ミナミの夜 ’05夏

2005/07/23



 ああ、おいしかった。
 生中2杯、芋焼酎のロック2杯(たぶん? これはわたしの飲んだ量)。
 刺身大盛り、鱧洗い、鱧天、アスパラサラダ、生春巻き、水なす、餃子、小エビの唐揚げ…あとは忘れた。
 サトウが見つけてきた居酒屋にて。

 法善寺横丁へ。正面に有名な「夫婦善哉」の提灯が。

 水掛不動に手を合わせる。
 東京から帰ってきたサトウはスーツ姿。クール・ビズのシャツでノータイだったが。

 水掛不動の前で記念撮影。
 ミナミではよく集まるが、ここに来たのは初めてのはず。

 道頓堀の「今井」の横から法善寺横丁に抜ける路地。
中座の火災で焼失したが、すっかっり復旧している。

 戎橋の上から道頓堀川(東側)を見下ろす。遊歩道ができて、すっかり景観が一変している。

 川辺の遊歩道から提灯がぶら下がる戎橋をふり返る。

 深夜スーパーの「ドンキホーテ」の店舗に、なんと観覧車ができている。 

 ドンキ観覧車の乗車券。料金は3人乗車だと1500円(1人あたり500円)。2人だと1200円になる。

 ゴンドラは、ビル側から乗り込むが、すぐに180度回転して、南を向く。
 後部の窓からも景色を楽しめるが、大阪城は確認できなかった。
 

 南の方向に通天閣が。
 写真がブレているのは、ゴンドラが揺れているからです(言い訳!)。

 ゴンドラは、どういうわけ(?)か3人乗りです。

 太左衛門橋を渡る。
 ひとり、ヒロタは何を見ているのだろうか??

 通りかかった人にシャッターを押してもらう。
 

 正面からみたドンキ観覧車。周りの丸い輪っかの部分がゴンドラです。

 おなじみのグリコの看板は健在です。
 戎橋の上から撮ってますが、実はアクリル板越しです。
 これではタイガースが優勝しても飛び込めません!!

 

 道頓堀も、東南の角に大きな「TSUTAYA」ができている。カニは昔のままですが…。

 仕上げは喫茶店で。
 あっという間に時間が過ぎてゆきました。

賤ヶ岳・余呉湖

 JR米原駅。
 「ひかり」でやって来た鎌田と合流する。

 長浜を通過すると、東側の窓に伊吹山fが。
 頂上は雲に覆われているが、この青空。田んぼも白くなる。
 

 木ノ本駅に近づく。平和堂の看板の上が目指す賤ヶ岳のピーク。左の白い帯は観光リフト(現在は休止中)。

 北陸線のJR余呉駅に着く。
 ホームにも雪が積もっているが、この天気、この気温。いつものことながら、抜群の日和となった。

 余呉駅前。コンビニはもちろんのこと、開いている店は一軒もない。
 昼食の弁当を、米原駅で仕入れた人は大正解。

 登山口までの県道は融雪装置ため、雪は溶けている。

 登山口に足を踏み入れると、一気にこの状態に。

 踏み跡をトレースして、雪道を登る。
 「なに、この大股のうえ、120度も開いてるの。歩きにくい」と、先頭の足跡にブーイングも。

 ちょっとひと息。眼下に余呉湖が。

 大岩山の雪の林の中に中川清秀の墓。
 「大岩山は1583年に最初の賤ヶ岳合戦があった陣地で、柴田勝家の部下で尾山(金沢)城主佐久間盛政が大岩山の砦を奇襲する。この陣地を守る茨木(大阪)城主中川清秀が奮戦するも全員壮絶な最期を遂げた。この軍勢は柴田勝家の帰参の命に随わず戦勝に酔った。この報を知った豊臣秀吉は急遽大垣より駆け付け賤が岳の合戦となり、秀吉軍の大勝利となり柴田勝家滅亡の因となった」と、案内板に書かれている。

 「隊長」も参加してくれて、みんな安心。

 足跡ひとつない膝までの雪を歩く。

 自害した中川清秀の首を洗ったという「首洗い池」を通る。

 賤ヶ岳頂上に立った。見下ろす余呉湖がきれい。
 はるかに北国の山々。ここで羽柴秀吉と柴田勝家が対峙した。

 「七本槍」の武将、加藤清正にでもなった気分で。
 ちなみに七本槍とは、福島市松正則、加藤虎之助清正、加藤孫六郎嘉明、平野権平長泰、脇坂甚内安治、糟屋助左衛門武則、片桐助作且元。何人ご存じ?

