「西院淳和院町」 わたしの出生地は?

 「西院の永田助産院」と、母がわたしの出生地を教えてくれました。
 その西院近くに住むMOさんが、Facebookに建て替え工事中の阪急・西院駅や東北角の高山寺の門前にある「淳和院跡」の石碑について書いておられました。そのうえ、同じ助産院生まれだったという出生からの縁が明らかになりました。永田助産院はもう存在しませんが、どこにあったのかが急に気になってきました。

 阪急・西院駅で下車しました。ものすごい突風が吹きこんできました。
 この駅は、ホームに強い風が吹き抜けることで有名です。通過する電車が管内のピストン弁のように作用して、風を吸い込むのです。
 工事中とはいえ、パイプがむき出しの狭い空間です。 

 交番があったので、飛び込みました。若い警察官は、「うーん、わかりませんね。古い町名の地番がわかっているんだったら、法務局に行かれたらいいですよ」。親切でしたが、きょうは日曜日でした。

 「京都市右京区西院淳和院町15番地」と、わたしの戸籍には出生地が書かれています。当時、住んでいた家とは離れていますが、知り合いに教えられた助産院だったようです。
 西院淳和院町は、昭和29年に東西の淳和院町に分割されており、現在地はどこだかわかりません。

 とりあえずは、「西院から上がったところ。西大路に面していたはず」という、母の漠然とした記憶を頼りに、あたりを歩きました。
 聞き込み調査は、新聞記者だった若いころにはよくしたものです。ところが聞く相手がいません。コンビニやケーキ店はあっても、そこの若い店員が古い時代のことを知っているはずがありません。
 立派な「レディース・クリニック」がありました。これは助産院に通じますが、院長の名前は「永田」ではありませんでした。

 角を曲がってみると、次の2階建ての家になんと「永田」の表札があがってました。
 ここだと、無礼を承知で玄関のブザーを押してみました。でも不在だったようで、応答はありませんでした。

 なおも辺りをうろつきました。古そうな民家に暖簾がかかっていたのでのぞいてみると、ご主人が「うちはここに移ってきて10年ほどです。わかりませんね」。
 別の民家から出てきた男性に声をかけると、家の中の年配の男性呼んでくれました。「そこになんとかクリニックがあるでしょ。そこが助産院あったところです。わたしの兄も、そこで生まれました」
 これで裏(づけ)がとれました。「レディース・クリニック」が永田助産院の跡地で、隣の民家はその本宅(?)だったようです。

 20メートルほど北に、「西安食坊」と看板がかかったままの売り店舗がありました。ここでかつて「自家製チャーシュー入りチャーハン」を食べたことがありました。すぐ近くまで来ていたのです。

 西院のこの辺りは、平安時代には淳和院と呼ばれたところです。
 平安遷都をした桓武天皇の第7子として生まれた淳和天皇は退位後、御所の西にある西院を淳和院と改めて、ここで暮らしたということです。
 西院春日神社の境内には、淳和院の礎石が残っていました。

 西院は、「さい」とも読まれます。西院春日神社の前の通りは、佐井通り(春日通り)といいます。

 四条との角にある大型家電店が入居するビルの壁面に、淳和院の発掘記録を記したプレートがありました。

 淳和天皇は火葬され、その遺骨は大原野の西山(京都市西京区大原野南春日町の小塩山)山頂付近で散骨されたと言われています。そこには現在も淳和天皇大原野西嶺上陵(じゅんなてんのう おおはらののにしのみねのうえのみささぎ)があります。
 春に咲くカタクリの花を見に行く小塩山の保護地のひとつ、「御陵の谷」の御陵は淳和天皇陵のことです。

 嵐電の西院(さい)駅です。

 阪急の西院(さいいん)と接続するようになった新しい入り口から地下に降りて帰宅しました。

京都・裏寺町 「サラダの店 サンチョ」の「照り玉バーグランチ」と祇園祭

 京都府立医大で半年に1度の検診でした。異常はなく、四条河原町まで戻ってきてちょっと遅い昼飯です。裏寺町の「サラダの店 サンチョ」は、3時半までランチ営業をしてました。
 頼んだのは一番人気(だと思う)、「照り玉バーグランチ」(1000円)です。じゅわーっと肉汁が滴る、ちょっと甘口のハンバーグです。
 照り玉の玉は、ちょっと後ろになっている目玉焼きです。 

 レタスたっぷりのサラダです。

 ライスかパンの選択からパンにしました。バターロールに切れ目をいれて、バターが塗られています。

 前回も同じ照り玉ハンバーグを食べてます。

 サラダの店サンチョ 河原町本店
 075-211-0459
 京都市中京区裏寺町通四条上ル中之町572

 満腹になったので、四条通を西に歩きました。
 祇園祭の長刀鉾が建っています。長刀(なぎなた)の穂先がキラリと光ります。穂先が御所の方角を向くことはありません。

 『真木のなかほどの「天王座」には和泉小次郎親衡の衣裳着の人形を祀っている。屋根裏の金地著彩百鳥図は松村景文(1779~1843)の筆、破風蟇股の厭舞と小鍛冶宗近が神剣を造る姿の木彫胡粉彩色の彫刻は片岡友輔の作である。』(公益財団法人祇園祭山鉾連合会のHPより)

