ブルゴスまでやって来ました。大都会です。大聖堂も立派です。
明日は休養日として、ホテルにチェックイン。ゆっくりとします。
サンジャン・ピエ・ド・ポーからブルゴスまでは286キロ。すでに全行程780キロの30%を軽く超えていました。それでも、気分としてはクオーター(4分の1)でした。ブルゴスでは1日、休養日とする計画にしていました。
ブルゴスの大聖堂は、世界遺産に指定されています。
何年か前に何回に分けての「区切り」と、一部はバスやJR、マイカーも使って四国88カ所をお遍路したことがあります。1番霊山寺から88番大窪寺までの全長は、フランス人の道の1.5倍の1200キロに及びます。それが4つの霊場から成っていました。阿波国は「発心の道場」、土佐国は「修行の道場」、伊予国は「菩提の道場」、讃岐国が「涅槃の道場」と呼ばれています。あまり信仰心はなくても、実際に巡ってみるとなんとなくその意味をするところを感じることはできました。
宗教も歴史も違うカミーノのフランス人の道も、四国のお遍路と同じ4つの構成になっていることに気づいてびっくりしました。ブルゴスまでが発心の道場だったのです。
ブルゴスを出ると、さえぎるものがない乾いた大地、メセタが待っています。暑い暑い夏の日に、高知市内の31番竹林寺あたりを汗をかきかき歩いたことを思い出しました。修行の道場が始まるのです。思わず気を引き締めてしまいました。
次の大聖堂があるのはレオンです。そこからは菩提の道場、最後の100キロの手前にあるサリアからが涅槃の道場ということでしょう。サリアに到着するにはオ・セブレイロという標高1300メートルの峠を越えます。サンティアゴ巡礼路の最後の難所です。これも標高920メートルと88カ所の中で一番高いところにある66番雲辺寺を越えて讃岐路に入るのと、あまりにも似ています。
人は、生きている間に一度は聖地を訪ねたいと願って生きてきたようです。それがサンティアゴ巡礼であり、四国お遍路だったようです。後白河法皇の熊野詣も、江戸時代の弥次さん、喜多さんの伊勢参りも同じです。
現代に生きるわたしは、宗教観は薄れたとはいえ、伊勢神宮には小学校の修学旅行で参りました。熊野詣は中辺路と小辺路(高野山から熊野本宮までの山道)を歩き、京都から熊野街道を紀伊田辺の手前まで歩いています。四国お遍路も88カ所の朱印をいただきました。そして、なんとスペインの道を歩いているのです。
26kmのステージ。大聖堂があるブルゴスで2回目の休養日を予定していた。そこまでで歩いた距離は286km。気分的には4分の1という感じだ。
アタプエルカの丘の上に立つ木の十字架で。
天候には恵まれた。この日も良い天気。
世界遺産のブルゴス大聖堂。巡礼路の大都会。
巡礼では多くの人と出会いました。それぞれがしゃべる言葉は様々です。といっても、わたしはあれこれの言葉が話せるはずもなく、スペイン語はおろか、英語すらカタコトとなると、あたりまえに日本語をしゃべる日本人は、それだけで話しかけたくなる存在でした。
「リタイア3人組」と名づけたリタイア世代のおふたりとは、サンジャン・ピエ・デ・ポーから歩き始めた数日後にバラバラに知り合いました。中盤のレオンの街角では、何日かぶりにそれぞれとばったりと出くわしました。「カミーノ・マジック」という言葉があります。縁のある人とは、不思議と再会するものなのです。
30数日間、ほぼ同じ時間に同じ道を歩いていましたが、3人そろって同じアルベルゲに泊まったのはレオンの次のビジャダンゴス・デル・パラモの1泊だけです。ほどほどの距離感がいいのです。サンティアゴ・デ・コンポステーラでは一緒に到着の祝杯を揚げ、大西洋に突き当たったフィニステーラの「0キロ」のモホンの前で記念撮影しました。
びっくりするような出合いもありました。
アルベルゲでシエスタ(昼寝)ののんびりとした時間を過ごしていると、LINEにつながっているスマートフォンが鳴りました。小、中学校時代から友だちのTくんからでした。同じ時期にパリに旅することは聞いてました。
