Paso a paso Dos 26日目=9/19 鉄の十字架を越える

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イラゴ峠の鉄の十字架に祈りを込めて大阪・住吉大社でいただいてきた「五大力」の石を置いた。
ポンフェラーダまで28kmほどのステージだった。

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ポンフェラーダの広場のカフェ。海鮮サラダでいっぱい。最高のひと時。

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12世紀に建造されたポンフェラーダのテンプル騎士団の城。シエスタのため、内部には入れなかった。

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Monte Irago 1泊2食17€

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イラゴ峠の手前にあるフォンセバドンは、アルベルゲが数軒とホスタルが1軒あるだけの村です。
「Monte Irago」というアルベルゲに泊まりました。宿泊費は8€と、ちょっと高めです。夕食も予約しました。他に食べに行くところはありません。9€でした。

パンにベーコンやサラミを載せていただきます。

ワインは飲み放題です。

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メーンはこちら。ズッキーニ、ピーマン、タマネギと野菜中心です。ご飯がうれしいです。

前に座ったマドリードの大学生は、野菜が苦手らしく、ほとんど残してました。

お代わり自由です。
なんという料理なのかは不明です。

デザートはご愛嬌のアイスクリームです。

コミュニティ・ディナーといって、みんなでいっしょに食べます。これがなかなかたいへんです。みなの会話についていけません。

朝食もこみです。
ヨーグルトにシリアル、バナナを入れていただきました。こんな朝食は、初めてです。

コーヒーにはたっぷりとミルクと砂糖を入れます。

登ってきたアストルガの方面が望めます。

ボトル飲みしました

午後の日陰で、のんびりとしてます。

ガリシア・ビールをビンから飲みます。やってみたかったのです。こちらではフツーの飲み方です。最後の一口まで、アワが残っていて、おいしかったです。

今日も、ここのアルベルゲに一番乗りでした。それから5時間ほどたちましたが、今ごろ坂を登ってくる巡礼者が絶えません。小さなアルベルゲは、とっくに満室です。いや満ベッドです。これから次の村まで歩くのでしょうか。ご苦労さま。

「亀さん」と「兎さん」

この人と抜きつ抜かれつとなりました。

雨の心配はない快晴なのにザックカバーをしてます。

気になって聞いてみました。側面にも書いてあります。

「トーチュカ!」。意味を聞いたら、おもむろに胸に下げていた飾りを見せてくれました。カメでした。

それほど遅くはありません。

峠道を登るときは、前をスタスタ歩いてました。

そういえばアストルガを出るときに抜かして行ったのも彼でした。中秋の名月の名残の月がきれいでした。
アストルガからフォンセバドンまで25キロほどが、今日の行程でした。

Paso a paso Dos 25日目=9/18 廃村だったフォンセンバドン

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 イラゴ峠の麓の村、フォンセンバドンまで26kmほどのステージ。この日も、きれいな月に向って歩き始めた。

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 山道に入ると、これまでとはちょっと違った景色が。松林だった。

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 フォンセンバドンのアルベルゲ(右)から、向こうに広がるアストルガ方面を眺めた。