 鶴亀の「御献酒」はどこだろうとよく見るとー。月桂冠を大丸京都店が献上してました。

 提灯にその名がありました。

 女性を上らせる鉾もありますが、長刀鉾は・・・。これはしきたりです。

 菊水鉾の車軸には、菊の紋章。

 月鉾まで見て回りました。子どものころの記憶からすると、鉾ってこんなに小さかったかなと。

京都・六波羅あたりの路地を巡る

 六波羅密寺の辺りを巡りました。六原学区には約90もの細街路(幅員4メートル未満の道)があるそうです。その大半には名前がありませんでしたが、災害時などで場所が特定しずらいと、「みんなでつけよう ろじのあいしょうプロジェクト」が地元住民によって進められてきました。
 「大切にしたい京都の路地選」(京都市都市計画局)に紹介されています。先日、聞いた「京の路地シンポジウム」でその存在を知りました。
 

 建仁寺の南側です。向こうに清水の五重塔がそびえます・

 東山通から松原通りを西に入ったところで、新しい路地名を記したプレートを見つけました。

 路地は、京言葉では「ろーじ」と発音します。行きどまりの道です。小路は貫通しています。

 六道珍皇寺にやってきました。この前はいく度も通ったことはありますが、初めて参りました。

 陰陽師の小野篁が夜な夜な冥界と行き来したといわれる「冥途通いの井戸」が右奥にります。

 朱印をいただきました。

 次々とプレート発見です。

 この小路は、途中に階段があり、お地蔵さんも祀られていて雰囲気はよいです。ただし、プレートはありませんでした。。

 観光客でにぎわう六波羅蜜寺のすぐ近くです。路地名も「門前」だったり「裏門」だったり。

 正式な地番です。向こうはもう五条通です。

 色あせた看板です。黒字の部分だけが残って、もはや判読不能です。

 さらに歩き続けます。宝探しをしているようです。

 路地の奥に大きなスーツケースをもった外国人の家族連れを発見。

 民泊になっているようです。狭い階段を上がって、2階にステイ。それにしても、どこで探したのでしょう。

 さらに歩くと、見知った田中図子に行きつきました。

 お隣が有名なあじき路地です。家主の安食弘子さんは、シンポジウムのパネリストをしおておられ、その話を聞きました。

 風呂屋の煙突がそびえる、昔ながらの路地裏です。

中高野街道を往く その1 守口~平野

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 中高野街道は、守口から南に延びて放出、平野、松原を抜け河内長野で東高野街道、西高野街道と合流する30キロ余の参詣道です。
 急に思い立って、この夏空の下、守口から平野まで15キロほどを歩きました。

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 京街道の守口宿がスタートです。

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 きょうのコースで唯一の「中高野街道」の文字に巡り合いました。

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 東大阪の町工場の間を歩きました。ガレージから倉庫、工場まで何でも貸してくれます。

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 まだ昼前でしたが、熱中症になる前に平野の杭全神社でゴールとしました。

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わたしの熊野詣 都から高野、熊野本宮大社へ

わたしが歩いた京の都から高野山、熊野本宮大社までの道のりです。

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【プロローグ】

2004/04/16 熊野九十九王子を往く 京洛の熊野社

2010/02/27 京街道を上る 其の七 伏見宿から京・五条

2010/02/23 京街道を上る 其の六 橋本から淀宿を経て伏見宿へ

 

【東高野街道】

2013/04/14 東高野街道を高野へ その1 京阪・八幡市~京阪・郡津

2013/04/20 東高野街道を高野へ その2 京阪・郡津~近鉄・石切

2013/04/27 東高野街道を高野へ その3 近鉄・石切から近鉄・古市

2013/05/05 東高野街道を高野へ その4 近鉄・古市~南海・河内長野

 

【西高野街道】

2013/05/13 西高野街道 高野山女人堂への里程石をたどる

 

【中高野街道】
2016/07/05 中高野街道を往く その1 守口~平野

 

【高野街道】

2014/03/15 高野街道を往く その1 河内長野~御幸辻

2014/03/22 高野街道を往く その2 御幸辻~極楽橋

2014/03/30 高野街道を往く その3 極楽橋~高野山奥の院

 

【熊野古道・小辺路】

2015/11/07 熊野・小辺路(1) 紅葉の水ヶ峰越

2015/11/08 熊野・小辺路(2) 眺望ゼロの伯母子岳越

2015/11/09 熊野・小辺路(3) 快調に三浦峠越

2015/11/10 熊野・小辺路(4) 果無峠を越えて、熊野詣

 

