歩いて京都十六社 その3完 市比賣神社~御香宮

 歩いて「京都十六社朱印めぐり」は、3回目。前回の続きで市比賣神社から御香宮まで5社を参りました。巡拝成就の印と干支の卯の置物をいただきました。
 一筆書きに京都市内をほぼ一周して歩いた総距離は50キロほどに達しました。健康祈願を神頼みだけでなく、自ら実践することができました。

 市比賣(いちひめ)神社は、女神さまだけお祀りしているところから女性の守り神とされます。この日も祈祷を受ける女性参拝者が多く見受けられました。

 市比賣神社
 女性の守り神 市場の守り神
 京都市下京区河原町五条下ル一筋目西入ル 

 豊国(とよくに)神社は、天下統一を成し遂げた太閤秀吉を祀っています。伏見城遺構と伝わる国宝唐門は金ピカで、立派なたたずまいです。

 豊国神社
 開運招福 良縁成就
 京都市東山区大和大路通正面茶屋町530

 新熊野(いまぐまの)神社は、熊野詣を繰り返した後白河法皇が紀州国熊野の神を勧請して創建されました。京都三熊野のひとつです。

 新熊野神社
 健康長寿 病魔退散 お腹の神
 京都市東山区今熊野椥ノ森町42

 藤森(ふじのもり)神社は、今日では勝運と馬の神様として知られ、馬主や騎手などの競馬関係者や馬券的中を願う競馬ファンの参拝者でにぎわいます。

 藤森神社
 男人守護の神 勝運と馬の社
 京都市伏見区深草鳥居崎町609

 御香宮は、境内に香のよい水が湧き出て、この水を飲むと病がたちまち癒ったという奇瑞から清和天皇より「御香宮」の名を賜っています。

 御香宮
 安産 病気平癒
 京都市伏見区御香宮門前町174

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歩いて京都十六社 その2 わら天神宮~粟田神社

 歩いて「京都十六社朱印めぐり」の2回目です。阪急・西院から北上してわら天神宮から時計回りに7社で朱印をいただきました。今回も総距離は20㌔近くに達し、3万歩を超えました。
 子授けうさぎがいる東天王岡崎神社は、卯(うさぎ)年とあって参拝者でいっぱい。人気のうさぎみくじのうさぎが、ズラリと並んでいました。

 わら天神宮(敷地神社)から参りました。
 安産の神さまとして知られます。わたしも初孫が生まれる前に、帯をいただきにやってきたことがあります。

 わら天神宮
 安産 厄除 子授け
 京都市北区衣笠天神森町

 「玉の輿(たまのこし)神社」とも呼ばれる今宮神社は古い神社です。

 今宮神社
 健康長寿 良縁開運
 京都市北区紫野今宮町21

 御霊神社はいただいたパンフレットではこれで「かみごりょうじんじゃ」とルビが振られています。上御霊神社のことです。
 「応仁の乱」が始まった地といわれ、境内には碑があります。

 御霊神社
 こころしづめ 厄除 学業成就
 京都市上京区上御霊前通烏丸東イル上御霊町495

 京都熊野神社は、紀伊国熊野から熊野大神を勧請したのに始まります。京都三熊野のひとつです。
 シンボルは3本脚の八咫烏(やたがらす)で、最近ではサッカーの神さまです。

 京都熊野神社
 縁結び 安産 病気平癒 災い除け
 京都市左京区聖護院山王町43

 東天王岡崎神社は、桓武天皇が平安京遷都にあたり王城守護のあて京の四方に建てた社のひとつで、都の東(卯の方位)にあるから東天王です。
 うさぎとの縁が深く、ことしは大にぎわいです。 

 東天王岡崎神社
 子授け 安産 縁結び 厄除け
 京都市左京区岡崎東天王町51

 熊野若王子(にゃくおうじ)神社も三熊野のひとつで、哲学の道の南端の山際にあります。
 熊野詣の修験者は、ここで身よ浄めて出発したといわれます。わたしも熊野向けて歩いたときに参ったことがります。

