昭和の京都の町を、市電が走ります。懐かしい光景です。
JR嵯峨駅の前にとまっているのは、嵐電でしょうか?
この車両は、ペーパー製キットを組み立てたものです。「みにちゅあーとプチ なつかしの電車」のタイトルで、京都のメーカー「さんけい」が発売しています。さっそく、その会社へ行き、1号車と3号車(どれも980円)を買いました。
1号車は、京都市電の1800型をモデルにしているのは明らかです。
昭和の京都の町を、市電が走ります。懐かしい光景です。
JR嵯峨駅の前にとまっているのは、嵐電でしょうか?
この車両は、ペーパー製キットを組み立てたものです。「みにちゅあーとプチ なつかしの電車」のタイトルで、京都のメーカー「さんけい」が発売しています。さっそく、その会社へ行き、1号車と3号車(どれも980円)を買いました。
1号車は、京都市電の1800型をモデルにしているのは明らかです。
キュウリのピクルスを漬け込みました。夏休みに軽井沢で買ったピクルスが、酒のつまみに最適でした。
レシピを見ていたら、簡単そうなので、さっそく挑戦となりました。
漬け込む容器は、百均で探してきました。普通のビンならありますが、口が細くなってます。広口の方が、取り出すのに便利なはずです。
キュウリは京都産で、1本38円でした。塩を振ってラップで包みます。
レンジで40秒、加熱します。
半分に切って、ビンに入れます。3本のキュウリがちょうど納まりました。
香辛料です。ブラックペッパー、シナモン、ニンニク、ベイリーフ、パセリの茎、タカノツメです。
ピクルス液は、砂糖、酢、水がそれぞれ1/3カップに塩少々です。わたしは水を減らして、その分を白ワインにしました。
ピクルス液がたらないため、隙間にニンジンを詰め込みました。
最後に容器ごと40秒、レンジで加熱して完成です。
熱が取れたら、すぐにも食べられるそうです。どんな味がするのか、楽しみです。
レシピは「ムラカミマジックでうちごはん優等生!」(マガジンハウス刊)です。
JR山陽新幹線の人気列車「ひかりレールスター」が2011年春以降、順次廃止されることになりました。車両は、「こだま」に転用されます。
姿を消すのはまだ先ですが、15日に新大阪から岡山まで乗りました。
新大阪のホームを出発する列車です。
わたしが乗る列車が、ホームに入ってきました。隣のホームには、100系「こだま」がとまっています。
「かものはし」の愛称がある700系が、8両編成になってます。
大阪よりの先頭車にはコンパートメントもあります。乗ったことはありません。
電光掲示板に「Rail Star」の文字が流れます。案内チャイムは、Discover Japanのテーマ曲だった「いい日 旅立ち」です。懐かしいです。
かつて、岡山に勤務していたときは、レールスターなんてありませんでした。でもこのメロディーは流れていたのでしょうか。
11月に姿を消す「0系」にも会いたかったです。
帰り道の島本駅にあったパンフレットです。0系が動いている時刻表が出ています。それを見ると、岡山駅で遭遇することが可能でした。まだまだ「鉄分」が足りません。
倉敷の大原美術館に行きました。ところが、ところが…。お目当ての展示に出会えず、がっくりときて窓の外を眺めました。
大原美術館のパンフレットです。本館の展示物として、真っ先に紹介されています。
セガンティーニ「アルプスの真昼」(1892年、油彩)です。記念に買った絵はがきの画像です。
本館に入るなり、聞きました。
「セガンティーニはどこにありますか?」
「すみません。貸し出し中で、展示されてないんですよ」
「そうなんですか」
ホンモノは、スイス・サンモリッツに里帰りしています。その後、チューリッヒに行き、帰ってくるのは来年の1月中旬だそうです。
それならばと、棟方志功に会いに工芸館にいきました。そこに「釈迦十大弟子板画柵」はありませんでした。
私の書棚には、絵はがきを飾っています。でも本物の迫力に再会したかったのです。
美観地区は雨でした。そんなこととか関係なく大勢の観光客でした。
京都・祇園の「石塀小路(いしべこじ)」を歩きました。
清水寺から産寧坂、二年坂と下り、豊臣秀吉の妻、寧々ゆかりの高台寺近くまできます。左手に、あまり目立たない路地があります。そこが、目指す石塀小路です。
小料理屋など、夜が商売の店ばかりです。昼間は人影もまばらです。
ジグザグの道を、石塀に沿って下っていきます。
最後は、民家の下を通り抜けます。
向こうから不思議そうにこっちを見ていたビデオ片手の外人さんに話しかけました。「高台寺への近道ですよ」と。わたしの英語、通じたかな?
