ベルギー第2の都市、アントワープ(アントウェルペン)のトラムです。細い路地の急カーブを走ります。
中央駅から「フランダースの犬」で知られるノートルダム大聖堂の最寄り停留所まで乗車しました。
車内アナウンスはなく、停車ボタンを押さないと通過します。おかげでひと駅、乗り越してしまいました。それも思い出です。
ノートルダム大聖堂では、ネロ少年が憧れたルーベンスの絵画を目にしました。
ベルギー・ビールもおいしかったです。
ベルギー第2の都市、アントワープ(アントウェルペン)のトラムです。細い路地の急カーブを走ります。
中央駅から「フランダースの犬」で知られるノートルダム大聖堂の最寄り停留所まで乗車しました。
車内アナウンスはなく、停車ボタンを押さないと通過します。おかげでひと駅、乗り越してしまいました。それも思い出です。
ノートルダム大聖堂では、ネロ少年が憧れたルーベンスの絵画を目にしました。
ベルギー・ビールもおいしかったです。
オーストリア第2の都市、グラーツは2度、訪れました。
ウィーンからOeBB(国鉄)で2時間半ほど。中央駅からグラーツ市電に乗ると世界遺産の旧市街です。低床式のLRTが次から次へと発車します。
2010年はまだ古い車両がほとんどでした。グリーンを基調としたシックな車両が、古い町並みに溶け込んでいるようでした。
9年後の中央駅前はすっかり変わっていました。そこに見覚えのある車両がやってきました。
エッゲンベルク城へもトラムに乗って行きました。豊臣時代の大坂を描いた「大坂図屏風」が残っていました。
My memoryのパート2は「トラムは素敵」です。
京都の市電は廃止されて久しいです。でもわたしが旅したヨーロッパでは、あちこちにトラム(路面電車)が走ってました。喜び勇んで乗りまわった思い出です。
第1回は、それに乗るために訪れたようなポルトガルのリスボンです。
エレクトリコの28番線は、「7つの丘」と呼ばれる起伏の多い町をガーガー、ギシギシと音を立てながらわたしを乗せて走りました。
端から端まで、坂から路地から、鉄分最高に楽しみました。
ケーブルカーの最前部でカメラを構えて坂道を登りました。
土産はブリキの電車でした。
JR京都駅前にそびえる京都タワーには「ニデック京都タワー」と冠がつき、地下1階のFOOD HALLはすっかりリニューアルされています。その一角にある鳥せい京都タワーサンド店だけは、昔からのままでした。
ひと回りして落ち着いたのは、こちらの「やきとり御膳」(980円)という無難な選択でした。
焼き鳥4串にサラダやご飯、みそ汁などのセットです。やはりうまい焼き鳥です。
もちろん生中もたまりません。
JRの「大回り乗車」で大阪、奈良を経由して京都へ行ったのですが、そのくだりは後半です。
うまいアテには飲み足らず「神聖」の蔵出し原酒を追加です。
伏見にある本店は、神聖の山本酒造の蔵が店舗になってます。そこで飲むのと同じ神聖です。きりりと冷えている旨味がたまりません。
9月4日は「くし」にひっかけて、焼き鳥が格安になってました。
かわときもを追加しました。
京都タワーサンド店
075-353-6339
京都市下京区東塩小路町721-1 ニデック京都タワービルB1F
鳥せい以外にも、インバウンドを狙ったような店がたくさんできていました。
あすからは寒くなりそうという天気予報です。その前に京都を歩きました。
テーマは「京都市電の残影」です。20年ほど前に、路線跡や保存車両を見て回ったことがあります。このブログにも、その記録は残っています。
北野線は京都駅から北野天満宮まで6.3キロをを結んでいました。昭和36(1961)年に廃止されるまで狭軌のままで走っていたチンチン電車です。
路線跡をもう一度、歩いてきました。
京田辺では、いくつもの天井川が木津川に流れ込んでいます。その下にレンガ造りのクラシックなトンネルがあって、JR学研都市線(片町線)の電車が走り抜けます。
「まんぼ」と呼ばれています。わたしの住む北摂では「まんぽ」と半濁音となり、鉄道と川、または道路との関係は逆になりますが、横穴という意味では同じ建造物のようです。
秋空の下、「撮り鉄」となってカメラをバッグに3つのまんぼを巡りました。
同志社前-京田辺間の南側にあるのが防賀川まんぼです。比較的新しいのか、小さなレンガが整然と並んでいます。
京田辺駅に近い馬坂川まんぼです。3連のアーチでつくられていて「みつまんぼ」と呼ばれています。トップの画像もそうですが、残念ながら両端の2つのアーチは雑木で覆われてしまっています。
京田辺ー大住間にある天神川まんぼです。現在も上部を天神川が流れていてます。
異常な暑さが続いた夏です。そんな中、「青春18きっぷ」がきっかけをつくってくれて元気に出歩くことができました。
金沢までの往復(4日)は、地元・島本を出発したのが午前7時56分。わずか4時間ほどの滞在で、帰り着いたのは午後9時25分でした。この間、往復で8本の普通列車(新快速1本を含む)を乗り継ぎました。
冷房がよく効いた車内で、コクリ、コクリ。車窓からは白山を眺めたくらいでしたが、満足のゆく「乗り鉄」の1日でした。
5回分を使いきった青春18きっぷです。
