なにわを歩く 万博間近の夢洲から舞洲の仰天煙突

 EXPO 2025 大阪・関西万博まで2ヵ月ほどとなりました。アクセスとなる大阪メトロ舞洲はすでに開業しており、会場見物の観光客が訪れているそうです。
 急に思いついて、わたしも出かけました。フェンス越しの会場建設地は、こんなので間にあうのかと心配してしまう完成度でした。
 見るべきものもあまりないので、そのまま夢舞大橋を渡って舞洲へ。フンデルトヴァッサーがデザインした2つの黄金に輝く煙突を見上げました。
 さらに常吉大橋を渡って伝法から西九条までの10キロほどのウォーキングとなりました。

 夢洲駅は先月19日にオープンしました。

 この奇抜な建物が、大阪市などのゴミ焼却場です。遠目にはしたことがありますが、やってきたのは初めてです。

 同じフンデルトヴァッサーによるスラッジセンターです。どちらも煙突の上部に黄金のリングをいただいています。


 きょうの産経新聞に「観光客続々」と報じられていました。これを読んで、家を飛び出しました。

 【2025/02/01 11:01】
 大阪メトロ夢洲です。乗ってきた電車は、折り返しの奈良登美ヶ丘行きとなりました。
 阪急水無瀬から天下茶屋行き準急で堺筋本町まで。そこで乗り換えて1時間余りでした。

 広々としたコンコースです。

 スマートICOCAで改札を出ました。料金は水無瀬から720円でした。

 広い階段と4列のエスカレーターです。開幕すると、ここは人の海と化すのでしょう。

 目の前がフェンスです。まだまだ工事現場そのものです。

 見えるのは、目玉の大屋根(リング)の一部だけです。

 それほど寒くはありませんが、日が陰ってきました。隣の舞洲とを結ぶ夢舞大橋に向かいます。

 振り返ると、内径600m超の大きなリングが見渡せます。でも他にパビリオンらしき建造物はわずかです。

 夢舞大橋を渡ります。世界初の浮体式旋回可動橋で、その説明パネルがありました。
 橋の下は小型船舶しか航行できませんが、緊急時には可動部を旋回させて大型船舶の航行も可能にする構造となっています。旋回にはタグボートが使用されます。

 舞洲の岸壁で釣りをしている人がいます。
 娘婿もよくここへやってくるそうです。「アンチョビにするイワシが釣れるシーズンになったら誘って」と頼んでいます。

 ゴミ焼却場の舞洲工場です。

 デザインしたフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1928- 2000年)はオーストリアの画家であり、建築家です。曲線や渦巻きを色鮮やかに描く作風で知られています。

 この非現実のような建造物に、あたり前にごみ収集車が入っていきます。

 フンデルトヴァッサーデザインでウィーンにあるシュピッテラウ焼却場を参考に、大阪五輪の誘致をしていた大阪市が依頼したそうです。
 床の盛り上がりや柱の曲線、窓からはみ出す植物を見て、ウィーンのフンデルトヴァッサーハウスを思い出しました。
 
色彩の魔術師 フンデルトヴァッサーの世界

 どこかの郊外へやってきたようです。

 此花大橋が架かっていますが、ここは歩行者は歩けません。

 お隣は、大阪市の舞洲スラッジ(汚泥)センターです。こちらもフンデルトヴァッサーのデザインです。

 空がどんよりと曇ってきました。残念ながら色彩が映えせん。

 常吉大橋を渡ります。

 2つの黄金リングが並んでいました。

 淀川の左岸を、ただただ歩きました。上部は阪神高速湾岸線です。

 向こうに右岸の先端となる矢倉緑地公園が見えてきました。
 かつて、水無瀬から自転車でここまで走ってきたことがあります。

 山では「クマ注意」の看板をよく見ますが、「サメ」は初めてです。

 安政3(1856)年に発生した「海嘯溺死者」の慰霊碑です。海嘯とは川津波のことです。常吉新田の開発地主の墓でもあります。

 伝法川が淀川に流れ込む伝法水門です。

 なんとビルに囲まれた漁港が存在しました。

 上流部の伝法川は埋め立てられて、今は存在しません。

 四貫島の商店街を抜けて歩き続けました。六軒屋川に架かる朝日橋の畔に初代大阪船奉行所跡の案内がありました。

 【13:46】
 JR環状線の西九条まで歩いてきてゴールとしました。

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