 熊野若王子神社
 学業成就 商売繁盛
 京都市左京区若王子町2

 粟田神社は京の七口の粟田口にあり、古くから旅立ちの守護神として参られてきました。

 粟田神社
 旅立ち守護 厄除
 京都市東山区粟田口鍛冶町1

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歩いて京都十六社 その1 長岡天満宮~西院春日神社

 京都にある16神社を巡って一年の祈願成就を願う「京都十六社朱印めぐり」を始めました。
 巡る順番や方法は自由です。わたしは歩くことにしました。GoogleMapでルート探索してみると、ざっと40㌔ほどになります。
 スタートは、自宅に近い長岡天満宮に参りました。ここで朱印巡りの朱印帳もいただきました。
 初回は、西院春日神社まで4社に参拝しました。20㌔に及ぶロングウォークとなりました。

 天満宮(天神さん)は、日本全国あちこちにあります。菅原道真を祭神とする神社であす。
 長岡天満宮は、道真が太宰府へ左遷されたときに立ち寄り「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだ縁故によって、道真作の木像をお祀りしたのが創立だそうです。
 十六社のうちでは、ここだけが京都市内から離れています。ここを起点に時計回りに歩くことにしました。

 長岡天満宮
 学問の神様 厄除開運
 長岡京市天神2-15-13

 吉祥院天満宮は、道真公誕生の地とされます。

 吉祥院天満宮
 受験合格 開運招福
 京都市南区吉祥院政所町3

 六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)は、清和源氏始祖の源経基を祭神とします。「源氏三神社」のひとつです。

 六孫王神社
 出世開運 家運隆盛
 京都市南区壬生川通八条角

 西院春日神社
 淳和天皇が退位に伴い淳和院離宮(別名西院)へ居を移すに際し、その鎮守社として創建されました。

 西院春日神社
 厄除 病気平癒 交通旅行安全
 京都市右京区西院春日町61

 「京都十六社朱印めぐり」は、2月15日までに16社の朱印を集めると巡拝成就となります。

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伊勢参り 番外 起点は玉造稲荷神社

 歩いて伊勢参りは、京都・観月橋からスタートして、7回で宇陀・榛原に達しました。でもまだ全行程の半分といったところです。
 わたしが歩いている伊勢本街道は、大阪・玉造の玉造稲荷神社が江戸時代の玄関口でした。そこに「起点」と記した碑が建っています。
 遅まきながら訪ねました。伊勢まで約170キロです。 

 江戸時代のお伊勢参りの風景が錦絵になっています。

 社伝によると、垂仁天皇18年(紀元前12年)に天皇によって創建されました。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地、玉作岡に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承があるそうです。

 大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家、なかでも豊臣秀頼と縁が深いです。この石鳥居も秀頼に寄進されたものですが、阪神大震災で崩壊、現在は上部だけが残っています。

 秋田実の笑魂碑というのもあります。

 上町台地の北端にあります。この辺りは坂が多いです。

 玉造稲荷神社
 大阪市中央区玉造2-3-8

 10分ほど歩いたところにある玉造稲荷神社分社です。
 こちらには浪花講発祥の地の新しい碑が建っています。浪花講は、伊勢参りなどの旅を安全なものにしようと文化元年(1804)に立ち上げられました。現在の協定旅館のルーツとされます。優良加盟店では「ぼったくり禁止」「飯盛り女を置かない」「賭博禁止」などの規制を設け、目印に浪花講の看板を揚げさせました。

 道標には、なら、伊勢、暗峠の手前にある大師堂と刻まれています。

 浪花講のかわいい御守もあったようです。

 わたしが玉造稲荷神社に参ったのは、これが欲しかったからです。神社が発行している「伊勢参宮本街道行程図」(500円)です。国土地理院の2万5000分の1の地図に、伊勢までのルートが赤線で引かれています。
 開いている榛原などの地図が、冊子のちょうど真ん中の22-23ページです。

 榛原から先は、日帰りで区切ることはできません。途中にはコンビニ一軒ないような山道と田舎道が続くようです。

伊勢参り その7 伊勢本街道を長谷寺、榛原まで

 歩いて伊勢参りのその7です。山の辺の道を南下してきた大和路は、桜井から伊勢本街道に沿って東進します。JR三輪から歩き始めて、長谷寺を通り榛原まで13.6キロほどでした。
 道中で「いせ」の文字と何度も出会いました。
 長谷寺の紅葉を期待していました。しかし、五重塔はまだ緑の中に頭を出していました。 

