京城勝覧を巡る 第十一日 雲母坂から比叡山に登る

 貝原益軒が記す京都ガイドブック「京城勝覧」の第十一日は、「艮(うしとら=北東)」の方角で、「比叡山に行道をしるす」です。『きらゝ坂(雲母坂)』から『比叡山』に登ります。
 雲母坂は久しぶりです。初めて登ったのは、小学5年でした。もう60年も前のことです。夏休みの自由研究の「比叡山に登る地図を作る」がテーマだったはずです。友だち二人と一緒でした。
 ケーブル比叡駅には、大きな「HIEIZA」ができていました。あいにく曇っていたのでカラーがイマイチですが、とりあえず「還暦!登山達成」です。
 

 大比叡(おおびえ、848.1m)上まで登りました。冷たい風が吹きつけ、冬到来を思わせました。

 阪急を烏丸で降りて、志津屋四条烏丸店に寄ってきました。志津屋といえば「カルネ」でしょう。やはりうまいです。

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伊勢参り その5 山の辺の道・北ルートを石上神宮まで

 歩いて伊勢参りの旅は、暑い日は敬遠しているうちに3カ月がたとうとしています。「ことし最後の夏の1日」となりそうなまだまだ暑い中を山の辺の道・北ルートの円照寺から弘仁寺、白川ダムを通って石上神宮までの12キロほどを歩きました。

 ピンクのシュウメイギクが咲いていました。

 訪れる人もない山寺といった風情の弘仁寺ですが、重層のどっしりとした本堂がありました。

 石上神宮の一番の人気者です。参道を闊歩しています。

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京城勝覧を巡る 第十日 男塚女塚と橋本

 江戸時代の京ツアーガイド「京城勝覧」(貝原益軒)の第九日は、「高雄槇尾栂の尾に行道」です。
 きょうはちょっと天気も悪そうなので、第十日「八幡山にゆく道」を先取りしました。石清水八幡宮がある八幡までは、わが家から歩いてでも行ける距離ですが、車で麓を巡りました。

 京城勝覧では『男塚女塚あり。女郎花(おみなえし)の名所なり』と記されています。
 その女塚、通称「女郎花塚」は、石清水八幡宮の南にある「松花堂庭園」の中に残ります。

 傍らに咲くオミナエシです。秋の七草のひとつですが、実際には夏から咲いていて、もうお終いです。

 謡曲「女郎花」について説明されていました。

 静かな松花堂庭園を一周しました。
 江戸時代初期の文化人、松花堂昭乗が当初『石清水八幡宮』の境内に造った草庵「松花堂」などを明治になって移築した回遊式庭園です。

 あちこちに茶室があります。
 ただし、「松花堂」がある内園は、3年前の大阪北部地震の被害を受けて、修復のために閉鎖中でした。

 椿園には、いろんな椿があります。今は花はありません。

 土産店は「おみなえし」という店名でした。

 入園料は100円でした。
 隣には、松花堂弁当が食べられる「京都吉兆 松花堂店」があります。ただし、本日はまだ閉まっていました。開いていても、5000円オーバーの弁当です!
 「京都吉兆 松花堂店の松花堂弁当」はコチラ。

 この辺りの住所は「八幡女郎花」です。

 東高野街道を1.5キロほど北に戻り、八幡市図書館へ右折した路地です。
 アスファルトに埋もれかけて、「小野頼風塚」の石碑が立っています。

 民家の間をすり抜けたところにある『男塚』、通称「小野頼風塚」です。

 芦は女塚の方にたなびくので「片葉の芦」と呼ばれるそうです。残念ながら、雑然と茂ってました。

 東高野街道は高野街道につながり、高野山に達します。さらに小辺路を熊野神社まで歩いたことがあります。
 

 男女は『放生川』に身を投げまし。

 左の鳥居が、『山下にも高良(たから)のやしろ有』と記された高良神社です。

 車で走れば10分ほどの橋本までやってきました。大坂と京都を結ぶ京街道の中間にあり、石清水八幡宮の参詣口としてもにぎわった町です。
 コインパーキングに駐車して京阪電鉄の踏切を渡ります。向こうには、雑草の茂る空き地がありました。

 こちらは3年前の資料写真です。友だちと折り畳み自転車、DAHONで走ったことがります。
 橋本遊郭の歌舞練場だった立派な2階建てが残っていました。すでにツタで覆われていますが、朽ちて撤去されたようです。