 雪の頂上。積雪がもっとすごいのかと想像していたが…。

 木之本町方面を見下ろす。左手かなたに伊吹山。

 展望小屋で昼食にする。
 コーンスープとロイヤルミルクティーで体を温める。わずかながら、早くもアルコールを体内で燃焼させる人も。

 飯浦から奥琵琶湖ドライブウエーにかけての湖岸を見下ろす。琵琶湖一周の旅で歩いた道である。

 賤ヶ岳の頂上。
 われわれの他にはだれもいない。
 道中ですれ違ったのも、ほんの数組だった。

 「七本槍古戦場」の案内柱の前で記念撮影。今回も7人もが集合した。

 冬の湖上を悠々と舞う。
撮影はヒロタ画伯。
 

 はるかに竹生島が浮かぶ。右後方に比良の山並みが霞む。

 アイゼンを付けて一気に下山する。
 余呉湖と飯浦との分岐の峠。二人は一昨年秋、、この道を飯浦(左)に降りた。

 湖岸の国民宿舎前に降り立つ。雪道は終わり、ほっとひと息つく。

 早々とスパッツをはずしたサトウは、いつも先頭を切る早足で民宿へ急ぎ、、余呉駅のコインロッカーから荷物を回収してきてくれる。

 賤ヶ岳頂上を振り返りながら、湖岸を歩く。

 今夜の宿となる民宿「文右エ門」。築後数百年の古い民家を移築している。

 別棟のレストランで、さあ、宴会の始まり。

 民宿自慢のかも鍋。だしをいれて炊き、すき焼きのように醤油と砂糖で味付け、たまごに付けて食べる。

 これでかも一羽分。骨もすりつぶしたミンチや肝もついている。

 持ち込みのにごり酒、焼酎も加わって最高潮に。

 ビールは着いたが、バーボンはまだかいな?

 一階には立派ないろりがしつらえてある。夏の伊豆の民宿のように、ここで食事がしたかった。

 蓑傘でもない民具がつり下げられている。
 「阿多古」(愛宕神社?)のお守りも。

 最後は、昔の写真を眺めて、「やっぱり下野さんって、だれ?」っと、遅くまで。





 三階は資料館になっている。

 原と二人で4時半に起きだして、ヘッドライトをつけてわかさぎ釣りに。暗いうえに老眼ため(?)、仕掛けをセットするのに一苦労する。
 二人合わせた釣果はこの通り。50匹はいる。これでも、隣で釣っていたベテランの半分以下。

 お世話になった民宿をチェックアウト。

 二人の釣果に挑発され、みんなでわかさぎ釣りに挑戦することに。
 入場だけなら300円でよかった。

 餌のアカムシをつける。平気、平気!!

 ピクピクと竿が震えて引き上げると、釣れた!
 思わずにやり!!

 わたしも釣れました。
 ビギナースラック!

 暖かくなったせいか、食いは悪い。
 女性陣の健闘を横目に、5分ほど釣り糸を垂れただけでギブアップした人も。

 釣り竿持参のこの人も、手応えを感じる前にコーヒーを飲みに行ってしまう。



 野鳥が羽を休めている。
 正面が賤ヶ岳頂上。

 釣り客であふれている。

 釣り上げたわかさぎを尾頭付きで天ぷらにする。


 揚げたてにレモンをしぼり、できあがり。ちょっと衣がはずれているが、そんなこと気にしない。頭からかぶりつく。

 「うん、うまい」

 ママカリの干物を火にあぶる。これもいける。「まんま」はないが、酒のさかなにぴったり。

 立ったままでも、おいしく楽しい食事である。

 釣り上げたわかさぎは、7人の胃袋に収容された。ちょうどよい量だった。
 

 ちらほらと雪が降ってくる。



 余呉湖ともお別れ。

 余呉駅。3両編成の電車しか止まらないのに、ホームは延々と続いている。

 長浜で途中下車する。
 黒壁スクエアーは、冬だというのに観光客でにぎわっている。

 観光客に交じって歩く。おみやげは草餅というひとも。

 観光客ばかりの黒壁ガラス館前で、似つかわしくない一団が人通りを遮って記念撮影。

 おみやげのガラスを手にする。どれにしようか?
 この日はご主人の誕生日。鍋の用意は済ませてきたそうだが。



 長浜駅に「SL北びわこ号」がやってくる。

 C571、愛称「貴婦人」の前は記念撮影する人でいっぱい。

 ひとり旅の格好をつけて。

 わたしの帰途、長浜-山崎間のJR運賃は1450円。余呉まででも1600円ちょっとで、楽しい2日間をすごした。東京からきた人は、これほど手軽ではなかったが…。
 次回プランの提案もあった。

ムラタが顔を見せてくれた夜

2004/09/24

 大阪・ミナミ、ミュンヘン2階の居酒屋にて。
 久しぶりにムラタが元気な顔を見せてくれる。
 ビールから焼酎に移り、みんなが盛り上がってきたところで、とんだ事態に。サトウが1年後輩の×クンに電話したところ「(43年の)○○さんが亡くなられたというメールがありましたが…」との報。エッと全員、青ざめる。
 ○○ちゃんのことならと、カマダに聞いてみたが、ウッソー!!  △△ちゃんなら知らないはずはないと、突然ながら電話してみて、○○ちゃんのところに電話を入れてもらう。結果は「大誤報」だったことが判明。よかった、よかった。
 それにしてもお騒がせな一件でした。携帯やらメールやらですぐに連絡が取れるばかりに、かえって怪しい情報も広まって。電話で確認するまでの間、涙がでてきたという△△ちゃん、驚かせてすみません。
 でも、こんなハプニングがあったからこそ、みんな、久しぶりに△△ちゃんの声を聞くことができました。一番喜んでいたのは…??
 すっかり酔いも覚めて、飲み直しとばかり2本目の焼酎を頼んでしまいました。
 ムラタは次の機会も出てくると約束してくれました。△△ちゃんも、○○ちゃんも今度は顔を見せてください。欠席が続く隊長も。待っています。

