My memory トラムは素敵 ウィーンには赤いトラムが似合う

 「ウィーン わが夢のまち」です。5回も訪れました。音楽を聴き、カフェを巡り、トラムに乗りました。
 ウィーンではシュトラーセン・バーン(路面電車)と呼ぶ赤いトラムがよく似合います。リンク(環状道路)を一周し、放射状に延びてます。

ウィーン 真っ赤なトラムの心憎い配慮

ウィーンの町をトラムは走る

 交通博物館にも行きました。19世紀後半の公共交通手段としての馬車から、歴史的なバスやトラムが展示されていました。

トラムって素敵 ウィーン交通博物館

 2004年に初めて訪れたウィーンです。「Ring-Kai-Ring」との行き先表示があるリンクを周回するトラムが走っていました。これにさえ乗っていれば安心でした。

ウィーン 初めてのトラム Ring-Kai-Ring

 雪のウィーンにも、真っ赤なトラムが映えました。

雪のウィーン点描 リンクあたり

My memory トラムは素敵 ベルリンの雨宿り

 ベルリンといえばフィルハーモニーです。ヤンソンスを、ラトルを、サラ=オットを聴きにと、3度も訪れました。
 雨が降りました。シュプレー川の遊覧船日和でもなかった日には、トラムに乗って雨宿りをしました。行き先はわからないままに乗って、終点から戻ってきました。
 旧東ドイツ地区には、多くの路線が残っていました。

ベルリンでは トラムに乗って雨宿り

 起点となったハッケシェ・ヘーフェです。おしゃれなショップやカフェ、ギャラリーなどが並んでいました。無印やUNIQLOも。

ベルリン ハッケシェ・ヘーフェの甘いビール

わたしのみやげ アンペルマンの毛糸帽子

 雨を避けてベルリン大聖堂に入ってみると、結婚式でした。大きなパイプオルガンが、メンデルスゾーンの結婚行進曲を奏でました。

ベルリン大聖堂 結婚式に「列席」

My memory トラムは素敵 アムステルダムのガントレット

 ガントレット(単複線)は、複線にできない狭い土地に両線路の一方が互いに跨っています。
 向こうからトラムがやって来ます。わたしが乗ったトラムは、通り過ぎるのを待ちます。2枚目の画像では、わたしのトラムが先に進みます。双方のレールにポイントはありません。
 アムステルダムにはそのガントレットがいくつもありました。その度に運転手の後ろでカメラを構えていました。

アムステルダム ガントレットを走る

 運河の町です。運河巡りも楽しみましたが、移動はトラムです。アムステルダム中央駅からトラムに乗車しました。泊まったホテルやアムステルダム・コンセルトヘボウ、レンブラントの「夜警」やフェルメールが展示されている国立美術館などがあるミュージアム地区まではトラム5番で一本でした。

アムステルダム 運河の町にもトラムは走る

 2度目に訪れたアムステルダムです。コンセルトヘボウの前をトラムが横切ります。中央駅から勝手知ったるトラム5番に乗ろうとしましたが⋯。

アムステルダムを散歩する

アムステルダム 朝の散歩

My memory トラムは素敵 ライプツィヒ、記憶の風景

 ライプツィヒの中心街、アウグストゥス広場をトラムが横切ります。向こうはライプツィヒ歌劇場です。
 Bachfest2012を聴きにやって来ました。2度目でした。コンサートを聴いたゲヴァントハウス(織物会館)の階上から正面を撮影しました。

 初めてのヨーロッパの1泊目はライプツィヒのホテルでした。時差のかげんで早くに目が覚めて、ひとりで聖トーマス教会まで散歩しました。ゲヴァントハウスを見上げて、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の調べが聴きたかったのです。

 聖トーマス教会のバッハ像です。30年も前の若いころです。

ライプツィヒ 環状道路を走るトラムに乗る

 トラムが周回する環状道路は、1990年の東西ドイツ統一につながった月曜デモの舞台でもありました。

ライプツィヒ 聖ニコライ教会とシュタージ

 みやげには聖トーマス教会のすぐ横にある模型店でグリーンのトラム(グラーツの市電)を買いました。ポルトの28番線のブリキ細工とともに、わたしの宝物です。

 ネットを検索してみると、Herrmann Modellbahnen(画像はHPより)は今も健在でした。このショーウィンドーをのぞき込んだのです。

トラムは素敵 おみやげはグラーツのシュトラーセン・バーン

My memory トラムは素敵 ゲントからモスクワ行き

 ベルギーの美しい古都、ゲント(ヘント)で運河巡りをしました。向こうの橋を渡るトラムを指さして、ガイドの女性が「1ユーロちょっとでモスクワまで行けます」と教えてくれました。
 トラムの行き先表示は確かに「MOSCOU」でした。19世紀のはじめにロシア軍が駐留したことからそう呼ばれる地区があるようです。

