京都・竹田 中華川食堂の麻婆麺

 自転車を漕いで京都・竹田までやってきました。赤い鳥が歌った「竹田の子守歌」のその地です。「食べログ」を検索した中華川食堂で昼飯にしました。麻婆豆腐の人気店でした。
 わたしは「麻婆麺」(870円)です。
 一気に汗が噴き出しました。辛いです。この上に5段階ほど辛いのがあります。どんな舌をしているのでしょうか。

 細い麺です。でも麻婆の辛さに参って、麺の味はそれほどわかりませんでした。

 生中には、「これでお待ちください」と、いい塩梅のイカの塩辛がついてきました。

 デザートは、ミニ大福でした。辛いのの後で、甘さが引き立ちました。

 5段階の辛さアップの他に、ニンニク増量とかのオプションもあります。

 中華川食堂
 050-5872-5983
 京都市伏見区竹田中内畑町171 第2コーポ森崎 1F

京城勝覧を巡る 第十二日 戀塚寺~盛遠と袈裟

 江戸時代の京都ツアーガイド、「京城勝覧」(貝原益軒)に沿った京巡りは第十二日です。『鳥羽を通り山崎にゆくみち』が記されています。
 『下鳥羽』の説明に、『道の東がはに戀塚寺(れんちょじ)あり。源渡(みなもと・わたる)が妻の塚あり。是鳥羽の戀塚(こいづか)なりといふ』とあります。
 北面武士、遠藤盛遠(もりとお、後の文覚)が自ら殺めてしまった恋する袈裟(けさ)の菩提を弔うために建立したと伝えられている寺です。
 高校生の時に初めて読んだ「新・平家物語」(吉川英治)以来の懐かしい名前でした。

 境内には、袈裟の塚と伝わる宝筐印塔があります。

 盛遠が北面武士として警護にあたった鳥羽離宮の南殿跡です。

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京城勝覧を巡る 第十一日 雲母坂から比叡山に登る

 貝原益軒が記す京都ガイドブック「京城勝覧」の第十一日は、「艮(うしとら=北東)」の方角で、「比叡山に行道をしるす」です。『きらゝ坂(雲母坂)』から『比叡山』に登ります。
 雲母坂は久しぶりです。初めて登ったのは、小学5年でした。もう60年も前のことです。夏休みの自由研究の「比叡山に登る地図を作る」がテーマだったはずです。友だち2人と一緒でした。
 ケーブル比叡駅には、大きな「HIEIZA」ができていました。あいにく曇っていたのでカラーがイマイチですが、とりあえず「還暦!登山達成」です。
 

 大比叡(おおびえ、848.1m)上まで登りました。冷たい風が吹きつけ、冬到来を思わせました。

 阪急を烏丸で降りて、志津屋四条烏丸店に寄ってきました。志津屋といえば「カルネ」でしょう。やはりうまいです。

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ショパンコンクール 反田くんはあす2:50~

 ワルシャワで開かれている第18回ショパンコンクールは、ついにファイナルを迎えました。80人が参加した1次予選から2次、3次と絞り込まれ、ファイナル出場者12人が選ばれました。このうち日本人は2人。期待の反田恭平くんも残っています。
 ファイナルはショパンのピアノ協奏曲を演奏します。そのプログラムが発表されました。反田くんは、あす未明の2時50分からです。
 1次のときは、未明に起き出して防音した部屋の小型スピーカーで聴きました。今回はオーケストラつきなので、大きなスピーカーでゆったりと聴きたいです。さて、いかがしましょうか?

 立派な胡蝶蘭です。わが家がレストランを開業したお祝いというわけではありません。
 知人にいただきました。花が終わったら、奥さまが株分けして、もう一度咲かせるそうです。里帰りすることができる日を楽しみにお待ちください。

天理 さかえ食堂の「おろしロース豚カツ定食」

 笑えてくるほどにデカいトンカツです。おまけに子分を引き連れています。
 JRと近鉄の天理駅から5分ほどの「さかえ」は、天理大学の体育学部からもすぐ近くです。信者ではなくて、そちらのご用達の店のようでした。
 人気の「A定食」は、トンカツ、から揚げ、エビフライがドーンと出てくるようです。わたしはとても食べられないと、つつましやかに一品の「おろしロース豚カツ定食」(830円)にしました。
 軟らかい肉です。サラっと揚がっているので、予想に反してボリューム感はさほどではありませんでした。たっぷろのおろしポン酢をつけて、おいしく食べ進みました。