                                                                  

芦生原生林ハイク

 11月1日(土)

 午前8時30分 JR京都駅八条口に集合

 【アクセス】 トヨタ・ノア(8人乗り、レンタカー)
 JR京都駅-京都市内-八瀬-大原-途中(とっちゅう)-花折峠-坊村-梅ノ木-川合-平良-生杉(おいすぎ、地図の右上)-生杉ブナ原生林登り口(地図のP、WCの印があるところ)
 
 【コース】
 生杉ブナ原生林登り口-三国峠-(枕谷)-中山神社-(上谷)-杉尾峠-(上谷)-中山神社-地蔵峠-生杉ブナ原生林登り口

 【昼食】 
 弁当とオニオンスープ、コーヒー、紅茶

 【2次会】
 京都駅の居酒屋で


 10:38
 ちょうど2時間で生杉ブナ原生林登り口に到着。
 すでに20台以上のクルマが駐車している。

 10:48
 初っ端からブナの原生林を登る階段状の急坂が待ち受けていた。一気に汗が噴き出す。

 11:25
 三国峠。峠といっても頂上とおなじで、京都、滋賀、福井の境に位置する。
 北側から登ってくる道は、若狭の鯖をひと塩して京に運んだ「鯖街道」のひとつだった。

 11:26
 6人で記念撮影。
 風邪にもかかわらず大汗をかいてくれたかた、ほんとにご苦労さま。
 

 11:28
 ああ、しんど!! 日ごろ、ゴルフで鍛えてるとはいえ・・・。

 11:28
 三角点(776m)に立つ。でも気になるのは風景ではなく、わが腹のこと。

11:32
 人の手が加わっていない雑木林のなかを下る。

 11:35
 カサコソと気持ちのよい音をたてる、落ち葉が積もる柔らかい道。

 11:38
 心配した天気もよかった。紅葉の向こうに青空が広がる。

 11:41
 こんなすばらしい道は、いつまでも続いてほしい。ゆっくりと歩く。

 11:42
 山の紅葉は奥が深い。

 11:49
 5時前に東京・八王子の家を出て、「のぞみ1号」でやってきた鎌田。それにしても、こんな山奥への山行が日帰り可能だなんて。

 11:54
 上流に人家なんて存在しない。安心して湧き水を飲む。うまい。マイルドなノド越しだった。

 12:32
 枯れ葉のクッションの上での昼食。弁当にオニオンスープ、食後にコーヒー、紅茶もついて大満足。朝が早かったかた、ちょっと大の字。

 12:34
 上の写真の原の視線の先。古木の樹上2メートルあたりに、きのこができている。

 12:56
 何の実だろうか?

 「サワフタギ」というハイノキ科の落葉樹。5、6月に白い花をつける。
 果実は瑠璃色なので、別名は「ルリミノウシコロシ(瑠璃実の牛殺し)」。

 12:57
 植物図鑑が欲しくなってくる。

 13:18
 中山神社に着く。
 祠に開いた丸い窓を見て、「巣箱神社だ」。

 13:24
 野田畑湿原は木道ができている。杉も植樹され、このあたりは人工が加わっている。

 13:28
 枯れススキの向こうに紅葉。絵になる風景が広がる。

 13:54
 栃の古木に耳をつける。聞こえてくるのは…。

 13:55
 ドサリと倒れた古木。それまでは日が射さなかった地面に太陽の光が届くようになり、笹が生えている。周囲とは散った植物相になっている。

 13:59
 由良川源頭に近い川を渡る。

 14:22
 快調なペースでぶっ飛ばし、時間的に無理だとおもっていた杉尾峠に立つ第1次アタック隊員。
 第2次隊も到達したが、カメラ班が同行していなかったので写真はない。

 15:00
 倒木の前で。
 上から垂れ下がっている何本ものロープには、等間隔で光センサーがついていて、太陽光が射しこむ時間を記録している。

 15:02
 みんなで見上げる先に何があるのかな?