 そのときに教えてもらった西遊寺の門前の石碑です。
 「湯沢山茶九蓮寺」と彫られています。
 山崎の合戦の折、立ち寄った羽柴秀吉が茶を所望したところ、洞ヶ峠を決め込んだ寺は、湯だけを提供したそうです。そこで秀吉の命名です。「ゆ たくさん、ちゃ くれん 寺」

 ちょっと見には、古い街道筋の風情です。

 こんなに装飾を施しているのは民家ではありません。

 今は旅館になっています。営業を続けている店は、多くはありません。

 軒下に残る電燈照明の跡です。これが遊郭だった名残です。

 渡し場の跡です。
 柳谷観音、山崎、愛宕と対岸の地名が並びます。

 淀川堤防から町並みを振り返ります。

 正面が天王山です。アサヒビール大山崎山荘美術館の赤い屋根が見えます。

 西を向くと、水無瀬のわたしの住むマンションも見えています。

 京阪橋本駅前の食堂で昼飯を食べて帰宅しました。

京城勝覧を巡る 第八日 愛宕山にのぼる道

 貝原益軒の記す京のツアーガイド本「京城勝覧」の第8日は「愛宕山にのぼる道を記す」です。南東の清滝から表参道を登り、月輪寺を通って下るコースが紹介されています。
 わたしは丹波側の宕陰(とういん)にある嵯峨樒原(しきみはら)から裏参道を登り、表参道を下る縦走ルートを歩きました。
 愛宕神社の境内で食べた昼飯は、JR京都駅で買ってきた駅弁「六甲縦走弁当」でした。ご飯少な目、おかず豪勢、なにより器がコンパクトと益軒さんもうらやましがりそうな弁当でした。
 京城勝覧には「食」の話は登場しませんが、わたしにとっては欠かせないテーマです。 

 スタートの嵯峨樒原に立つ愛宕神社の鳥居です。ここまでが境内です。

 「火廼要慎(ひのようじん)」の神さまが祀られている愛宕神社です。愛宕山の山頂(924m)にあります。比叡山よりも高いです。三角点(889.8m)は、別の場所にあります。

 清滝近くまで下ってくると、愛宕山鉄道のケーブル軌道敷が残っています。6つのトンネルを抜けるこのルートを山頂駅まで登ったこともあります。

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京城勝覧を巡る 第七日 愛宕山鉄道の廃線跡と大河内山荘

 貝原益軒の記す京ガイド「京城勝覧」の第七日は、『嵯峨にゆく道』です。これまでになく多くの名所旧跡が網羅されています。『上下の嵯峨見所多し朝ははやく出べし』の注意書きもあります。
 わたしは最初に、益軒さんの時代には存在しなかった愛宕山鉄道の廃線跡をたどりました。
 愛宕山に登る参拝者を運ぶため嵐山駅から清滝駅までの普通鉄道路線(平坦線)と、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカー(鋼索鉄道)が、昭和4(1929)年に開設されました。しかし、戦時中にレールを軍に供出して、わずか15年で廃線となりました。
 その遺構は多くはありません。最大のものが、今も清滝につながる幹線道路として使われている清滝トンネルです。単線の鉄道トンネルとして開通しました。その途中には、架線柱の残骸が朽ちて残っていました。

 『野ノ宮(野々宮)』の辺りの竹林です。まだまだ観光客は少なく、静かでした。

 「大河内山荘」に初めて入りました。時代劇映画の大スター、大河内伝次郎が30年の歳月をかけて作り上げた回遊式の借景庭園です。これほど素晴らしい庭園とは知りませんでした。
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京城勝覧を巡る 第六日 善峯寺のシュウメイギクと金蔵寺のアサギマダラ

 貝原益軒の記した京ツアーガイド「京城勝覧」の第6日は『大原野 小鹽(塩)にゆく道』です。京都西山の淳和院の御陵がある『小鹽山』から『善峯寺』まで南下します。
 わたしは逆に歩きました。善峯寺は、境内に5000本あるというシュウメイギクがあちこちに咲いていました。
 『西岩倉』と書かれている金蔵寺では、満開のフジバカマの上をアサギマダラが乱舞していました。

