「因幡堂」とか「因幡薬師」と呼ばれる平等寺です。大きな香炉の脚は、邪鬼が支えてます。
四条烏丸のすぐ近くです。外人の参拝客にも出会いました。
赤い幟を奉納するようです。
「不明門通」。これは京都の地名でも難読の部類です。「あけずとおり」と読みます。平等寺の門がいつも閉ざされていたことから、通り名になったそうです。「京都検定」を受験したときに勉強しました。
「因幡堂」とか「因幡薬師」と呼ばれる平等寺です。大きな香炉の脚は、邪鬼が支えてます。
四条烏丸のすぐ近くです。外人の参拝客にも出会いました。
赤い幟を奉納するようです。
「不明門通」。これは京都の地名でも難読の部類です。「あけずとおり」と読みます。平等寺の門がいつも閉ざされていたことから、通り名になったそうです。「京都検定」を受験したときに勉強しました。
泉涌寺を出るとすぐに今熊野観音寺があります。西国三十三個所の札所でもあります。その折は、紅葉の季節で、参拝者でいっぱいでした。
5日は、訪れる人もまばら。ゆっくりと歩きました。
日差しこそありませんでしたが、ずいぶん暖かくなりました。「お散歩カメラ(RICOH GXR)」をぶら下げて東山の泉涌寺を歩きました。
皇室の菩提寺として「御寺(みてら)」と呼ばれています。さすがに立派です。大門をくぐると、木立の中に仏殿がそびえます。
大門は重要文化財です。もちろん仏殿も。
入ってすぐの左手に楊貴妃観音堂があります。ここに観音像が祀られています。
楊貴妃観音像(重要文化財=いただいたパンフから)は、絶世の美女をいわれる楊貴妃を偲ぶ等身座像にかたどった聖観音菩薩像です。
月輪山には天皇陵が多くあり、菊の御紋章が。
御座所からみた勅使門です。
御座所の庭園です。
紅葉の頃はきれいでしょう。
仏殿の甍です。
洛陽三十三所には、観光寺院は多くありません。ほとんどが拝観料とは無縁ですが、ここは違います。門前と庭園の2個所で拝観料が必要でした。その値打ちはあります。
北野天満宮の大鳥居をくぐり、参道を進むと左手にある。天満宮の神宮寺として栄えてきた。
東を向いて建っている。
立派な本堂は、豊臣秀頼によって再建された。
菅原道真の母親の伴氏の廟。
京都三珍鳥居(京都御苑厳島神社、蚕の社)の一つがある伴氏社の前も通ったが、その鳥居を撮影するのを忘れていた。
北野天満宮は、受験生でいっぱい。現代の若者は、お行儀よく行列をつくる。ラーメン屋なんかで行列慣れしているのだ。
合格祈願の絵馬が鈴なり。わが家の子どもたちのために何度も通ったことがあるが、さすがに卒業した。
境内の梅も、ちらほらと開きかけている。
第三十三番札所です。ということは「結願」の寺です。
わたしの巡礼は、まだ十数ヶ寺目ですが、三十番に近かったので、続けて参りました。
お参りできる境内は、それほど広くない。
「満願」を達成するのは、いつの日か・・・。
豊臣秀吉が北野大茶会の縁で献木した「五色八重散椿」があったことから、「椿寺」の通称がある。西大路一条の角で、西大路は車でならよく走るが、この寺の存在も知らなかった。もちろん、始めて参拝した。
門前に「椿」とともに「天野屋利兵衛之墓」がこの寺にあるという石柱がある。
参拝後に墓地を見て回ると、一番奥に墓はあった。
「天野屋利兵衛は男でござる」。播州赤穂の塩の販売で富を得たことから、赤穂浪士の討ち入りでは秘密裏に武器を調達した大商人です。
一木作りの十一面観世音菩薩は、正月三や春秋の彼岸に開帳されるそうです。
椿が咲くのは「3月末から4月始め」とのことです。
隣の枝垂れ桜も立派です。
500円で乗り放題の「市バス1日乗車券」。車内でも売ってくれる。
洛陽巡礼の2ヶ寺に参りました。どちらも、前はいくどとなく通ったことがありますが、参ったのは初めてです。
「仲源寺」は、四条通り南座からちょっと東に歩いたところにあります。まわりの商店よりちょっと広いかなというくらいの間口を入ると、小さな境内です。
「目疾地蔵尊」が祀られてます。参拝する人が絶えません。わたしも目はよくないので、真剣にお参りしておきました。
国の重要文化財である千手観音菩薩が安置されてます。平安期の作ということです。
四条通りは通行人が途絶えません。
左向こうが八坂の石段です。
「仲源寺」
新京極に面して「誓願寺」はります。こちらも参ったのは初めてです。
弘法大師の作と伝えられる十一面観音が祀られています。一言で願いを叶えてくれることから「一言観音」と呼ばれています。
「誓願寺」