「幻の大仏鉄道」の遺構を巡りました。
大仏鉄道というのは、日本の鉄道黎明期の明治31年(1898)、関西鉄道(本社・四日市市)が大阪への進出を目指して加茂駅と大阪鉄道(現JR関西線)の奈良駅とを結ぶ支線として開通させました。しかし、途中の黒髪山トンネルなど急こう配の難所があり、大仏駅も町外れにあったうえ、木津駅経由の平坦な路線が開通したことから、わずか9年で廃線に追い込まれました。
1世紀を経たいまでは、線路跡は残ってませんが、生活道や農水路をたぐ橋台(アバット)、隧道(トンネル)などの遺構が残っています。
大仏駅があった奈良市法連には「記念公園」も整備されています。
出発はJR関西線・加茂駅です。午前10時半でした。
自宅最寄りの島本駅から京都駅に出て、みやこ路快速で木津駅まで、さらに大和路快速に乗り換えました。
加茂駅の跨線橋からの眺めです。ここから大仏鉄道は出発していました。
加茂駅東口広場には、動輪のモニュメントがあります。「大仏鉄道」の説明もあります。
左下のレールとレンガは、大仏鉄道で使われていたものです。
明治30年(1897)に作られた「ランプ小屋」です。灯火の油類を保管するため、駅からはちょっと離れた場所にありました。
ランプ小屋が残っているのは、関西ではJR奈良線・稲荷駅とここだけです。
JR関西線のレールは南西に延びます。大仏鉄道も左側を走っていたのでしょう。
大仏線鉄道の軌道跡に「C57」が静態保存されています。
線路沿いに道がない部分は、大回りをします。
数日前からの雨で、田にもたっぷりの水です。農家の方も、これでひと安心でしょう。
向こうに観音寺橋台が見えてきました。
手前がJR関西線で、大和路快速が通過します。
観音寺橋台は、切り石が積み上げられています。橋げたはありません。
向こう側のJR関西線の橋台も、同時期に関西鉄道用として作られた歴史建造物です。
観音寺小橋台です。
鹿背山橋台です。これも立派です。
道路わきに、枕木を使った境界柵があります。これは新しい枕木ですが、ちょっと気になります。
関西線の旧線はこのあたりから鹿背山トンネルに入りました。
地形的には、泥水がたまっているあたりに見えるのが、トンネルのアーチの上部でしょうか。
大仏鉄道の廃線レールを使用した橋があるはずと、歩きました。JR関西線の不動山トンネルまで来てしまいました。Uターンします。
この辺りに廃線レールの橋はあったはずですが、今は大規模造成の工事現場です。
大仏鉄道の軌道敷を境界とするように大規模造成工事は進んでいます。
美加ノ原カンツリークラブの前までやってきました。
梶ケ谷隧道です。
美しい煉瓦造りです。
隧道の上部は、美加ノ原カンツリークラブからちょっときた道路です。
この辺りの地形もすっかり変わってます。電信柱のステーのあたりが、元の地形だったのでしょう。
赤橋です。
いまにも大仏鉄度の機関車が通り過ぎそうです。
橋げたを見上げます。なんと一部は木製です。
梅谷公民館まで下ってきました。このあたりに井関川隧道の入口があったようです。
府道の下に回り込むと、松谷川隧道が残ってます。この上を大仏鉄道は走ってました。
トンネルは、少し先でコンクリートで覆われています。
松谷川隧道の上部です。ここを大仏鉄道は走っていたのです。
奈良県に入ります。
鹿川隧道です。
農水路が流れています。中段の突起に板を渡して、上部は人が通行していたそうです。
鹿川隧道のすぐ上が国境食堂でした。ここで昼飯を食べました。
「黒髪奈保町」とは、美しい地名です。
ここに黒髪トンネルがありました。現在は切通しになって、奈良で一番高い跨道橋がかかっています。
ドリームランドの跡地です。ここもいずれは「昭和のアミューズメントパーク遺跡」となるんでしょうか。
奈良の市街地に入ってきました。もうすぐ大仏駅というあたりで、このへんだったはずだ…。
大学時代からの旧友、Kくんの実家です。大峰山なんかに登る前夜、何回か泊まらせていただいたことを思い出しました。
大仏駅があったあたりに、「大仏鉄道記念公園」が整備されています。
大仏鉄道は、佐保川を渡り奈良駅を目指しました。
3つのレンガ積み橋脚をもつ佐保川鉄橋がかかっていました。近年、その橋脚の基礎部が川底から発見されました。
舟橋商店街を油阪まで下ってきました。
昔はここに近鉄油阪駅がありました。
奈良市のマンホールには、当然のことながらシカがデザインされています。
JR奈良駅に到着しました。
午後3時10分でした。途中、昼飯を食べた以外は歩き通していましたが、行きつ戻りつや、カメラを構えてあちらこちらと、それなりに時間がかかりました。
1=観音寺橋台
2=JR関西線不動山トンネル
3=梶ケ谷隧道
4=松谷川隧道
5=鹿川隧道
6=大仏駅記念公園