青春18 関西の6つの「盲腸線」を全踏破

 JRに盲腸線と呼ばれる路線があります。あってもなくてもよい臓器といわれた盲腸(虫垂)に例えられた、短い行き止まり路線です。
 大阪近辺には終端駅(ターミナル)をもつ路線が6つもあります。盲腸線に厳密な定義はないです。でも、関西空港やUSJへのアクセス線だったり、私鉄との接続線だったりと、そう呼ぶにはふさわしくない路線だったかもしれません。
 兵庫からひと駅の和田岬線も、行ってみると通勤客で大混雑していました。
 一筆書きの「大回り乗車」では乗れなかった未踏の路線もあります。あえて「盲腸線」とみなして青春18きっぷで全踏破しました。

 左上は紀勢線の終点、和歌山市です。関西空港線の関西空港では、南海の「鉄人28号」(特急ラピート)と隣り合わせです。羽衣線の東羽衣は、南海・羽衣と接しています。
 左下は関西線の終点、JR難波です。桜島線の桜島は、一つ手前のユニバーサルシティでほとんどの客が降りて、閑散としています。和田岬線の和田岬は、ここは盲腸かと思っていましたが…。

 【2023/08/08 08:13】
 青春19きっぷに4つ目の検印をもらいました。
 3回目は、奥さまが篠山口まで往復乗車しました。ダンピングの2000円でリセールしたのです。

 まずは和歌山を目指しました。
 大阪から紀州路快速に乗りました。世の中は台風接近で警戒感が強まってましたが、われ知らずです。

 地元・島本から2時間36分(乗車時間は2時間6分)かかってやっと和歌山です。
 大阪も、東北の隅から南西の端を通り越すまで、ずい分と広いものです。

 紀勢線の和歌山市行きに乗り換えます。
 紀勢線は三重・亀山から紀伊半島をぐるっと回って、終点は和歌山市です。和歌山は通過駅ですが、きのくに線の始点ではあります。

 3両連結のワンマン運転です。途中でひと駅停車して7分で和歌山市に着きました。
 南海・和歌山市のホームの1面を借りた借家駅のようにも見えます。左には、ブルーとオレンジのラインが入った南海が止まっています。
 この時間帯は1時間に1本しか走っていません。すぐに折り返す同じ車両に乗りました。

 和歌山市を出発したところで、最前部から線路を注視していました。南海からの渡り線があるはずとふんでいました。
 的中しました。左の南海から入ってくるポイントがありました。
 わたしは学生時代、南海・難波から「急行きのくに」に乗って南紀・周参見に旅した覚えがあります。南海から国鉄(当時)に相互乗り入れする直通列車が走っていたのです。懐かしい国鉄ツートンカラーの気動車でした。
 渡り線が当時のものかは不明ですが、昔の記憶がつながりました。

 和歌山に戻ってくると、隣の和歌山電鉄のホームからうめ星電車が発車しました。人気のたま電車など、おもしろいラッピング電車が走っています。

 阪和線を日根野まで戻り、関空快速に乗り換えました。
 この駅で関空快速を紀州路快速が切り離されます。

 関西空港で途中下車しました。

 国際線の発着する第1ターミナルとは反対側のエアロプラザに行ってみました。

 再び折り返しの関空快速に載って、鳳で途中下車です。ここから通称・羽衣線が出ています。正確には阪和線の支線です。

 わずか1.7kmで東羽衣に到着です。

 目の前を南海の高架路線が走っています。左にちょっといけば南海・羽衣です。
 この高架の下に踏切がありました。その踏切が、南海と阪和電鉄(現JR阪和線)とのし烈な海水浴客争奪の舞台となりました。
 南海が開発した浜寺海水浴場に、山側を走っていた阪和が支線(現羽衣線)を敷いて乗り入れました。南海側は、この踏切を長時間、開けず、客が阪和に流れるのを阻止したという話が残っているのです。

