カリオン・デル・ロス・コンデスまでは国道に沿ったほぼフラットな20キロほどの変化のない道でした。10時過ぎには到着しました。人気のアルベルゲ、サンタ・マリアも「このベッドがいい?」と隅のみ下段を確保しました。
それから4時間後に着いた弘前大学くんは、すでにコンプリート(満室)。「マツトレスでよければ」と入れてもらい、階段の突き当たりにスペースを確保。「いい経験です」と喜んでいた。いや、マイペースを貫く大人です。
サンタマリアでは夜、シスターがコンサートを開いてくれます。楽しみです。
ブルゴスから歩き始めたまやさんは、フロミスタからバスでスキップしてレオンに向かうつもりでした。ところが、「ここからはバスは出ていないよ」と告げられ、次のカリオン・デ・ロス・コンデスまで歩くことになりました。バスは正午前に出ると聞いて、20キロの道のりを自分のペースで歩く時間から逆算しました。わたしより1時間も早く、真っ暗な道を一人で歩き始めたそうです。「星がきれいだったですよ」と、早起きへのプレゼントもあったそうです。
カリオン・デ・ロス・コンデスの教会の前までやってくると、またまたばったりと出くわしました。膝の傷に最後のゲンタシン軟膏を塗ってもらい、記念撮影してまやさんが乗るレオン行きの高速バスを見送りました。
バス停留所は、町の入り口のバルの前にありました。バスがやってくると、それまでバルの中で休憩していたおじちゃん、おばちゃんたちがぞろぞろ出てきて、そのバスに乗り込みました。みんなわたしと同じペルグリーノでした。レオンまではバスで2時間ほどだそうです。わたしが歩いてそこに到着したのは4日後でした。こんなカミーノもあるのです。
ツアーとおぼしき一団とも出会いました。小型バスが追い抜いていきました。しばらく歩くと、見覚えのあるバスが路肩に止まっていて、バスから降りた一団が体をほぐす体操をしていました。軽いナップザックを肩に、この日のカミーノに出発でした。10キロほど歩くと、またそのバスが止まっていました。一団のきょうのゴールのようでした。景色のよい区間だけをつまみ食いでもするかのように進んでいるのです。これもまたカミーノでした。それぞれの行き方があります。
自転車で突っ走るペルグリーノも多かったです。どういうわけか、そろいのユニフォームを着たグループがほとんどでした。犬を連れて歩いているペルグリーノとも、何人も出会いました。わたしは出会いませんでしたが、騎馬や車いすのペルグリーノもいるそうです。
サンティアゴ・デ・コンポステーラまで徒歩では100キロ以上、自転車なら200キロ以上。これがコンポステーラ(巡礼証明書)をいただく条件です。
四国88ヵ所の区切り遍路のように、何回にも分けて巡礼を続けてサンティアゴ・デ・コンポステーラに到達する人もいます。
そんなことはどちらでもいいのです。それぞれのやり方で、それぞれの道を進めば、それがその人の巡礼、カミーノなのです。
気持ちの晴れる朝日が昇った。空がきれいすぎた。
カリオン・デ・ロス・コンデスまで20kmほどのステージ。昼前には到着した。
県道に沿った巡礼路にモホン(道標)が林立する。望遠レンズのカメラがあれば、もう少し強調したカットが撮れたはずだ。
夕食には、パエージャ(パエリア)をいただいた。やはりおいしい。
続きを読む Paso a paso Dos 17日目=9/10 モホンの行列
巡礼でかつぐ荷物は、可能な限り少なくしました。それぞれの重量を量って、少しでも軽いものを選びました。
念のための携行品は、大抵出番がありません。それがわかっていて持っていったのは、最低限のクスリでした。
ブルゴスの大聖堂の前で出会ったまやさんは、そこからカミーノをスタートさせました。2日後にカストロヘリスのアルベルゲで再会すると、メセタの道で転倒して、左膝に深い切り傷を創っていました。わたしがもっていたゲンタシン軟膏を塗ってもらいました。化膿止めになるだろうと判断しました。
「抗生物質ももってますから、化膿しそうだったらいつでも言ってくださいよ。あげますから」
翌日のフロミスタのアルベルゲでも。さらに次の日のカリオン・デ・ロス・コンデスでも、バスでレオンに向かうまやさんと別れる前にと、ゲンタシン軟膏は大活躍でした。譲ってもよかったのですが、わたしもこの先、いつ必要になるかわかりませんでした。
カミーノに出発する前、わたしは近所のかかりつけの医院に行って、ひと通りの薬をもらっていました。
セガスロン(胃腸薬)、ビオフェルミン配合散(整腸剤)、葛根湯(風邪薬)の他に、フロモックスというセフェム系抗生物質も。
