4。しかも赤、正確にはルージュ・バビロンが止まっていた。カッコいい。わたしのマイカーと色まで同じのは、ニッポンではもとより、C4が珍しくなかったスペインでも初めて見た。
レオンで休養日をつくった。
オテルのベッドで10時半まで寝て、モーニング。「レオンの休日」に書いた。この日も、天気はイマイチだ。
街に出てみて、うれしい光景と出会った。シトロエンC4。しかも赤、正確にはルージュ・バビロンが止まっていた。カッコいい。わたしのマイカーと色まで同じのは、ニッポンではもとより、C4が珍しくなかったスペインでも初めて見た。
緑色の十字の看板をあちこちで見ました。大都市では、日本のコンビニエンス・ストアのようにあたりまえに存在しています。ファーマシア。薬局です。スペインの人って、ずい分と薬が好きなんだと感心しました。
日本のドラッグストアとは違って対面販売です。白い上着を着た薬剤師が待機していて、客はあれこれと相談します。ここでもお話し好きのスペイン人の面目躍如で、やりとりは延々と続きます。慌て者のわたしは、先客にしびれを切らして一度は逃げ出しました。
ところが、そうも言っておれない事態に遭遇しました。レオンを前に、右足首がチクり、チクリと痛くなりました。レオンのオテルのベッドで、治療法をゆっくりとネット検索しました。そこで見つけたのが足首へのテーピングでした。YouTubeには、テープの使い方がていねいな画像で紹介されてました。
意を決してファーマシアに向かいました。
「Please give me a fix tape.」と痛い足首を指さしつつ、つたない英語で訴えました。応対してくれた薬剤師は、サポーターやらテープやらを5品ほど持ってきてくれました。そのなかからひと巻きのテープを取り上げて、「more wide type」と指を広げて頼むと、思い通りの太いテープを出してくれました。2ユーロほどでした。これが運動選手などがよく張っているテーピング用のテープかどうかはよくわかりませんでした。
次の朝。足首にテープを巻いてみました。これで関節が固定されたようです。びっくりするほどの効果があり、歩行がぐっと楽になりました。さらに数日で、痛みはウソのように消えてしまいました。
サリアを前にして、今度は反対側の左足が痛くなりました。右足には効いたテーピングも効果がありませんでした。持っていた湿布シートも最後の1枚となったので、ファーマシアに駆け込みました。「これと同じのちょうだい」と。薬剤師はシートを手に臭いをかいだり、同僚を呼んで「これ何だかわかるか?」とでも話し合っているようでした。結論は「ない」でした。スペインには湿布シートは存在しないという、わたしにとっては衝撃の事実が判明しました。
帰国後、まだ痛かったので整形外科医に見てもらいました。レントゲンでは異常は見つからず、何らかの菌が足首の関節辺りで炎症を引き起こしているのだろうということでした。「外傷はなくても、過度の疲労で足先の水虫菌が活性化して炎症を起こすことだってありますよ」。指示された抗生物質を数日間、飲み続けていると、やがて炎症は収まり、痛みもひいていきました。
抗生物質なら予備薬として持っていたのでした。消炎鎮痛剤のつもりで飲んでおれば、ちょっとは楽だったのかもしれません。でも素人にそんな知識はなく、宝の持ちぐされでした。
レオンの夜です。遂に雨が降ってきました。
気温は10度しかありません。冬じゃないですよね。ダウンを着てますが、寒いです。
ハモン(生ハム)のセットで、まずは一杯。
サラミ、チョリソー、チーズなんかが1切れずつ。
サラミがぶら下がってます。
人気店のようです。もう一度、前を通るといっぱいでした。
これは何なんでしょう。白ワインと。
店の前でお祭り、いや葬列? が始まりました。
〆はこちら。
お通しの枝豆がうれしいです。
どう見ても麺はうどんです。これがラーメンですか。今夜の失敗です。なんだかわからない味付けです。
頼んだのは、これのはずでした。ま、こんなこともあるでしょう。
レオンに2連泊します。明日はゆっくりと休養します。
レオンへの道は、前日に予定より7kmほど残したが、20数キロとたいしたことはなかった。右足首はやはり痛かったが、翌日は休養日とがんばった。
レオン大聖堂に着いた。だが、レグラ広場には寒風が吹いていた。これではステンドグラスの輝かないだろうと、見学は後にした。
夜のレオン。初めて傘をさす雨となった。
独りで歩いていた弘前大くんと初めて会ったのはどこだったのかは思い出せません。でも、すっかり顔なじみになっていました。青森県の弘前大学の学生さんで、生まれも育ちも弘前ということでした。
この日、レリエゴスから歩き始めたわたしは、1時間ほど歩いて次の村、マンシージャ・デ・ラス・ムラスを通り過ぎました。開いているバルが見つからなかったのです。マンシージャに泊まっていた弘前大くんと顔を会わせ、話しながら一緒に歩きました。「ペース、早いですね。ぼくはいつもは抜かされてばかりです」。若い彼に、そんなことをいわれました。
国道沿いのバルに入って朝食にしました。彼もいったんはバルに入りましたが、ボガティージョがなかったので、「次のバルに行きます」と出ていきました。わたしはクロワッサン1個で満腹でしたが、若い彼はそれでは満足できないようでした。じょっぱりな性格の一端だったのかもしれません。