 何気なく「生中」と頼みました。「もう終わったんや。ことしは、ほとんど商売にならんかった」とおかみさん。良く冷えた瓶ビールがあるので、それで満足です。

 見覚えのある顔が並んでいます。常連だったのでしょう。

 学生の4人組は、それぞれがスマホを見つめていて、静かでした。
 それにしてもすごいメニューです。反対側の壁には、麺類がズラリと。

 さかえ食堂
 0743-63-4680
 天理市田井庄町582

伊勢参り その5 山の辺の道・北ルートを石上神宮まで

 歩いて伊勢参りの旅は、暑い日は敬遠しているうちに3カ月がたとうとしています。「ことし最後の夏の1日」となりそうなまだまだ暑い中を山の辺の道・北ルートの円照寺から弘仁寺、白川ダムを通って石上神宮までの12キロほどを歩きました。

 ピンクのシュウメイギクが咲いていました。

 訪れる人もない山寺といった風情の弘仁寺ですが、重層のどっしりとした本堂がありました。

 石上神宮の一番の人気者です。参道を闊歩しています。

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京都・錦 円屋の日替定食

 京都で独り昼飯になりました。大丸京都店の裏通り(錦小路)辺りをうろうろして入った「円屋(えんや)」です。「地鶏とおでんの居酒屋」ということですが、それは夜の顔。ランチタイムの「日替定食」(800円)は、魚か肉かの二択でした。
 鰆の西京焼きがメーンです。炭火で香ばしく焼いてあります。
 3皿がついてます。おから、もやし、青菜と、どれも薄味です。しば漬けのなすがジューシー(?)でした。どこの店のかを聞いておくべきでした。

 オリジナルグラスは、ギンギンに冷やしてあります。

 古民家を改装しています。振りむけば坪庭です。

 民家を貫く三和土(たたき)もおしゃれです。

 2階にも客室があるようです。

 この路地を入ったところです。

 円屋 
 075-213-3451
 京都市中京区高倉通錦小路上ル貝屋町564-136

八幡・橋本 「やおりき」のランチ

 京阪橋本駅の目の前に、なんともノスタルジックなたたずまいの「洋食の店 やおりき(八尾力)」がありました。きょうはいつもより1時間遅く、正午になって店が開くのを待って一番乗りしました。
 「ランチ」(800円)です。ちょっと待たされました。おかみさんが独りで、おおいそぎ調理してくれました。
 手作り感満点のハンバーグです。ちょっと大きめに刻んだタマネギが甘いです。 

 圧倒的迫力の目玉焼きです。ジュワーッと黄身がこぼれました。

 「大正10年に、主人のおじいちゃんが開いたんです」とおかみさん。ということはことし100歳の、立派な百年食堂です。売春防止法が施行される前の橋本がにぎわっていた時代も、壁のおじいさんの古時計は知っているのです。

 リーズナブルなメニューです。
 常連のおじいちゃん、あばあちゃんがやってきて昼ご飯を食べていました。

 アサヒビールの「スタイニー」は、昭和39(1964)年に発売された小瓶のビールでした。

 京阪の改札をでて、わずか3メートルの近さです。

 やをりき
 075-981-6636
 八幡市橋本中ノ町33

京城勝覧を巡る 第十日 男塚女塚と橋本

 江戸時代の京ツアーガイド「京城勝覧」(貝原益軒)の第九日は、「高雄槇尾栂の尾に行道」です。
 きょうはちょっと天気も悪そうなので、第十日「八幡山にゆく道」を先取りしました。石清水八幡宮がある八幡までは、わが家から歩いてでも行ける距離ですが、車で麓を巡りました。

 京城勝覧では『男塚女塚あり。女郎花(おみなえし)の名所なり』と記されています。
 その女塚、通称「女郎花塚」は、石清水八幡宮の南にある「松花堂庭園」の中に残ります。