 15:54
 地蔵峠に着く。小さな祠に赤い前垂れをした地蔵さんが祀られていた。

 15:57
 グラデゥエーション。緑から赤までの絵の具を並べたパレットのよう。

 16:11
 人工のグラデゥエーション。これだけの葉っぱをだれが並べたのか・・・。

 16:24
 生杉ブナ原生林の入り口に戻ってくる。
 芦生原生林の今後のあり方に関するアンケートに答える。

 19:07
 京都駅の居酒屋。ああ、お腹が空いた、何を食べようか。

 19:07
 きょうもビールがおいしい。

 19:08
 東京組の2人も参加できてよかったです。
 次回はまた、ひざと腰が不調なかたも体調を整えて一緒に行きましょう。

どたぐつ3 焼岳・上高地

 2003年8月1日から3日まで、「どたぐつ3」のメンバー8人が、北アルプス・焼岳(日本百名山)に登り、中の湯温泉でくつろぎ、上高地散策を楽しみました。その写真集です。
                             (Photo by 鎌田、佐藤、原、田谷)


8:31
JR京都駅に集合。天気も良好。レンタカーに乗り込んでさあ出発


10:46
夏休みとあって名神は混雑していたが、一宮JCTから東海北陸道に入るとクルマはグッと減った。長良川SAでちょっと休憩


12:07
廣田と田谷が交代でハンドルを握った。名神・京都南ICから東海北陸道・飛騨清見ICまで246キロ、3時間ちょっと、高速料金は5550円


12:46
高山市内でガイドブックにのっていた高山ラーメンの「板蔵」へ。名物ラーメンはしょう油の色が濃く、ナルトがはいり、ネギも白い関東風だった


14:23
せっかちなわたしの提案で計画を変更して新穂高温泉に直行。駐車場に車を置き、すぐにロープウエーに乗り込む


廣田とわたしのザックは別料金を徴収された。それでも1500+300円で標高2156メートルの西穂高口駅まで運んでくれる


14:27
第1ロープウエー終点の鍋平高原駅から、第2ロープウエーのしらかば平駅に向かう
時間が遅いためか空いており、待ちなし


14:51
みどりちゃんが、ストックの代わり(?)にもってきたメロン。なぜ「代わり」なのかは、説明を聞いて納得
荷を軽くしようと、よく熟れたのをスイカのように切って胃袋に収める


15:40
樹林の中の道を行く。蒸し暑い


16:14
西穂山荘の手前にはクルマユリが咲いていた


16:15
西穂山荘に着いた。ガスがかかり、視界は不良。時間があれば独標くらいまで行きたかったが、断念する


16:52
これさえあればどこでも天国。なにはともあれ生ビールで乾杯。1杯800円ナリ
最近はアルプスの稜線でも、ジョッキを傾けることができる


18:24
西穂山荘の夕食。昨年の富士山の山小屋ほどではないが、「中の下」といったところか


18:25
時間になれば食堂に行けばよい。テント担いで自炊の学生時代と比べれば雲泥の差


18:55山荘前で暗闇のティーパーティー
マイボトル、要するにポケット瓶から手を放さなかったのは…
「ソフトクリーム(500円)と同じ値段や」と地酒に手を伸ばしたのは…


同じ夜に、東京・八王子の鎌田宅で出番を待つバーボン
前泊の佐藤の胃袋の中にこれ以上蒸発しないようにと、決意を込めてしっかりと封がされている。なくならないようにと、コルク栓も一緒にはいっている


4:42蒸し暑くて寝苦しい夜が明けた。残念ながら西穂山荘からはご来光は仰げない


4:52
「おはよう」「きょうは天気よさそう」と表情が和む


4:55蒸し暑くて、掛け布団も毛布もはねのけたが、3人でふとん2枚
シーズン・インの山小屋としては、空いていたほうか


5:37
まさに「笠」の格好をした笠ケ岳が、穂高の陰から抜け出して頭から明るくなる


6:02
さあ出発。近くの丸山(2452メートル)まで登ることに


6:16
右下にこれからたどる稜線が続く。雲がからんでいるのが焼岳。はるかに乗鞍岳が


6:16
西穂のピークがそびえる。次々と登っていく人たちを横目に「せめて独標まで行く時間があれば」。後ろ髪を引かれる思いで今回はここでUターン


6:27
笠ゲ岳をバックに記念撮影


6:37
ウッディーな広いデッキがある西穂山荘の先に、これからたどる道が。それほど悪路とは想像していなかった


6:58
焼岳と上高地の分岐
焼岳に向かう登山者はほとんどいなかった


7:37
前夜来の雨で道は池に、急坂ではスリップの連続。「えらい道やな」とぼやきながらの一服


7:40
「森の精」が舞っているような


8:06
槍見台から振り返っても、ついに槍は見えなかった。残念


9:01
ニッコウキスゲが鮮やかに咲く


9:59
予想外の悪路を下って焼岳小屋に到着した
とりあえず先が見えた安堵からか、笑みもこぼれる


10:08
上高地から登ってきた男性が、原の前にスタスタと歩み寄って尋ねた。「道、そんなに悪いんですか。スパッツしたほうがいいですかね」。たしかに足元の汚れ具合ではだれにも負けていなかった