【熊野九十九王子を往く(紀伊路)】

2004/07/03 熊野九十九王子を往く その1 北浜~四天王寺

2014/04/20 熊野九十九王子を往く その2 四天王寺~鳳

2014/05/04 熊野九十九王子を往く その3 鳳~東佐野

2014/05/11 熊野九十九王子を往く その4 東佐野~紀伊

2014/06/15 熊野九十九王子を往く その5 紀伊~海南

2014/07/01 熊野九十九王子を往く その6 海南~紀伊宮原

2023/09/21 熊野九十九王子を往く その7 紀伊宮原~湯浅

2023/10/16 熊野九十九王子を往く その8 湯浅~紀伊内原

2023/10/17 熊野九十九王子を往く その9 紀伊内原~印南

2023/10/18 熊野九十九王子を往く その10 印南~切目
 

【熊野古道 語り部と歩く(中辺路)】

2014/04/06 語り部と歩く 滝尻王子~高原熊野神社

2014/05/18 語り部と歩く 高原熊野神社~牛馬童子口

2014/06/23 語り部と歩く 牛馬童子口~小広王子

2014/07/27 語り部と歩く 小広王子~発心門王子

2014/11/30 語り部と歩く 発心門王子~熊野本宮大社

【デュアル・ピルグリムを目指して】

2020/03/26 デュアル・ピルグリム 中辺路を歩く1日目

2020/03/26 デュアル・ピルグリム 「霧の郷たかはら」の1泊2食

2020/03/27 デュアル・ピルグリム 2日目は中辺路を20キロほど

2020/03/27 デュアル・ピルグリム 2泊目は湯の峰温泉

2020/03/28 デュアル・ピルグリム 念願の認定!

2020/03/28 デュアル・ピルグリム 3日目はゴールの熊野本宮大社まで

京街道を上る」は、京-大阪間や、都へ上る道を歩いています。

 

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熊野・小辺路(4) 果無峠を越えて、熊野詣

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 熊野・小辺路も熊野本宮大社まで15キロほどを残すだけとなりました。最終日(4日目)は、久しぶりに太陽が顔を出しました。
 十津川温泉を出発すると、急坂を登った先に果無(はてなし)集落があります。「にっぽんの里百選」に選ばれている、古道沿いのかわいい集落です。そこを抜けると「世界遺産」の石碑がありました。向こうは、前日までに歩いてきた山々です。
 わたしのカメラも復帰して、きょうの行程はすべて私が撮影したカットです。

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 本宮大社まであと2キロほどの三軒茶屋跡です。ここで中辺路(なかへち)と合流します。昨年、歩いた見覚えのある道です。
 小辺路は高野山まで約78キロとあります。ゴール間近です。

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熊野・小辺路(3) 快調に三浦峠越

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 熊野・小辺路も3日目です。ルートは毎日、峠を一つ越えては次の集落へと下ります。この日は、三浦口から三浦峠を越えて、十津川温泉までの19.2キロの道のりでした。
 三浦峠への登り道には、古道の石畳道が残っています。雨露に濡れてきれいに光りますが、スリップして歩きにくいです。

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 三浦峠直下から振り返る伯母子岳です。
 この日もわたしのカメラはザックの中で、撮影は同行のSくんです。

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熊野・小辺路(2) 眺望ゼロの伯母子岳越

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 熊野・小辺路の旅のベストショットはこれでしょう。伯母子岳から三浦口に下る途中にある「上西家跡」です。小雨に煙る廃墟に残る大木です。
 残念ながらこれを撮影したのは同行の友です。一足先にブログ公開してごめんなさい。
 わたしのカメラは、降り続いた雨に耐え切れずリタイア。ザックに収まってました。この日の記録は、ほとんどが防水型タフなカメラをもっていたSくん撮影です。

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 日本二百名山の伯母子岳山頂です。標高1246メートルは、小辺路の最高地点です。眺望もよく、大峰・奥駆の山々も見えるはずなのですが、視界はほとんどありません。
 前日に登った田中陽希さんは、どんな光景を見たのでしょう。テレビ放映が楽しみです。

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熊野・小辺路(1) 紅葉の水ヶ峰越

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 紅葉を存分に目に焼き付けた熊野・小辺路でした。

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 カサコソと落ち葉を踏んで歩きました。

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 宿泊した「民宿かわらび荘」の前の川原樋(かわらび)川には、都会近郊にあれば紅葉の名所としてどっと観光客が詰めかけそうなスポットも。

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小辺路 「民宿かわらび荘」で陽希さんと食べたボタン鍋

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 小辺路の初日の思わぬ出会い。NH-BSの「グレートトラバース2 日本二百名山ひと筆書」に挑戦中の田中陽希さんにばったりと同宿。大股の「民宿かわらび荘」です。
 当然のことながら。いっしょの夕飯です。近郊で獲れた猪肉のボタン鍋です。

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 いつもは黙々と独り、おいしい皿を写してます。この夜は、対面に座った友がそんな私を写してくれました。
 鍋がグツグツを煮えてます。「最初から猪肉もみんな入れて、よく炊いたらいい味になるのよ」と民宿のおばちゃん。ホントにおいしかった。

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 仕上げの雑炊も絶品でした。
 この夜のわたしのカメラはブレまくりでした。

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 宿帳は、陽希さんと並んでます。

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 靴箱も、手前が陽希さん、向こうがわたしのです。

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 写真撮影にも気軽に応じてくださいました。

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 民宿かわらび荘
 奈良県吉野郡野迫川村大字北今西841
 0747-38-0157

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