「オレ、やよいさんのパリ郊外のお城のような家に泊めてもらってるんだよ」
続いてそのやよいさん。
「わたしのこと覚えてる?」
ちょっと焦りました。実はあまり記憶がなかったのです。わたしが学んだ京都市内の中学校は、ベビーブーマー世代とあって1学年で13クラスもありました。3年間、同じ中学校に通っても、同じ教室で授業を受けたことはあったのでしょうか。
「サンジャック(サンティアゴ・デ・コンポステーラのフランス語読み)にも知り合いがいるから、困ったことがあったらいつでも連絡してきなさいよ」
これはうれしい言葉でした。もちろん、この巡礼にあたっては旅行傷害保険にも加入していました。それでも長い独りの徒歩旅です。何が起こるかわかりません。最大の安心保険になりました。
やよいさんは、大学を卒業してすぐに結婚。それ以来40数年、パリで暮らしているそうです。今ではすっかりパリのマダムです。
帰国後、やはり一時帰国したやよいさんに「おいしいワインをいっぱい持って帰ってきたから、飲みにいらっしゃい」と誘われました。あれこれと説明をきいても右から左に筒抜けでしたが、その味わいだけは記憶に残るようなワインの数々に、大きなフォアグラと、パリの味を堪能しました。こんな出会いもあったのです。
この日のステージは、オカの山を越えてサン・ジャン・デ・オルテガまでの25kmほど。
この日も良い天気だった。
炎天の下、オカを越えた。
サン・ジャン・デ・オルテガの修道院のアルベルゲでは、ニンニクスープのソパ・デ・アホがふるまわれることで知られる。期待したが、古いパンが入っているだけで、ニンニクの旨みがあまり感じられない、ちょっと肩透かしの味だった。
ベロラードの町を歩いていると、巡礼路の石畳にいくつもの足跡がレリーフになって埋め込まれていました。大きな手と足でした。だれだろうとかがみこむと、添えられたサインは「マーティン・シーン」と読めました。
サンティアゴ巡礼をテーマにした米国映画「星の旅人たち」(原題は「THE WAY」)は、DVDを買って、何度も繰り返し見ました。
米国西海岸の眼科医がゴルフ場でプレー中に、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼に旅立った息子がピレネーで遭難死したことを知らされる場面から始まります。その眼科医である父親を演じていたのがマーティン・シーンです。
その父親が、疎遠になっていた息子の自分探しの旅を追体験するようにカミーノを歩き始め、ストーリーは展開します。偶然出会った3人の男女が絡んで巡礼は続きます。「さあ、人生の旅に出かけよう!」というキャッチコピーがついています。
映画で見たその人(シーン)の足跡と手形を見て、わたしもあの映画に出てきたカミーノを歩いているんだと、あたりまえのことに感動しました。
わたしが最初にカミーノを知ったのは、通勤帰りの大阪・梅田の書店でたまたま手にした一冊の本でした。「世界遺産 サンティアゴ巡礼路の歩き方」(日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会、世界文化社)はグラビア満載です。カミーノのルートから歴史、体験談、巡礼の手引きまでが記されていますこれがきっかけで、わたしもいつかはカミーノを歩こうと思い立ったのです。
カミーノの映画ではもう1本。「サンジャックの道」というのがのがあります。帰国後にレンタルビデオ店で探しました。こちらはフランス映画で、フランスのル・ピュイからサンジャン・ピエ・ド・ポーまでがメーンの舞台。遺産相続の条件として仲の悪い3兄弟がカミーノを歩く物語です。こちらのキャッチコピーは「人生ってすてたもんじゃない。」カミーノとは人生の縮図のようです。
今ではわたしの本箱に、何冊ものサンティアゴ巡礼に関する本が並んでいます。