京都を歩く 白川の源流から鴨川まで

 白川を京都・滋賀の府県境である山中(やまなか)の源流(起点)から、四条上流の鴨川への合流点まで歩きました。10キロ近くでした。
 起点はここです。まるで廃墟です。京都から大津に抜ける道のひとつ、志賀越(山中越)の国境です。旧道はすっかり荒れ果てています。
 左の2つ重ねたような岩肌は「重ね石」です。小さな仏像が4体、彫られています。往来した旅人の道中安全を祈ったものだと考えられています。
 15年ほど前にも訪れています。その時と同じようでもあり、見事に荒れ果てたようにも見受けました。 

 白川に沿って北白川仕伏町まで下ってきました。北白川天神宮に架かる萬世橋は明治27(1894)年、北白川の石工の卓越した技術を集結して造らた眼鏡橋(アーチ式)です。擬宝珠が菊の花です。

 知恩院のちょっと上流の映える一本橋は、サスペンスのロケ地としてよく登場します。

 鴨川に流れ込みます。向こうは四条大橋です。
 鴨川支流の一級河川・白川は、山中からここまで9.3km流れてきました。


 【2024/11/22 11:22】
 比叡山山頂に向かう京阪バスを山中で下車しました。
 予定より1時間20分も遅れていました。阪急、JR京都線ともにこの日は事故のためダイヤが大幅に乱れていました。なんとか1本後のバスでリカバリーできて、たどり着きました。

 昔の記憶なんてありません。あの民家の方だったかなと、雑草と枯れ葉が積もる急なコンクリート階段を下りました。

 廃屋の前を鼠谷川(白川の上流)が流れています。右側は志賀越の旧道です。ところが路面は流れ込んだ豪雨の濁流でえぐり取られています。

 「これより西南山城国 東北近江国」の国境を示す石柱が立っています。

 折れ曲がった黄色い看板には「白川 起点」と記され、ここが白川の始まりであることを示しています。

 苔むした重ね石には4体の仏が彫られています。

 廃墟探訪を終え、滑らないよう慎重に階段を登りました。

 府県境の下には、「0.0」という道路元標が立っています。

 白川に沿って少し下ると、チェーンが張られた先に旧道が通じていました。白川起点につながるのでしょう。

 白川は花崗岩を含む礫質砂層で構成されていて、川が白砂(石英砂)に敷き詰められているようにみえるために、そう命名されたと言われています。

 ラジューム温泉がある地蔵院まで下ってきました。

 「身代わり不動」の紅葉が色づいています。

 京阪バスに追い抜かされます。乗ってきたバスが比叡山山頂まで行って、戻ってきたのでしょうか。

 この簡易橋は、裏大文字山の熊ファミリーや鹿親子と名付けられたピークを巡ってここに下山してきたときに渡りました。

 立派な自家用橋を備えた民家です。でも今は無住です。

 黄色く色づいた銀杏の下には、このあたりの特産品の灯篭などの石細工が並びます。

 期待した紅葉はイマイチでした。

 「御殿車(ごてんくるま)」と呼ばれた水車があり、北白川宮の屋敷で使われる米を精米していた跡地です。

 北白川仕伏町の住宅地まで下ってきました。谷を流れてきた白川は、コンクリ-トで造られた樋を流れます。

 北白川仕伏町の交差点には、京都一周トレイルに道標が立っています。

 「右 坂本道」の石碑もあります。

 北白川の山すそを流れます。

 北白川天神宮です。初めて参拝しました。

 広くて立派な133段の石段です。

 比叡山の山麓の七里に祀られていた産土神のひとつです。

 銀閣寺道までやってきました。といういことは、ここで東西に流れる疏水分線と立体交差しています。でもその様子はわかりません。

 疏水分線は東から流れてきます。
 五山送り火の大文字がすぐ近くです。

 疏水は、ここから暗渠に潜るのでしょうか。

 近くでよくよく観察すると、流れを勢いよく吸い込んでいる水路が設けられていました。ここからサイフォンの原理で白川の下を潜り抜けているのでした。

 疏水分線の下流側は、何事もなかったように流れています。

 腹が減ったので銀閣寺道の食堂で昼飯を食べました。
 午後の部は、橋本関雪旧邸の白沙村荘の南側から歩き始めました。

 白川通を横切ります。「ばばばし」です。馬場橋では、あたり前すぎます。

 やはり秋です。真如堂の麓です。

 ツワブキみたいだけど、葉が違いますね。はて~。

 高級料亭の岡崎つる家の跡地です。中央に松と石灯籠だけが残されています。


 
 白川通りに沿って流れてきた白川は、動物園内に暗渠となって流れ込みます。

 蹴上のインクラインから流れ込む南禅寺船泊です。白川は右のテラスの下から流れ出して疏水と合流します。

 疏水の紅葉が色づいています。

 平安神宮の大鳥居の前を横断します。

 神宮道の西で左に流れる疏水から分流して、白川は仁王門橋から南下します。

 鉄製一本橋の「もっこ橋」というそうです。近くにあった製氷工場の作業員がもっこを担いで渡ったそうです。

 「竹中精麦所跡」の碑が立ってます。このあたりに白川の水をひいた水車があったそうです。麦を挽いていたんのでしょう。

 水車稲荷もありました。

 この水路が名残でしょうか。

 三条通を渡ります。昔の東海道です。

 路地をちょっとはいったところに明智光秀の首塚がありました。

 一文橋を渡り、知恩院前の華頂通に架かる石橋です。

 東大路通を越えると、左折します。

 新門前通から細い路地を抜けると、新橋の前に出ます。

 一気に観光地です。インバウンドであふれています。

 白川は川端通(鴨東線)の下に吸い込まれます。

 土手を抜けた白川は鴨川と合流します。白川の名のごとく、白い筋を描いています。

 四条大橋の上から振り返りました。向こうに比叡山が見えています。

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