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曲線の世界 ガウディの司教館

バルセロナのサグラダ・ファミリアで知られるアントニオ・ガウディは、巡礼道にも作品を残しています。

アストルガの司教館です。その曲線の世界に迷い込みました。

司教館として設計、建築が始まりましたが、途中で意見対立からガウディが手を引いた建物です。

司教の部屋でしょうか。使われたことはありません。

こちらは食堂でしょうか。

アストルガまで、きょうも30キロほど歩いてきました。

これから、オ・セブレイロという峠に向けて、後半戦の山場が始まります。

my camino=25日目 蘇った廃村・フォンセバドン 

 鉄の十字架が立つイラゴ峠の麓の村がフォンセバドンでした。標高1400メートルを超えた南向きの斜面にありました。
 12世紀に、キリスト教の隠修士が教会と簡素な病院を建てたのが、この村の始まりだそうです。聖地・エルサレムがイスラム教徒によって占拠されるなどしたため、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼がヨーロッパ中の信者の間でブームとなったのです。それも16世紀になってすたれ、辺鄙な地にあったフォンセバドンはいつしか人の住まない廃村になってしまいました。
 サンティアゴへの巡礼が再び脚光を浴びるようになったのは、わずか4半世紀ほど前のことです。それが今では年間30万人近いペルグリーノが歩くほどになりました。これはサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼者事務所がコンポステーラ(巡礼証明書)を発行した数で、観光に訪れた人を含めればもっともっと多いはずです。
 フォンセバドンには、ここ数年で5軒のアルベルゲと1軒のレストラン兼ペンシオンがオープンしました。民家は1軒もないので、すべてがペルグリーノに1夜のベッドや食事を提供することで成り立っているのです。
 カミーノに沿った大都市には大聖堂がそそり立ち、町村には立派な教会が立ってました。どれも数百年の由緒をもっているような、素晴らしいものがほとんどでした。「太陽の沈まぬ国」といわれたスペインの16世紀ごろの富の蓄積とその栄華には、感心するばかりでした。
 現代のスペインでも、帰り道に立ち寄ったバルセロナのサグラダファミリアのようにすごい教会が建造されています。ところが、カミーノに沿った町村でも人影はまばらで、空き家が目立つところも多くありました。地方の過疎化は深刻なようでした。
 ペルグリーノが落としていくカネが、カミーノの町村の振興にすこしは貢献しているのでしょう。わたしが、あちこちのバルで飲んだビール代が、わたしのノドだけでなく、そのバルを、ひいては巡礼路の経済を潤しているのだと考えると、ちょっとうれしくなりました。
 サンティアゴ巡礼路は、日本の熊野古道と姉妹巡礼路になってます。「デュアル・ピルグリム」といって、両方の道を歩いた人には、共通の巡礼証明書が発行されます。同じように「巡礼で地域お起こし」という願いが込められているのでしょう。応援いたします。

my camino=24日目 頼りのガイドブックは1冊 

 夕刻のアストルガの広場でSさんと出会いました。「いま、Kさんとスパゲッティを作って、食べたとこですよ。一緒だったらよかったのに」。わたしは2人とは違うアルベルゲに泊まっていました。
 日本人ペルグリーノが持っていた最もポピュラーなガイドブックは「聖地サンティアゴ巡礼」(NPO法人日本カミーノ・デ・サンティアゴ友の会、ダイヤモンド社)でしょう。帰国後に改めて読み返すと、アストルガのページには「坂を上った広場のすぐ左手に・・・公営アルベルゲがあり、日本友の会とも交流がある」と書かれていました。これを読めば、その夜の宿は確定するでしょう。現在も、日本人女性がボランティアで働いておられます。
 わたしもこの本は、何度も読んでました。ラインマーカーでカラフルになっています。それでも持ち歩くガイドブックはひとつと決めました。思案の末に選んだのは、「A Pilgrim’s guide to the Camino de Santiago 」(John Brierley)の方でした。決め手は、地図が載っていることでした。友の会の方はPDF化して、スマホに入れていました。ときどき、スマホの小さなページに目を凝らしてもいましたが、この日は読んでいなかったのでしょう。
 中学生のときに山登りを始めて以来、国土地理院の発行する5万分の1地図は必携品でした。実際に歩いたルートには、赤線を引きました。地図を読むことはもとよりそれが増えていくのも楽しみでした。知らない道を歩くときは、地図がないと不安になります。
 John Brierleyのガイドブックは、英語圏のペルグリーノには絶大な支持を得ているようでした。平均的な1日の行程が、概略的ではありますが1ページの地図となってます。その地図には、通り過ぎる町や村などの地名、アルベルゲやオテルなどの宿泊施設はもとより、教会から水飲み場まで、そして主な区間の距離などが細かく記されています。
 別のページには、アルベルゲなら18/3(ベッド数/部屋数)といった規模、料金や特徴などのデータがついてます。教会や見るべきスポットのガイドも充実しています。

 わたしは、こちらを選んだので、おおかたの日本人ペルグリーノと一定の距離感を保てたのかもしれません。とはいえ、英語です。疲れ果てたアルベルゲのベッドで読むのはひと苦労でした。
 インターネット上のガイドやスマホ・アプリも、いくつもあります。わたしもいくつかのアプリをインストールしていました。計画段階では、たいへん重宝しましたが、実際に歩いてみると、地図なんてなくても、ホタテ貝や黄色い矢印を追っていると、サンティアゴ・デ・コンポステーラにたどり着くというのも現実でした。ま、巡礼の荷物が重くならないよう、気にいった1冊で身軽になることです。

Paso a paso Dos 24日目=9/17 アストルガへの道

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 大聖堂の町、アストルガまで20kmほどのステージ。
 歩き始めたころには、ちょっと雲に隠れて満月が出ていた。日本では中秋の名月だった。

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 ドナティーボの休憩所。よく冷えたスイカが甘かった。

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 アストルガの大聖堂。荘厳な雰囲気だった。
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マロニエの木の下で

「これってマロン?」と、隣に座ったおじさんに聞いたら、「食べたらダメ」と返ってきました。皮がもっと茶色くなって、イガイガも長くなってからだそうです。

何の実かと気になつてました。巡礼道を日射しから守るように、あちこちに植えられてました。

やはりマロン。ということはマロニエです。

アルベルゲの前庭です。ここで日を浴びながら、のんびりとした午後を過ごしました。