「先生、ベッド・バグ(南京虫)に刺されたときの薬も頼みます」とお願いすると、「どこに行くんですか」と怪訝な表情をされました。
タリオンという抗ヒスタミン剤(アレルギー疾患の治療薬)はその対策薬だったはずです。幸い、ベッド・バグに遭遇することはありませんでした。それでもサンティアゴ・デ・コンポステーラで出会った日本人2人組は「刺されて、逃げ出してきた」と話してました。
ビワの葉エキスというのは、奥さまの愛用消毒液です。ビワの葉を焼酎に漬け込ん作ります。プラスティックの小瓶に入れ、綿棒とともにもってました。
針と糸も必需品でした。ボタンがとれたときの裁縫用ではありません。足にマメができたときは、針を消毒して膨らんだマメに突き刺し、糸を垂らしたままにしておきます。すると、糸を伝って貯まった体液が放出され、傷口が乾燥して直りが早くなるのです。
カミーノと関係なく、毎日飲んでいる薬も忘れたらたいへんです。降圧剤と、5年ほど前に山道で膝が痛くなって以来、愛飲しているグルコサミン・コンドロイチン錠、さらに腰痛に効くというアリナミンEXです。
湿布シートも役立ちました。これは、スペインのファーマシア(薬局)では買えませんでした。
薬ではありませんが、ワセリンも大活躍でした。毎朝、靴下を履く前に、指先に塗り込んでいました。マメの予防になります。おかげでか、今回のカミーノでは、長距離歩行の大敵であるマメに泣かされることはありませんでした。
この日のステージは、メセタの残りを進んで25kmほど。パレンシア県に入ってからは、運河に沿った道を進んだ。
水と緑。乾ききった巡礼路を歩いてきただけに、ほっとする風景だった。
夕食は簡単にカップラーメンですませた。
続きを読む Paso a paso Dos 16日目=9/9 運河沿いの巡礼路
道中で出会った最年少のピルグリムです。
もう歩くのいや!
ベビーカーに乗ってますが、わたしと同じ速度でした。
カミーノでは、いろんな国からやってきた、いろんな世代のペルグリーノ(巡礼者)と出会いました。わたしより年上とおぼしき方もたくさんいました。最年少はベンジャミンくんでした。なんとおしめも離れないたったの1歳ちょっとでした。
タルダホスから20キロほど。途中に1つ村があっただけで、黄色い麦畑が一面に広がるだけのメセタの大地を歩いてきました。喉カラカラで到着したオルタナスの村で、バルに飛び込み、生ハムのボガティージョにかぶりつきました。ベンジャミンくんは隣のテーブルに腰かけていました。ちょっと予想外の光景でした。思わずカメラを向けると、ベンジャミンくんも自分のカメラをわたしの方に向けてくれました。CANONのIXY200という、わたしが初めて買ったデジカメと似ていました。
再びメセタを歩いていると、ベンジャミンくんい追いつきました。今度はパパに手を引かれてよちよちと歩いていました。それもつかの間で、「抱っこ」とパパに抱き着いていました。横には、ママが押す大きな車輪の3輪バギーがありました。
次に出会ったときは、ベンジャミンくんはバギーの中でした。わたしは追い越しましたが、坂もある大地をかなりのスピードで進んでました。
その日はカストロヘリスの公営アルベルゲに泊まりまし。そこにもベンジャミンくんの姿がありました。アルベルゲの狭い2段ベッドで、ママと一緒におとなしく眠ってました。
ニュージーランドからやってきた若い夫婦と息子のカミーノでした。さて、日本人でここまでやる夫婦はいるでしょうか。彼らにとっても遠い国のカミーノに導いたのは一体、何だったのでしょうか。やはり宗教だったのでしょうか。ちょっと理解しがたい光景でもありました。
オランダ人のおっちゃん2人組とも仲良くなりました。フランスのなんとかという町から歩き始め、帰りはその町からオランダ南部の自分の家まで歩くそうです。わたしと同じような年恰好でしたが、その陽気さは見習いたかったです。バルなんかに到着すると、「オラ!、オラ!!」と大きな声をあげて、みんなにあいさつ。いつも人気者でした。こちらのカミーノへの思いは、わたしとそれほど違わなかったのではないでしょうか。
麦畑以外にはなにもない炎天下のメセタを越える難関ステージ。ところが、この日は曇天。暑さからは逃れられたが、輝く黄金色の大地は見られなかった。
丘の上に城跡が残るカストロヘリス。ここまで30km超を歩いた。
ブルゴスで1日、休憩のはず。ところが1日目に半分、2日目に1.5日分歩いたので、先を行ったはずの日本人仲間に追いついた。
みんなで一緒に夕食。まやさん、早大くん、弘前大くん、S氏とともに。