弘前大くんと出会った場所を思い返してみました。エステージャあたりで出会っているはずです。ベロラードの町を出るときは、終夜営業していたディスコのようなところで、朝まで歌い踊っている若者を見ながら、自動販売機でジュースを買いました。サン・ファン・デ・オルテガのアルベルゲは同宿でした。並んで巡礼定食を食べました。その翌日、一緒に歩いていたふみさんとカルデニュエラ・リオピコのバルに入ると、彼はボガティージョンにかぶりついてました。
カリストヘリスでは日本人が大集合。サワさん、まやさん、弘前大くんと早大くんの5人で自炊しました。サワさんが炊いてくれた銀シャリを懐かしく味わいました。
カリオン・ロス・コンデスの人気アルベルゲは、午後の早い時間に「コンプリート(満室)」になりました。それからだいぶたって彼が現れました。チェックインを断られましたが、彼はひるむことなく交渉。「マットレスなら」という妥協を引き出し、廊下の端に敷いたマットレスをその夜のねぐらとしました。「かえって静かで寝られそうですよ」と淡々としている彼が大人(たいじん)に見えました。一緒に夕食に出てレオン産のワインを1本注文、2人で飲みました。わたしのおごりとはいえ、5ユーロほどのことでした。
オ・セブレイロの峠道でも出会い、最後はサリアでした。夕食を共にして、ここまでの健闘をたたえ合いました。
思い出せるだけでもこれくらいの回数は顔を会わせています。同じ道を、同じ方向に歩いているのですから当然ともいえます。でも、約束したわけでもないのに、偶然の積み重ねでこんなに同じ人と出会うのも、カミーノの楽しみのひとつかもしれません。
スイカって久しぶりです。昔は、夏になると、必ず食べたものです。それにスイカ割り!
デザートに「フルーツ」を頼むと出てきました。水分たっぷりで、さっぱりとしました。
フォークの突き立て方がなんともです。でも、このスタイルは珍しくありません。
13日夜のレリエゴスでの定食(10€)です。
偶然、わたしが食べているところも写ってました。
プリメロはスープパスタです。自分でサーブします。
沈んでいるパスタは、顆粒状です。このなの初めてです。スープは薄いトマト味です。
セグントは、無難なベーコンと目玉焼きです。
メニューは、3カ国語です。
夕飯は7時から。日記を書いて待ちました。白い液体は、早々と白ワインです。なんと0.70€です。
雨が降りそうで、かけ込んだアルベルゲです。夕方には、晴れ上がりました。
追加画像
レオンのスーパーマーケットを探検していて見つけました。これです。
pasta sopa maravillaとあります。ヒマワリとはどういう関係なんでしょう? ヒマワリの種の粉でも入っているのでしょうか。
安いです。重さを気にしなくよければ、1袋買って帰るところです。
きみの行く道は 果てしなく遠い/だのに なぜ 歯をくいしばり/君は行くのか/そんなにしてまで・・・空にまた 日が昇るとき/若者はまた 歩き始める
フジテレビ制作のテレビドラマ「若者たち」の同名の主題歌です。放映された1966年は、わたしは高校生でした。50年以上も前のことです。簡単な歌詞ですから、3番まで覚えていました。
深い意味もありませんでした。とっくに若者でもなかったでのすが、ただ言葉の端々がカミーノを歩くわたしの姿と重なったからでしょう。声には出しませんでしたが、何度も何度も口ずさみながら歩きました。
前夜にネットで調べた天気予報で、レオン地方は午後から雨ということは知ってました。まだ昼前でしたが、進行方向の西の空がにわかに暗くなってきました。これは、来るぞ! と直観して、ちょうど通りかかったレリエゴスのアルベルゲに飛び込みました。右足も痛かったからです。しばらくすると通り雨のような強い雨が降ってきました。観天望気(かんてんぼうき=自然現象や生物の動きなどから変化する天気を予測すること)とまではいいませんが、早めの判断が雨を避けさせてくれました。
翌日に出会った日本人ペルグリーノは、「あわててザックの雨具を引きずり出しました。初めての経験で、いやたいへんでした」と話してました。
1か月以上旅するカミーノでは、そのうちのいく日かは雨に降られる覚悟が必要です。ところが、わたしは最後まで本降りの雨に出会うことはありませんでした。半透過性の繊維でできている雨具の上着は、後半は寒さ対策で毎日、着ていました。霧雨にフードをかぶったことはあります。でも、オーバーズボンは最後まで使うことはありませんでした。
何もすることがないアルベルゲで窓の外の雨をぼんやりと眺めていると、思わぬフレーズが蘇ってきました
The rain in Spain stays mainly in the plain!
まさにこの光景の中にいるのでした。
映画「マイ・フェアレディ」で、ヒロインのイライザ(オードリー・ヘプバーン)が上流階級の使う英語特訓で韻を踏むために、ロウソクを前に歌うシーンです。
学生時代に、原文のペーパーバックを読ん覚えがあります。身近なことをあれこれと考える必要がなくなると、頭の中が一気に50年前に遡ったりもするのです。
この日のステージは、マンシージャまで27kmほど。ところが、雲行きが怪しくなり、6kmほど手前のレリエゴスで急に思い立ってストップした。これが大正解だった。
昼前だがアルベルゲに入ってしばらくすると、雨が降ってきた。おかげで雨具を使うこともなかった。
右足首は相変わらずチクチクと痛い。休養にもなってよかった。
村には何もない。退屈して、夕食前から食堂でワインを飲みながら日記を書いた。