北山西部②
鷹峯源光庵前バス停-千束-坂尻-上ノ水峠-沢ノ池-槙尾-高尾-清滝
総歩数=21,121
鷹峯(たかがみね)光悦寺。門前の南天の実が真っ赤になっている。しかし、紅葉はまだ先のことだ。
阪急烏丸から地下鉄で北大路へ、そこから市バス「玄沢」行きに乗り鷹峯源光庵前で下車した。
前回は京見峠から下ってきた。ところが、京見峠-上ノ水峠間は、9/25~11/10は入山禁止になっている。松茸のシーズンだからだ。今回は、迂回路としてまっすぐ上ノ水峠を目指す。
すぐにマイナス21度の急坂を下る。
千束で出会った三体の地蔵仏。「愛宕大権現」の石碑が立つ。
北山杉のトンネルを行く。空気がひんやりしている。
上ノ水峠まで登ってきた。
「北山76」のトレイル案内板があった。京見峠は「68」だったので、残念ながら69~75はカットというこになった。
遠くに比叡山が霞む。
岩肌に二体の地蔵がまつられていた。
沢ノ池は、江戸時代に作られたため池だ。
山の中にある静かな池のはずなのに、あほなキャンパーが大音量で音楽を流していた。たまらず、休憩もせずに退散する。
北山杉がまっすぐに伸びている。
川端康成の「古都」で「杉の里」として描かれた小野郷あたりも遠くはない。
国道162号の栂尾(とがのお)のちょっと下流に降りてきた。まだ紅葉には早いが観光客の車が止まっている。
槙尾(まきのお)の西明寺に下る道には案内板のオンパレード。京都一周トレイル、東海自然歩道、丹波散策の道とにぎやかだ。
槙尾西明寺の門前。わずかに紅葉したもみじが。
高尾神護寺の門前。
川床の茶店は、まだまだ開店休業状態だ。
清滝への道を下る。
本日、初めての休憩をとり、コンビニで買ってきたおにぎりをほおばる。
これが真っ赤に紅葉するのは12月になってからか?
ゴール!!
清滝までやってきた。「北山94」の案内板があった。私が参考にした「Walkウォーク関西版」(2003/04秋冬号、2003年10月発行)では、ここで「永く楽しかった旅も終わった」となっている。
ところが、案内板にはさらに矢印がつづき「西1」の表記が。今年春になって、清滝から保津峡-鳥居本-嵯峨野-嵐山-松尾山-苔寺と続く「西山コース」ができていたのだ。
金鈴橋から「終点」の案内板を振り返る。
愛宕神社の参道。ここから愛宕山に登るが、かなり苦しい道だ。
清滝川にそって西山コースがスタートする。
まだ時間があったが、せっかくの道だから、紅葉したらまたやってこようと、次の機会に残す。
清滝のバス停に着くと、ちょっと前にバスは出たばかり。
「清滝遂道」を歩いてみる。戦前、嵯峨から清滝まで鉄道が走り、愛宕山にはケーブルカーが登っていたそうだ。このトンネルは鉄道の線路が走っていた名残だ。信号があるのも「納得できる。
小学生のころ、このトンネルを歩いた覚えがある。もっと怖かったような気がする。
本日はここまで。
愛宕寺の前で臨時バスの乗り、京福嵐山へ。観光客の間をすり抜けて渡月橋を渡り阪急嵐山へ向かった。
紋屋図子と西陣あたり
紋屋図子と西陣あたりを歩きました。
今回は写真が多かったので、HPの方に掲載しました。よろしければ、以下のURLにお越しください。
http://dot117.minibird.jp/HP/zusi/monya-zusi.htm
「京都検定」で京都を楽しむ
京都検定の問題集があります。「京都1000問ドリル」(京都おおきに学会編、講談社、952円)。
正解率601問以上 「たいへんよくできました」
正解率401問から600問 「よくできました」
正解率400問以下 「もうすこししっかりやりなさい」
いや、難しい。テーマによってはほとんどできません。この本は、丸善京都河原町店の最後日に買いました。毎朝、通勤の車中でシャープペンシル片手に試しながら読みました。
「あるく京都」(移動教室出版事業局、743円)は、梅田の紀伊国屋で探しました。「膏薬図子」とかがどこにあるのかを地図で確かたかったからです。いろんな地図がありましたが、これが、目的にあってました。