10:21
さあ、焼岳頂上まであとひと登り


10:27
反対側の中の湯温泉から登ってくる佐藤、鎌田と携帯電話で連絡を取り合う。コースタイムを知らないふたりに「あと1時間ほどがんばれば山頂」と激励をこめて


10:33
焼岳展望台に咲いていたリンドウ


10:38
黄色く小さなアキノキリンソウが一面を覆っていた


10:40
すっかり????な、おじさんになりました

5時すぎに東京・八王子の鎌田宅を出発したふたりは、中央道を150キロで吹っ飛ばして中の湯温泉へ。そこから脅威のペースで登ってきた


10:41
登山と言うよりはゴルフといういでたちに、いつもの帽子姿


11:42あれに見えるは、往年の健脚コンビ?
いやいや、あのゆっくりとした歩みは、天の(田谷の)声に導かれし従順な羊たちかな


11:59焼岳のコル
こんな時間に山頂で出会えるとは思っていなかった。わたしは帽子をかぶっていなかったが、ふたりのがんばりに脱帽


12:15
コック帽をすっぽりとかぶったコック長の指示に従い、ミネストローネの鍋がこぼれないように支える。あたりに漂う「ムトウハップ」(そんな薬があったでしょ)のような硫黄の臭いにも負けないような、おいしそうな匂いが


12:17
2400メートルの稜線で、ピクニック気分の豪勢でにぎやかな昼食。通り過ぎる人たちをうらやましがらせる(?)


12:32
「ねー! みんなこっち向いてよ! 私の作ったミネストローネ、そんなにおいしくないの?」
食べるのに夢中になってるだけです。「失敗したらミナステヨーネなんていってすみません」


13:05
山頂の北峰は、コルから岩場を少し登ったところにある


13:10
「なんで4人そろって笑いながらこっち見てるの? そんなにお腹出てるの、おもろいの?」


13:12
元気に先陣を切る佐藤
岩の割れ目から噴煙があがり、真っ黄色に硫黄がこびりついている


13:16
噴気孔から硫黄の臭いが漂ってくる。北アで唯一の活火山であることを実感する


8人がそろって頂上に立つことができた。満足!!


13:36
岩場を下る


13:50
エメラルド色に輝くカルデラ湖。南峰はいまも立ち入り禁止のままだ


13:51
南峰との鞍部を行く。左に下るのが中の湯温泉への道


13:55
振り返ると、青空をバックに溶岩でできた荒々しい頂上がそびえる


14:43
中の湯温泉への新旧ルートの分岐。ここからふたり1時間ほどで登ってきた。下りは1時間20分ほどかかる


18:45
ずらりと料理が並ぶ。鯉の洗いにイワナの塩焼き…と食べきれないほど


18:46
ビールをおいしく飲むために、思いっきり汗を流してきた。ひと風呂あびて最高の瞬間


18:56(鎌田) すっかり気分良く酔っ払ったお父さんは、—–。
      なんーか、変なおじさんみたい!(鎌田談)


18:56
(佐藤)


18:57
(田谷)


18:57
(阪本)


18:57
(上村)


18:57
(吉本)


18:58
(廣田)


18:58
(原)


20:58
鎌田がもってきた、学生当時の写真をさかなに飲み始める
1回生の秋、千光寺ユースホステルで撮影した全員集合の記念写真をみて、全員の名前を思い出す。でも「4次元はどこにいる?」
盛り上がる、盛り上がる…


22:03
まだ、やってる
思い出話はいつまでも尽きない


5:00
部屋の窓から臨む明神岳から前穂にかけての稜線
朝湯につかり、いい気分


7:08
朴葉味噌がついた朝食。体を動かした翌日だ、うまい


7:08
おかわり、ちょうだい


8:10晴れ上がった空。最高の日和になった
それはいいのだが、このスロープを上り下りするのが苦しい


8:22
やはり温泉はいい
いずれは、「山はいい、温泉だけでいい」と言い出すのだろう


9:16一度は入ってみたい憧れの上高地帝国ホテル
ロビーにはいろうとしたが、ズラリとならんだホテルマンに阻まれる


9:19入れなかったホテルを横目に焼岳を見上げる


9:20
まだ元気です


9:23
懐が豊かなおふたりは「今度は泊まりにこようね」とわれわれを無視して約束しあっていた
1泊3万5000円でしたっけ


見る角度によって、焼岳は表情を変える


花の名前はわかりません


これはアザミです。それくらいはわかります


9:31
田代橋を渡る上高地ツアーご一行さま


9:32
梓川の向こうに穂高の連山が連なる


9:45
ウエストンの碑を横目に、「こんな川、昔から流れてたかなあ…」


視線は自然と焼岳の方を向いてしまう。これからも上高地にやってくると、あそこに登ったと自慢するんでしょうね


9:53
「恩師、足は大丈夫ですか? 肩でもおもみいたしましょうか」の図


9:59
「どたぐつ3」改め「恩師を囲む会」なんて失礼、いや的を得たことを、だれが言い出した?
そのうえに「恩師を偲ぶ会」にならなくてよかった、とは…


10:06
おばさんふたりは、川に桃の皮を剥きに行きました
向こうから水鳥が様子をうかがっていました


10:17
梓川を背にして、のんびりと昼食
桃にグレープフルーツ、チーズにカキの燻製、パンにクラッカー、もちろんコーヒーもついた豪華版


10:22
フルーツたっぷりのランチ


11:11
岳沢から奥穂


11:07
河童橋にて
けっしてお腹の出具合を競ってるわけではありません


11:15
観光客でにぎわう河童橋。こんなに晴れ上がった穂高を見上げたのは初めてだ


11:40
五千尺ホテル前のテーブルで、参加できなかった仲間にあてて寄せ書きをした
村田、西山、奥田ちゃん、中尾ちゃん、眞子ちゃん、来年はぜひともいっしょに!

