my camino=9日目 ちょっと人恋しくて 

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 ナヘラでは簡単ピザで夕食にしました。お相手は、ちょっと違うものをとサングリアでした。周りがみんな飲んでいて、名物だったのかもしれません。赤ワインがベースですが、さっぱりとしていて、火照った体らにぴったりでした。
 グラスにプリントされた規定量の50CLのラインをオーバーしています。合格でした。CLはセンチメートル・リットルの略です。50CLは500MLと同じことです。日本では使われない単位でした。

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 隣の席も、大の男がみんなサングリアでした。

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 ストローが2本というのは微妙です。

 ナヘラのレストランのテラスでいつものように独りでサングリアを飲み、ピザをかじっていました。そこに、ふみさんが独りで歩いてきました。「よかったら一緒する」と呼び込みました。もう夕食は済ませていたそうで、ビールを頼みました。
 話し相手ができて、楽しい夕食になりました。東京の私立大学の4年生でした。就職も決まり、もうしばらくは巡ってこないであろう長い休暇を、だれにも頼らずに独りで旅したかったそうです。
 ふみさんと初めて出会ったのはスタート地点のサン・ジャン・ピエ・ド・ポーのドミトリーのちょっとジメジメとした屋内洗濯場でした。翌日からの巡礼を前に慣れぬ手つきでその日、着ていたTシャツや下着を洗濯して、ロープに吊るしていました。後からやってきたふみさんも同じことを始めました。わたしの娘よりずっと若いお嬢さんが、目の前でその下着を洗い、すぐ近くのロープに干しました。ちょっとどきりとした瞬間でした。
 「食事、自炊するのでいっしょに食べますか」。親切にも誘ってくれましたが、わたしは近くのレストランに出かけました。
 次の日は、ピレネーを越えて、ロンセスバージェスの1軒だけの宿泊施設である修道院アルベルゲに泊まりました。1時間ほどするとふみさんもやって来ました。顔を合わせるなり、「ああ、疲れた。バテました」と話しかけてきました。
 巡礼2日目のスブリでは別のアルベルゲでしたが、村の通りで出会いました。「台湾人とオランダ人の3人で歩いているの」と、元気そうでした。
 その程度の会話でしたが、この巡礼で最初に親しくなったペルグリーノがふみさんでした。
 13日目。アタプエルカの峠にある木製の十字架を通り過ぎると、カステージャ地方が一望できる見晴らしポイントがありました。カメラを構えていると、ふみさんが後ろから声をかけてきました。ブルゴスまでの暑くて長い道を話しながら下りました。
 その前後にも何回も出会い、並んで歩きました。独り歩きの巡礼ですが、1日に歩く距離はよく似ています。縁がある人とは何度も顔を合わせることになるのです。「カミーノ・マジック」という呼び方もあります。

 オレンジ色の目につくザックの女性が前を歩いていると、ふみさんかなと思わず速度をあげたこともあります。2週間も独りで歩いていると、さすがに人恋しくなっていたのでしょう。
 でもいつが最後だったのか。若くて元気なふみさんは先に行ってしまい、巡礼の中盤以降には、もう会うことはありませんでした。
 一期一会といいます。その言葉通りに、偶然知り合った人に何度も出会い、「またね」のつもりがいつの間にか「さようなら」になってしまっていて、再び顔を合わす機会がなくなっていることもあるのです。

ログローニョの夜は軽く3杯

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 ワインがおいしいラ・リオハ州に入りました。ログローニョの夜です。

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 ピンチョス、ピンチョスというわけで、なには差しおいてもシャンピニオン(マッシュルーム)のピンチョスがうまい店へ。

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 注文を聞いてから向こうで焼いてます。うまいはずです。

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 ネットでも紹介されていた店です。わざわざ探したかいがありました。

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 お次はバカリャオ(タラ)のクロケット(コロッケ)です。

