京城勝覧を巡る 第八日 愛宕山にのぼる道

 貝原益軒の記す京のツアーガイド本「京城勝覧」の第8日は「愛宕山にのぼる道を記す」です。南東の清滝から表参道を登り、月輪寺を通って下るコースが紹介されています。
 わたしは丹波側の宕陰(とういん)にある嵯峨樒原(しきみはら)から裏参道を登り、表参道を下る縦走ルートを歩きました。
 愛宕神社の境内で食べた昼飯は、JR京都駅で買ってきた駅弁「六甲縦走弁当」でした。ご飯少な目、おかず豪勢、なにより器がコンパクトと益軒さんもうらやましがりそうな弁当でした。
 京城勝覧には「食」の話は登場しませんが、わたしにとっては欠かせないテーマです。 

 スタートの嵯峨樒原に立つ愛宕神社の鳥居です。ここまでが境内です。

 「火廼要慎(ひのようじん)」の神さまが祀られている愛宕神社です。愛宕山の山頂(924m)にあります。比叡山よりも高いです。三角点(889.8m)は、別の場所にあります。

 清滝近くまで下ってくると、愛宕山鉄道のケーブル軌道敷が残っています。6つのトンネルを抜けるこのルートを山頂駅まで登ったこともあります。

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京城勝覧を巡る 第七日 愛宕山鉄道の廃線跡と大河内山荘

 貝原益軒の記す京ガイド「京城勝覧」の第七日は、『嵯峨にゆく道』です。これまでになく多くの名所旧跡が網羅されています。『上下の嵯峨見所多し朝ははやく出べし』の注意書きもあります。
 わたしは最初に、益軒さんの時代には存在しなかった愛宕山鉄道の廃線跡をたどりました。
 愛宕山に登る参拝者を運ぶため嵐山駅から清滝駅までの普通鉄道路線(平坦線)と、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカー(鋼索鉄道)が、昭和4(1929)年に開設されました。しかし、戦時中にレールを軍に供出して、わずか15年で廃線となりました。
 その遺構は多くはありません。最大のものが、今も清滝につながる幹線道路として使われている清滝トンネルです。単線の鉄道トンネルとして開通しました。その途中には、架線柱の残骸が朽ちて残っていました。

 『野ノ宮(野々宮)』の辺りの竹林です。まだまだ観光客は少なく、静かでした。

 「大河内山荘」に初めて入りました。時代劇映画の大スター、大河内伝次郎が30年の歳月をかけて作り上げた回遊式の借景庭園です。これほど素晴らしい庭園とは知りませんでした。
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京城勝覧を巡る 第六日 善峯寺のシュウメイギクと金蔵寺のアサギマダラ

 貝原益軒の記した京ツアーガイド「京城勝覧」の第6日は『大原野 小鹽(塩)にゆく道』です。京都西山の淳和院の御陵がある『小鹽山』から『善峯寺』まで南下します。
 わたしは逆に歩きました。善峯寺は、境内に5000本あるというシュウメイギクがあちこちに咲いていました。
 『西岩倉』と書かれている金蔵寺では、満開のフジバカマの上をアサギマダラが乱舞していました。

 益軒は、東寺から吉祥院、桂の里、久世、向日明神と歩いて大原野に達します。小鹽山については『大原野の上の山なり』と書かれているだけです。

 『三鈷寺(さんこじ)』は、善峯寺のすぐ北にあります。初めてお参りしました。

 金蔵寺は、5月にクリンソウを見に来たばかりです。きょうも静かでした。

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京城勝覧を巡る 拾遺 『摂津国島上郡 名所古跡』

 貝原益軒の記した京都ガイド「京城勝覧」を活字化した「新修京都叢書 第十二」(野間光辰編、臨川書店)を読みました。17日に及ぶツアーガイドの「拾遺」として、氷室、大悲山、岩屋山、田原、松が崎が取り上げられています。
 末尾に『摂津国島上郡 名所古跡 山崎の南にあり今日より二日は往来す』(京城勝覧にでてくる地名などは『 』でくくります)とあります。わが町・島本と高槻がその舞台で、オリジナルでは5ページにわたって詳しく案内されています。
 『水無瀬川』を渡ります。向こうに見えるのが『水無瀬山』のはずですが、特定はできません。
 まだまだ暑さが残る1日でしたが、コピーした「京城勝覧」を手に名所古跡を巡りました。

 コースの登場人物の多くが小倉百人一首でおなじみです。

 西国街道の山城・摂津国の境から高槻まで歩きました。
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京城勝覧を巡る 番外 「京城勝覧」を買う

 京都・銀閣寺近くの古書店です。ここで探していた1冊の古本を買いました。
 古本購入もネットワークの時代です。「日本の古本屋」の在庫検索から探した本を取り置いてもらっていました。もちろん、送付もしてくれます。
 京都大学に近いこともあって、生き残っているのでしょう。老夫婦らしきお二人が店におられました。
 この雑然とした感じは好きです。どこかに宝物が隠れていそうで、わくわくします。

 「新修京都叢書 第十二巻」(野間光辰編、臨川書店)です。
 江戸時代中期の儒学者にして本草学者、貝原益軒が記した「京城勝覧」を、漢字にはルビを、流麗なひらがなは現代人にも読めるように活字化して編集したものが入っています。
 シリーズ本の1巻です。近ごろお目にかからないハードカバーに箱入りで、3300円でした。