紫陽花ハイク 神戸市立森林植物園

 (03/06/29)

JR大阪駅に集合
「鎌田くんは、こないの?」

砂時計が動き始めるのを待つ

JR大阪駅の砂時計
集合時間の午前9時なになると、
中央の砂の部分が180度、回転する

JR三宮から神戸市立森林植物園まで
赤線が今回のコース

 JRで三宮から歩行開始
 新神戸駅のカード下をくぐると、
すぐに「布引の滝」

都会から一転した緑の中を歩く

雌滝の姿を
携帯カメラの収める

布引の滝は「伊勢物語」などにも登場する
在原行平、後醍醐天皇らの句碑が
次々にあらわれる

布引五本松堰堤は
土砂のしゅんせつ作業中

トゥエンティークロスを渡る
20回はなかった

雨は覚悟してきた
でも土砂降りにはならなかった

スイレンがあちこちに咲いている

 売店で缶ビールを買い込んで
のんびりと昼食

すぐ近くをウサギが横切った

無人の裏口(東門)から入り
入園料を払わなかった
神戸市立森林植物園

アジサイがしっとりと雨にぬれている

 全員集合!

携帯カメラでもこの出来栄え
カメラが進歩したのか、被写体がいいのか、いや腕が・・・
(撮影・吉本)

ちょっとポーズ

水たまりもバシゃバシャバシャと歩いた
元気なオバサマの足元は左端

原くんもデジカメを購入
わたしのポーズを撮影してくれる

 大阪・お初天神通りの贔屓屋で
焼岳登山の打ち合わせ

琵琶湖周歩の旅 その3 石山寺ー烏丸半島

(3) 石山寺-烏丸半島 (03/05/24)



 (水無瀬-JR石山-)京阪石山寺-瀬田の唐橋-近江大橋-矢橋帰帆島-高砂橋-志那漁港-烏丸半島-草津烏丸半島港(-びわ湖大橋港-JR堅田-水無瀬)
 コース距離=14.5キロ、1日の総歩行数=27,282歩


 10:29
 出発点は京阪石山寺駅。


 10:44
 瀬田の唐橋を渡る。
 この橋を琵琶湖周歩の旅の出発点とする。再びここに戻ってくるんのはいつの日か?


 10:46
 オープン・ステージのこの日は、おばさん(いや昔少女)ふたりが付き合ってくれる。


 10:47
 東岸からみた唐橋。
 「日本三大名橋」のひとつだそうな。


 11:03
 湖岸には漕艇場が。練習中のボートやカヌー、カヤックが行き交う。
 30年前のわれわれのように、トレーニングに汗を流す大学生も。


 11:25
 同じ標識の表裏。
 反時計回りでは唐橋からまだ3キロ。それが、逆に回ると唐橋から190キロ。琵琶湖一周は193キロもある。
 湖岸にはサイクリングロードが整備されていて、安心して歩ける。


 11:36
 矢橋帰帆島(やばせ・きはんじま)をすぎ、琵琶湖をのんびり眺めながら帰帆北橋を渡る。
 近江八景のうち、今回のコースには「石山の秋月」「瀬田の夕照」「矢橋の帰帆」の3つを通る。
 


 13:34
 琵琶湖独特の漁法「えり」が仕掛けられている。
 釣り糸を垂れる人も多かった。釣れているのは、ブルーギルやブラックバスといった外来魚。
 対岸には比叡山がかすむ。


 13:49
 芝生の広場でコーヒーブレーク。


 14:14
 湖岸では、あちこちでバーベキューを楽しむ若者や家族づれが。


 14:15
 キャッチ・アンド・ノーリリースを呼びかける「外来魚回収BOX」。はいっているのはわずか。


 14:37
 満開の草花の中をまっすぐに歩く。


 15:31
 今回の終点、烏丸半島の琵琶湖博物館に着いた。20,000歩を軽く超え、満足の表情。


 16:02
 「南湖遊覧」の船に乗り、琵琶湖大橋をくぐって、対岸の琵琶湖大橋港に渡る。
 JR堅田まで歩き、あとは新快速で。

武庫渓谷 廃線ハイク

 (03/05/03) 

 JR生瀬-旧福知山線軌道敷-武田尾温泉-JR武田尾-旧福知山線軌道敷-JR生瀬

中国自動車道の下をくぐり、
旧福知山線の軌道敷跡へ

最初のトンネルが現われる

対岸を見上げる。
新緑がまぶしい

枕木は続くよ、どこまでも…

武庫川がきもちよく流れる

空気がおいしい

ユキヤナギ

近づくと、えもいえぬ香りが漂っている

フジの花

鉄橋を渡り、まずは記念撮影

トンネルを抜けると、鉄橋だった

「桜の園」の入り口

コーヒーを入れて小休止


満足、満足!!