12050円でしたが、個別に運賃を払えばどのくらいだったのかを計算してみました。
島本-4070-宇野-4070-島本
島本-1980-姫路-4070-敦賀-1980-島本
島本-1690-篠山口-1690-島本
島本-1980-和歌山市-990-関西空港-1080-JR難波-390-桜島-490-元町、兵庫-1110-島本
島本-4510-金沢-4510-島本
合計すると34610円。なんと22560円分もトクをした勘定となりました。JR西日本さま、ありがとうございます。
おいしいものも食べました。
青春18 島本ー宇野往復 468.4km、8140円
青春18 宇野と姫路で食べました
青春18 姫路ー敦賀 224.8kmを新快速で
青春18 敦賀のソースカツ丼、姫路のえきそば
奥さまにレンタル(2000円)した3回目は、篠山口までの往復でした。こんな作品ができあがりました。
ブローチをつくる 野良着屋「白椿」のワンピースを飾る
青春18きっぷの旅も最終回(5回目)となりました。来年3月には北陸新幹線が敦賀まで延伸します。となると、青春では行けなくなる金沢に、うまいすしを食べに出かけました。
YouTubeで調べると、金沢駅近くの回転寿司で「おいし~い!」と、独りでゼロ4つ近くも食べておられるチャンネルもありました。わたしは、普通オンリー利用の青春にふさわしい「おいしくてリーズナブルな店、教えて」と、金沢にお住いのカミーノ仲間のK氏に尋ねました。
「ご一緒しますよ」と車で案内していただいた「海天すし金沢元町店」です。「本日昼十貫膳」(1998円)のセットを頼みました。
ふぐの白子、甘エビよりおいしいといわれるがす海老・・・と地魚を中心に並びました。どこで揚がったのかわからないようなマグロはいません。
天ぷらも、さりげなくうまいです。
下に隠れているエビの殻のかき揚げのようなのが、サクサクと最高でした。
もちろん生もいただきました。ドラーバーを務めていただいたK氏はノンアルで申し訳なかったです。
こんなのが1貫づつ並んだのですから、贅沢です。
海天ですが、回転はしてません。チェーン展開しているようです。
海天すし 金沢元町店
金沢市元町2-157-1
076-253-4483
ひがし茶屋街の近くにあるK氏の祖母の家です。赤壁が素敵です。
ここにK氏が「カフェくわじま」をオープンされたのは、2016年のサンティアゴ巡礼路のフランス人の道で出会った直後でした。

K氏も、わたしが5-6月に歩いたポルトガルの道に行く計画を立てておられます。先輩ぶって、あれこれと講釈をたれてきました。
K氏のFBにいつも登場する「あうん堂」にも立ち寄り、ネットの世界から抜け出して師匠ご夫妻ともお会いすることができました。
短い時間でしたが、車で案内してくださいました。
卯辰山から見下ろす市街です。
「冬のソナタ」さながらのメタセコイア並木です。
秋は色づき、冬には真っ白になるそうです。
近江町市場ものぞきました。加賀野菜のレンコンが並んでいました。
解禁になったばかりの底引きで揚がった甘鯛なんかが並んでいました。
お盆です。京都縦貫道はこれまでになく渋滞していて、舞鶴まで3時間ほどもかかりました。奥さまの実家の墓参りをして、JR松尾寺(まつのおでら)まで走りました。
舞鶴の東端にそびえる若狭富士(青葉山)の麓、西国札所の松尾寺の名をいただく駅です。
レトロな木造駅舎は国の登録有形文化財に指定されています。
そこにある映えスポットが、駅舎内のカフェ「Salon de RURUTEI」です。人気は「驛舎ねこのフロート」(700円)です。
かつて愛された猫駅長こと「ミーちゃん♀」が、クッキーになってトップにいます。この部分は、わたしは食べませんでしたのでお味は不明です。
トロリと濃厚なクリームです。
かき氷は、ちょっと粗目でザクザクとしています。抹茶の清々しい甘みが口に広がると、やがてガツンと冷たさが襲ってきました。暑い日にはたまりません。
松尾寺の門前にあった茶店「流々亭」が引っ越してきたそうです。
舞鶴で採れる茶葉を使った煎茶を中心に、ラテなどが並びます。トッピングもいろいろあって、頼むのに迷うほどです。ただしコーヒーはありません。
ショップにはとりどりの日本茶なんかが並んでいます。
奥さまは緑茶のティーバッグをお買い上げです。
1日に上下それぞれ11本しか列車がやってこない西舞鶴と敦賀を結ぶ小浜線のひなびた駅です。
見上げると掲示板があります。
「専貨」の「実績」とは、貨物の取扱量のことです。旧国鉄時代には、福知山鉄道管理局では最大の貨物取扱量を誇っていた貨物駅だったそうです。
かつての線路図も残っています。
現在は1面1線の棒線駅ですが、かつては何線もの広い側線があったようです。
ここから湾岸部の海軍火薬廠まで専用線も延びていました。戦後は日本板硝子の工場が誘致され、専用線として使われていました。
検札のない改札口を出てみます。
北向きの陽ざしが遮られた涼し気な待合です。
ホームへの階段を上がると、コンクリートに数字が残っていました。1959年1月につくられたということでしょう。
列車がやってこないレール上に降りてみました。
改修されてますが、駅が開業した1922(大正11)年に立てられた木造駅舎です。