「京都の不思議」(黒田正子著、光村推古書院、1700円は)は、京都のことをネットで検索してると、よくヒットするのでタイトルは知ってました。きょう、京都の書店で平積みになっているのを見つけて買いました。初めて聞いた出版社です。
「清水の舞台から飛び降りた人は本当にいる?」といったテーマを並べた京都雑学エッセイです。
こんなのを読んでると、次の休みはどこに行こうかと、京都が新鮮に見えてきます。
天使突抜通を突き抜ける
「天使突抜通(てんしつきぬけどおり)」。なんとすばらしいネーミングでしょう。そんな名の通りが京都・下京区の西洞院通と油小路通(あぶらのこうじ)の間にあります。
東中筋通を下りました。松原通の交差点は天神前町です。そこからさらに行って振り返ると、ありました。「下京区東中筋通松原下る天使突抜1丁目」の町名表示です。
「天使突抜通一丁目」はここです。最近では、通崎睦美さんの本のタイトルで有名です。京都市立芸大卒のマリンバ奏者で、アンティーク着物のコレクターであり、その着物の着こなしで話題になっています。生まれがここで、住宅地図にも同じ姓の家が載っています。
大学の後輩の娘が「通崎好み」という本を持っていたので、ちょっと斜め読みしたことがあります。
消火器の箱です。でも、こんな省略の仕方は天六、谷九、日本一の大阪だけかと思ってました。
立派な門柱の礎石が残ってます。金属のアーチには、電球が付いていた痕もあります。路地を入ってみましたが、変わったモノはありませんでした。それにしてもいわくがありそうです。
住宅が取り壊されたあとは、とりあえずタイムパーキングに、という都心の風景です。それにしても「てんしつきぬけ」かと関心していると、次に見つけたのはそのものズバリ「天使ガレージ」です。ちょっとくたびれた看板ですが、降参です。
天使突抜通は五条通を越えて六条通まで続いてました。
ここまで来ましたが、残念ながら名前以上の景観にはお目にかかれませんでした。
天使突抜通の名は、この五条天神からきています。松原通西洞院の南西角にあります。ちなみに昔の五条通は、現在の松原通だそうです。
「五條天神由来」によると、桓武天皇が京都に都を定めたとき、都の平安を守るために、大和の国宇陀郡から天神(てんしん)を迎え「天使の宮」として建立した神社だそうです。当時、洛中では最も古い神社で、最大の鎮守の森を有していたそうです。
この「天使の宮」を貫通してできた道だから「天使突抜」というわけです。「天使」といってもエンジェルの天使とは関係なかったようです。
五條天神は義経と弁慶が出会った場所とも言い伝えられています。「京の五条の橋の上…」という童謡の橋は、現在の鴨川の五条大橋(石碑があります)ではなく、当時は五条天神の東側を流れていた西洞院川にかかっていた橋のことです-と由来は説明しています。
膏薬図子を歩く
四条通に面した堺町通と柳馬場通(やなぎのばんば)の間ビルに料理教室はあります。腹ごなしにここを出て、西に向かって歩きました。
京の通り名のうち、東西の通りは「あねさんろっかくたこにしき(姉三六角蛸錦)…」としてよく知られています。今も、京都S大学のテレビCMのバックグラウンドで流れています。
南北の通りについては、わたしもよく知りませんが、こんなのがあるようです。
てら ごこ ふや とみ やなぎ さかい
寺 御幸 麩屋 富 柳 堺
たか あい ひがし くるまやちょう
高 間 東 車屋町
からす りょうがえ むろ ころも
烏 両替 室 衣
しんまち かまんざ にし おがわ
新町 釜座 西 小川
あぶら さめがいで ほりかわのみず
油 醒井で 堀川の水
新町通を越え、西洞院通(にしのとういん)までのところに幅2メートルほどの細い道があります。上京区では京都府庁の前の釜座通(かまんざ)ですが、下京区の四条から下がる小路は「膏薬図子(こうやくずし)」の名が付いています。