季節はずれのボタン鍋。
結構いける

温泉につかり、ビールを飲み、
おいしい食事。もう、いうことなし

佐藤のみやげの千葉名産・落花生や
鎌田の鳩サブレを分配。ありがとう

武田尾温泉(キ)旅館前

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 保存データから再度アップしました。大きくすると、みんな若い!!
                (2016.05.23)

杉本町探訪ツアー


2003/01/04 大阪市立大学およびその周辺、アベノにて
              (Photo by 鎌田、田谷)

 

JR杉本町駅は、当時と同じだった

踏切から見る本部キャンパス

1年の秋まで時計台は封鎖されていた

 

「あの木、もって背がひくかった?」とかすかな記憶を呼び起こす

後輩にシャッターを押してもらう

立派な門表が

 トレーニングで汗を流した階段スタンドは、新しくなっている

地図で確かめながら、キャンパス周辺を歩く

工学部前

 立て看板ひとつない、きれい(?)な  教養の門

 当時と同じ教養生協の前に、わずかに立て看があった

立ち入り禁止事項は「覆面、ヘルメット」

野っ原だったとこに高層ビルが

立派な「学術情報総合センター」

 クラブ長屋。汚さは当時と同じ

 整然とした理学部前

 生活科学部(当時は家政学部)

 杉本町駅も改札口は2階に

 なつかしの「東」「喜代」は、そのまま

 喫茶「杉の子」は、店名を変えたようだが、はげたテントに昔の名前が

 ありました「イーグレット」。昔はもっと大きなテントで、2階窓は見えなかったはず

住吉さん行きのチンチン電車が今も走るあべの筋

 近鉄はそのままだが、ビアガーデンによく行った「ホテル・エコー」は更地に

 工事中のJR天王寺駅。暗くなると恐竜の骨格が光っていた

 帰りには「551」の豚まんをおみやげに

どたぐつ3 on Mt.Fuji

どたぐつ3 on Mt.Fuji  


 2002年7月26-28日、大阪市立大学野外活動部「どたぐつ」OB3期の8人が学生時代から30年後に、
その家族も交えて富士山登山に挑み、下山後の一夜を河口湖畔ですごした行動の写真集です。
 

(Photo by 吉本、原、鎌田、田谷)     


