「お伊勢のかへりに朝熊(あさま)をかけよ 朝熊をかけねば片参宮」と伊勢音頭にうたわれます。
その朝熊岳に登りました。旅の2日目は、天候がイマイチでした。雨が降る前にとコースを短縮しました。
頂上の虚空蔵さま(金剛證寺)の本堂前に丑(うし)の銅像が寝そべっていました。その頭上の大黒さまにさわると、「身体健康」などのご利益があるそうです。丑年生まれわたしも触れてきました。
朝熊岳(555m)の山頂で記念のポーズです。
山頂一帯でツツジが蕾を膨らませていました。すでに一部は開花を始めており、しばらくするとあたりがこの色のカーペットに覆われるのでしょう。
富士山まで見えるーはずでしたが、あいにくの空模様でした。伊勢湾を見下ろししました。
【2025/04/28 07:51】
1泊した宿を早出して、朝熊岳の登山口までやってきました。二十二町の町石からスタートです。
朝熊岳道という参詣のメーンルートを登りました。
歩きやすい古道です。
思わず触れてしまう古木です。
朝熊岳には大正末期にケーブルカーの笹間山登山鉄道が開通しました。それも京都・愛宕山のケーブルカーと同じ命運をたどり、戦時中の鉄供出で廃止されてしまいました。
斜面に階段の跡のような段差が見え、鉄塔の残骸のようなものが転がっていました。
ケーブルカーは、この谷を登ってきたのです。
ササユリが保護されていました。
鯉のぼりをくぐっていきます。
ガクウツギが白い花をつけていました。
このあたりから富士山が見えるはずでした。
十八町まで上がってきました。もう少しでした。
嫌われ者のマムシグサも、透明感にあふれています。
ニ十二町です。ここにはその昔、とうふ茶屋がありました。高原バスが発着したそうです。
朝熊岳の広い頂上です。電波塔は下界からもよく見えていました。
いつも真っ赤なシャツのとっちゃんは記念すべきYAMAPピーク1200座に到達しました。わずか3年ほどでの、信じられないハイペースです。わたしはといえばまだ300座台です。
古い教塚が林立しています。
平安時代のものです。
金剛證寺の立派な本堂です。ご本尊は日本三大虚空蔵菩薩の第一位とされています。
丑と寅が向き合っています。
丑や大黒様は参詣者に触れられて赤びかりしています。
アセビが鈴なりです。
奥の院への道の両側は、卒塔婆の壁です。
西田敏行さんをしのんでファンが贈りました。
卒塔婆の建立志納金は50万円から3万円までです。
九鬼水軍の将で関ヶ原の合戦を戦った九鬼嘉隆の五輪塔がありました。
朝熊岳とは別に朝熊山というピークもありました。
山上公苑もYAMAPのピークでした。
ドウダンツツジが鐘のような花をぶらさげています。
ツツジは3色が入り混じります。
青空が広がらなかったのだけが心残りでした。
天空ポストが設置されていました。平日は午前9時半に集配される現役です。
竹ぼうきが用意されていて、「魔女の宅急便」さながら飛翔大会となりました。1人はハリー・ポッター?
わたしは好物のソフトクリームにかじりつきました。
太い伊勢うどんを食べた仲間も、両方を味わったかたも。
ご朱印をいただきました。