「百塔の町」にして「石畳の町」でもあるプラハを、トラムが縦横に走っています。
ビルの下をくぐり、城をバックにして⋯。どこから見ても絵になります。
ケーブルカーにも乗りました。丘の上から茶色い甍が波打つ町を見下ろしました。
地下鉄にも乗りました。高速のエレベータで地下深くへと潜りました。
「百塔の町」にして「石畳の町」でもあるプラハを、トラムが縦横に走っています。
ビルの下をくぐり、城をバックにして⋯。どこから見ても絵になります。
ケーブルカーにも乗りました。丘の上から茶色い甍が波打つ町を見下ろしました。
地下鉄にも乗りました。高速のエレベータで地下深くへと潜りました。
「ロケみつ」とともに「大人のヨーロッパ街歩き」というテレビ番組を楽しみに見ていました。15年ほども前のことです。わたしも行きたいなと。
そこで知ったブリュッセル郊外の町、ストッケルで朝市を楽しみました。帰りはトラムに揺られて車窓を流れる風景を飽きずに眺めました。
郊外では、専用軌道をかなりの速さで走りました。「トラム・ミュージアム」という電停がありました。途中下車するのでした。
朝市では焼き立てのワッフルをかじりました。これもテレビ番組のレポーターだった大坪千夏さん(元民放アナ)を真似てでした。
ベルギーのスイーツといえばワッフルとチョコレートです。ピエール マルコリーニは、今ではグランフロント大阪にも出店しています。当時はここでしか買うことができず、店を探しました。
ドイツ中部のチューリンゲンの森に囲まれた町、エアフルトを訪れたのは30年も前のことです。インターネットやホームページが普及する前のことです。このブログを探しても、当時の記録は存在しません。
勤めていた新聞社への招待で、ライプツィヒからフランクフルトまでのゲーテ街道を旅しました。エアフルトで町を走る赤いトラムと初めて対面しました。
格好いいなあ!っと、何枚もカメラのシャッターを押しました。
まだデジカメが普及する前です。フィルム(銀塩)カメラで撮影しています。カラーネガと引き伸ばしたプリントが保存されていました。プリントをスキャナーで読み込みました。
「’95 8 20」と撮影日が記録されています。
仕事にはもっぱらNIKON F2Photomicを愛用していました。でも撮影日が入っているということは、その機能がある小型のCANON AutoBoyだったようです。
トラムが町の景観に溶け込んでいます。
当時は高床式のタトラカー(チェコ製)ばかりでした。
観光名所でもあるクレーマー橋です。川の上に商店や住居が建っています。
橋の上を歩いても、両側には商店が並んでいて、川面はまったく見えません。
橋上で撮影したのでしょうか。ご婦人が糸を紡いでいるようでした。
大聖堂の脇にある大階段です。ここは夏の音楽祭のオペラの舞台としても使われるそうです。
ちょっと色褪せたプリントをスキャナーで読み取りました。ネガ・スキャナーがあれば、もう少し色鮮やかにデジタル画像化できたかもしれません。
2012年に滞在中のライプツィヒからワイマールへ日帰りで行きました。往路に乗ったICE(高速列車)はワイマールを通過してエアフルトまで止まりませんでした。2度目のエアフルトでホームには降り立ちましたが、すぐにワイマールへと折り返しました。
ポルトからスペインの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで250キロほど。3回目のカミーノ巡礼はここから歩き始めました。
ポルト大聖堂を後にした巡礼路に沿ってトラムの1号線が走ってました。主に観光用として残っています。
乗ってみたかったのですが、巡礼は歩くのがすべてです。次々にやってくるクラシックなトラムを横目にし続けました。
ポルト大聖堂から黄色い矢印に導かれて歩き始めました。
市民の足はもっぱらメトロと呼ばれるライトレールです。市街地では地下を、町を出ると道路併用や専用軌道を走ります。