7月25日午後7時13分。東京・八王子市の鎌田くん宅屋上から見た富士山。翌日の好天が約束されていた。


2002年7月26日午前8時、JR京都駅に集合した8人。さあ出発


「こだま」の中で受験勉強する原家4男、喜世志くん


列車が新富士に近づくと、「早くおいで」とばかりに富士山が雲の上から頭を見せた


新富士駅で佐藤くんと合流。われわれのザックをみて、この日のために買ったステッキを忘れたことに気づく


廣田くんがハンドルを握るレンタカー。「東芝」の看板と背比べするかのようにくっきりと富士山が


河口湖口5合目の駐車場は満車。1キロ以上手前でクルマを止め、火山岩の上で昼食の駅弁を食べる


高度順応のため、5合目で錠剤酸素を5粒ずつ飲み、体を慣らす


昔懐かしいポストも立っていた5合目。ここまでは観光地


2305メートルが出発点。頂上までの高度差は1471メートル


いよいよ登山路へ。「富士登山競争」で山頂へ駆け上がってきたムキムキ選手らとすれ違う


隊列を組んで、一歩一歩踏みしめる


樹林帯を抜けると、はるか頂上まで見渡せる。「あそこまで登るのか」


万里の長城のように続く登山路には、いくつもの山小屋が林立している


雲の上まで登ってきた。眼下には「胃」の格好をした山中湖


次々と現れる山小屋が、休憩ポイントとなる


山小屋では杖に焼印を押してもらう登山者が多かった


登山路はアリの行列状態。おかげでオーバーペースにならず、まだまだ元気にピッチをかせぐ


富士山の地図を張り付けた自慢の団扇を手にしたリーダー。これがなくても道に迷いそうもないが


出発直後にアクシデントに見舞われた佐藤くんも、大丈夫のようだ


そろそろ疲れが。凍らせてもってきたアクエリアスがおいしい


夕闇が迫る。かなたには八ヶ岳が浮かぶ


やっと高度3000メートルに到達。傾斜はきつい。ジグザグに登る


8合目「蓬莱館」に宿泊することに。団体が少なく、比較的ゆったりしていた


山小屋の夕食は、レトルトカレーだけの粗末なものだった。あとは眠るだけ。8時には布団に


東京の明かりまでが見渡せる、よく晴れた夜だった


7月27日午前3時。いよいよ頂上を目指す日がやってきた


出発を前に余裕のタバコをふかすふたり


前夜は高山病に苦しめられた原ジュニアも、体調も戻ったようでひと安心


頂上をめざして、さあ気合いを入れないと・・・


やっと本8合目に着いた。日の出を前に、朝食の準備にかかる


まだ太陽は上がらない


真夏だというのに、寒さが身にしみる。温度は5度ほどしかない


あっ、太陽だ。東の空に一条の光が


お日さまが昇ってくる。清々しい気持ちで迎えた富士山からのご来光だ


日本一の日の出を、われわれは拝むことができた。HPのカウントダウン時計はこの瞬間「0」となっていたはずだ


空が赤く染まる。きょうも快晴だ


雲海が広がる。島のように浮かぶのは、どこの山だろうか


この感動を誰かに伝えたくなる。相手の時間もきにせず携帯を握る


笑顔が素晴らしい。いっしょにここまでやって来た


笑顔は? 逆光で表情は不明。きっとすばらしい


原ファミリーにも最高の瞬間


満足感から思わず表情もなごむ


さあ、頂上までもう少し。あそこにゴールが見えている


「富士山頂上奥宮」に登り着いた。敬虔な気持ちで手を合わせた。「みんな、ありがとう」。そして「家内安全」


「どたぐつ3期」の7人。晴れ晴れとした表情で整列


原一家にとっては、家族の絆を深めた登山となった


まわりは全てが眼下。気持ちが良い


コーヒーをたてる。達成感を胸に至福の時間


思わず笑みがこぼれる


頂上にはお土産屋も並び混雑していた


コースリーダーは、お鉢巡りをどちらから回るか検討する


単身赴任の不規則な生活も、スポーツジム通いで克服した?


苦しみながら登りきった根性で、次は来春の頂上を目指せ


最高峰の剣が峰に向けてお鉢巡りに出発


黒い石が積もっていた火口。おみやげはこの軽石というかたも


空荷で歩く。散策気分だ


のんびりとした天上の時


親子で踏みしめる道


「ほら、あれが御岳」、と指をさす


眼下には、春合宿で彷徨った人もいる青木ヶ原の樹海が広がる


はるか、八ヶ岳から槍、穂高、後立山までが望めた。最高の眺望

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登頂の9人。3776メートルの剣が峰頂上で、夢が現実のものとなった


富士山頂上、3776メートルの証


私の高度計は誤差が生じて「3765メートル」を指した


富士山頂上の三角点。恐れ多くてさするのが精一杯。踏みつけた人はいない

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レーダーが取り外された富士山測候所前で。「芙蓉の人」のすごさを、改めて思い知る


富士山自慢のバイオトイレ前で。予期せぬ人が高山病で苦しんでいた


意気揚々とお鉢をめぐる


ブルドーザーが砂埃を上げて急斜面を登ってきた


2日目の宿は河口湖カントリーコテージ「Ban」。鎌田くん父子が先着して食事の用意をしていてくれた


露天風呂につかり、さっぱりとした気分で


鎌田くんが仕入れてくれたヤマメやアマゴ、エビを焼く


ビールの味が最高。何杯でものどを通る


鎌田くんと愛娘・佐芳ちゃん


何を食べてもおいしい


「あっちむいて、ホイ!」。原夫人もすっかりくつろいで


喜世志くんは、「おにいちゃん」と慕われ、花火の大サービス


ゴーマちゃんの「富士山、登ろうよ!」という意気込みに感謝、感謝!


このプロジェクトの計画、手配、リーダーと廣田幹事長、ほんとにご苦労さま


つじもっちゃん、コースリーダーとして我々を明るくひっぱってくれて、ありがとう


ムードメーカーの佐藤くん、あなたのおかげで今回も楽しい山行でした

3人で参加の原くん、すばらしい家族の生き方を身をもって示してくれて、見習わなくては


鎌田くん、おかげでおいしい食事を満喫しました。今度はともに


すっかりパーティーの一員となった原夫人と、喜世志くん、次の機会も一緒に行きましょう


ありがとう、みどりちゃん。同じ時間を過ごせて楽しかったよ


佐芳ちゃん、早く大きくなって、おじちゃん、おばちゃんたちと山に登ろうよ


夜のコテージ前。富士山の稜線にかすかに小屋の明かりが見えた


静かにな夜が時を忘れさせる


朝食は鎌田くんが用意してくれた「ほうとう」に舌鼓


次はどこに? といつまでも話はつきない

コテージの庭からは、3日目(7月28日)の朝も河口湖の向こうに富士山の姿が


さほ姫、ちょっと大きめの杖に帽子でポーズをとる


さあ、記念撮影。あれひとり足りないぞ


やり直し

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隣の奥さんを呼んでシャッターを押してもらう。これで全員集合!


孫の手を引いて、という日も遠からずやってくる


寒い。「富岳風穴」で


冷気が吹き上げてくる「鳴沢氷穴」の前は大渋滞


ちょっとした探検気分で


昔は、夏の氷は将軍に献上する貴重品だった


富士山の氷をパック入りで売っていた


旅も終わりに近づいた


「次は一緒に行こう」と、ムラタくんらに手紙を書く