石畳の上、ゲントのトラムは走る

 どちらを向いても絵になる町でした。マクドナルドの窓からも、通り過ぎるトラムと聖バーフ大聖堂が見えました。

ゲント 眺望随一のマクドナルド

古都・ゲントの町で運河巡り

京都・錦 「有次」で三代目包丁を買う

 京都・錦小路の包丁・料理道具の店「有次(ありつぐ)」で包丁を買いました。
 使い続けてきた包丁が、ちょっとした不注意から大きな刃こぼれを起こしてしまいました。研ぎ直してもらうことも可能ですが、かなり小さくなります。毎日の食事に欠かせない道具です。値上がりしているのは覚悟の上でした。
 わが家の包丁は、有次ばかりです。初代は、結婚を機に母が買ってくれました。二代目は、わたしが料理教室に通うようになった25年ほど前に購入しました。そして三代目となりました。

 最近は刃物の鋼(はがね)を錆びないステンレスで覆っているのが人気だそうです。でも、これまでと同じ鋼の三徳包丁を選びました。なんと3万円オーバーでした。

 見ているだけで楽しくなる料理道具が並びます。「あくすくい」も買ってしまいました。

 野菜を型抜きする道具です。わが家にも正月料理の煮しめ用にニンジンをカットする梅型があります。

 カウンターの向こうで刃を研いています。
 買った包丁に名前を刻み込んでくれるサービスもありました。でも終了となってました。

 外人観光客の姿ばかりが目につきます。若い女性店員は、流暢な英語で応対していました。

 錦市場はきょうも大混雑でした。でも串に刺した料理なんかを簡単に食べさせる店ばかりで、昔の風情がすっかりなくなってしまいました。
 有次だけは変わりません。なにせ創業は戦国の世の永禄3(1560)年です。

 有次 錦店
 075-221-1091
 京都市中京区錦小路通御幸町西入ル鍛冶屋町219

 まだこのブログを始める前にことです。当時のホームページ(HP)のデータを探すと、2001年12月16日に「包丁を買う」という書き込みが見つかりました。
 添付されている画像データは小さなものです。ネットへの接続スピードや保存容量がネックとなっていたのでしょう。そのオリジナル画像はCDに保存されていました。画像とともに書き込みを再構築しました。

 スパッと切れる包丁が欲しいなあ。春から月1回の「男の料理教室」に通ううちに、そんなことを感じるようになりました。
 京都・錦小路の「有次(ありつぐ)」。刃物づくり400余年。戦国時代の永禄3年に創業、京都御所御用鍛冶の伝統を受け継ぐ店です。

 店内には、包丁のほかに、各種の手作り調理器具が並んでいて、見ているだけで飽きません。

 購入したのは、家庭用の「三徳牛刀」(9500円)。ステンレスでコーティングして錆びにくい「日常一品」シリーズもありました。

 鋼だけの従来品を選びました。その場で「田谷」と名前を彫り込んでくれました。
 研ぐのはちょっとたいへんですが、いつまでもこの輝きを保つのを楽しみにする-というのが課題になりそうです。

 四半世紀を隔てた新旧2つの包丁です。3倍ほどに値上がりしていましたが、同じ包装紙に包まれていました。

 わが家の包丁オールスターズです。左から2本目が二代目です。刃こぼれした部分は隠してます。右端が三代目です。
 左から4本目は、母が使っていました。度重なる研ぎの結果、刃が小さくなっています。

 

My memory トラムは素敵 プラハの石畳

 「百塔の町」にして「石畳の町」でもあるプラハを、トラムが縦横に走っています。
 ビルの下をくぐり、城をバックにして⋯。どこから見ても絵になります。

プラハのトラムは石畳を走る

 ケーブルカーにも乗りました。丘の上から茶色い甍が波打つ町を見下ろしました。

プラハ 茶色い甍が波打つ町

 地下鉄にも乗りました。高速のエレベータで地下深くへと潜りました。

地下鉄は地下深くを走る

プラハ 地下鉄は地下深くを走る part2

My memory トラムは素敵 ブリュッセルの朝市

 「ロケみつ」とともに「大人のヨーロッパ街歩き」というテレビ番組を楽しみに見ていました。15年ほども前のことです。わたしも行きたいなと。
 そこで知ったブリュッセル郊外の町、ストッケルで朝市を楽しみました。帰りはトラムに揺られて車窓を流れる風景を飽きずに眺めました。