 鳳まで戻ると、構内に「麺家 鳳」がありました。あちこちの駅にあるJR系の駅うどん・そばの店です。
 「冷かけとろろそば」(480円)にしました。

 ギンギンに冷した出汁が、喉を滑りました。ほっとひと息つきました。

 店は真ん中で仕切られており、駅の内外から利用できるようになってました。

 麺家 鳳
 072-272-3191
 堺市西区鳳東町1-125 JR鳳駅構内

 阪和線の区間快速に乗って終点の天王寺です。大阪環状線なども走ってますが、阪和線はターミナルです。
 半世紀前に、大学(杉本町)への通学路だった懐かしい風景です。この辺りは当時とあまり変わっていません。

 天王寺から普通に乗り、今宮で大阪環状線と分かれ、やがて地下に潜るとJR難波に着きます。
 地下化される前は湊町で、関西線(通称・大和路線)のターミナルでした。関西線という呼び方は、名古屋と大阪を結んで関西鉄道かからきています。

 ここも懐かしい風景です。左の通路の奥に、わたしが勤めた新聞社の地下入口がありました。

 次は桜島線に向かいます。
 駅の案内板に、USJまでの道順を記したリーフレットが置かれていました。それに従いました。

 新今宮で乗り換えです。キティちゃんがラッピングされた京都行き「特急はるか」が通過しました。

 西九条で桜島線(通称・ゆめ咲線)に乗り換えました。最初の駅は安治川口です。お隣にはJR貨物の同名の駅もあります。
 貨物線は、新しくできた大阪うめきたの地下ホームを通過してここに通じているのでしょう。

 ほぼ満員だった電車は、USJでほとんどの客が降りてしまいました。
 乗っている人は、USJの従業員通用口がある桜島へ向かうのでしょうか。

 桜島は閑散としています。
 天保山に登るため、近くの船着場から渡船で対岸に渡ったことがります。

 突然にビールです。ちょっと休憩です。
 桜島から環状線で大阪へ。新快速で神戸までやって来ましたが、兵庫からでる和田岬線の次の電車が午後4時50分発であることに気づきました。まだ時間がありすぎました。
 元町で神戸餃子でも食べようと、ひと駅戻りました。ところが、駅前の人気餃子店は2店とも休みでした。
 スマホで開いている店を調べて入った「浪花ひとくち餃子 餃餃 元町店」です。

 浪花と名乗って全国展開しているようです。パリッとした小粒の餃子です・

 神戸風にみそだれでいただきました。なかなかいけます。

 浪花ひとくち餃子 餃々 元町店
 神戸市中央区元町通1-11-2
 078-331-3751

 店を出ると、ひと雨あったようで路面が濡れていました。よいタイミングで雨宿りしていたことになりました。

 神戸地下鉄の海岸線で和田岬に向かいました。

 陸の先端の和田岬まで歩くつもりでした。でもまた雨が降りそうでした。
 すぐ近くにJR和田岬がありました。この駅も地下鉄への接続が可能とあっては、盲腸と呼びずらくなっています。

 和田岬発の時刻表です。平日は午前に7本、午後に10本が走っています。ところが昼間は7時間も運転がありません。休日はたったの2本です。

 長いホームです。待ち客はまばらだったホームです。

 それが、午後5時25分発の電車発車が近づくと、ラッシュ状態となりました。

 ひと駅で兵庫です。途中改札の前は、大混雑でした。

 兵庫から普通で神戸へ、そこから新快速で高槻まで、さらに島本へ帰ってきました。1日、JRに乗りまくっていい時間になってました。

京都・五条 河井寛次郎記念館でひと時の涼を

 京都はきょうも暑い一日でした。ふと思い立って「河井寛次郎記念館」を訪ねました。
 大正・昭和にかけて活躍した陶工、河井寬次郎の住まい兼仕事場をそのままに公開しています。
 「建物のみならず、館内の家具や調度類も寬次郎のデザイン、あるいは蒐集によるもので、それぞれ個性を発揮しつつも、不思議な統一感を生み出しています」(河井寬次郎記念館のHPより)