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 リオハワインといただきます。

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 3杯目はこちら。たたきです。胡麻油がきいた韓国風味付けですが、ワサビもついていて、今夜の最高です。

 3杯目はちょっと高かったです。あとの2杯はどちらも1.8€でした。

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 バールは、はしごするのが流儀です。やっとオープンする店が増えてきました。夜はこれからです。

Paso a paso Dos 8日目=9/1 ログローニョまで30キロ

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 9月になった。今月はずっと歩いて、サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着は月末30日の予定。先は長い。
 この日も変化のない道を30kmほど。ただただ前進した。
 朝日に延びる影は長い。こんなに足が長かったかな?

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 前の村を通り過ぎて、次の村が見えるまで10kmほどは何もない。そんなのがざら。

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 昼飯はトルティーヤ。スペイン風オムレツで、ポテトが入っている。これはピンチョスでパンに載っている。

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my camno=8日目 ログローニョの夜は軽く3杯 

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 ワインがおいしいラ・リオハ州に入りました。ログローニョの夜です。

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 ピンチョス、ピンチョスというわけで、なには差しおいてもシャンピニオン(マッシュルーム)のピンチョスがうまい店へ。
 注文を聞いてから向こうで焼いてます。うまいはずです。

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 ネットでも紹介されていた店です。わざわざ探したかいがありました。

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 次はバカリャウ(タラの塩干)入りのクロケット(コロッケ)です。

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 リオハワインといただきます。

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 3軒目の3杯目はこちら。たたきです。胡麻油がきいた韓国風味付けですが、ワサビもついていて、今夜の最高です。

 3杯目はちょっと高かったです。あとの2杯はどちらも1.8€でした
 バールは、はしごするのが流儀です。やっとオープンする店が増えてきました。夜はこれからです。

 ワインがおいしいラ・リオハ州のログローニョです。シャンピリオン(マッシュルーム)のピンチョスははずすことができません。スマホ片手で探し当てたバルです。料理はそれしかありません。「ひとつちょうだい」と頼むと、鉄板で楊枝に突き刺さしたシャンピリオンを焼いてくれました。裏返した傘の部分はオイルで満たされてます。一気にほおばりました。うまい。いっしょに飲んだ赤ワインと込みでお代はたったの1・8ユーロ、200円ほどです。バルをあと2軒、はしごしましたが、全部で8ユーロほどでした。これで大満足の夜でした。
 この夜に泊まったのは、ペンシオンです。
 バス・トイレは共用ですが、ゆったりとした個室のベッドで、ゆっくりと眠りました。1泊25ユーロでした。わずか5~6ユーロの公営アルベルゲ、10ユーロほどの私営アルベルゲよりは高価です。でも数日に1夜は、こんなペンシオンやオテル(ホテル)なんかにも泊まりました。二段ベッドのドミトリー(共用部屋)ばかりでは、おじさんは息がつけなかったのです。バス・タブがあるホテルをBooking・comでネット予約したこともあります。
 ビールもワインもしこたま飲みました。ブルゴスで食べたモリシージャ、サリアの駅前レストランでその場でそぎ切りしてくれたイベリコ豚のハモン(生ハム)、大西洋にぶち当たったフィステーラで食べた魚介盛り合わせ…。どれも最高においしかったです。これ以上ない贅沢でした。といっても、出費の方はたかがしれてます。サラリーマン時代の夜のちょっと一杯と同じくらいの額で、二度と味わえないようなうまさを満喫しました。
 巡礼定食よりはおいしいものを食べて、たまにはドミトリーの2段ベッドを敬遠して奮発した宿にも泊まりました。あとは贅沢をするところがありません。いくら金を持っていても、リムジンカーでは巡礼できません。歩くしかないのです。
 人生のデットクスの極意に、触れた気分でした。

Paso a paso Dos 7日目=8/31 やけくそに続いた道

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 この日もロス・アルコスまで22kmほどの行程だ。
 あまりにも変化のない道が、やけくそに続いた。