 傍らに咲くオミナエシです。秋の七草のひとつですが、実際には夏から咲いていて、もうお終いです。

 謡曲「女郎花」について説明されていました。

 静かな松花堂庭園を一周しました。
 江戸時代初期の文化人、松花堂昭乗が当初『石清水八幡宮』の境内に造った草庵「松花堂」などを明治になって移築した回遊式庭園です。

 あちこちに茶室があります。
 ただし、「松花堂」がある内園は、3年前の大阪北部地震の被害を受けて、修復のために閉鎖中でした。

 椿園には、いろんな椿があります。今は花はありません。

 土産店は「おみなえし」という店名でした。

 入園料は100円でした。
 隣には、松花堂弁当が食べられる「京都吉兆 松花堂店」があります。ただし、本日はまだ閉まっていました。開いていても、5000円オーバーの弁当です!
 「京都吉兆 松花堂店の松花堂弁当」はコチラ。

 この辺りの住所は「八幡女郎花」です。

 東高野街道を1.5キロほど北に戻り、八幡市図書館へ右折した路地です。
 アスファルトに埋もれかけて、「小野頼風塚」の石碑が立っています。

 民家の間をすり抜けたところにある『男塚』、通称「小野頼風塚」です。

 芦は女塚の方にたなびくので「片葉の芦」と呼ばれるそうです。残念ながら、雑然と茂ってました。

 東高野街道は高野街道につながり、高野山に達します。さらに小辺路を熊野神社まで歩いたことがあります。
 

 男女は『放生川』に身を投げまし。

 左の鳥居が、『山下にも高良(たから)のやしろ有』と記された高良神社です。

 車で走れば10分ほどの橋本までやってきました。大坂と京都を結ぶ京街道の中間にあり、石清水八幡宮の参詣口としてもにぎわった町です。
 コインパーキングに駐車して京阪電鉄の踏切を渡ります。向こうには、雑草の茂る空き地がありました。

 こちらは3年前の資料写真です。友だちと折り畳み自転車、DAHONで走ったことがります。
 橋本遊郭の歌舞練場だった立派な2階建てが残っていました。すでにツタで覆われていますが、朽ちて撤去されたようです。

 そのときに教えてもらった西遊寺の門前の石碑です。
 「湯沢山茶九蓮寺」と彫られています。
 山崎の合戦の折、立ち寄った羽柴秀吉が茶を所望したところ、洞ヶ峠を決め込んだ寺は、湯だけを提供したそうです。そこで秀吉の命名です。「ゆ たくさん、ちゃ くれん 寺」

 ちょっと見には、古い街道筋の風情です。

 こんなに装飾を施しているのは民家ではありません。

 今は旅館になっています。営業を続けている店は、多くはありません。

 軒下に残る電燈照明の跡です。これが遊郭だった名残です。

 渡し場の跡です。
 柳谷観音、山崎、愛宕と対岸の地名が並びます。

 淀川堤防から町並みを振り返ります。

 正面が天王山です。アサヒビール大山崎山荘美術館の赤い屋根が見えます。

 西を向くと、水無瀬のわたしの住むマンションも見えています。

 京阪橋本駅前の食堂で昼飯を食べて帰宅しました。

ショパンコンクール 2nd round  準備完了

 第18回のショパンコンクールがワルシャワで開かれています。ポーランドという遠い国でのステージですが、今ではネットのYouTubeライブ中継ですべての出場者の生の音をリアルタイムで聴き、見ることができます。
 80人ほどの1次予選の間、わが家のリビングにあるオーディオ装置につながったテレビは、大音量のピアノが鳴りっぱなしでした。
 さて、きょうから2次予選です。日本人は8人も残りました。奥さまたちの大注目、反田恭平くんはあす10日午前3時50分からの演奏となりました。
 奥さまは早起きするそうですが、問題はどこで聴くかです。草木も眠る丑三つ時過ぎに、マンションで大音響は発せられません。
 わが家には防音したピアノレッスン室があります。そちらで聴けるようにわたしの部屋の装置の引っ越しをしました。

 ノートパソコンには、小さなスピーカーがついてますが、これではたいした音は出ません。
 アンプとスピーカー、それにUSB-DACをつなぎました。
 このUSB-DACは、デジ・アナ変換部は安価なキットですが、出力部にトランスを入れてインピーダンス変換をしています。柔らかい音が出ます。

 スピーカーは、ヤフオクで落札。ウォールナットの突板を張ってきれいにしたAURATONEです。 
 モニタースピーカーらしく、近くで聴くと素晴らしいピアノを響かせてくれます。
 ちょんまげ姿の画像は、1次予選の反田くんです。また全曲を聴いてしまいました。

 準備万端です。
 さて、わたしは今夜はどうしましょうか?