ドウロ川にかかるドン・ルイスⅠ世橋の上もメトロは行き交っていました。
異常に暑かった7月も終了です。今月の投稿回数はこれまでになく多い35回となりました。このうち半数が「My memory」です。音楽のこと、トラムのこと。あれこれと思い出を書き連ねてきました。
さて8月。まだまだ暑そうです。不要な外出は控え、エアコンを効かせたわが部屋でパソコンに向かいたと思います。
ドレスデンのゼンパー・オーパー(ザクセン州立歌劇場)から眺めたカトリック旧宮廷教会と王宮です。古びた石造りの建物に黄色いトラムが映えます。
ボンバルディア製のLRTが走っています。連接数が違ういろんなタイプが行き交います。
泊まったホテルの窓からも橋を渡るトラムを見ることができました。
ちなみにホテルは1泊100ユーロほど。おまけに1ユーロが100円を切るという円高でした。ざっと1万円です。こんな時代は思い出でしかありません。
ドレスデン 「Am Terrassenufer Hotel」のキャビア付き朝食
トラムが走れば、歩行者信号は赤です。
ミラノの中心、ドゥオーモ(ミラノ大聖堂)近くの路地で昼飯を食べました。大きなジョッキで乾杯です。
テーブルのすぐ後ろをオレンジ色のトラムが走り抜けました。運転席は前部にしかありません。後部は見事にすぼめられていました。急カーブを曲がるためのミラノ・ファッションだったのでしょうか。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアでポーズです。もう16年も前のことです。若かったですね。お腹が今ほどには出てません。下腹部の膨らみはパスポートを入れたウエストポーチです。
撮影してくれたのはひとり旅の阪大生でした。カフェで隣の席になったのでビールをおごりました。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後な晩餐」は、この教会にありました。
スイスの国旗は、真っ赤に白十字です。首都・ベルンのトラムも真っ赤っかでした。
アーレ川にかかるコルンハウス橋をトラムが渡ります。
ベルンの町は3方をアーレ川によって削られた砦のようになっています。
町のあちこちに趣向を凝らした噴水があります。水が飲めます。
トロリーバスも真っ赤でした。
ベルギー第2の都市、アントワープ(アントウェルペン)のトラムです。細い路地の急カーブを走ります。
中央駅から「フランダースの犬」で知られるノートルダム大聖堂の最寄り停留所まで乗車しました。
車内アナウンスはなく、停車ボタンを押さないと通過します。おかげでひと駅、乗り越してしまいました。それも思い出です。
ノートルダム大聖堂では、ネロ少年が憧れたルーベンスの絵画を目にしました。
ベルギー・ビールもおいしかったです。
オーストリア第2の都市、グラーツは2度、訪れました。
ウィーンからOeBB(国鉄)で2時間半ほど。中央駅からグラーツ市電に乗ると世界遺産の旧市街です。低床式のLRTが次から次へと発車します。
2010年はまだ古い車両がほとんどでした。グリーンを基調としたシックな車両が、古い町並みに溶け込んでいるようでした。
9年後の中央駅前はすっかり変わっていました。そこに見覚えのある車両がやってきました。
エッゲンベルク城へもトラムに乗って行きました。豊臣時代の大坂を描いた「大坂図屏風」が残っていました。
My memoryのパート2は「トラムは素敵」です。
京都の市電は廃止されて久しいです。でもわたしが旅したヨーロッパでは、あちこちにトラム(路面電車)が走ってました。喜び勇んで乗りまわった思い出です。
第1回は、それに乗るために訪れたようなポルトガルのリスボンです。
エレクトリコの28番線は、「7つの丘」と呼ばれる起伏の多い町をガーガー、ギシギシと音を立てながらわたしを乗せて走りました。
端から端まで、坂から路地から、鉄分最高に楽しみました。
ケーブルカーの最前部でカメラを構えて坂道を登りました。
土産はブリキの電車でした。