東山三十六峰 番外その2 幻の霊山から絶景の阿弥陀峰

 東山三十六峰の峰々を巡る「番外その2」は、未踏となっている27峰、霊山(りょうぜん)を踏み、近くにある伊藤博文(春甫)の詩碑を訪ねることでした。
 標高170mほどのピークですが、そこに達するルートがありません。西麓の霊山護国神社、西法寺から、北の菊渓(きくたに)から、南東の京都一周トレイル19ポイントからとアプローチを試みました。でも行く手を阻まれました。
 南にある31峰、阿弥陀ヶ峰から霊山とともに清水寺を眼下にしました。清水の舞台の上は、観光客で一杯でした。


 【2025/01/26 10:15】
 阪急ー京都市バスと乗り継いで、東山安井で下車。高台寺南門通を上ってくると、きょうの目的地の霊山が目の前です。

 高台寺門前のねねの道を過ぎると、維新の道となります。

 京都霊山護国神社は、幕末の動乱期に活躍した維新の志士たちを奉祀するために明治元年に創立され、その後、京都霊山護国神社と改称されました。

 駅の改札口みたいなゲートに300円を投入して入ります。

 まず目につくのが木戸孝允(桂小五郎)の立派な神道碑です。
 神道碑は国家に功績のあった人物の墓所参道に建てられた碑のことです。


 
 幕末の薩長同盟の立役者、坂本龍馬と中岡慎太郎の墓碑が並んでいます。

 故郷の高知では、桂浜の坂本と室戸岬の中岡の像は離れていますが、ここではお隣です。

 2人の像があります。でも等身の半分ほどです。

 円山公園には、台座から6メートルもある2人の像が立っています。どちらかがレプリカなのでしょうか。
 写真は、22日に歩いたときに撮影しました。

 2人は京の町を見下ろしています。

 多くの志士たちが眠る墓地の最上部に木戸孝允の墓があります。

 隣には松子夫人の墓です。
 禁門の変のあと、幕府に追われて四条大橋の下に身を隠した小五郎をかくまったのが、祇園の幾松でした。維新後に夫婦となりました。

 墓の左下を見ると、伊藤博文詩碑へ続く道があります。ところが、目の前にフェンスがあって通行止です。
 同じ長州閥の2人は懇意だったはずなのに、まるでいやがらせをしているようです。

 詩碑への道は目の前です。どこかからフェンスを抜けられないかと探しました。
 目印のような赤いビニールテープに垂れていました。向こうの斜面のフェンスの下から潜り込めないことはなさそうでした。

 他にないかと南端の鳥取藩招魂社までやってきました。でもフェンスは厳重でした。

 お隣の正法寺の参道につながるフェンスがありました。でもきっちりと錠がかかっていました。

 のぞき込むと、正法寺の山門が開いていました。

 神社の正面にまで戻り、大回りして霊山正法寺道までやってきました。静かな風情にある坂が下っています。

 見上げると、先ほどのフェンスがすぐそこでした。

 開いた山門からのぞき込みました。上部で工事中のようで、作業員の声が聞こえました。
 門前には立入禁止の表示もあったので、内部を通り抜けることははばかれれました。

 西麓から上がることはあきらました。八坂の塔近くまで戻ってくると、レンタル着物姿の女性がポーズをとっていました。

 霊山観音の背後が目指している霊山です。

 閉鎖されている円山音楽堂の上に双林寺があります。24峰の双林寺山があったところです。

 大谷祖廟の前を抜け、東大谷墓地を上ります。

 墓地の途中から菊渓につながります。
 前回にやって来たとき、墓を修理していた職人に教えてもらいました。

 沢沿いの道に赤いテープです。ロープもぶら下がっています。ここで谷を渡り、向こうの急斜面に取り付くのでしょうか。

 さらに行くと堰堤がありました。ここにも踏み跡らしき形跡がありました。
 尾根に向けての急斜面にルートはつながっているようにも見えました。参考にしているヤマッパー(YAMAP利用者)はここから登られたのかと、わたしも挑戦しました。でもあまりの急勾配と落ち葉の堆積です。滑って谷底に転げ落ちたら大変です。高齢者がソロで登るルートではないとあきらめて、引き返しました。

 菊渓は歩きやすい山道でした。前回はブッシュの中を泳ぐように進み、引っ付き草がいっぱいだった記憶がありましたが、ウソのようでした。

 2つの沢の合流ポイントです。右の谷を詰めると京都一周トレイルの19ポイントに達します。でもここもロープが張られて通行止です。

 キクタニギクがこの辺りに咲いていました。そこからのネーミングですが、その花は今は見られません。

 快適な谷を詰めて菊渓谷頭まで上がってきました。左に行けば高台寺山です。

 東山山上公園まで上がってきました。ここは「東山」としてYAMAPピークとなっています。でもそれを意識したことはありません。

 京都一周トレイルのルートをちょっと進み、振り返ると井上馨(外世)の詩碑が立っています。

 同じ明治の元勲として伊藤博文の詩碑と対をなしています。

 トレイルを谷まで下ると、右手に東屋があります。その奥から霊山へのルートへは行けないものかと探索しまいた。でも雑木林でした。

 トレイルの19ポイントまでやってきました。ゲートの向こうを下っていくと霊山と伊藤碑に達することができるのは調査済みです。最後の望みでした。

 日曜日のため、工事は行われてはいませんでした。右側のロープは越えられない高さではありませんでした。

 かなりの誘惑でした。でもやめておくことにしました。
 軌跡はYAMAPに残ります。ブログにも記します。ここは順法でいくしかありませんでした。

 トレイルは清水山へ向けて南下します。途中にある清水寺の子安の塔へ通じる道へ右折しました。

 初めてでした。よく整備された下り一方の素敵なルートでした。

 清水寺の南門に通じる道の途中に降りてきまいた。一周トレイルの登り口から20mほどしか離れていませんでした。清水山、清閑寺山を経由しなかっただけラクチンでした。

 国道1号五条バイパスを抜けて、ふたたび一周トレイルです。

 12ポイントは2つのピークへの分かれ道です。

 左に5分ほど登ったところが32峰、今熊野山です。
 ここへやってきたのは初めてです。でもYAMAPは半径100m以内を通過すると登頂とするルールがあって、過去に2回登ったことになってました。

 分岐まで戻り、ポットのお茶でちょっと休憩しました。

 阿弥陀ヶ峰を目指しました。途中、分岐を誤りました。いつまでも下りが続くなと不審に思いました。

 ルートを修正して阿弥陀ヶ峰に到着です。

 こちらはYAMAPでは初登頂でした。
 麓の豊国廟からここまで上がってきたことはあります。でも山登りの感覚はなく、YAMAPを起動させていませんでした。

 デジカメをデジタルズームを使って最望遠にして清水の舞台を撮影しました。

 右上に19ポイントも見えています。到達することができなかった霊仙は、左に下った斜面の凹部の辺りだったのでしょう。

 豊臣秀吉の墓は中腹の豊国廟にあります。頂上には巨大な五輪石塔がそびえています。

 長い階段を下ります。

 やっと下り終えました。

 豊国廟から見上げました。

 【13:16】
 京都女子大、高、中の学生、生徒が行き交うところから女坂と呼ばれる道を下ってきました。日曜日なので学生の姿はありませんでした。
 そのまま七条通を西進して、京都駅まで歩いてゴールとしました。

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