京街道を上る 其の弐 大坂を離れる

 2010/02/14 09:36=JR京橋駅北の高架橋をくぐります。「京街道」の大きな文字が、いよいよ出発の気分にさせてくれます。

 09:37=京都へ続く京街道の出発点というわけで「ビ・ギ・ン・京・橋」と名付けたいう由緒が記されています。なぜ「ローマの休日」で有名な「真実の口」なのかは不明です。

 09:39=アーケードを歩くと「京かいどう」の碑がありました。

 09:45=こちらは石碑です。この後、同じのに何回も出会いました。

 09:46=榎並地蔵の境内にあった京街道の案内図です。

 09:47=昨年5月に榎並地蔵堂の解体工事で発掘された道祖神と一体の道しるべです。「橋向こうを 右へ 蒲生 今福」と刻まれているそうです。

 10:10=野江内代(うちんだい)の五差路交差点で、ひとつ道を間違えてしまいました。城東貨物線のガードを越えたのに、次の目印の「七曲り街道」が現れません。「京街道」の書籍からコピーした地図には町名表記までないため、どこに来たのか迷ってしまいました。iPhoneにはGPS機能があります。そのMAPで現在位置を確かめて、ルートを修正しました。

 10:22=「七曲り街道」まで戻りました。ちょっとタイムロスをしました。
 街道の行く手を遮るために、わざと道が曲がっています。

 10:26=「明治天皇聖跡」という石柱が、ガレージと店舗のすき間に立ってました。「西井茶屋址」とのことです。明治天皇は、こんなところまで訪ねておられたのです。

 10:27=曲がりくねった細道を進むと、旅館があらわれました。これも街道だったからんなでしょう。

 10:37=古市橋を渡ります。「左(ひだり) 京(きょう)」です。最初は左京(さきょう)と読んでしまい???

 10:38=路上にも「京かいどう」のプレートがあります。大阪市はかなりのリキをいれて京街道を整備したようです。

 10:41=「京かい道商店街」もありました。

 10:45=千林商店街の端をかすめました。「主婦の店(ダイエー)」の発祥の地です。

 10:49=ちょっと気になってました。このデザインは、京街道のシンボルのようです。ずーっと一緒でした。

10:56=京阪本通を北上して守口市に入ります。きょうの目的地である枚方近くの「中振まで20分」の表示がうらめしいです。

 今回の旅は、大阪市立図書館で借りた左の「京街道-大阪・高麗橋~京都・伏見宿」(上方史蹟散策の会/編、向陽書房)を参考にして歩いています。

 「京街道を上る」はまだ続きます。