 益軒は、東寺から吉祥院、桂の里、久世、向日明神と歩いて大原野に達します。小鹽山については『大原野の上の山なり』と書かれているだけです。

 『三鈷寺(さんこじ)』は、善峯寺のすぐ北にあります。初めてお参りしました。

 金蔵寺は、5月にクリンソウを見に来たばかりです。きょうも静かでした。

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京城勝覧を巡る 拾遺 『摂津国島上郡 名所古跡』

 貝原益軒の記した京都ガイド「京城勝覧」を活字化した「新修京都叢書 第十二」(野間光辰編、臨川書店)を読みました。17日に及ぶツアーガイドの「拾遺」として、氷室、大悲山、岩屋山、田原、松が崎が取り上げられています。
 末尾に『摂津国島上郡 名所古跡 山崎の南にあり今日より二日は往来す』(京城勝覧にでてくる地名などは『 』でくくります)とあります。わが町・島本と高槻がその舞台で、オリジナルでは5ページにわたって詳しく案内されています。
 『水無瀬川』を渡ります。向こうに見えるのが『水無瀬山』のはずですが、特定はできません。
 まだまだ暑さが残る1日でしたが、コピーした「京城勝覧」を手に名所古跡を巡りました。

 コースの登場人物の多くが小倉百人一首でおなじみです。

 西国街道の山城・摂津国の境から高槻まで歩きました。
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京城勝覧を巡る 番外 「京城勝覧」を買う

 京都・銀閣寺近くの古書店です。ここで探していた1冊の古本を買いました。
 古本購入もネットワークの時代です。「日本の古本屋」の在庫検索から探した本を取り置いてもらっていました。もちろん、送付もしてくれます。
 京都大学に近いこともあって、生き残っているのでしょう。老夫婦らしきお二人が店におられました。
 この雑然とした感じは好きです。どこかに宝物が隠れていそうで、わくわくします。

 「新修京都叢書 第十二巻」(野間光辰編、臨川書店)です。
 江戸時代中期の儒学者にして本草学者、貝原益軒が記した「京城勝覧」を、漢字にはルビを、流麗なひらがなは現代人にも読めるように活字化して編集したものが入っています。
 シリーズ本の1巻です。近ごろお目にかからないハードカバーに箱入りで、3300円でした。

 「5日目」として歩いた御室戸寺(三室戸寺)から「喜撰が庵のありしあとあり」のくだりです。
 わが家の墓がある興聖寺についても、詳しく書かれています。

オリジナルは、国立国会図書館デジタルコレクションから簡単にダウンロードすることができます。
 この文章がスラスラ読めたら、編集本は不要なんですがね。同じ日本語なのに。

 銀閣寺道から西に向いて歩きました。
 吉田神社を通り過ぎます。
 

 「2日目」で行かなかった百万遍の『知恩寺』です。

 広い境内は、手づくり市や古本市でにぎわいます。

 そのまま出町柳まで歩きました。
 「ふたば」の栗餅でもみやげに買おうと思ってましたが、定休日でした。

京城勝覧を巡る 第五日 喜撰山に喜撰法師を訪ねる

 『喜撰が庵のありしあと』を訪ねるのが、貝原益軒の記す京都ガイド「京城勝覧」の5日目です。
 この日は、『宇治にゆく道』として藤ノ森から六地蔵、黄檗山、御室戸寺(三室戸寺)と歩みますが、そこから20町(約2km)ほど行くと、喜撰法師が庵を結んだ跡があると書かれています。
 今も喜撰山の山腹に「喜撰洞」として残っていました。 
 でも江戸時代のトラベラーが、こんなところまで訪れたとはにわかに信じがたい場所でした。

 六歌仙のひとり、喜撰法師は小倉百人一首のこの歌で覚えてました。
 この「うぢ山」が、喜撰山のことでした。

 宇治川を堰き止める天ケ瀬ダム近くからひと回りしました。
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京城勝覧を巡る 第四日 醍醐山に登る

 貝原益軒の京都ガイド、「京城勝覧」の4日目は、『上の醍醐にゆく道』です。
 コースでは、洛中(京都の中心地)からの南方面、約7里(28km)とあります。清閑寺-勸修寺-小野随心院-醍醐-日野と巡るのですから、『道遠し。朝はやく出るがよし』となります。
 わたしは、三宝院などがある下醍醐から、お山の上の醍醐寺までを往復しました。
 標高450mの信仰の山に初めて登りました。開山堂など立派な伽藍が並んでいました。

 登りは1時間ほど。きれいに整備されていますが、急な階段道では汗が噴き出しました。

 五大堂の前に整列する像。中央は修験道の祖・役小角かと思いましたが、実際は右。中央は醍醐寺を開いた理源大師だそうです。よく似た像とは弥山近くの大峰奥駆路でお会いしたことがあります。

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