四条の角に立って住居表示を見上げました。
通りの東側は「下京区四条通新町西入下る新釜座町」とあります。
西側は「四条通西洞院東入郭巨山町」となっています。
「郭巨山(かっきょやま)」は、祇園祭の山の名前で、この家が保存場所になっています。屋根の上には魔除けの「鍾馗(しょうき)」がのっています。
細い道をちょっと入っただけで、静かな別世界です。左手に路地がありました。入り口には路地の奥にある家の表札が並んでいます。
民家の壁に埋め込まれたような祠があります。その名は神田神宮。「天慶年間 平将門ノ首ヲ晒シタ所也」と由緒が書かれています。
下総国で戦に敗れた平将門の首が都へ運ばれ、ここで晒されたが、ある夜、光を放ちながら東方へ飛び去ったそうです。
膏薬図子は途中で鉤型に曲がっています。
将門の霊を弔うため、空也上人が念仏道場を建てたそうです。その御堂が「空也供養(くうやくよう)の道場」と呼ばれていましたが、いつしかなまって「膏薬」なってしまったというのです。まるで、冗談のようなホントです。
図子の長さは160メートルほど。南側の綾小路からみたところです。
綾小路の東角には杉本家住宅(京都市指定有形文化財)があります。ここは祇園の伯牙山の飾り場にもなっています。
白梅図子はどこに?
「路地」、これを京都では「ろーじ」と発音します。先日、祇園の路地を歩きました。表通りから一歩入っただけで、まるで別世界にまぎれこんだような静寂が支配していました。もっと路地を歩きたくなりました。
「図子」(「逗子」とも書くようです)。平安京の条坊制の名残で、通りで区切られたブロックの内部を貫通する細い道が図子です。
図子で私が最初に思いついたのは「白梅図子(しらうめずし)」です。
昔、四条河原町から下鴨の自宅に帰るときは、市バスの4系統「深泥池」行きか14系統「松ヶ崎」行きに乗りました。河原町を上がってきて「府立病院前」の次のバス停が「白梅図子」でした。でも、当時は図子の意味も、それがどこにあるかも知りませんでした。
白梅図子は、明治7年に消滅するまで「花街」として栄えたそうです。
町家風の古い家です。2階には虫籠(むしこ)窓もついています。
同じ通りに「大久保利通旧邸」という石碑もありました。
この崩れかけた(失礼)店は、もとはすすし屋だったようです。
古い住所表示がありました。「中筋通、石薬師上ル」とあります。ここではないようです。
地図の黄色の道かと思ってました。①の表示がある家の夫人が出てこられたので尋ねました。
「河原町の角に武長という竹屋さんがありますやろ。そこをはいったとこです」
「南北の通りなんですか」
「はい。そうです」
緑色の道という説明です。②で、車を洗っていた男性に聞きました。
「そこを曲がって河原町に出たところに、わたしの子どものころには白梅図子というバス停がありました。だから、その右に曲がった通り(青色の道)と違いますか」
さらに指さされた角、③で家から出てこられた夫人に聞くと「河原町の向こうと違いますか(赤色の道)」
ああ、振り出しに戻りました。
ネットで検索していたら、こんな記事と古地図に行き当たりました。
赤色の道のようです。これで一見落着です。
現在はこんな感じです。
左(南)側は、、寺の塀が続いています。もはや、かつての花街を感じさせるものはもとより、標識などに「白梅図子」という表示は見あたりませんでした。すでに、忘れ去られようとしているようです。
祇園の小路
京都を散歩しました。久しぶりに四条河原町から東へ向かって歩きます。それにしてもこの人の多さはどうしたことでしょう。まだ30度近い暑さなのに、すっかり秋の観光シーズンですね。
「永楽屋」をのぞき、オーケストラをデザインした日本手ぬぐい(昭和14年製の複製)を買いました。額に入れいれば壁掛けにでもなりそうです。「よーじや」は通り過ぎて、クラフトセンターをひと巡りしました。
祇園石段下がもうすぐというところで、左手に路地を見つけました。これまでにも何回となく通った道ですが、この存在には気づきませんでした。