 中庭から吹き抜ける涼やかな風にひと息つきました。

 炉を前にして、丸くてかわいい椅子が並びます。

 2階の書斎の窓際です。これまたかわいい、いや現代人からすれば小学生がちょこっと腰かけるくらいの小さな机と椅子です。

 背もたれのデザインがすごいです。

 寝そべった猫が、床と同化しています。

 書斎の大うすのテーブルです。割れ目がまるで金継ぎのように補修されています。

 展示物ですが、座り込んで休むこともできます。

 陶房の前の休憩室です。並べられてミニチュアのようなかわいい椅子たちです。

 素焼窯の前にも、焼き上がるのを待つためのように並んでいます。

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青春18 姫路ー敦賀 224.8kmを新快速で

 「青春18きっぷ」の旅の2回目は、JR西の新快速を始発から終着まで乗り通しました。
  最長距離を走る新快速は、敦賀から播州赤穂まで北陸-琵琶湖線経由で275.5kmあります。ところが、このロングラン新快速は夜に1本しかなく、青春きっぷ1回分のその日のうちには帰宅できません。
 姫路でえきそば、敦賀でソースカツ丼を食べることを考えて、姫路発湖西線経由の敦賀行きに乗りました。224.8kmと、ちょっと短くなりました。
  新快速の「B」は、湖西線経由の記号です。

 島本の駅は、この日も有人でした。検印を受けました。

 平日の朝です。通勤客で混雑する高槻で、姫路行き新快速に乗り継ぎました。幸いにも座ることができました。

 姫路のホームです。まだ腹は空いてませんでしたが、えきそばを食べて新快速を待ちました。

 10時11分に新快速は発車しました。同時刻に新幹線のひかり504号も発車しました。新大阪でのぞみ340号に乗り継いで、13時24分に664.3km先の東京に着きます。
 わたしが乗った新快速の敦賀着は13時15分でした。所要時間はほぼ同じで、これだけの距離差が生じます。

 スタート地点の島本を、ノンストップで通過しました。

 神戸、大阪、京都と府県庁所在地の駅に停車して、4つ目は湖西線で滋賀に入った大津京です。大津は東海道線です。

 車窓からは、びわ湖の先に近江富士(三上山)がきれいな姿を見せていました。

 3時間余の座りっぱなしからしばし解放される敦賀着です。完成している北陸新幹線の高架が出迎えです。

 ホームでは恐竜が出迎えてくれます。

 新幹線へのエントランスもできています。今年度末の開業を目指しています。

 立派になった敦賀の駅前です。ガンガン照りで、人影はまばらです。

 名物のソースカツ丼を食べて、帰路に着きました。新快速で2駅の近江塩津で途中下車しました。
 近江塩津は大回り乗車で何度かやって来ています。でも改札から外には出られませんでした。きょうは青春きっぷですので、駅前に出ました。ご同類もいますが、目の前を日本海とびわ湖を結ぶ国道8号が走っているだけでした。

 敦賀から乗ってきた新快速は湖西線経由で姫路に向かいました。近江塩津からは長浜、米原と湖東を走る北陸-琵琶湖線経由で姫路行きの「A」が発車します。

 ちょっと喉が渇いて、長浜で途中下車しまいた。きれいになった駅前ですが、開いている店は見つかりませんでした。
 秀吉と三成の「出逢い」の像ができていました。

 改札脇のミニコンビニで缶を買って、長浜発姫路行きの新快速に乗りました。

 京都で各停に乗り換えて島本に着きました。
 乗車距離は計469.1km、乗車券料金は計8030円でした。島本-姫路と敦賀-長浜-島本がともに1980円と同額でした。

青春18 島本ー宇野往復 468.4km、8140円

 「青春18きっぷ」で、「宇高連絡船の発つ港・宇野」まで乗り鉄をしました。
 JR島本から宇野までの往復は468.4km。行きは赤穂線経由でした。運賃は計8140円、青春きっぷの1回分は2410円ですから、5730円分もトクしした勘定です。そんなみみっちい計算をしてしまうのも、このきっぷの楽しさではあります。
 宇野での滞在時間2時間などを除いても計10時間近く堅いシートに腰かけていました。「青春」するのも疲れます。

 【2023/07/22 07:21】
 島本から乗車しました。いつもは無人の改札口に駅員がいたので、検印をもらいました。これできょう1日は乗り放題です。

 高槻から快速になる姫路行に乗ります。

 新大阪で後発の新快速の播州赤穂行きに乗り換えました。途中の神戸で追い抜きます。

 相生に停車しました。乗客が席を確保するため、走ってホーム反対側に停車中の相生発岡山行の山陽線に乗ります。青春18きっぷのシーズンになると繰り広げられる光景です。
 わたしはこの列車を敬遠するために、遠回りな赤穂線経由にしました。