通りに抜けると祇園下川原です。こんな風景にも出会います。といってもこれはホンモノの舞妓さんではありません。こんな衣装に変身して、町を歩く舞妓体験が流行っているのです。
ところで、、このページのカテゴリーが「京都市電の残影」となっているのに気づかれましたか。電車は登場しませんがね。
小路の御影石が、京都市電の軌道敷に敷かれていた石なのです。京都市電の廃止後、取り外した石が再利用されました。銀閣寺近くの哲学の道や、西京極競技場のマラソンゲート前などにも敷かれています。
宇治・平等院で行われた「JAL 平等院音舞台」を楽しみました。幻想的な雰囲気の中で繰り広げられました。舞台は、10円玉にもなっている平等院鳳凰堂です。
正面からだと、阿弥陀如来も拝めたはずです。
雪も舞う日に訪れた鳳凰堂です。正面から見ると、ちょうど阿弥陀如来坐像のご尊顔を拝することができます(2008/02/03撮影)。
両翼の鳳凰は、夜空に光ってますが、堂内にはすでに光がありません。残念です。
開演前の鳳凰堂です。でも座席が最悪でした。ホールではないので、客席はフラットです。後部だったので、座っていたのでは何も見えません。首をあげて、前列の隙間から出演者の頭の先がのぞく程度でした。
それでも「Celtic Woman(ケルティック・ウーマン)」の澄み切った歌声は素敵でした。「You Raise Me Up」が、真っ暗な夜空に吸い込まれていきました。
チケットを引き替えた後、時間があったので門前の茶店でソフトクリームを買いました。宇治茶の産地です。抹茶がたっぷりとかかっています。「スイーツの横綱・大乃国も食べたソフトクリーム」だそうです。
音舞台は、郵送とネットで申し込みました。そのうちのどれかが当選しました。無料ですから、少々座席が悪くても、文句はいえません。夕立が降ったばかりだったので、ビニール製の雨具までくれました。
10月5日の深夜0:30からMBSで放映されます。それを見て、舞台の画像を確認します。
梅小路公園からの帰り道、傘をさして歩きました。七条西洞院まできて、「そうだ、ここを北野線が走っていたのだ」と立ち止まりました。
北野線が廃止になった昭和38年(1963)から45年もたっています。当時を伝えるものなどあるはずがないと思ってましたが…。
左側の3本目の電柱に、釘付けになりました。他のコンクリート製の電柱とは、この1本だけが明らかに違います。
近づいて見上げました。擬宝珠(ぎぼし)をかぶせたような、特徴的な格好をしています。
昔の市電の架線を支える電柱は、鉄製(?)でした。どれもてっぺんに個性がありました。この写真は、旧錦林車庫(左京区)の前に残る電柱です(2008/06/28撮影)。
鉄のパイプをつなぎあわせた電柱なので、中は空洞です。だから頭に「帽子」が必要なのでしょう。
「RM Library N電 京都市電北野線」(ネコ・パブリッシング)は、「京都市電の残影」を追ううえでのバイブルのような出版物です。「北野線のちんちん電車「N1」」では、大阪市立中央図書館で借りたものでしたが、その後、購入しました。
それを調べると、34、35ページに、こんな写真がありました(撮影・高橋弘氏)。七条西洞院からの光景です。
左側の信号機の下に写っている電柱を見てください。よく似てると思いませんか。
この写真は、七条から北を見ているのか、南を見ているのかは不明です。それにしても似ています。
精巧な1番ゲージ模型です。スイス国鉄Ce6/8Ⅱ「クロコダイル」です。
スイスからイタリアへ超える「ゴッタルト峠」で使用された機関車です。急勾配急曲線の山岳線を、ワニのように身をくねらせて重量貨物をひいたことから、この愛称がついています。
鉄ちゃんの会社の同僚から「行きますか」と招待券をもらってました。大阪・梅田の阪神百貨店で開かれていた「鉄道模型フェスティバル」をのぞきました。そこに展示されていたのが、鉄道模型製作歴76年という原信太郎氏のクロコダイルでした。13歳のときに、トタン板にタガネで窓を開けてつくったという第1号機関車も並んでました。
「スーパー鉄道模型 わが生涯道楽」(講談社α新書)に、原氏の鉄道模型にかける熱意が書かれています。
会社の帰りに、大阪市立中央図書館(西長堀)に寄り、ネット予約していた本を借りました。「スイス鉄道一人旅 行き当たりばったり路線ガイド」(知恵の森文庫、写真中央)です。1999年のスイス鉄道旅行記です。わたしが読んでいた、よく似た「予定なしの乗りまくりガイド」(同)は、2000年の旅行記です。
帰りの電車でさっそく読んでいると、すぐに「クロコダイル」が登場しました。
『この鉄道(イヴェルドン・サント・クロワ鉄道=YSteC)にはクロコダイル(鰐)の形をした名物電気機関車がいるのだが、これにまず敬意を表さないといけない』
そして筆者が最初の夜に泊まるのが、モンボヴォンという町の『駅の真ん前にあるホテル』です。
そこなら通ったことがあるはずです。1年前の写真を調べました。私が乗ったGPL(Golden Pass Line)の時刻表から11時30分すぎに通過しています。写真の撮影時間から、田舎駅のカットを割り出しました。拡大してみると、左側の道路沿いにある「50」の制限速度表示版の下に「Montbovon」の文字を確認できました。
ああ、わたしも「クロコダイル」に会いに行きたいです。
草軽電鉄は、長野・軽井沢と群馬・草津間55.5キロを結んでいた軽便鉄道です。廃線になって久しいです。
終点の跡地には、「草軽電気鉄道草津温泉駅跡」の石碑だけが建っています。
石碑は廃線約20年後の昭和58年に建立されています。
草が生い茂った「浅間台公園」の一角にあります。
偶然入った「道の駅」で、草軽の「デキ12」に遭遇しました。1/2か1/3の模型です。日本工業大学東京工業高校で製作されて寄贈されたと書かれています。
垂直に伸びる特徴的なパンタグラフが再現されています。「かぶとむし」と呼ばれた格好がよくわかります。
JR軽井沢駅前には、実物が保存展示されているそうです。それを見に行くつもりでした。ところが、軽井沢に行った最終日は雨。軽井沢駅南口のアウトレット・モール「軽井沢プリンス・ショッピング・プラザ」から、中軽井沢の「村民食堂」に直行してしまいました。旧JR信越線・碓氷峠の登りにあるアプト式軌道の「めがね橋」も、断念しました。
そういえば、わが「草軽駅」もほったらかしになってます。涼しくなれば、工事を再開します。