あちこちで日の丸に「Sushi」と書いた看板を見ました。もっとも、日本のすしとはちょっと違うようで、実際に経営者は韓国や中国系が多いそうです。
この看板は、ハイリゲンシュタットの地下鉄にあったスタンドで見かけました。
Sesamhühuchen 「ごま味の若鶏」となりますが、カレーソース風味とあるので、チキンカレーみたいなものでしょうか。
Fischtempura これはわかります「天丼」です
Vegetarisvhe Box ベジタリアン・ボックスです。なぜか豆腐がのってます。
Japan-Ente Enteは鴨ですが、なぜJapanとつくのかわかりません。照り焼きソースでぱりぱりに焼いたとり肉が載ってます。
どれも3.8eur、日本円にして530円ほど。コンビニ弁当と大差ありません。 (2005/05/17)
カテゴリー: ちょっと遠出
Beethoven Frieze
「黄金のキャベツ」をいただくセセッション(分離派会館)の地下には、グスタフ・クリムトの壁画「ベートーベン・フリーズ」が展示されています。1902年に開かれた分離派展のために作られたフレスコ画で、壁面の三方に描かれています。ベートーベンの「交響曲9番」をモチーフに、社会への風刺と幸福への憧れを表現しているそうです。
ちょっと戸惑ったのは、料金を払う場所が見あたらなかったこと。そのまま展示室まで入ってしまいました。どうやら無料だったようです。それならと、カタログを購入しました。 (2005/07/17)
「田園」の夏の家
「夏の家」というのもありました。1898年の夏、この家の2階の部屋を借りて「田園」を完成させたそうです。
ちょっと疲れたので、ここからバスに乗り、二駅先のグリッツィングまで行きホイリゲに直行しました。 (2005/05/17)
ここで「合唱」が
ベートーベンガング(小径)からエロイカ(英雄)ガッセ(通り)と下ってきて、ここのホイリゲはまだ閉まっているねとベンチに腰掛けました。ペットボトルを口に見上げると、「史跡」を表す4本のリボンが。
ベートーベンが第9の4楽章「合唱」の部分の構想をふくらませたという「メイヤーの家」でした。
「引っ越し魔」のベートーベンらしく、あちこちの家に滞在したようで、また、その記録が残っているのがすごいところです。 (2005/05/17)
ハイリゲンシュタットの遺書の家
ベートーベンが弟あてに遺書を書いたという家です。この家を気に入っていたそうで、11回も滞在し、交響曲2番はこの家で生まれたそうです。
路地に面した家の木のドアを押すと、中庭が。正面に、その家はありました。展示室になっており、おじいさんから「見るのか?」といった感じで入場料を徴収されました。そして、「遺書」の説明をしたガイドブックの日本語ページを開いて「ここを読め。買わなくていいから、すんだらここに置いといてくれたらいい」と言い残して、どこかに行ってしまいました。なかなか親切でした。
ご主人はどちらに?
カーレンベルクの丘から散歩してくると、あたりののどかな風景とは不調和な屋敷の横を通りました。何台もの監視カメラが周りを見回しています。
ここの元ご主人はイラクのフセイン大統領だそうです。この細い坂道を登って、あのかたもやって来たのでしょうか。
いまは、イラクの公館になっているらしいですが、どなたもお住まいの様子はありませんでした。 (2005/05/17)
ブドウ畑の向こうに
ウィーン北郊のカーレンベルクの丘から下ってくると、一面、ブドウ畑が広がります。彼方にはドナウの流れと「第3の男」の観覧車があるプラターが。そして、ウィーンの市街からシェーンブルン宮殿までが見渡せました。 (2005/05/17)
ホイリゲでのんびりと
グリッツイングにあるホイリゲ「Zum Martin Sepp」です。キノコ料理が人気という店ですが、季節はずれのうえ、さすがに昼前からここにくる客は少なかったようです。それでも頼みました、「ワインを」と。
新酒のワインを飲ませてくれる酒場です。料理は、店内のウインドーをのぞいて、「これ、とあれ」と指さすだけです。
こんな時間から酔っぱらって、最高です。
ちなみにお代は-
店内でもらったのが右の精算書
ブタの焼き肉 32eur/kgの肉を1切れもらって172g、5.5eur
添え物(小)×2 ブロッコリーとポテトを頼みました 1.5*2=3eur
サラダ(大) 生野菜などを大皿に盛りました 6.9eur
これに野外のテーブルで頼んだワインが2つ。これが手書きの精算書にある4.40eurで合わせて19.8eur、日本円にすると2800円ほどになりました。 (2005/05/17)
ベートーベンの散歩道
ベートーベンが「田園」の曲想を得たという小川が流れてます。
Beethovengung
いまでは、すぐ近くに住宅があって、その小川も下水が流れ込んでいるのか、ちょっと幻滅の風景でした。当時は、馬車に揺られないとやって来られない田舎だったのでしょうが。
雰囲気はわかりました。もうちょっと坂を下れば、あのホイリゲです。
(2005/05/17)
マロニエの咲くころ
和名はセイヨウトチノキ。パリなどの街路樹で知られてますが、花を見たのは初めてです。遠くから見ると、白っぽい房が上向きについているようにみえますが、近寄るとちょっとピンク色の花弁が可憐でした。あちこちで見かけましたが、写真はウィーン郊外のカーレンベルクの丘です。 (2005/06/17)