 長谷寺の前にある茶屋で昼飯を食べて、拝観せずにUターンしました。

 「いせ」が近づいてきたようです。

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伊勢参り その6 山の辺の道を桜井まで16キロ

 「ブエン・カミーノ!」と声をかけたくなるような光景でした。のどかな秋晴れの一日でした。
 歩いて伊勢参りのその6は、天理から山の辺の道を桜井まで歩きました。16キロほどありました。ほぼ平たん路とはいえ、久しぶりのロングウォークとなりました。
 スペインのサンティアゴ巡礼路を歩いているかのようでした。前にも後ろもハイカーが。そしてすれ違う人も。歩いていることの楽しさがあふれていました。

 大神(おおみわ)神社のご神体である三輪山に、きれいな秋雲がたなびいていました。

 大神神社に参りました。

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伊勢参り その5 山の辺の道・北ルートを石上神宮まで

 歩いて伊勢参りの旅は、暑い日は敬遠しているうちに3カ月がたとうとしています。「ことし最後の夏の1日」となりそうなまだまだ暑い中を山の辺の道・北ルートの円照寺から弘仁寺、白川ダムを通って石上神宮までの12キロほどを歩きました。

 ピンクのシュウメイギクが咲いていました。

 訪れる人もない山寺といった風情の弘仁寺ですが、重層のどっしりとした本堂がありました。

 石上神宮の一番の人気者です。参道を闊歩しています。

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伊勢参り その4 山の辺の道・北ルートを円照寺まで

 梅雨が明けたらガンガン照りでした。お伊勢参りの4回目は、奈良市街から南を目指しました。
 大阪・玉造を出発した伊勢本街道と合流しましたが、本街道はJR万葉まほろば線とほぼ平行にまっすぐ変化のない道を南下します。
 わたしはちょっと外れて山の辺の道・北ルートを歩きました。天理からの南ルートほどには見どころはありませんが、東海自然歩道でもある静かな道でした。
 ゴールは、ちょっと短いですが天理との中間点となる円照寺でした。山の中にたたずむ趣のある寺でした。

 山の辺の道はよく整備されていました。あちこちに句碑がありました。
 「かるかたのたかまとやまをたかみかも いてくるつきのおそくてるらむ」(大伴坂上郎女)

 夏空が広がりました。向こうが生駒山系です。

 昼飯は近鉄奈良に戻って食べました。
 ギンギンに冷えた生ビールといただきました。

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伊勢参り その3 ニュータウンをリングワンデリングして奈良まで

 歩いてお伊勢さんの3回目は、木津から奈良街道・終点の東大寺転害門へと歩きました。
 旧道からは外れていても車でなら何度も走ったことがあるルートです。
 ところが頼り切って歩いていたスマホのマップがダウンして、州見台(くにみだい)で道に迷いました。雪山と違って遭難の危険はありませんが、夏の日のリングワンデリングで干上がりました。
 歩いたおかげで旧奈良監獄のレンガ造りのレトロ建築ともめぐり合いました。

 明治の末に9年間だけ存在した大仏鉄道の遺構もありました。

 1300年余の時を越えて佇む東大寺創建当時の大門、転害門です。ここが奈良街道の終点です。
 門が3つ、並びました。

 昼飯は、迷い込んだ(?)ガーデンモール木津川の「来来亭」で、念願の葱ラーメンでした。うまかった!

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伊勢参り その2 JR奈良線に沿って木津まで

 歩いてお伊勢参りの2回目です。JR城陽から奈良線とつかず離れずで木津まで歩きました。奈良までのつもりが、すでに18.5キロも歩いていました。
 梅雨の中休みです。街道歩きには幸いなことに、からりとは晴れ上がりませんでした。それでも暑かったです。
 半袖のTシャツ姿でした。家に帰ってシャワーを浴びてびっくりしました。首と腕に、くっきりと日焼けの段差ができていました。これからの伊勢参りの旅には、日焼け対策が必要です。

 奈良街道の長池の宿辺りを歩いていると、「カン、カン」と踏切の音がしました。路地をのぞき込むと、みやこ路快速が通過しました。現代の飛脚か早馬ですかね。

 青田の中をブルーの電車がさっそうと横切ります。

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