一歩、路地に入りこむと、四条通りの喧噪とはうってかわって、シーン。開店前の料理屋の前には打ち水と盛り塩がしてありました。
通りを抜けて振り返ると「十四番小路」の表示がありました。ということは「十五番も」と、祇園富永町通を西に東に。
ありました「十六番小路」も。
このあたりは祇園東の花街です。あまり縁はありません。
そろいの着物を着た舞妓さんが通り過ぎました。あわててカメラを手に追いかけてしまいました。
この写真だけは、ちょっと離れたところです。新門前通から新橋通に抜ける路地です。ここを抜けると白川が流れていて、吉井勇のかにかくにの碑があります。
プラハの路地も素敵でしたが、京都もまけてません。
時代を超越した商店街
京都・東山のとある商店街に迷いこみました。これが、たいへん楽しい商店街で、ついついシャッターを切る連続でした。おかげで一挙12枚同時公開です。
最初は「西日の当たる商店」です。商品が日焼けしないように布がかぶせてあります。それはいいんですが、いったい何を売っているんでしょうか。わかりませ~ん。
どんな店があるのかと、期待の胸を膨らませてくれるに十分な商店街入り口の金物屋です。
健康志向ははよくわかります。「きな粉ミルク」はどんなものなのか、どんな味がするのか、こちらもよくわかりません。
盆も正月も…、いや母の日のカーネーションもクリスマス・ツリーも飾ったままです。時計がいつのころからか止まったままのショーウインドーです。
「バレーシューズ有□」(□=ます、には斜線がいります。PCではだせませんので)って、買いにくる人があるってことなんでしょうね。きっと。
ついでながら、わが社の用語集ではバレーは運動種目、バレイは舞踏です。どっちなんでしょう。
本日の奉仕品です。商品は確かです。なにせ京都のワコール製です。
4500円のパジャマが安いのかどうかは、わたしにはわかりません。
「ブランド京野菜」に認証されている万願寺とうがらしです。舞鶴市万願寺近辺で栽培されている人気のとうがらしは、「京の伝統野菜に準じる野菜」にも指定されています。
それと並んでいる「見切品」のにんじんは中国産で、とりあえず日中友好の構図です。
もちろん、お隣の韓国とも仲良くしましょう。「いま、韓国で一番売れているタバコ」だそうです。
「冬のソナタ」の、よくタバコを吸っていたふられる方の男性も、これだったのでしょうか。
便秘のかたは熟読してください。「横着」に読み飛ばしたらいけませんよ。
この商店街にはなんでもあります。きっと、ネズミだって屋根裏を駆け回っているのでしょう。
すばらしい色をしています。写真では、あの色を再現できません。いまどき、あれほどきれいな(赤色○号だかの合成着色料を使った)色をした食品にはあまりお目にかかりません。
「むつきにも 手を合わせる おとしより」
わざわざ「むつき」のところに赤線をひいて「おむつ」と解説がはいっています。ご親切なことで、ありがとうございます。
テイクアウトばやりです。なんでも持ち帰りできる時代です。それにしてもカレーのテイクアウトは初めてです。ここだけは、時代を前方に超越しているんでしょうか。
ヘアピンカーブ
気をつけてください。ヘアピンカーブの向こうから車がやってきますよ。そこで写真を撮っているオジさん!
京見峠から鷹峯・光悦寺に下ってくる途中です。
値 伍百圓
サイコーでした。この一本。
どうってことのないビールです。でも箸袋に注目してください。「京見峠茶屋」とあるんです。
この暑いなか、京都一周トレイルの「京都北山西部①」を歩いてきました。コースはこれまでになく単調で、ただただ暑いばかり。終盤の京見峠の茶屋にはいり、「冷たいものあります?」と聞くと、「ビール、冷えてますよ」とおばちゃんの天の声。店先の床机に腰かけて、吹き抜ける風をアテに楽しみました。
自動車でなら何度も通った道ですが、汗を流して歩いたごほうびでした。