 播州赤穂駅で途中下車しました。
 切符の検札が、これまで以上に厳格になったような気がします。昔はほとんどフリー同然でした。

 「忠臣蔵」の義士の町です。浪士ではありまえん。

 岡山経由総社行きに乗ります。

 電車はボックスシートでした。背中がまっすぐに立っているだけで、座り心地がイマイチなのに気づきました。

 カキオコで知られる日生(ひなせ)です。若い女性らがどっと下車しました。

 岡山までやってきました。アンパンマン塗装の特急が先に発車してゆきました。

 快速マリンライナーは高松行きです。これに乗っていけば讃岐うどんが食べられますが。

 茶屋町で「盲腸線」になった宇野みなと線の折り返しワンマンカーに乗り換えです。岡山への乗り換えに便利なような構造です。降車は右側ホーム(岡山方面行き)へ。乗車は左側ホームから。

 終点の宇野に到着です。昔はここから宇高連絡船が出てました。
 観光列車「La Malle de Bois」(ラ・マル・ド・ボァ)は、きょうは出番がないようでした。

 駅舎は、宇高連絡船の廃止後に移転・建築されたものです。
 降車客に、大きなトランクをもった外国人が何人もいたことにびっくりしました。

 宇野の港と町をひと回りし、昼飯も食べて戻ってきました。この時間帯は1時間に1本の電車を待ちました。

 茶屋町-岡山-山陽線経由で相生-姫路と乗り継いできました。駅そばの立ち食い売店もある姫路のホームには草津行き新快速が止まっていました。でも、ちょっと休憩したかったので見送りました。

 半時間ほど後の新快速に乗り、高槻で普通に乗り換えて島本まで戻ってきました。

 午後7時13分と、出発から12時間後でした。

青春18 宇野と姫路で食べました

 「青春18きっぷ」でやって来た岡山・宇野です。カンカン照りでした。
 昼飯は、「ブラタマノ 宇野港てくてくマップ」に1番で紹介されていた「大阪屋」です。
 「魚定食」(800円)の鯖煮は、テカテカに光ってました。ということは、甘くて濃い味付けでした。

 魚は、カウンターに並んだのから一品を選びます。どれもうまそうでした。

 みそ汁に玉子が浮かんでいました。
 名物らしく、「かつ丼に玉子入り」と注文しているい常連もいました。

 わたしはこちらも。

 宇野は漁港ではないので、魚で食べさせる店ではなかったようです。何でもありです。工場のユニフォーム姿や高校生まで、地元に愛されている食堂でした。

 昭和23年創業と、わたしより1歳年上です。周囲は空き地になって、孤塁を守っています。

 大阪屋
 0863-21-4026
 岡山県玉野市築港2-3-20

 帰りの電車に乗り疲れて姫路で途中下車しました。改札を出たすぐ横の「播州うまいもの処」で目に止まりました。
 実は過去の青春18でも来ています。姫路おでんの「ちょい飲みセット」(1000円)です。

 おでん5種とまたもビールのセレクトです。

 薄味のおでんは、生姜醤油につけていただきます。

 出汁の薄さを写そうとレンズを向けて、コンニャクが姫路城に型抜きされていることに気づきました。

 お隣は「玉子焼き」の店でした。何だろうと不思議でしたが、明石焼きのことでした。

 姫路の地酒と姫路おでん本舗
 姫路市豆腐町222 ピオレ姫路おみやげ館うまいもん処

青春18 宇高連絡船の発つ港・宇野

 「青春18きっぷ」を、久しぶりに買いました。さて、どこに旅しようか? 本末転倒のようですがそれはいいとして、高松に讃岐うどんを食べに行くか。で、思いついたのが宇野(岡山・玉野市)でした。
 新聞社に入社したわたしの初任地は高松でした。宇野から宇高連絡船に乗って見知らぬ地へ向かったのです。昭和49(1974)年の春でした。半世紀が流れようとしています。