 「5日目」として歩いた御室戸寺(三室戸寺)から「喜撰が庵のありしあとあり」のくだりです。
 わが家の墓がある興聖寺についても、詳しく書かれています。

オリジナルは、国立国会図書館デジタルコレクションから簡単にダウンロードすることができます。
 この文章がスラスラ読めたら、編集本は不要なんですがね。同じ日本語なのに。

 銀閣寺道から西に向いて歩きました。
 吉田神社を通り過ぎます。
 

 「2日目」で行かなかった百万遍の『知恩寺』です。

 広い境内は、手づくり市や古本市でにぎわいます。

 そのまま出町柳まで歩きました。
 「ふたば」の栗餅でもみやげに買おうと思ってましたが、定休日でした。

京城勝覧を巡る 第五日 喜撰山に喜撰法師を訪ねる

 『喜撰が庵のありしあと』を訪ねるのが、貝原益軒の記す京都ガイド「京城勝覧」の5日目です。
 この日は、『宇治にゆく道』として藤ノ森から六地蔵、黄檗山、御室戸寺(三室戸寺)と歩みますが、そこから20町(約2km)ほど行くと、喜撰法師が庵を結んだ跡があると書かれています。
 今も喜撰山の山腹に「喜撰洞」として残っていました。 
 でも江戸時代のトラベラーが、こんなところまで訪れたとはにわかに信じがたい場所でした。

 六歌仙のひとり、喜撰法師は小倉百人一首のこの歌で覚えてました。
 この「うぢ山」が、喜撰山のことでした。

 宇治川を堰き止める天ケ瀬ダム近くからひと回りしました。
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京城勝覧を巡る 第四日 醍醐山に登る

 貝原益軒の京都ガイド、「京城勝覧」の4日目は、『上の醍醐にゆく道』です。
 コースでは、洛中(京都の中心地)からの南方面、約7里(28km)とあります。清閑寺-勸修寺-小野随心院-醍醐-日野と巡るのですから、『道遠し。朝はやく出るがよし』となります。
 わたしは、三宝院などがある下醍醐から、お山の上の醍醐寺までを往復しました。
 標高450mの信仰の山に初めて登りました。開山堂など立派な伽藍が並んでいました。

 登りは1時間ほど。きれいに整備されていますが、急な階段道では汗が噴き出しました。

 五大堂の前に整列する像。中央は修験道の祖・役小角かと思いましたが、実際は右。中央は醍醐寺を開いた理源大師だそうです。よく似た像とは弥山近くの大峰奥駆路でお会いしたことがあります。

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京城勝覧を巡る 第三日 智積院から雲龍院へ、伏見は遠く

 『京より伏見にゆき。竹田通をかへりて京に入る道をしるす。』、『みちすがら見所多し。朝早く出てよし』
 貝原益軒の記す「京城勝覧」の京ガイドブック3日目は、伏見まで行き、さらに帰り道までのコースで、約6.5里、26kmの道程です。とても1日では歩き切れません。
 東山あたりの「見所」だけを歩きました。
 なかでも初めての智積院では、ゆっくりと名勝庭園を楽しみ、長谷川等伯の国宝障壁画を堪能しました。「智積院なら行きたい」という奥さまと一緒でした。

 豊国神社は、豊臣秀吉を祀っています。

 泉涌寺の塔頭、雲龍院まで歩きました。
 「悟りの窓」と対面して思考は停止して、しばし吹き抜ける涼風に身を委ねました。

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京城勝覧を巡る 第二日 法然院から銀閣寺、黒谷あたり

 江戸時代の儒学者、貝原益軒の京都トラベルガイド「京城勝覧」を巡ります。2日目は『南禅寺より北銀閣寺吉田聖護院までの道をしるす』(『』は、原文です)です。
 書の出立は三条小橋辺りですが、わたしは阪急・河原町から天王町まで京都市バスに乗り、南禅寺と永観堂はパスをして熊野若王子神社から歩きました。
 『萬無寺』(法然院)は、紅葉のシーズンを前に静寂に包まれていました。

 『鹿ケ谷』には、平安時代後期の僧、俊覚僧都が平家を滅ぼそうと謀議をめぐらせた山荘がありました。その地に「俊寛僧都忠誠之碑」が立っています。そこまで行こうと分け入りました。ところが、谷を越える橋が老朽化しており、通行止めとなっていました。仕方なくUターンしました。

 大文字の火床で昼飯にしようとカップラーメンを用意していました。ところが、食べるチャンスを失しました。
 『銀閣寺』まで下ってきて、「ますたに」でチャーシュー麺をいただきました。

 『真如堂』の大きな本殿から西の空を振り返りました。真っ青な空に、3本のヒコーキ雲がかかっていました。暑い一日でした。

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京城勝覧を巡る 初一日 東山から大将軍へ

 江戸時代中期の儒学者、貝原益軒に「京城勝覧(けいじょうしょうらん)」という書があることを知りました。
 弥次さん喜多さんのような観光客に、京の洛外を巡る1日観光コースを17回で紹介しています。江戸時代版の観光ガイドブックです。
 昨夜のKBS京都のテレビ番組で、その1日目を巡っていました。
『三条小橋大橋をこえ なはての町を下り建仁寺六波羅清水へ出いでそれより粟田口までの道をしるす。今日は見物所多しこまかにみるべし』(「
京城勝覧」の原文引用は『 』でくくります)
 夏の間、どこにも出かけないで巣ごもりしているうちにすっかりなまってしまった体です。なんとかしようと、できるだけ「密」を避けて歩こうと思います。

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