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 ロス・アルコスのサンタ・マリア教会。立派な祭壇に圧倒された。

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 ハーフボトルの赤ワインは、陶器製のデキャンターで登場。

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my camino=7日目 予算はちょっとぜいたく50万円 

 ロス・アルコスまで22kmほどの行程でした。あまりにも変化のない道が、やけくそに続きました。

 巡礼のために用意した資金は50万円でした。わが家の家計とは別なわたし名義の銀行口座に、それくらいの蓄えはありました。どんぶり勘定ですが、それでほぼ収まりました。もっとも、学生さんらは、この半額ほどで上手に歩いていました。
 出費で最大だったのは、スペイン往復の航空券です。関西国際空港発、スキポール(オランダ)経由でバルセロナ往復のKLM航空は16万円ほどしました。予約までに時間がなかったのと、バルセロナin/outoとしたからです。直前にテロが起きたパリを避けたのと、バルセロナのサグラダ・ファミリアを見たくなったからです。
 当初の計画で春先に購入した大韓航空のパリ往復格安チケットは、10万円を切ってました。でも、そのキャンセルに3万円もかかりました。今度は、あれこれと思案している余裕がありませんでした。
 巡礼中に知りあった日本人では、モスクワ経由パリ往復というアエロフロート利用が6万円台。アタチュルク(トルコ)経由のボルドー着というトルコ航空もそれに次いで安かったです。「アタチュルクの乗り継ぎは(直前に起きたテロが)怖くて、キョロキョロしてました」とか。学生さんと違って、さすがにわたしはそのルートも敬遠しました。
 交通費は、他にバルセロナから途中のパンプローナまでrenfe(スペイン国鉄)に乗り、そこから出発地のサンジャン・ピエ・デ・ポーまでのバスが合わせて8000円ほど。帰りのサンティアゴ・デ・コンポステーラからバルセロナまでのLCC(格安航空機)はなんと6000円しませんでした。当然のことですが、サンジャン・ピエ・デ・ポーからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは、すべて歩きましたから交通費はゼロです。
 滞在費は1日平均50ユーロ(約6000円)ほどを見込んでました。実際にはそんなに使う日はまれ。その半額以下という日も多かったです。帰国後に計算すると、合わせて20万円ほどになってました。おおかたの食事を自炊して、安い公営アルベルゲに泊まっている学生さんらは、滞在費予算は10万円ほどということでした。
 旅行傷害保険は3万円以上しました。期間が45日と長く、海外旅行でいつも使っている「OFF」と文字通り50%オフになるネット予約の保険は使えませんでした。「緊急一時帰国補償」というオプションもつけていました。これは仮に身内にもしものことがあって急きょ、帰国する必要に迫られたとき、その費用の面倒をみてくれるというものでした。
 他には、サンティアゴ・デ・コンポステーラ到着後に訪れた大西洋の岬、フィステーラへのバスツアー代や、バルセロナではおいしい海鮮料理なんかも食べました。
 みやげは、バルセロナで妻と娘、息子の嫁に3本のスカーフを買いました。生まれて半年と、間もなく生まれてくる2人の孫にも木製のおもちゃを。私自身には何も買ってませんでした。旅の思い出が最大のみやげでした。

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 スリはもとよりノックアウト強盗とか…。安全の国・ニッポンにいると意識しない緊張を強いられます。
 スペインもマドリードやバルセロナといった大都会は、観光客が狙われています。襲われたときは、命だけは勘弁してもらって、身ぐるみ剥がれましょう。で、その後のために。
最低限のユーロは、靴底に隠しておきました。

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 100EURをビニール袋に詰めて、靴のソールとの間に忍ばせました。
 隠し金の在りかを公開してしまっては、意味がないです。でも、スペインの強盗諸氏は、このブログまではご覧になってないでしょう。