 連絡船の遺構は、コンクリートの塊りのこれだけでした。当時の岩壁の係留施設の一部です。それでも経済産業省の「近代化産業遺産」に認定されています。

 宇高連絡船は明治43(1910)年に開航しました。本州と四国を結ぶ重要なルートでした。
 わたしは高松勤務時代に、坂出港沖で行われた瀬戸大橋建設に向けた海底試験爆破実験を取材した覚えがあります。
 瀬戸大橋が完成したのは昭和63(1988)年のことで、連絡船は廃止されました。

 青春18きっぷでJRの普通(新快速も)を乗り継いで宇野までやって来ました。かわいい駅舎です。
 昔は連絡船を降りた乗客がそのまま乗車できるほどの長い編成の列車が停車するホームが何本もある駅でした。
 でも覚えているのは、ホームとそれにつながる連絡船の桟橋だけです。途中下車したことはなく、宇野駅の改札外は知りません。

 今も小豆島などへの観光船は出航します。

 この辺りに連絡船の桟橋はあったのでしょう。

 目の前は香川県の直島です。アートの島とした蘇りました。

 「UNO」って、ゲームではありません。
 日射しが強かったです。早々に退散しました。

 港にはアートも展示されています。
 「船底の記憶」は、スクリューにいろんな鉄製品が散りばまれています。

 「宇野のチヌ」も、よく見ると傘だったヘルメットだったり。
 いずれも瀬戸内国際芸術祭の出展作品です。

 玉野競輪も児島ボートも、わたしは無縁でした。

 フェリーが停泊してました。

 直島に寄港して高松に向かうようです。でもガラガラでした。

 わたしは高松で1年ほど勤務した後、岡山に異動になりまたした。高松の夜が懐かしくて、週末の夕に岡山からマイカーを走らせてここまでやってきて、高松に渡ったものです。
 その時に乗ったのが四国フェリーでした。瀬戸大橋開通で利用客が減り、令和元年の12月で運休していました。

青春18きっぷ 久しぶりに青春する

 学校が夏休みとなりました。と同時にシーズン・インです。
 JRの「青春18きっぷ」の夏季バージョンが、きのう20日から使用開始となりました。買いましたよ。久しぶりです。
 わが家近くのJR島本です。みどりの券売機で、いとも簡単に購入できました。
 (画像は一部を合成しています)


 
 券売機の「トクトクきっぷ」をタップすると、すぐに「青春18きっぷ」が出てきました。
 1枚と指定して、クレジットカードを挿入、パスワードを入力すると、あっという間でした。
 

 乗車券の他に、使い方や領収書、アンケート用紙までがプリントアウトされました。

 机の引き出しから平成20年前後の切符の残骸が出てきました。このころは、シーズンごとに買って、あちこちに出かけていました。
 調べてみると、29年の夏に、長野まで1泊で出かけたのが最後でした。もう6年も前です。
 さて、長時間の各駅停車の列車旅は今でも大丈夫でしょうか?

京都・出町 「みつばち」の宇治氷とあんみつ

 暑い京都の昼下がりです。ちょっと冷たいものをと、京都府立医大病院から河原町をちょっと上がった「みつばち」に寄りました。「京のちいさな あんみつ屋」です。
 わたしのセレクトではありません。奥さまは10数年前のわたしの入院時に、独りでやって来たことがあるそうです。
 「宇治氷(柳桜園さんの抹茶)」(850円)をいただきました。きめ細かなかき氷です。口に含むと、たちどころに消え去ります。冷たさと、濃厚な抹茶の香り、甘さが残ります。

