ヨハネ受難曲

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 バッハの「ヨハネ受難曲」を聴きました。 
 ペーター・シュライヤー(テノール歌手=舞台中央)が指揮をし、物語を進めるエバンゲリスト(福音史家)を歌う2役でした。さすがに、ずっと昔に聞いた「美しい水車小屋の娘」ほど声にハリはありませんでしたが、すべて暗譜には感心しました。
 コーラスは6人×4声で24人。たったこれだけなのに、オルガンのような響きでした。
 Rudolfinum(ルドルフィヌム=芸術家の家)にあるドボルザーク・ホールは、本当に素晴らしいホールでした。こんなに音楽的なホールは、たぶん日本にはないでしょう。
 19世紀の後半に、約10年をかけて建設されたそうです。現在はプラハ交響楽団の本拠地になっています。  (2005/05/19)

この店の正体

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 気になってた店です。この液体は何なのか?
 答えは「ビネガー」でした。
「Gegenbauer」というこの店、なんと日本語のホムページまでありました。
Apfelessig mit Honig (Cider vinegar with honey)
Weinssig mit Bärlauch (Wine vinegar wild garlic)
Himbeeressig (Paspberry vinegar)
Paprikaessig (Red pepper vinegar)
Tomatenessig (tomato vinegar)
 いや、いろいろとあるもんです。今度は味が気になってきました。
                       (2005/05/17)

「鰻丼」はあるの?

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 ウナギだって、ほら元気なのが売られてます。
 ウィーンっ子の胃袋を満たすナッシュマルクトです。でも、まさか、ウナギを蒲焼きにしては食べないでしょう。日本食レストランは別にして。
 それにしても、おいしいものは世界共通ということを実感します。  (2005/07/17)

これ、なあに?

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 あちこちで日の丸に「Sushi」と書いた看板を見ました。もっとも、日本のすしとはちょっと違うようで、実際に経営者は韓国や中国系が多いそうです。
 この看板は、ハイリゲンシュタットの地下鉄にあったスタンドで見かけました。
 Sesamhühuchen 「ごま味の若鶏」となりますが、カレーソース風味とあるので、チキンカレーみたいなものでしょうか。
 Fischtempura  これはわかります「天丼」です
 Vegetarisvhe Box ベジタリアン・ボックスです。なぜか豆腐がのってます。
 Japan-Ente  Enteは鴨ですが、なぜJapanとつくのかわかりません。照り焼きソースでぱりぱりに焼いたとり肉が載ってます。
 どれも3.8eur、日本円にして530円ほど。コンビニ弁当と大差ありません。    (2005/05/17)

Beethoven Frieze

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「黄金のキャベツ」をいただくセセッション(分離派会館)の地下には、グスタフ・クリムトの壁画「ベートーベン・フリーズ」が展示されています。1902年に開かれた分離派展のために作られたフレスコ画で、壁面の三方に描かれています。ベートーベンの「交響曲9番」をモチーフに、社会への風刺と幸福への憧れを表現しているそうです。
 ちょっと戸惑ったのは、料金を払う場所が見あたらなかったこと。そのまま展示室まで入ってしまいました。どうやら無料だったようです。それならと、カタログを購入しました。   (2005/07/17)
 

「田園」の夏の家

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 「夏の家」というのもありました。1898年の夏、この家の2階の部屋を借りて「田園」を完成させたそうです。
 ちょっと疲れたので、ここからバスに乗り、二駅先のグリッツィングまで行きホイリゲに直行しました。   (2005/05/17)

ここで「合唱」が

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 ベートーベンガング(小径)からエロイカ(英雄)ガッセ(通り)と下ってきて、ここのホイリゲはまだ閉まっているねとベンチに腰掛けました。ペットボトルを口に見上げると、「史跡」を表す4本のリボンが。
 ベートーベンが第9の4楽章「合唱」の部分の構想をふくらませたという「メイヤーの家」でした。
 「引っ越し魔」のベートーベンらしく、あちこちの家に滞在したようで、また、その記録が残っているのがすごいところです。  (2005/05/17)

ハイリゲンシュタットの遺書の家

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 ベートーベンが弟あてに遺書を書いたという家です。この家を気に入っていたそうで、11回も滞在し、交響曲2番はこの家で生まれたそうです。
 路地に面した家の木のドアを押すと、中庭が。正面に、その家はありました。展示室になっており、おじいさんから「見るのか?」といった感じで入場料を徴収されました。そして、「遺書」の説明をしたガイドブックの日本語ページを開いて「ここを読め。買わなくていいから、すんだらここに置いといてくれたらいい」と言い残して、どこかに行ってしまいました。なかなか親切でした。

ご主人はどちらに?

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 カーレンベルクの丘から散歩してくると、あたりののどかな風景とは不調和な屋敷の横を通りました。何台もの監視カメラが周りを見回しています。
 ここの元ご主人はイラクのフセイン大統領だそうです。この細い坂道を登って、あのかたもやって来たのでしょうか。
 いまは、イラクの公館になっているらしいですが、どなたもお住まいの様子はありませんでした。   (2005/05/17)