 郊外では、専用軌道をかなりの速さで走りました。「トラム・ミュージアム」という電停がありました。途中下車するのでした。

ブリュッセルでは地下鉄とトラムを乗り継いで

さあ、行動開始 まずは朝市へ!

 朝市では焼き立てのワッフルをかじりました。これもテレビ番組のレポーターだった大坪千夏さん(元民放アナ)を真似てでした。

ブリュッセルの朝市でワッフルをかじる

 ベルギーのスイーツといえばワッフルとチョコレートです。ピエール マルコリーニは、今ではグランフロント大阪にも出店しています。当時はここでしか買うことができず、店を探しました。

ベルギーといえば チョコレート

My memory トラムは素敵 エアフルトで初見参

 ドイツ中部のチューリンゲンの森に囲まれた町、エアフルトを訪れたのは30年も前のことです。インターネットやホームページが普及する前のことです。このブログを探しても、当時の記録は存在しません。
 勤めていた新聞社への招待で、ライプツィヒからフランクフルトまでのゲーテ街道を旅しました。エアフルトで町を走る赤いトラムと初めて対面しました。
 格好いいなあ!っと、何枚もカメラのシャッターを押しました。

 まだデジカメが普及する前です。フィルム(銀塩)カメラで撮影しています。カラーネガと引き伸ばしたプリントが保存されていました。プリントをスキャナーで読み込みました。

 「’95 8 20」と撮影日が記録されています。
 仕事にはもっぱらNIKON F2Photomicを愛用していました。でも撮影日が入っているということは、その機能がある小型のCANON AutoBoyだったようです。

 トラムが町の景観に溶け込んでいます。

 当時は高床式のタトラカー(チェコ製)ばかりでした。

 観光名所でもあるクレーマー橋です。川の上に商店や住居が建っています。

 橋の上を歩いても、両側には商店が並んでいて、川面はまったく見えません。

 橋上で撮影したのでしょうか。ご婦人が糸を紡いでいるようでした。

 大聖堂の脇にある大階段です。ここは夏の音楽祭のオペラの舞台としても使われるそうです。

 ちょっと色褪せたプリントをスキャナーで読み取りました。ネガ・スキャナーがあれば、もう少し色鮮やかにデジタル画像化できたかもしれません。

 2012年に滞在中のライプツィヒからワイマールへ日帰りで行きました。往路に乗ったICE(高速列車)はワイマールを通過してエアフルトまで止まりませんでした。2度目のエアフルトでホームには降り立ちましたが、すぐにワイマールへと折り返しました。

ライプツィヒ 中央駅からドイツ版新幹線「ICE」に乗る

My memory トラムは素敵 ポルトの巡礼路

 ポルトからスペインの聖地、サンティアゴ・デ・コンポステーラまで250キロほど。3回目のカミーノ巡礼はここから歩き始めました。 
 ポルト大聖堂を後にした巡礼路に沿ってトラムの1号線が走ってました。主に観光用として残っています。
 乗ってみたかったのですが、巡礼は歩くのがすべてです。次々にやってくるクラシックなトラムを横目にし続けました。

トラムを横目に歩きました

 ポルト大聖堂から黄色い矢印に導かれて歩き始めました。

ポルト大聖堂から巡礼をスタート

 市民の足はもっぱらメトロと呼ばれるライトレールです。市街地では地下を、町を出ると道路併用や専用軌道を走ります。
 ドウロ川にかかるドン・ルイスⅠ世橋の上もメトロは行き交っていました。

ドン・ルイスⅠ世橋を歩いて渡る

憧れだったポルトの夜はふけて

 異常に暑かった7月も終了です。今月の投稿回数はこれまでになく多い35回となりました。このうち半数が「My memory」です。音楽のこと、トラムのこと。あれこれと思い出を書き連ねてきました。
 さて8月。まだまだ暑そうです。不要な外出は控え、エアコンを効かせたわが部屋でパソコンに向かいたと思います。