 寒天と赤えんどうが別皿です。

 南房総産の天草(てんぐさ)を使ってじっくりと煮込んだこだわりの自家製寒天です。弾力がある口触りで、磯の香りすら感じるほどです。

 追い蜜をかけて、最後まで変わらないお味でした。

 奥さまはシンプルなあんみつでした。

 抹茶の柳桜園は、二条通御幸町にある茶道三千家の家元御用達の老舗です。

 女性たちでいつもにぎわっているのは知ってました。独りでこの暖簾をくぐる勇気はありませんでした。

 店先に木槿(むくげ)が一輪、大きな花を咲かせていました。

 みつばち
 075-213-2144
 京都市上京区河原町今出川下ル梶井町448-60

 河原町を渡った出町輸入食品を久しぶりにのぞきました。ちょっと買い物をすると、コーヒーのサービスがありました。

 ポテトチップスも一片を味見させてもらいました。

 スペイン産のポットチップスが並んでいました。気になりました。

 コーヒーが好きだった母が、ここのブルーマウンテンを愛飲していました。よく買いに来たものです。

 出町輸入食品 本店
 京都市上京区河原町通今出川下ル栄町359-2

 定期検診のほうは、CT、RI検査ともに異常はなく、腫瘍マーカー値も下がってひと安心でした。

反田恭平ピアノリサイタル2023を聴く

 奈良・橿原の県立橿原文化会館大ホールで、「反田恭平ピアノリサイタル2023」を聴きました(13日夜)。
 1000人を超す大きなホールです。それがソールド・アウトの満席でした。大阪や京都などからもファンが詰めかけていたのです。
 開演直前まで、念入りに調律が行われていました。

 前から4列目の中央の席でした。
 目の前のスタインウェイのふたの裏側が、弦を反射して光っているのが印象的でした。

 プログラム(一部変更あり)は、近代ロシアのスクリャービン、ラフマニノフとショパンの影響を受けた2人から始まりました。
 わたしは、その日に病院で受診した2つの検査で疲れていたのか、不覚にもこっくりとする瞬間もありました。
 後半のショパンは、これは圧巻でした。雷が落ちたのかと思わせるほどの爆音が、ホールに鳴り響く場面もありました。でもそれは一瞬のこと。心にグイグイと迫ってきたのは、圧倒的な弱音!でした。これまでに聴いたことがない最弱音に息をのんでいると、その音色はいく重にも変化して、一音一音がしみわたりました。そのバリエーションの豊かさに驚きました。
 拍手にスタンディングにブラボーが途切れません。5曲もアンコールを弾いてくれました。
 その極みが、アンコールで弾いてくれたラルゴでした。何度も聴いています。でも、この夜のラルゴが、ショパンの母国・ポーランドに対する思いを、これまでになく静かに熱く表現しているように思えました。聴くたびに限りなく進化する反田くんでした。

 なんだか反田くん一座がどさ回りしているような案内です。

 ホール前には「増長天」が飾られていました。、

 近鉄・大和八木から歩いて5分ほどのところにありました。

 近鉄特急で帰宅しました。

 大和八木のホーム内にあるコンビニで、缶を買って乗り込みました。ガラガラの車内で、余韻とともに楽しみました。

「哲&友号」 大川で浸水せずに進水

 山の友だちの「天満の哲」さんが、ヘンなことをしでかしました。
 ペットボトルをつないでボートをつくり、大阪湾に漕ぎ出すという奇想天外、いや気宇壮大な計画です。
 進水式を挙行するという知らせに、わたしも大阪・大川に駆けつけました。
 結果は無事に浸水、ではなくて進水。なんでもやってみようーの遠い昔のロマンが戻ってきたように、みんなの笑顔がはじけました。

 大阪・天六に近い哲さんのスタジオ「音太小屋」に集合しました。哲さんとその仲間たちです。「だれも欠けずに帰って来られるかな」の声も。

 分解したボートを台車に載せて歩いて出発です。

 早速に荷崩れを起こして、前途多難の様相です。

 大川(淀川の支流)の源八橋下流にある大阪ふれあいの水辺にやってきました。


 
 テープを張って組み立てです。

 浮かびました。「哲&友号」と命名されました。
 早速、哲さんとSさんが乗りこみます。

 岸をゆっくりと離れました。沈没するようなことはないようです。

 初航海を終えて、どや顔の2人です。

 対岸には帝国ホテル大阪や高層マンションがそびえます。どこを航海しているのかと思わせます。

 思わず笑顔がこぼれます。

 哲さんは、へっぴり腰で立ち漕ぎに挑戦です。

 水を漕いで、様になってます。

 警備員も見に来ましたが、お目こぼしにあずかりました。
 オトナの遊びは、撤収も完璧でした。

 都島橋を帰ると、わが母校の大学ボート部が練習中でした。あんな風に大川の本流を進み、大阪湾まで漕ぎ出るのはやり絵空事だったのでしょうか。

 音太小屋に戻って乾杯しました。哲さんの夢に便乗させていただき(ボートには、怖くて乗りませんでした)、ありがとうございます。