「京童」と歩く 4日目 西大路から二条城

 江戸初期に中川喜雲によって書かれた京都初の観光ガイドブック、「京童」とともに歩く4日目です。
 西大路から島原ー壬生寺ー神泉苑と巡って二条城まで歩きました。

 二条城の東にある御金(みかね)神社の昨日の大行列を思い出しました。病院への途中に車から見た行列は、西洞院から御池にはみ出し、御池にそって50㍍ほども延びてました。
 きのう5日は、天赦日、一粒万倍日、寅の日、大安と4つの吉日が重なる、日本の暦の中でも特に縁起が良いとされる日だったのです。
 きょうは、混雑はありませんでしたが、残り福でも転がってないかとお参りしました。

 壬生寺は新選組の屯所があった地でもあります。お嬢さんたちは、毛糸の帽子をかぶせた人形にスマホをかざしていました。近藤勇ってことはないでしょう。沖田総司? それともわたしの知らないキャラクターでしょうか。

 室町を下がると、テレビでお目にかかったばかりの光景でした。欠かさず見ている「京都人の密かな愉しみ~継承」(NHK-BS)のロケ地となっていた帯匠の誉田屋源兵衛でした。

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愛宕山と水尾の柚子風呂、鶏の水炊き 

 京都の愛宕山に登りました。雪はすっかり消えてました。
 全国に約900社ある愛宕神社の総本宮です。麓の清滝から標高差900㍍ほどの登り一方の階段地獄でした。
 お参りの後は、柚子(ゆず)の里、水尾に下りました。お目当ては柚子風呂につかり、鶏の水炊き、鳥すきでした。総勢11人なので、両方を頼んで食べ比べました。

 登場しました。鳥すきに用意された朝ジメの鶏肉です。レバーが新鮮な輝きを放っていました。

 鳥の水炊きが煮上がりました。骨付きのシコっとした鶏肉を柚子ポン酢にくぐらせてかぶりつきました。
 うまい、おいしいの連続でした。
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「京童」と歩く 3日目 五条大橋から東寺へ

 江戸初期に中川喜雲によって書かれた観光ガイドブック、「京童」とともに歩く3日目です。
 泉涌寺から五条まで戻ってくる道は省いて、五条大橋を出発、因幡薬師から五条天神、東西本願寺と巡り東寺、西寺でゴールとしました。
 寒さが和らいだ都路を13キロほど歩きました。

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雲ヶ畑山歩き俱楽部 雪の惣谷林道から惣谷山

 「雲ヶ畑山歩き俱楽部」の2月例会に参加。京都北山の惣谷(そうだん)林道から惣谷山へ。さらに林道を詰めてオ梅谷林道を下りました。
 ルートの大部分が林道、これといったビューポイントもない初めてのルートでした。そこが積雪に覆われて一転していました。気温が上がり青空が広がる好天気もあって、素晴らしい山歩きとなりました。

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「京童」と歩く 2日目 清水から新熊野へ

 京都初の観光ガイドブックともいうべき「京童」に導かれて歩く2日目です。
 清水、六波羅、三十三間と回って新熊野まで歩きました。
 節分会の八坂神社では福豆と福引の清酒をいただき、法住寺ではぜんざいをよばれました。
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「京童」と歩く 1日目 内裏から東山へ

 「京童」は明暦4(1658)年に刊行された京都で最も古い案内記です。洛中洛外の名跡仏閣の由来、伝説などを挿絵や筆者の中川喜雲自作の狂歌を交えながら記しています。
 国会図書館の国書データベースなどで閲覧できます。でも古文書が読めません。日本語なのに。
 残念ですが、そこに記されたポイントを自分の足で歩いてみました。
 寒い一日でした。内裏(御所)からスタートしました。

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極寒の生駒から石切神社でご祈祷

 山仲間の兵庫・三田の山の会の新年登山でした。枚岡神社から干支の山、生駒山に登り、石切神社に下山しました。
 わたしも参加させてもらいました。一緒に山の安全や健康をを祈願するお祓いを受けました。
 遊園地は休園中の頂上あたりは、寒風吹きすさぶ極寒の世界でした。麓に降りてくると、神社はお百度を踏む善男善女でにぎわってました。

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京都を歩く 京都電鉄が走った木屋町線 新寺町の謎

 新寺町通の謎ーが解けました。 
 日本で初めての営業電車、京都電気鉄道(京電)の木屋町線が走った跡をたどりました。現在のJR京都駅から木屋町ニ条の間です。
 河原町五条の手前に、右に折れてすぐに五条に突き当たる不自然とも思える短い道があります。新寺町通という立派な名称がありました。
 明治28(1895)年の開業当時は、ここを京電が走っていたのです。拡幅された河原町を京都市電が走ったのは、ずっと後の時代でした。 

 五条を渡ったところに「牛若ひろば」があります。高瀬川が広い五条の下を流れる入り口の壁面にレンガが張り巡らされています。
 これが数少ない京電の遺構でした。このレンガ積は、京電の路面の橋脚だったのです。

 木屋町線の起点となる京都駅の東、塩小路東洞院の南西角に「電気鉄道事業発祥地」の碑が立っています。ここから歩き始めました。

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京都・木屋町 日本映画発祥の地は京都電燈創業の地

 京都・木屋町の高瀬川に面した立誠(りっせい)小学校の跡地に「日本映画発祥の地」の案内板が立っています。その説明文に気になる会社名があるのことに気づきました。ここに京都電燈株式会社があったのです。
 菱形雷紋を社章とした京都電燈は明治22(1889)年、この地に社屋を建て、敷地内に石炭火力発電所を設けて電力事業を始めたのです。

 明治30(1897)年になった、京都電燈の中庭でフランス帰りの技師、稲畑勝太郎(稲畑産業創業者)によって映画が上映されました。

 高瀬川沿いにあった京都電燈の火力発電所とされる写真です(ネットよりDL、出所不明)。

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京都を歩く 嵐電・北野線100周年と幻の北野駅

 嵐電(京福電気鉄道)の北野線は大正14(1925)年、京都電燈によって北野ー高雄口(現・宇多野)間が開業しました。ことしで100周年を迎えました。
 新型車両の「KYOTRAM(きょうとらむ/モボ1型)」も今春、デビューしました。100周年のヘッドマークをつけて宇多野のホーム脇の残り紅葉を横目に走りすぎました。
 暖かな一日でした。嵐山本線から北野線が分岐する帷子ノ辻(かたびらのつじ)から10駅、北野白梅町まで3.8キロをカメラ片手に歩きました。

 冬枯れの鳴滝ー宇多野間です。桜のシーズンにはピンクのトンネルとなります。

 帷子ノ辻では、100周年写真展が開かれていました。どれも見入るような嵐電の歴史が詰まっていました。
 今はない北野駅を撮影したパネルもありました。

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